第10話 デートの翌日
月曜日。
「……おはよう、夜花くん」
「おはよう、蜜柑」
教室に入ると、蜜柑がいつもより少しだけぎこちない笑顔で挨拶してきた。
「どうした? 眠そうだけど」
「えっ? そ、そんなことないよ!」
「そうか?」
「うん! 全然!」
……なんだか、妙に慌てている。
俺が首を傾げていると、蜜柑はちらちらとこちらを見てきた。
「……ねえ、夜花くん」
「ん?」
「昨日のことなんだけど……」
「ああ、デート?」
「でっ……!」
蜜柑の顔が一気に赤くなった。
「ちょっ、声が大きいよ!」
「いや、普通の声だろ」
「周りに聞こえたらどうするの!」
「別にいいんじゃないか? 学校でも恋人ってことになってるんだし」
「そ、それはそうだけど……!」
蜜柑は両手で顔を覆った。
その反応がよく分からず、俺はますます首を傾げる。
「……本当にどうしたんだ?」
「夜花くんのせいだよ」
「俺?」
「そうだよ!」
「なんでだよ……」
納得できない。
昨日だって、普通に買い物をして映画を見ただけだ。
確かに、手は繋いだ。
でも、偽物の恋人としては必要なことだろう。
……そうだよな?
「おはよー、蜜柑!」
そこへ、天音が教室に入ってきた。
「……あれ?」
天音は俺と蜜柑を交互に見た。
「何かあった?」
「な、何もないよ!」
「いや、絶対何かあったでしょ」
天音はニヤリと笑った。
「蜜柑、昨日どこ行ってたの?」
「えっ? ど、どうして?」
「だって、昨日メッセージ送ったのに返事遅かったじゃん」
「そ、それは……」
「……ふーん?」
天音の視線が俺に向く。
そして、何かを察したように目を見開いた。
「……まさか」
「違うからね!」
蜜柑が叫んだ。
「まだ何も言ってないんだけど?」
「うっ……」
「へぇー。なるほどねぇ」
天音は楽しそうに笑った。
「二人でお出かけしたんだ?」
「……」
蜜柑は黙り込んだ。
それだけで十分だったらしい。
「ええっ!? ちょっと待って! いつの間にそんな仲良くなったの!?」
「だから、偽物の恋人だって!」
俺が説明すると、天音は腕を組んだ。
「偽物の恋人が休日に二人でデートするんだ?」
「……」
「映画も見たんだ?」
「……」
「手も繋いだ?」
「……繋いだけど」
「うわーっ!」
天音が大きな声を上げた。
「蜜柑! それ、もう本物の恋人じゃん!」
「違うってばぁ!」
朝の教室に、蜜柑の悲鳴が響き渡った。
俺はため息をついた。
……月曜日から騒がしい。
*
昼休み。
「……もう、天音のせいで大変だったよ」
蜜柑は弁当を食べながら、恨めしそうに俺を見た。
「俺のせいじゃないだろ」
「夜花くんも、もう少し否定してくれてもよかったのに」
「何を?」
「デートとか、手を繋いだとか……!」
「でも、事実だし」
「そうだけど!」
蜜柑は頬を膨らませた。
「……夜花くんって、そういうところあるよね」
「どういうところだよ」
「女の子の気持ちに鈍いところ」
「……俺、何かしたか?」
「してるよ!」
即答だった。
「昨日だって、服を選んでくれたとき……」
「似合ってたから言っただけだろ?」
「……そうだけど」
蜜柑は弁当箱に視線を落とした。
昨日のことを思い出す。
買い物中、自分に似合う服を真剣に選んでくれたこと。
映画を見ながら、隣で笑っていたこと。
帰り道、別れる直前まで繋いでいた手の温かさ。
そして、また一緒に出かけようと言ったとき、何のためらいもなく頷いてくれたこと。
全部、偽物の恋人だから。
そう思えばいいはずなのに。
「……ねえ、夜花くん」
「ん?」
「また、日曜日に出かけない?」
「いいぞ」
「……え?」
「別に予定ないし」
あっさりと返事をされて、蜜柑は目を丸くした。
「い、いいの?」
「自分から誘ったんだろ?」
「そ、そうだけど……」
「どこに行きたいんだ?」
