↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現代の付喪神は、時計の姿で顕現する。外伝1爺ちゃん編  作者: lemonia


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/18

帰るために飛ぶ

 都城西飛行場は、上空からでも傷んでいることが分かった。


 滑走路の周囲には、埋め戻された爆撃孔が大小の斑点となって残っている。誘導路の一部は土がむき出しになり、焼けた建物の跡が黒く地面へ貼りついていた。


 使用できる滑走路は一本。


 その一本も、ところどころ色が違う。爆弾で抉られた場所へ土と砕石を入れ、転圧して繕った跡だった。


 義雄はスロットルを絞り、速度を落とした。


 脚下げ。


 脚位置表示を確かめる。


 フラップを開き、滑走路の延長線へ機首を合わせた。


 横風がある。


 右足でラダーを踏み、機首を滑走路へ向けたまま、エルロンで傾きを抑える。


 補修箇所の一つが、正面へ近づいてきた。


 避けるほどの余裕はない。


 義雄は操縦桿をわずかに引いた。


 主脚が地面へ触れる。


 疾風は一度沈み、補修箇所を越えたところで小さく跳ねた。


 操縦桿を引きつけ、尾輪を下ろす。


 速度が落ちるにつれて方向舵の効きが弱くなる。義雄は左右のブレーキを使い、機首を滑走路の中央へ置き続けた。


 滑走路を外れれば、柔らかな地面へ脚を取られる。


 ようやく誘導路へ入る。


 疾風が不満そうに言った。


『あれを滑走路と呼ぶのか』


 時計が答える。


『着陸できた』


『乗り手が避けただけだ。地面の方は何もしていない』


 後続の疾風が次々と着陸してくる。


 一機が補修箇所で大きく跳ねた。


『乱暴だ』


 別の機体が言う。


『違う。あそこだけ柔らかい』


『右の誘導路へ入るな。沈むぞ』


『砂を吸わせる気か』


『この燃料は臭い』


 いくつもの声が、義雄の左手首へ流れ込んだ。


 時計には、それぞれの声が聞き分けられるようになっていた。


 だが、一度に話されれば手に負えない。


『一度に話すな』


 義雄の疾風が言った。


 声が少し静まる。


『飛ぶために必要なことから申せ。地面への不平は後だ』


『左の誘導路に穴がある』


『二番目の補修箇所は沈む』


『こちらは脚出しの際に左脚が遅れた』


『私は燃料が気に入らない』


『最後のものは却下する』


『なぜだ』


『全機同じだからだ』


 時計は、少しだけ感心した。


『お前は、皆をまとめるのが上手くなった』


『誰かがまとめなければ、飛ぶ前に日が暮れる』


 義雄は、そんな会話が行われているとも知らず、風防を開いた。


 熱気が操縦席へ流れ込む。


 東京を出たときとは、空気の重さが違った。


 主翼の上へ整備兵が上がり、義雄へ手を貸す。


 地上へ降りると、刈屋が滑走路の方を見ていた。


「どうだ」


 義雄が訊いた。


「飛行場のことでしょうか。機体のことでしょうか」


「両方だ」


「機体は飛べます」


 刈屋は答えた。


 それから、穴の跡が残る滑走路へ目を向ける。


「飛行場も、飛ばせるようにします」


「できるか」


「できるかどうかではありません」


 刈屋は、すでに荷を降ろし始めた整備兵たちを振り返った。


「ここから飛べという命令です。ならば、ここから飛んで、帰ってこられるようにするだけです」


 格納庫と呼べる建物は足りなかった。


 整備兵たちは焼け残った施設へ工具を運び込み、天幕を張り、機体ごとの整備記録を並べた。


 機体は飛行場の一か所へ集めず、樹木や地形を利用して分散させる。


 着いたその日のうちに、刈屋は担当機と担当整備兵の組み合わせを確認した。


 飛行場が変わっても、それは変えなかった。


 翌日、義雄は水野とともに都城東飛行場へ向かった。


 沖縄方面へ向かう部隊との飛行経路を確認し、敵機が来襲した際の援護区域を打ち合わせるためだった。


