九機では足りない
初の連載となります。
ご意見、ご感想等いただけますと、五体投地して喜びます。
柏飛行場へ移ってから、独立飛行第四七中隊の訓練は変わった。
二機一組で飛ぶこと自体は、もう珍しくない。
一組が攻撃し、もう一組が上空から援護する。攻撃を終えた組は速度を失わぬまま離脱し、次の組が入る。
敵役が回避機動を続ければ、そのたびに速度を失う。
追う側は、旋回へつき合わない。
高度を速度へ換えて一撃を加え、その速度を再び高度へ戻す。二機ずつ交代しながら、それを繰り返す。
第三小隊で始めたやり方は、ほかの小隊にも広がり始めていた。
だが、飛び方だけを教えても、同じようには動かなかった。
*
「第一組、右上方」
片桐義雄大尉の声に、二機が翼を傾けた。
続けて、別の声が受話器へ割り込んだ。
『第三組、敵役を――』
雑音が重なり、後半が潰れる。
『第二組、位置を――』
『敵役、右下――』
三人が同時に喋った。
義雄は操縦桿を右へ倒した。機体を傾けながら右フットバーを踏み、右下方へ視線を走らせる。
敵役の鍾馗が、第二組の後ろへ回ろうとしている。
『第二組、左へ降りろ。第三組、敵役を押さえろ』
返答の声が、また重なった。
義雄は舌打ちした。
無線機が聞こえないのではない。
以前より、よく聞こえている。
聞こえるようになったために、今度は誰もが喋ろうとしていた。
第二組が左へ機首を落とす。
敵役も追って旋回へ入った。
その上から第三組が降りる。だが、攻撃へ入るころには、第二組も敵役も速度を失い、三機が狭い空域へ集まっていた。
『第三組、追うな。離脱しろ』
義雄の声を聞き、第三組が機首を上げる。
ところが、その僚機が一拍遅れた。先行機へ追いつこうとして操縦桿を引き、速度を失う。
四機、五機と増えれば、二機のときには隠れていた小さな遅れが、大きな乱れになる。
義雄はスロットルを押し出し、機首を下げた。
敵役と第二組の間へ割って入る。
速度を保ったまま攻撃線を横切り、そのまま上昇して離脱する。
敵役が義雄を追おうとした。
しかし、そこへ第三組の先行機が降りてきた。
ようやく、狙った形になった。
義雄は上昇しながら、各機の位置を確かめた。
六機すべてが空に残っている。
だが、これが実戦なら、その保証はなかった。
*
「無線は使えるようになった」
帰還後、義雄は搭乗員を集めて言った。
「だからといって、全員で喋ってよいわけではない」
新田少尉が背筋を伸ばした。
「敵を発見した場合は、機種、機数、方位、高度、進行方向、観測時刻の順で報告するのでは」
「それを全部言い終わるまで、目の前の敵に黙っていてもらえるならな」
何人かが笑った。
新田だけが真面目な顔を崩さない。
「では、どこまで省略すべきでしょうか」
「最初に、誰が危ないかを伝えろ」
義雄は黒板へ向かい、白墨で短く書いた。
――敵、右上。
「まず、これでいい。機種も高度も、そのあとだ。僚機が撃たれようとしているときに、報告の順序を守ることへ夢中になるな」
水野少尉が言った。
「短く喋れとは言ったが、必要な言葉まで削れとは言っていない、ですか」
「そういうことだ」
「一言一句、まったく同じことを言われた覚えがあります」
「なら、今度はお前が教えろ」
義雄は搭乗員たちを見回した。
「無線で最優先するのは危険の警告だ。その次が敵の発見、編隊への指示。状況の報告と確認は、そのあとでいい」
義雄は黒板に書いた五つの項目を、上から順に白墨で叩いた。
「何を喋るか迷ったら、この順番を思い出せ。ただし、目の前の状況より順番を優先するな」
*
無線機の状態そのものは、以前とは比べものにならないほど改善していた。
松戸で義雄たちが記録した、発動機の回転数、機体の針路、雑音の出た時刻。
刈屋正意中尉は、それらを一機ずつの整備記録と照らし合わせた。
