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現代の付喪神は、時計の姿で顕現する。外伝1爺ちゃん編  作者: lemonia


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16/18

飛ぶように作られている

 米軍の航空燃料を使い切ると、疾風は元の燃料へ戻された。


 刈屋は点火時期を調整し直し、誉発動機が異常燃焼を起こさないところまで出力を抑えた。


 始動は問題ない。


 油温も油圧も、定められた範囲に収まっている。


 スロットルを開けば、発動機は滑らかに回転を上げる。


 それでも、時計には違いが分かった。


『あの糧は、もうないのか』


 地上運転を続ける疾風が訊いた。


『ないらしい』


『そうか』


 疾風は、それ以上何も言わなかった。


 回転を乱すことも、不満を訴えることもない。


 与えられた燃料に合わせ、自分の力を抑えて回り続けている。


『悔しくはないのか』


 時計が訊いた。


『ないものを乞うても仕方がない』


 疾風は、淡々と答えた。


『与えられたもので戦う』


『苦しいのか』


『苦しくはない』


『では、何だ』


 わずかな間があった。


『不本意だ』


 操縦席では、義雄が回転計と吸気圧力計を確認していた。


 スロットルを少し開く。


 誉の回転が上がる。


 前回、米軍燃料を与えられたときのような鋭さはない。


「また、手加減させることになったな」


 義雄が呟いた。


 疾風は、少しだけ機嫌を直した。


『やはり、分かっているではないか』


『聞こえてはいない』


『同じことだ』


 疾風の配備数が増えるにつれて、時計の周囲は騒がしくなった。


 最初に聞こえたのは、義雄の持ち機だけだった。


 それが、ある朝には二機になった。


 翌日には、格納庫の反対側から別の声が加わった。


 やがて列線へ出るだけで、いくつもの声が時計へ届くようになった。


『右へ傾くと、補助翼が重い』


『尾輪が落ち着かない』


『三番気筒が一度だけ休んだ』


『左の脚扉が震えている』


『私の乗り手は、着陸のたびにブレーキを急に使う』


『お前の乗り手はまだましだ。こっちは昨日、脚を出したままスロットルを開かれた』


『それは私の責任ではない』


『誰もお前の責任だとは言っていない』


『ならば黙れ』


『そちらこそ黙れ』


 同じ四式戦闘機でも、声は一つずつ違った。


 穏やかなもの。


 神経質なもの。


 異常を簡潔に伝えるもの。


 自分の不調より、乗り手への不満を先に並べるもの。


 時計は、どの声を聞けばよいのか分からなくなった。


『順番に話せ』


 声は止まらない。


『右脚が重い』


『私が先だ。三番気筒が――』


『尾輪の振れを整備兵へ――』


『静かにしろ』


 義雄の疾風が言った。


 格納庫の声が、途端に止まった。


『一度に話しても伝わらない。一機ずつ報告しろ』


『お前が代表なのか』


 離れたところにいる疾風が訊いた。


『少なくとも、この時計が最初に聞き取ったのは私だ』


『年長者ということか』


『同じ時期に作られたはずだ』


『では、先任だ』


『勝手に決めるな』


 時計には、どちらでもよかった。


『代表なら、必要なことだけまとめて話せ』


『承知した』


 義雄の疾風は短く答えた。


 しばらくして、改めて時計へ伝える。


『右端の機体は左脚の格納が遅い。中央の一機は高回転で三番気筒が乱れる。奥の機体は尾輪が振れる』


『最初から、そう言えばよい』


『お前が順番に話せと言った』


『言葉どおりに受け取るな』


『注文が多いな』


 時計は返事をしなかった。


 格納庫の中では、整備兵たちがそれぞれの担当機へ取りついている。


 彼らに機体の声は聞こえない。


 しかし、脚の動きを見比べ、発動機音へ耳を澄ませ、操縦索の張りを確かめていた。


 疾風たちが時計へ訴えた箇所へ、人間の手が順番に入っていく。


『あの者は分かっている』


