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現代の付喪神は、時計の姿で顕現する。外伝1爺ちゃん編  作者: lemonia


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2/18

追うな

初の連載となります。


ご意見、ご感想等いただけますと、五体投地して喜びます。


 翌朝、片桐義雄はふたたびBf109の前に立っていた。


 朝露に濡れた機体は、昨日よりも小さく見えた。


 近くで見れば見るほど、余計なものがない。


 主翼は短く、胴体は細い。機首だけが、液冷発動機を収めるために太く膨らんでいる。


 義雄は操縦席へ乗り込んだ。


 脚を先に入れ、腰を落とし、肩をすぼめる。


 日本の機体とは、身体の収まり方が違った。


 狭い。


 だが、窮屈というより、操縦者の身体を機体の一部にするための狭さだった。


 左手をスロットルへ置く。


 右手を操縦桿へ置く。


 フットバーの位置を確かめる。


 機体の外から見ていたときには小さく感じた操縦桿が、操縦席のなかでは意外に大きく見えた。


 通訳を介して、地上の整備員から始動手順を聞く。


 義雄は指示どおりに操作した。


 始動装置が回り、発動機が一度咳き込む。


 続いて、低く硬い音が機体全体を震わせた。


 九七戦の空冷発動機とは違う。


 音に厚みがある。


 発動機そのものが前方へ伸びているような、鋭くまとまった振動だった。


 義雄は回転計を見ながら、スロットルをわずかに調整した。


 回転が上がる。


 しかし、上がり方が速い。


 ほんの少し手を動かしただけで、機体が前へ出ようとする。


 義雄はスロットルを戻し、ふたたび回転を落ち着かせた。


 地上滑走では、尾輪式の機体特有の見通しの悪さに加え、左右の間隔が狭い主脚が気になった。


 義雄は機体をゆっくりと蛇行させながら、左右を確認する。


 フットバーを踏み分けるたびに、機首が素早く向きを変えた。


 九七戦よりも、足の入力がそのまま機首へ返ってくる。


 滑走路へ正対する。


 左手でスロットルを押し開く。


 機体が前へ出た。


 プロペラの反トルクで、機首が左へ振られようとする。


 義雄は右フットバーを踏み、機首を中心線へ戻した。


 九七戦と同じ操作。


 だが、反応が速い。


 右足を踏み足した瞬間、機首が予想より大きく右へ向いた。慌てて左足を踏み返す。今度は機首が左へ振れる。


 右、左と足を踏み替えながら、機体は滑走路の上をみっともなく蛇行した。


 義雄は一度、両足の力を抜いた。機首が戻る。そこへ必要な分だけ右足を添え、ようやく中心線へ乗せた。


 速度が乗った。


 操縦桿を軽く前へ倒す。


 尾輪が浮き、機首が下がる。


 前方の視界が開けた。


 九七戦なら、ここで操縦桿を引けば素直に機体が浮いた。


 だが、Bf109はまだ滑走路へ貼りついているように見えた。


 義雄は一瞬だけ判断を遅らせ、速度計を確認した。


 十分に速度は出ている。


 操縦桿を引く。


 主輪が浮いた。


 機体は、持ち上がるというより、前方へ投げ出された。


 義雄は機首を上げすぎないよう、操縦桿を少し戻した。


 脚を引き込み、フラップを格納する。


 その直後、機体が予想以上の勢いで上昇へ移った。


 スロットルを戻すべきか迷う。


 だが、機首を押さえれば速度がつく。


 義雄はスロットルを維持したまま、操縦桿をほんの少し前へ倒した。


 九七戦なら、同じ上昇角を取れば速度計の針が落ち始める。


 Bf109は、機首を同じだけ上げても速度の減りが小さい。


 速度を高度へ変えながら、なお前へ進もうとする力が残っている。


 高度を取ったところで、義雄は右へ旋回した。


 操縦桿を右へ倒す。


 補助翼が機体を傾ける。


 右フットバーで方向舵を合わせる。


 昇降舵で機首を支える。


 基本操作は同じだった。


 しかし、操縦桿に返ってくる力が違う。


 低速では軽い。


 速度が出ると、急に重くなる。


 義雄が操縦桿を引くと、機体は旋回に入った。


 だが、九七戦のように機首を内側へ巻き込んではくれない。


 機体は旋回しながらも、速度を保とうとする。


 義雄はさらに操縦桿を引いた。


 機体が傾き、視界が回る。


 そのとき、機首がわずかに沈んだ。


 義雄は操縦桿を少し戻し、スロットルを開いた。


 旋回率を上げるために引き続ければ、速度が落ちる。


 速度を保とうとすれば、旋回半径が広がる。


 九七戦とは、機体との相談の仕方そのものが違った。


 数周の確認飛行を終え、義雄は場周へ入った。


 速度を落とし、脚を下ろす。


 脚の位置を確かめてからフラップを開き、最終旋回へ入る。


 滑走路を正面へ置く。


 速度を殺しすぎないように機首を支え、スロットルを絞る。


 接地の直前、機首がわずかに左へ流れた。


 右フットバーを踏む。


 踏みすぎれば、今度は右へ振られる。


 義雄はすぐに足を戻し、操縦桿を中央へ置いた。


 主輪が滑走路へ触れる。


 狭い間隔で取り付けられた主脚が、地面の上で機体を支えている。


 速度が落ち、尾輪が接地する。


 義雄は減速しながら、最後まで機首の向きを崩さなかった。


 機体を止めると、地上で待っていたパイロットが親指を立てた。


 義雄は操縦席から降りた。


 まだ、機体の手応えが身体に残っている。


 軽いのに重い。