接地を改め、配線の取り回しを変え、接続部を調べる。雑音のひどい部品は交換し、振動で緩む箇所には対策を加える。
独立中隊へ回される部品には限りがあった。
すべての機体を同時に仕上げることはできない。
「全部が無理なら、二機ずつ飛べるようにしてください」
義雄が言うと、刈屋は整備表から顔を上げた。
「状態のよい機体から並べるのではなく、編隊を組む二機へそろえて部品を回せと」
「一機だけよく聞こえても、編隊にはならん」
「機体ではなく、組を直すわけですな」
「無茶を言っているか」
「理屈は通っています。整備が面倒になるだけです」
「すまん」
「謝るくらいなら、飛行中の記録を続けてください」
刈屋は表へ視線を戻した。
「雑音が出た、とだけ言われるより、よほど直しやすい」
義雄は左手首のチュチマを見た。
自分の時計が正確なだけでは足りない。
飛行場の指揮所、地上監視員、飛んでいる操縦者。それぞれの時計が違う時刻を示していれば、敵機の位置をどれほど細かく報告しても意味を失う。
発進前に時計を合わせる手順も加えられた。
秒まで完全に一致させる必要はない。
少なくとも、何分もの食い違いを残したまま飛ばない。それだけで、敵機の針路を推定する精度は大きく変わった。
「大尉の時計を、全員へ配れれば早いんですがね」
水野が言った。
「お前の俸給で買ってやれ」
「三月分を全員分ですか」
「中尉になれば少し増えるぞ」
「それでも無理です」
水野は即答してから、義雄の顔を見た。
「今、何とおっしゃいました」
「聞き間違いじゃないか」
「そういう顔には見えませんが」
「水野少尉」
背後から、黒木少佐の声がした。
水野は振り返り、姿勢を正した。
「はっ」
「片桐大尉と一緒に来い」
*
中隊長室の机には、一通の書類が置かれていた。
黒木は、それを水野へ差し出した。
水野は受け取り、最初の数行を読んだ。
一度、目を上げる。
もう一度、最初から読み直す。
「進級だ」
黒木が言った。
「本日付で中尉。あわせて小隊を預ける」
「自分に、ですか」
「ほかに水野がいるなら、呼んできてもよい」
「いえ」
水野は書類へ目を戻した。
「しかし、自分は白江大尉や片桐大尉ほどの腕ではありません」
「知っている」
黒木は平然と答えた。
水野が言葉に詰まった。
「それでも、お前は以前ほど簡単には追わなくなった。僚機が近づきすぎれば気づき、照準器へ敵機を入れただけでは当たらんと教えることもできる」
義雄が続けた。
「自分が失敗した理由を、忘れていないからな」
「それが、小隊長の理由ですか」
「同じ失敗を部下にさせないのは、十分な理由だ」
水野はしばらく黙っていた。
「自分の小隊には、新田少尉も?」
「入れる」
「返事が少し長いですが」
「お前が直せ」
黒木が言った。
「はっ」
今度の返事は短かった。
*
季節が変わり、人と機体が増えた。
それまでの独立飛行第四七中隊では、義雄は搭乗員の顔だけでなく、それぞれの飛び方を知っていた。
誰が旋回で操縦桿を引きすぎるか。
誰が射撃へ入ると周囲を見なくなるか。
誰が無線で言葉を重ね、誰が必要なことまで黙るか。
担当する整備兵も、機体ごとの振動や発動機の癖を知っていた。
しかし、組織が大きくなれば、全員を義雄が直接見ることはできない。
新たに加わった操縦者へ、水野中尉が説明する。
新田少尉はその隣で、自分より若い操縦者へ二機編隊の間隔を教えている。
梶山曹長は新着の機体を見て回り、担当する整備兵から状態を聞いていた。
義雄が一人で教えなくても、教えた者が次の者へ伝え始めている。
だが、機体が増えたことで、別の問題も見えた。
同じ鍾馗でも、すべてが同じではない。
長く使われた機体と、新しく届いた機体。