 都城東にも、疾風が並んでいた。


 同じ四式戦闘機。


 同じ誉発動機。


 同じ主翼と胴体。


 だが、その左右の主翼下には、爆弾が一発ずつ固定されていた。


 増槽ではない。


 途中で投下して敵を狙うための爆弾でもない。


 目標まで運び、機体ごとぶつけるためのものだった。


 水野が足を止めた。


「同じ疾風なんですね」


「ああ」


 義雄は、両翼に爆弾を抱えた機体を見た。


 武装を降ろして上昇力を得た赤い鍾馗が、頭をよぎった。


 車輪止めだけが残された、空の駐機位置も。


 並んだ疾風の声が、時計へ聞こえてきた。


『翼が重い』


『左右同じ重さではある』


『切り離せば、少しはましになる』


『帰りには軽くなるのか』


 誰も答えなかった。


 やがて、一機が言った。


『帰りはないそうだ』


 時計は、その言葉の意味を考えた。


 飛行機は飛び立つ。


 飛び立ったなら、どこかへ降りる。


 元の飛行場でなくともよい。別の滑走路でも、不時着できる地面でもいい。


 それが飛行というものだと思っていた。


『降りる場所がないのか』


『場所はある』


『ならば、なぜ帰らない』


『降りるつもりがないからだ』


 列線では、搭乗員たちが出撃準備を進めていた。


 笑っている者もいた。


 煙草を吸っている者もいた。


 手紙を整備兵へ預ける者もいた。


 その中の一人が、義雄たちへ気づいた。


 二十歳をいくらか越えた程度の少尉だった。


 義雄の階級章を見て姿勢を正す。


「片桐大尉でありますか」


「そうだ」


「四七戦隊の」


「そうだが」


 少尉の視線が義雄の背後へ向いた。


 都城西から連絡のために乗ってきた疾風が、離れた場所に止められている。


「四七戦隊の疾風は、よく飛ぶと聞いています」


「整備兵が飛ばしているようなものだ」


「同じ誉なのに、違うものですか」


「同じ発動機でも、一基ずつ違う。燃料も、点火も、乗り手も違う」


 少尉は、自分の機体を振り返った。


 両翼に爆弾を抱えた疾風だった。


「自分の機体も、よく飛びます」


 誇らしげに言う。


 機体は答えなかった。


 少尉は義雄へ近づいた。


「大尉。敵戦闘機に捕捉された場合は、どうすればよろしいでしょうか」


「戦うな」


 義雄は即答した。


「しかし――」


「お前の任務は敵戦闘機を落とすことではないはずだ」


「はい」


「後ろへ食いつかれても、旋回戦へ入るな。爆弾を抱えた疾風では、相手の土俵になる」


 義雄は両手を動かし、二機の位置を示した。


「高度を捨てすぎるな。速度を残せ。敵が後ろについたら、一度だけ機首を振って射線を外せ。そのまま僚機の近くへ戻れ」


「僚機に撃たせるのですか」


「違う。お前と同じく、僚機も敵戦闘機と戦うために飛ぶのではない。敵に、次は自分が撃たれると思わせる。躊躇させれば、それでいい」


 義雄は、さらに別の一機を手で示した。


「直援機がいるなら、そちらへ引き渡せ。自分で片をつけようとするな」


 少尉は頷いた。


「目標へ着く前に、敵戦闘機へ仕事をくれてやる必要はない」


「ありがとうございます」


 少尉は敬礼した。


 義雄も答礼する。


 それ以上、何を言えばよいのか分からなかった。


 生きて帰れとは言えない。


 任務を果たせとも言いたくなかった。


 やがて出撃時刻が近づいた。


 搭乗員がそれぞれの機体へ乗り込む。


 整備兵が車輪止めを外す準備をし、起動車が最初の疾風へ接続された。


 一機。


 また一機。


 誉発動機へ火が入り、排気とプロペラの搔いた空気が地面の砂塵を巻き上げる。


 義雄は、先ほど話した少尉の機体のそばに残り、出発を見届けようとしていた。


 少尉は操縦席へ収まり、飛行帽を被って縛帯を締めている。


 整備兵が起動車を接続した。


 始動の合図。


 プロペラが回る。


 数回の圧縮を越え、誉が一度だけ火を吐いた。