 左脚の格納が遅いと訴えていた疾風が呟いた。


 その担当整備兵は脚柱のそばへ屈み、作動部を調べている。


『聞こえているのか』


 時計が訊いた。


『そうは見えない』


『では、なぜ分かる』


『毎日、私の脚へ触れている。だから分かるのだろう』


 その言葉を聞きながら、時計は義雄を見た。


 義雄もまた、整備を終えた持ち機の胴体へ手を置いていた。


 ある日、新たに受領した疾風の試験飛行が行われることになった。


 機体は格納庫前で地上運転を始めた。


 搭乗するのは、機種転換を終えたばかりの若い少尉だった。


 低い回転では異常はない。


 油圧も安定している。


 整備兵が合図を送り、少尉がスロットルを開く。


 誉の回転が上がった。


『右が息を吸えていない』


 その疾風が言った。


 時計は声のした方角へ意識を向けた。


『どこだ』


『発動機だ。回せば回すほど、一つだけ遅れる』


 機外で聞くかぎり、発動機音は揃っている。


 回転計の針にも、大きな振れは見えない。


 少尉は地上運転を終えようとしている。


『止めろ』


 時計は叫んだ。


 少尉には届かない。


『飛べば、もっと乱れる』


『分かっている。だが、私には止められない』


 時計にも止められない。


 左手首を動かすことも、声を人間へ届けることもできない。


 少尉がスロットルを戻そうとしたとき、義雄が手を上げた。


「止めろ」


 地上員が合図を送る。


 少尉は回転を落とし、誉を停止させた。


 プロペラが止まる。


 刈屋が義雄へ近づいた。


「何かありましたか」


「右側の音が揃っていない」


「回転計には出ていません」


「だから、もう一度見てくれ」


 刈屋は問い返さなかった。


 発動機覆いを外させる。


 点火栓と点火線を調べ、吸気管の取りつけを一つずつ確認していく。


 やがて、右列の一気筒へ通じる吸気管で手を止めた。


 接続部が、わずかに緩んでいる。


「これでしょう」


 刈屋が言った。


「低い回転では大きな影響は出ません。ですが、吸気圧力を上げれば、ここから余分な空気を吸う可能性があります」


「飛ばしていたら」


「混合気が薄くなります。異常燃焼を起こしたかもしれません」


 若い少尉が操縦席から降り、外された発動機覆いを見た。


「私には分かりませんでした」


「分からなかったことを責めてはいません」


 刈屋が答えた。


「次に同じ音を聞いたとき、分かればよいのです」


 義雄は吸気管へ目を向けたまま言った。


「計器に出るまで待つな。いつもと違うと思ったら、それを伝えろ」


「ですが、感覚だけでは――」


「感覚で部品を替えろとは言っていない。調べるきっかけを渡せと言っている」


 刈屋が義雄の言葉を引き取った。


「いつ、どの操作をしたとき、何がどう変わったのか。それが分かれば、整備する側も調べる場所を絞れます」


 少尉はうなずいた。


 整備兵たちは吸気管を締め直し、ほかの気筒も同じように確認し始めた。


『聞こえているではないか』


 不調を訴えた疾風が言った。


『聞こえてはいない』


 時計が答える。


『また、それか』


『あの二人は、聞こえないまま聞こうとしている』


 疾風は少し考えた。


『妙な人間だ』


『そうかもしれない』


 整備を終え、再び誉が始動した。


 今度は高い回転まで上げても、一つの音も遅れない。


『これでいい』


 疾風が言った。


 義雄も同じ言葉を口にした。


「これでいい」


『本当に聞こえていないのか』


『私にも、分からなくなることがある』


 その日の午後、刈屋は搭乗員と整備兵を格納庫へ集めた。


 壁には、機体ごとの整備記録が並べられている。


「計器の数字に異常が出ていなくても、変化があれば報告してください」


 刈屋は帳面を開いた。


「振動が増えた。スロットルへの反応が遅れた。同じ速度でも操縦桿が重くなった。直進させるために、以前より多くフットバーを踏まなければならなくなった。いつもと同じ高度、同じ出力なのに油温が高い」


