第5話 突然の訪問者
翌朝。
「夜花」
教室に入るなり、健人が声をかけてきた。
「昨日の女の人って誰?」
「……昔の知り合い」
「それだけ?」
「それだけだよ」
そう答えたものの、俺の頭からは昨日のことが離れなかった。
氷見咲夜。
もう会うことはないと思っていた名前。
「夜花くん」
今度は蜜柑がやってきた。
「おはよう」
「おはよう」
蜜柑は俺の顔を見るなり、首を傾げる。
「まだ昨日の人のこと考えてる?」
「……まあな」
「元カノ?」
「……」
俺が黙ると、蜜柑は察したように「あー」と声を漏らした。
「やっぱり」
「昔の話だよ」
「ふーん」
蜜柑はそれ以上聞かなかった。
*
放課後。
蜜柑と別れて、一人で帰路につく。
昨日、咲夜は言っていた。
『あなたが突然いなくなったから』
あの時、俺は何も説明しなかった。
説明できなかった。
椎名から離れること。
剣道を辞めること。
全部、自分で決めた。
あいつを巻き込みたくなかった。
だから――逃げた。
「……今さら会って、何を話せっていうんだよ」
俺は小さく呟いた。
そして西ノ宮家へ帰る。
「ただいま」
「おかえり、夜花」
リビングから輝女の声が返ってくる。
「今日は早かったね」
「まあな」
鞄を置き、制服の上着を脱ぐ。
「飯、何がいい?」
「夜花が作ってくれるの?」
「そのつもりだけど」
「じゃあ任せる」
いつもの会話。
いつもの家。
昨日までなら、それだけで十分だった。
その時。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
「私が出る」
輝女が玄関へ向かう。
「はーい」
少しして。
「……夜花」
「ん?」
「お客さん」
「俺に?」
「うん」
玄関へ向かう。
そして――
足が止まった。
「……」
そこに立っていたのは。
昨日と同じ少女。
氷見咲夜だった。
「……咲夜」
「久しぶり」
「……どうしてここに」
「あなたの家を聞いたから」
「誰に?」
「それは秘密」
咲夜はそう言って、俺を見る。
その視線が少しだけ揺れていた。
「……入っていい?」
「……ああ」
俺は身体を横にずらした。
咲夜が家の中へ入る。
輝女は不思議そうに俺と咲夜を交互に見る。
「夜花、この人……」
「昔の知り合い」
「……そう」
輝女はそれ以上聞かなかった。
リビングへ移動する。
咲夜がソファに座る。
俺は向かい側に座った。
妙な沈黙が流れる。
「……何しに来たんだ?」
「話をしに」
「話?」
「昨日、途中で終わったから」
「……」
咲夜は俺を見る。
「どうして、何も言わずにいなくなったの?」
「……」
「剣道も辞めて」
「……」
「私の前からも消えて」
責めるような声だった。
だけど、その奥には――
寂しさがあった。
「俺は……」
言葉が出てこない。
その時。
「夜花くん」
輝女が台所から声をかけてきた。
「ご飯どうする?」
「……あとで作る」
「分かった」
輝女が離れていく。
咲夜はその背中を見てから、俺に視線を戻した。
「一緒に暮らしてるの?」
「そう」
「……そう」
また、あの表情。
昨日と同じ。
悲しそうな顔。
「咲夜」
「何?」
「俺は……」
言葉を探す。
けれど。
「――昔のことは、もう終わったんだ」
その瞬間。
咲夜の瞳が揺れた。
「……そう」
立ち上がる。
「今日は帰る」
「待てよ」
「何?」
「……また来るのか?」
咲夜は少しだけ考えた。
そして。
「あなたが嫌じゃなければ」
「……」
「また来る」
そう言って、玄関へ向かった。
扉が閉まる。
俺はその場に立ち尽くした。
「……夜花」
後ろから輝女が声をかける。
「何?」
「今の人」
「……」
「大切な人だった?」
俺は答えなかった。
答えられなかった。
ただ――
胸の奥に、忘れたはずの痛みが蘇っていた。
そしてその夜。
眠りについた俺の意識の奥で。
もう一人の「俺」が、静かに目を開けた。
『……咲夜』
女の声だった。
けれど、その声の主を。
夜花はまだ知らない。