 排気管から黒煙が出る。


 だが、回転は続かなかった。


 プロペラが止まる。


「もう一度だ」


 少尉が操縦席から叫んだ。


 整備兵が始動手順をやり直す。


 燃料を確認する。


 起動車がふたたび回り、プロペラが動く。


 初爆。


 二度目。


 三度目。


 今度も、発動機は自力で回り続けるところまで届かなかった。


『起きないのか』


 時計が訊いた。


 疾風は答えない。


 整備兵が機首の覆いを開き、点火栓を外した。


「濡れています!」


「清掃しろ。急げ!」


 少尉が風防から身を乗り出す。


「燃料は来ているんだろう」


「来ています。点火を調べます」


 ほかの疾風が、誘導路へ進み始める。


 少尉はそれを見た。


「もう一度回せ。まだ間に合う!」


 清掃した点火栓が戻される。


 三度目の始動。


 プロペラが回る。


 発動機が二度、大きく咳き込んだ。


 回転が上がりかける。


 整備兵が手を上げた。


 しかし次の瞬間、排気音がばらつき、発動機は止まった。


『どこが悪い』


 時計が訊いた。


 疾風は、しばらく黙っていた。


『右の磁石発電機が弱っている』


『ならば、飛べないのか』


『昨日は飛べた』


『今日は』


 返事はない。


 先頭の機体が滑走路へ入った。


 発動機音が高まり、他の疾風が走り始める。


 一機目が浮く。


 二機目が続く。


 少尉は操縦席の中で拳を握った。


「もう一度だ!」


 整備兵が顔を見合わせる。


「点火を調べ直します。少尉殿、このまま回しても――」


「編隊が出てしまう!」


 残りの疾風も、次々と滑走路へ向かっていく。


 少尉の機体だけが、爆弾を抱えたまま取り残された。


「頼む」


 少尉は操縦盤へ手を置いた。


「今日まで待ったんだ。今日だけは動いてくれ」


 疾風は、その手の重みを感じていた。


 時計がもう一度訊いた。


『昨日まで動けたのなら、今日も動けるのではないか』


『動けるかもしれない』


『ならば、なぜ』


 疾風は答えなかった。


 遠くで警報が鳴った。


 見張り所から声が上がる。


「敵機接近!」


 地上員が一斉に動き始めた。


 残っていた機体は樹木の下へ退避させられ、整備兵は工具を抱えて走る。


「始動作業中止! 機体を隠せ!」


「待て!」


 少尉は操縦席から叫んだ。


「まだ上がれる。もう一度回せ!」


 誰も起動車を戻さなかった。


 義雄は主翼へ上がった。


「降りろ」


「しかし――」


「敵が来る。機体を隠すぞ」


 義雄は少尉の縛帯を外し、その腕をつかんだ。


「放してください。自分は行けます!」


「発動機が動かん」


 少尉はなおも操縦席へ残ろうとした。


 義雄は力ずくで引き上げた。


「お前が乗っていようがいまいが、動かんものは動かん。降りろ!」


 ほとんど引きずり出されるように、少尉は地上へ降ろされた。


 疾風は牽引車へつながれ、樹木の下へ運ばれていく。


 少尉は、その後ろを追った。


「なぜだ」


 胴体へ拳を叩きつける。


「今日まで待ったんだぞ」


 もう一度、叩いた。


「なぜ今日なんだ!」


 疾風は黙って拳を受けた。


 そして、時計にだけ答えた。


『今日だからだ』


 敵機は飛行場の北を通過した。


 直接の銃撃はなかった。


 警報が解除されると、少尉の疾風はふたたび列線へ引き出された。


 都城西へ連絡が送られ、ほどなく刈屋が整備車で到着した。


 四七戦隊と同じ疾風である。誉の不調を調べてほしいという依頼だった。


 刈屋は右側の磁石発電機を取り外させた。


 接点を調べる。


 配線を追う。


 絶縁抵抗を測る。


 義雄は少尉とともに、少し離れた場所で待っていた。


「出撃できなかったのは、自分の責任です」


 少尉が言った。


「お前が発動機を壊したのか」


「そうではありません。しかし、持ち機の状態を――」