操縦桿へ返ってくる重さも、発動機の調子も、機銃や照準器の状態も少しずつ違う。
義雄は新着機の操縦席へ身体を沈めた。
計器を一つずつ確かめ、操縦桿を前後左右へ動かす。フットバーを踏み、ラダーが動く感触を確かめる。
左手首のチュチマを見て、発動機の始動時刻を記録した。
始動の合図を送る。
起動車がプロペラを回し始め、発動機が火を拾った。
振動が座席とフットバーから身体へ入ってくる。
同じ鍾馗でも、これまで乗ってきた機体とは違う。
振動の細かさも、回転を上げたときの機首の揺れ方も、操縦装置へ返ってくる重さも、それぞれに癖がある。
義雄はスロットルをわずかに開けた。
回転が上がる。
操縦席のなかで、無線の受話器へ意識を向ける。
『片桐大尉、聞こえますか』
水野の声だった。
「よく聞こえる」
『こちらも明瞭です』
雑音は残っている。
だが、声を言葉として拾うことに苦労はない。
独立中隊のころ、二機分をそろえることにも苦心した部品が、今ではまとまった数で届くようになっていた。
組織が大きくなったことで、要求は通りやすくなった。
刈屋が作った改修と点検の要領も、新着機の受入整備へ組み込まれている。
無線機は聞こえないものだと諦めていれば、今も雑音のなかで手信号に頼っていただろう。
飛び方を変えるためには、機体側にも手を入れなければならなかった。
「水野中尉」
『はい』
「今の返事は短いな」
『教育がよかったもので』
「誰のだ」
『反面教師を含めて、何人かおります』
「あとで話を聞こう」
『聞こえません』
無線の状態は良好だった。
*
やがて、独立飛行第四七中隊を母体として、飛行第四七戦隊を編成することが伝えられた。
新しい機体が並ぶ。
新任の操縦者が来る。
整備兵が増え、飛行場へ運び込まれる部品や弾薬の量も変わった。
それまでの九機を基準に作った方法が、より大きな部隊でも通用するのか。
黒木は義雄へ尋ねた。
「お前がいなくても、そのやり方は続くか」
義雄はすぐには答えなかった。
ドイツで見た二機編隊を、自分が使えるだけでは意味がない。
義雄の指示がなければ動けないのなら、それは戦法ではなく、義雄個人の技にすぎない。
水野が教え、新田が覚え、梶山が現場で穴を見つける。
刈屋は、誰が整備しても同じ確認ができるよう、手順を書き残している。
「続けさせます」
義雄は答えた。
「どうやって」
「私の真似をさせません。なぜそうするのかを教えます」
黒木は義雄を見た。
「人が増えれば、理解しない者も増えるぞ」
「それでも、形だけを覚えさせるよりはましです」
「時間がかかる」
「九機では足りませんから」
黒木は小さく息を吐いた。
「飛行機の数か」
「二機で飛べる者と、それを教えられる者の数です」
しばらくして、黒木はうなずいた。
「ならば、戦隊で使える形にしろ」
「はっ」
*
新しく届いた鍾馗の尾翼にも、見慣れた標識が描かれていた。
名称と規模は変わる。
機体が増え、人が増え、義雄の知らない顔も多くなった。
だが、別の部隊になるわけではない。
水野中尉が、新任の操縦者二人を連れて、自分の小隊機へ歩いていく。
少し離れた場所では、新田少尉が僚機となる操縦者に、身振りを交えて編隊間隔を説明していた。
梶山曹長は格納庫の前で整備兵と話し込み、ときおり新着機の主翼へ手を触れている。
二機で飛ぶことを知る者。
二機を飛ばせるように整備する者。
見た敵を、時刻とともに伝える者。
そして、それを次の者へ教える者。
義雄はチュチマの竜頭を巻いた。
チュチマは一つしかなかった。
だが、その示す時刻を共有する者は、もう四人ではなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
当外伝は、別途連載中の本編をより楽しんでいただくための前日譚となります。