「……まだ決めてない」
「じゃあ、考えておくか」
夜花はそう言って、弁当を食べ始めた。
蜜柑はしばらく彼の横顔を見つめていた。
「……ずるいなぁ」
「何が?」
「なんでもない」
蜜柑は小さく笑った。
偽物の恋人。
そう決めたのは自分なのに。
一緒にいる時間が増えるたび、その関係だけでは満足できなくなっていく。
この気持ちを伝えたら、今の関係はどうなるのだろう。
そんなことを考えてしまう自分が、少し怖かった。
*
放課後。
「夜花、ちょっといい?」
帰り支度をしていると、健人に呼び止められた。
「何だ?」
「お前、日曜日に蜜柑と出かけたんだって?」
「……お前までか」
「いや、天音が嬉々として話してたぞ」
「あいつ……」
「それで?」
健人がニヤニヤしながら肩を組んできた。
「デートはどうだった?」
「普通だったぞ」
「普通って?」
「服を見て、映画を見て、飯を食べて帰った」
「……お前さぁ」
健人は呆れたように額を押さえた。
「それを普通のデートって言うんだよ」
「偽物の恋人だけどな」
「はいはい」
健人は適当に頷いた。
「で、蜜柑のことはどう思ってるんだ?」
「どうって……いい奴だと思うぞ」
「女の子としては?」
「……?」
「お前、ほんとに分かってないんだな」
健人は深いため息をついた。
「まあ、無理に答えを出す必要はないけどさ」
「……何だよ、急に」
「いや。お前が楽しそうなら、それでいいんじゃないかって思っただけ」
健人は笑った。
「最近のお前、前よりよく笑うようになったからな」
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
「……そうか?」
「ああ」
健人は鞄を肩にかける。
「じゃあな。また明日」
「ああ。また明日」
教室を出ていく健人の背中を見送り、俺は窓の外に目を向けた。
前よりよく笑うようになった。
自分では、そんなつもりはなかった。
けれど。
この学校に来て、健人と過ごして。
蜜柑と偽物の恋人になって。
輝女と暮らして。
そして、咲夜と再会した。
変わっていく日常を、俺は少しずつ受け入れ始めているのかもしれない。
「……帰るか」
鞄を持ち、教室を出た。
*
その頃。
西ノ宮家では、輝女がソファに座っていた。
「……遅いなぁ」
時計を見る。
夜花が帰ってくるには、いつもより少し遅い時間だった。
別に心配しているわけではない。
……いや、少しは心配しているけれど。
「蜜柑ちゃんと一緒だったりして」
そう呟いた瞬間、玄関の扉が開いた。
「ただいま」
「おかえり、夜花」
「……どうした? ずいぶん機嫌がよさそうだけど」
「別に?」
輝女はニコニコと笑っている。
嫌な予感がした。
「……何だよ」
「ねえ、夜花」
「何?」
「蜜柑ちゃんと、次の日曜日もデートするの?」
「……なんで知ってるんだ?」
「えっ!? 本当にするの!?」
「いや、今のは……」
しまった。
輝女の目が輝いた。
「へぇー! 二回目のデートかぁ!」
「まだ行く場所も決めてないからな」
「いいじゃん、いいじゃん!」
輝女は身を乗り出した。
「今度はどこに行くの? 水族館? 遊園地? それともお買い物?」
「だから、まだ決めてないって」
「服は? 私が選んであげようか?」
「自分で選ぶ」
「えー、つまんない!」
「……お前、楽しんでるだろ」
「もちろん!」
輝女は満面の笑みを浮かべた。
「だって、夜花に春が来たんだもん!」
「来てない!」
俺の声がリビングに響いた。
輝女はお腹を抱えて笑い始めた。
……本当に、勘弁してほしい。
そんな騒がしい夕食の準備をしながら、俺はふと思った。
次の日曜日。
蜜柑は、どこに行きたいのだろう。
そして。
どうして俺は、次に会うのが少し楽しみなのだろう。
その答えは、まだ分からなかった。