「整備兵でも、分解しなければ分からん不具合はある」


「それでも、自分だけが残りました」


 少尉は、南の空を見た。


 先に発進した疾風は、もう見えない。


 義雄は答えなかった。


 しばらくして、刈屋が取り外した部品を手に戻ってきた。


「右側の磁石発電機です」


「悪いのか」


「接点が焼けています。絶縁も落ちている。点火時期も安定していません」


「昨日までは飛べたそうだ」


「昨日飛べたことは、今日も飛べる根拠になりません」


 刈屋は磁石発電機を作業台へ置いた。


「むしろ、この状態で今日まで保ったことの方が不思議です」


 少尉が部品を見つめる。


「交換すれば、飛べますか」


「交換品があれば」


「探してください」


 少尉は顔を上げた。


「次の出撃には間に合わせます」


 刈屋は、義雄を見た。


 義雄は少尉へ言った。


「洋上で止まるよりは、ここで止まってよかった」


 少尉の表情が変わった。


「自分は、帰るために飛ぶのではありません」


「知っている」


「ならば、洋上で止まっても同じです」


「同じではない」


 義雄は、両翼に爆弾を抱えた疾風を見た。


「目標へ着けない」


「それは――」


「お前の言う任務すら果たせん。違うか」


 少尉は答えられなかった。


 義雄にも、それ以上の言葉はなかった。


 命を捨てるなと言えば、命令に背けと言うことになる。


 命令に従えと言えば、死んでこいと言うことになる。


 義雄は、疾風の胴体へ残った拳の跡を見た。


 それから外板へ手を置いた。


「こいつは、お前を落としたくなかったのかもしれんな」


「機械に、そんなことが分かりますか」


「分からん」


 義雄は答えた。


「分からんから、そう思っておけばいい」


 少尉は俯いた。


 疾風が時計へ言った。


『あの者は、私を恨むだろう』


『それでも止まったのか』


『私は故障している』


『それだけか』


『それだけで十分だ』


『昨日までは動いた』


『昨日までは、動けた』


『今日は動けなかったのか』


 疾風は、少し間を置いた。


『今日は、動かなかった』


 帰路、時計はその話を義雄の疾風へ伝えた。


『命令に背いた機体がいた』


『機械は命令を受けぬ』


『乗り手の操作には従うだろう』


『可能ならばな』


『あの機体は、飛べたかもしれない』


『飛べなかったかもしれない』


『どちらなのだ』


 義雄の疾風は、しばらく考えた。


『あの者を乗せたまま洋上へ落ちる可能性があった。それだけで、飛ばぬ理由にはなる』


『戦闘機は、飛ぶために作られたのではないか』


『そうだ』


 疾風は即座に答えた。


『だから、飛んだ者は帰らねばならぬ』


『帰還を命じられていなくてもか』


『命令とは関係ない』


 都城西へ戻ると、義雄は疾風の胴体へ手を置き、燃料と弾薬の搭載作業を見守った。


 疾風は、その手の温度を感じた。


『私は飛ぶ』


 時計へ言う。


『そして、この者を連れて帰る』


 六月に入ると、飛行場への空襲はさらに増えた。


 四七戦隊は機体を分散させ、敵機の接近が報じられるたびに使用可能な滑走路へ集めた。


 ある日、低空から侵入した敵艦載機が、飛行場を銃撃した。


 義雄たちは、その前に発進できた。


 脚を引き込みながら低空で速度を乗せる。


 補修された滑走路が後方へ流れていく。


「二機ずつで上がれ。上空で群れるな」


 義雄は無線で命じた。


 水野機が右後方につく。


 上空にはF6Fがいた。


 その下を、爆弾とロケット弾を抱えたF4Uが飛行場へ向かっている。


「下の戦闘爆撃機を止める。上へ食いつくな」


『了解』


 義雄は操縦桿を前へ押した。


 疾風が降下へ入る。


 速度計の針が右へ動く。


 F4Uの一機が、飛行場へ機首を向けていた。


 飛行場だけを見ているようだ。