 小さいのに力がある。


 速いのに、その速さを操縦者へ簡単には渡してくれない。


     *


 翌日、模擬空戦の予定が組まれた。


 相手は、義雄より頭ひとつ以上高い、細身の若いドイツ人パイロットだった。


 飛行服の上からでも分かるほど、身体に無駄な力がない。立っているだけなら大柄なのに、動きには妙な軽さがあった。


 名前は、ハンス=ヨアヒム・マルセル。


 簡単な打ち合わせのあと、二機のBf109が滑走路を離れた。


 模擬空戦の高度は、およそ四千メートル。


 義雄は先に上昇し、速度を取った。


 相手より高い。


 速度もある。


 まずは優位な位置を取れた。


 マルセルの機体が、義雄の左前方を横切る。


 義雄は操縦桿を左へ倒した。


 左フットバーを踏んで方向舵を合わせ、機首を相手へ向ける。


 マルセルの機体が旋回へ入った。


 義雄も追う。


 操縦桿を引き、機体を傾ける。


 発動機音が高くなり、視界が回る。


 相手機が、光像式照準器の近くへ入った。


 義雄はさらに操縦桿を引いた。


 しかし、マルセルの機体は、義雄が期待したほど減速しなかった。


 旋回しながら、速度を残している。


 義雄はスロットルを開いた。


 機首をさらに内側へ向けるため、操縦桿を引き、方向舵を踏み足す。


 だが、相手機は旋回の外へ逃げるように、わずかに上昇した。


 光像式照準器から、機体が外れる。


 義雄は操縦桿を戻した。


 相手はどこへ行った。


 右か。


 上か。


 視界を探す。


 その瞬間、機体の左上を、マルセルのBf109が通過した。


 速い。


 義雄は反射的に操縦桿を左へ倒し、機首を向けた。


 だが、相手はすでに離れている。


 義雄はスロットルを開き、機体を追った。


 速度は出る。


 しかし、相手に届かない。


 マルセルは、まっすぐ逃げているのではなかった。


 上昇し、横へずれ、旋回し、また上へ抜ける。


 そのたびに義雄の前から姿を消す。


 義雄は何度も操縦桿を倒した。


 補助翼で機体を傾ける。


 方向舵で機首を合わせる。


 昇降舵で追従する。


 スロットルを開き、速度を補う。


 操作そのものは間違っていない。


 だが、相手機は、義雄が操作を終える前に次の位置へ移っていた。


 義雄は相手を見つけるたびに、そこへ機首を向けた。


 そのたびに、相手はそこにいなかった。


 背後から、短い無線が入った。


 言葉の意味は分からない。


 だが、声の調子から、余裕があることだけは分かった。


 マルセルの機体が、太陽の近くから降りてくる。


 義雄は急旋回で逃れようとした。


 操縦桿を右へ倒す。


 右フットバーを踏む。


 機首を引き上げ、相手の射線から外れようとする。


 しかし、旋回へ入る前に、機体が一瞬だけ沈んだ。


 速度を失った。


 そのわずかな遅れを、マルセルは逃さなかった。


 義雄の右後方を、相手機が横切った。


 射撃の代わりに、マルセルは翼を振った。


 義雄は歯を食いしばった。


 その後も何度か仕切り直したが、結果は変わらなかった。


 義雄は相手を追い続けた。


 マルセルは、義雄を追わせ続けた。


 義雄が見越して機首を向けても、射撃機会は与えられなかった。


 やがて地上から帰投の指示が入った。


 二機は基地へ戻った。


     *


 着陸した義雄は、機体を止めるなり操縦席から降りた。


 手袋を外す。


 掌が汗ばんでいた。


 飛行服の背中も湿っている。


 Bf109は、まだ発動機の熱を吐き出していた。


 義雄は機体を見上げた。


 速かった。


 上昇も鋭かった。


 速度も十分に残っていた。


 それなのに、勝てなかった。


 負けたのは、機体ではない。


 自分のほうだ。


 通訳を連れたマルセルが近づいてきた。


 義雄の前で立ち止まり、空を指さす。


「あなたは、相手の飛行機を追いすぎる」


 通訳が伝えた。


「追わなければ、撃てないでしょう」


 義雄が答えると、マルセルは首を振った。


 地面に落ちていた木の枝を拾う。


 砂の上に、二本の線を描いた。


 一本は義雄の飛行線。


 もう一本は、マルセルの飛行線。


 マルセルは、義雄の線の後ろへ自分の線を重ねた。


 それから、義雄の線の少し先へ枝を置いた。


「そこへ撃つ」


 通訳が言った。


「敵が今いる場所ではなく、敵がこれから行く場所へ、偏差を取って撃つ」


 マルセルは、砂の上に描いた線を指でなぞった。


「あなたは、敵の後ろを追っている。だから、いつも遅れる」


 義雄は黙っていた。


「飛行機を曲げることと、射撃位置へ入ることは違う」


 マルセルは二本の線が交わる場所を、枝の先で叩いた。


「敵を追うのではない。敵が次に通る場所を見つけて、そこを叩ける位置へ自分の飛行機を置く」


 その言葉は、義雄の胸に残った。


 マルセルは枝を捨てた。


「もう一度、やるか?」


 義雄は空を見上げた。


 先ほどまで自分が飛んでいた空には、雲がひとつ浮かんでいる。


「お願いします」


 その日、片桐義雄はBf109に負けたのではなかった。


 自分が正しいと思い込んでいた空戦に、負けた。


読んでいただき、ありがとうございます。


当外伝は、別途連載中の本編をより楽しんでいただくための前日譚となります。

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