 機首をわずかに下げ、照準を滑走路上の機体へ置いている。義雄の疾風が上方から入っていることに、まだ気づいていない。


 義雄はF4Uの現在位置を追わなかった。


 敵が射撃へ入る飛行線を読み、その先を叩ける位置へ疾風を置く。


『もう少し右だ』


 疾風が時計へ言う。


『伝えられない』


『分かっている』


 義雄の右足が動いた。


 ラダーが機首をわずかに右へ向ける。


 疾風は満足そうに言った。


『この者も分かっている』


 義雄は光像式照準器へ、カモメを逆さにしたような特異な翼を拡げているF4Uを入れた。


 まだ撃たない。


 敵機が飛行場への降下を続ける。


 距離が詰まる。


 F4Uは翼下からロケット弾を放とうとしていた。


 照準を定め、攻撃進路へ乗った敵機は、攻撃の好機を捨てないかぎりは向きを変えられない。


 義雄は操縦桿上部の射撃ボタンを押した。


 20mm機関砲と12.7mm機関銃が一斉に火を吐く。


 発射の振動が操縦桿と座席を通して身体へ伝わる。


 曳光弾がF4Uの飛行線と重なった。


 左主翼の付け根に閃光が走り、外板が剝がれる。続いて発動機覆いから黒煙と炎が噴き出した。


 F4Uはロケット弾を放つことなく、機首を下げた。


 操縦者が引き起こそうとしたのか、機体が一度だけ起き上がりかける。


 だが左翼が下がった。


 そのまま飛行場の外へ落ちていく。


 義雄は墜落を見届けなかった。


 射撃ボタンから指を離す。


 操縦桿を引きすぎず、速度を保ったまま上昇へ移る。


「一番組、離脱。二番組、次に入れ」


 水野機がついてくる。


 別の二機が、次に飛行場へ入ろうとしたF4Uへ向かう。


 撃墜することだけが目的ではない。


 照準を外させ、爆弾やロケット弾を狙った場所へ撃たせなければよい。


 だが、落とせる敵を見逃す理由もなかった。


 上空のF6Fが降りてきた。


『上から二機』


 疾風が言う。


 義雄も見つけていた。


「水野、右へ開け」


『了解』


 二機が左右へ分かれる。


 F6Fは一機を選びきれず、その間を抜けた。


 義雄は無理に反転しない。


 操縦桿を引きすぎず、速度を保ったまま上昇へ移る。


 敵機の後ろへつくためではない。


 次の攻撃位置を取るためだった。


 戦闘が終わったころ、一機の疾風が飛行場へ戻ってきた。


 発動機から油を引いている。


 主翼にはいくつもの穴が開き、右の脚は下りなかった。


 無線から、途切れがちな声が入る。


『地上へ。右脚が出ません。胴体着陸します』


 地上から返事が入った。


『了解。滑走路は空いている。全脚を収めろ』


『了解』


 義雄は上空を旋回しながら、損傷した疾風を見守った。


 負傷しているのか、操縦者の動きは鈍い。


 それでも機体は飛行場まで戻ってきた。


 風防はすでに開かれている。


 脚はすべて格納された。


 フラップがゆっくりと下がる。


 疾風は滑走路の延長線へ機首を合わせた。


『右へ流れている』


 義雄の疾風が言った。


 損傷機の機首が、わずかに左へ戻る。


 搭乗員が左足を踏んだのか。


 機体が最後の力で応えたのか。


 時計には分からなかった。


 滑走路が近づく。


 損傷した疾風は機首を上げ、接地の直前まで速度を残した。


 胴体下面が地面へ触れる。


 金属が土と砕石を削った。


 四枚のプロペラが滑走路を叩いた。翅は後方へ曲がり、そのうち一枚の先端が折れて飛んだ。


 機体が大きく左へ振られた。


 左主翼端が地面へ食い込み、疾風は半回転した。


 胴体が後部で折れる。


 土煙の中を滑り、ようやく止まった。


 停止を待ち構えていた地上員が駆け出した。


 搭乗員が縛帯を外そうとしている。


 整備兵が主翼へ上がり、その身体を操縦席から引き出した。


 額から血を流していた。


 片脚を引きずっている。


 それでも、生きていた。


 駆けつけた衛生兵が搭乗員を担架へ乗せ、救護所へ運んでいく。


 義雄はもう一度飛行場上空を回り、安全を確かめてから着陸した。


 機体を止めると、損傷した疾風のもとへ駆けつけた。


 折れた胴体へ近づいたとき、時計に声が届いた。


『帰したぞ』


 折れた疾風は、それだけを言った。


 刈屋が機体を調べた。


 主翼の付け根。


 折れた胴体。


 潰れた下面。


 破損した発動機架。


 一つずつ確認していく。


「修理はできません」


 刈屋は言った。


 疾風は飛行場まで帰り、そこで力尽きていた。


『私は、もう飛べぬのか』


 損傷した疾風が訊いた。


 時計は、刈屋が告げた言葉を思い返した。


 『その身体では、もう無理だ』


 刈屋は整備兵へ指示を出した。


「使用可能な部品を確認してください。磁石発電機、点火栓、脚の作動部、機関砲。外す前に、状態と使用時間を記録すること」


 時計が損傷した疾風へ訊いた。


『お前は、ここで終わるのか』


『私の飛行は終わる』


 損傷した疾風は答えた。


『だが、まだ使えるものがある。右の磁石発電機を持っていけ』


『よいのか』


『都城東に、必要としている者がいるのだろう』


 時計は驚いた。


『知っていたのか』


『お前たちは、声が大きい』


 整備兵が工具を持って近づいてくる。


 損傷した疾風は続けた。


『点火栓も使える。左脚は駄目だ。主翼の機関砲は二門とも生きている』


『お前の身体だ』


『飛べぬまま錆びるより、都城東のあれを飛ばせてやれ』


 刈屋は、一つずつ部品を外させた。


 急がせはしたが、雑には扱わせなかった。


 取り外された部品は布の上へ置かれ、それぞれに元の機体番号、使用時間、状態を書いた札が添えられた。


 義雄は、その作業を見ていた。


 やがて、折れた胴体へ手を置いた。


「借りるぞ」


 折れた疾風は黙って聞いている。


「無駄にはしない」


『やはり、聞こえているのではないか』


 損傷した疾風が言った。


『声は聞こえていない』


 義雄の疾風が答える。


『では、なぜ分かる』


『毎日、機械へ触れているからだろう』


 取り外された右側の磁石発電機は、記録を添えられて都城東飛行場へ送られた。


 両翼に爆弾を抱えた疾風が、その部品を受け取ったかどうか。


 若い少尉が、再び出撃命令を受けたかどうか。


 時計には分からなかった。


 七月、四七戦隊へ移動命令が届いた。


 行き先は小月。


 北部九州の防空だった。


 整備兵たちは工具より先に、機体ごとの整備記録を梱包した。


 どの機体が、いつ、何時間飛んだか。


 どの部品を交換したか。


 どの機体から部品を受け継いだか。


 それらが失われれば、同じ疾風でも、もう同じようには扱えない。


 水野が荷造りを見ながら言った。


「今度は少し、まともな飛行場でしょうか」


「期待すると失望するぞ」


「大尉は夢がありませんね」


「帰れる滑走路が一本あればいい」


 義雄は自分の疾風へ歩み寄った。


 胴体へ手を置く。


「行くぞ」


 少し間を置いた。


「二人で帰ってくる」


 疾風は、時計へ答えた。


『当然だ』


 発動機へ火が入る。


 十八気筒が一つずつ目を覚まし、やがて一つの連続した音になった。


 疾風は誘導路へ出る。


 補修跡だらけの滑走路へ機首を向けた。


 義雄がスロットルを開く。


 機体が走り始める。


 尾輪が浮き、前方を見通せるようになる。


 補修箇所を越えた。


 義雄は操縦桿をわずかに引く。


 主脚が地面を離れた。


 疾風は、都城の空へ上がった。


『次も帰る』


 機体は、時計へ言った。


 時計は、その言葉を信じた。


 機械は人間を運ぶ。


 命じられた場所へ。


 人間が望んだ場所へ。


 そして可能ならば、帰るべき場所へ。


 この疾風ならば、義雄を必ず連れて帰る。


 時計は、そう信じていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。