 一つずつ読み上げる。


「どれも、それだけで故障とは限りません。しかし、故障の始まりである可能性はあります」


 若い搭乗員の一人が手を上げた。


「その程度で毎回整備へ回していたら、飛べる機体が減りませんか」


「逆です」


 刈屋は即座に答えた。


「その程度のうちに手を入れるから、飛べる機体が減らないんです」


「壊れてから直すのでは遅い、と」


「壊れた機体が、必ず飛行場へ戻ってくるとは限りません」


 格納庫が静かになった。


 刈屋は整備帳面を閉じた。


 義雄が搭乗員たちを見る。


「機体の調子を伝えるのも、搭乗員の仕事だ」


 自分の持ち機へ手を置く。


「『何となく悪い』で済ませるな。いつ、何をしたとき、どこがどう変わったのかを覚えて帰れ」


「戦闘中でもですか」


「戦闘中だからだ。帰ってから思い出せなければ、次も同じ状態で飛ぶことになる」


 水野が口を挟んだ。


「帰ってから全部訊かれるぞ。私は一度、着陸してから格納庫を出るまでに、飛んでいた時間より長く捕まった」


「あなたの説明が曖昧だったからです」


 刈屋が答えた。


「『何だか左が変だ』では、分かりません」


「実際、何だか左が変だったんです」


「それで、どの操作をしたときですか」


「旋回したときです」


「右旋回ですか、左旋回ですか」


「……両方です」


「速度は」


「覚えていません」


「高度は」


「刈屋中尉。これは、今ここで続きをやる話でしょうか」


 格納庫に小さな笑いが起こった。


 刈屋だけは笑わなかった。


「ですから、記録してくださいと申し上げています」


 四月二十六日。


 四七戦隊の格納庫へ、各地から整備関係者が集められた。


 四式戦闘機を運用する部隊の整備将校と下士官たちだった。


 誉は壊れやすい。


 疾風は整備が難しい。


 同じ部品を取りつけても、同じようには動かない。


 前線から寄せられた評判は、必ずしもよいものではなかった。


 講習を任された刈屋は、最初に四七戦隊の整備帳面を見せた。


「これは片桐大尉の持ち機です」


 飛行時間と発動機使用時間。


 点火栓と油の交換記録。


 油温と油圧の推移。


 不具合が起きた箇所と、その前に現れた変化。


 さらに、操縦者が感じた振動や操作感まで記録されている。


「部品が壊れてから交換するのではなく、使用時間と変化から交換時期を決めます」


 刈屋は別の帳面を開いた。


「同じ型式の機体でも、同じ状態ではありません。ですから、機体ごとに記録します」


 参加者の一人が訊いた。


「整備は発動機班、電装班、機体班で分かれているはずです。担当者が機体全体を見るのですか」


「専門ごとの作業は必要です。しかし、担当機がこれまでどこを直し、どんな変化を見せたかは、担当する整備兵が把握します」


「そこまで人員を割けない部隊もあります」


「全機を同じように扱い、すべて壊してしまえば、もっと人員が要ります」


 刈屋は声を荒らげない。


 できることを、できる順番で説明していく。


 点火栓の焼け方。


 吸気管の緩み。


 油圧の変化。


 誉の気筒を均等に働かせるための調整。


 燃料の質に応じた点火時期。


 義雄は格納庫の後方で、それを聞いていた。


 刈屋の説明は、機体の声を人間の言葉へ置き換えているように思えた。


 油温が上がった。


 振動が増えた。


 右へ流れるようになった。


 機械は言葉を持たなくても、ずっと訴えている。


 人間が、それを記録と数値へ直している。


 講習に参加していた別の整備将校が手を上げた。


「そこまで手を掛けなければ飛ばないのであれば、やはり疾風は扱いにくい機体ではありませんか」


 刈屋は、並べられた帳面を見た。


「手を掛ければ応える発動機です。掛けなければ、そうならないというだけです」


 格納庫に並ぶ疾風へ目を向ける。


「疾風は、飛ぶように作られています」


 刈屋の声は、いつもと変わらなかった。


「それを飛ばせないのは、おかしい」


 演説するような言い方ではなかった。


 特別な精神論を語ったわけでもない。


 図面を引いた者が、飛ぶように作った。


 工場で働く者が、飛ばすために組み立てた。


 搭乗員が、それに乗って空へ上がる。


 ならば整備する者は、飛べる状態にする。


 刈屋にとっては、それだけのことだった。


 格納庫にいた疾風たちの声が、一度だけ静まった。


『あの者は、我々の声を聞いているのか』


 一機が訊いた。


『聞こえてはいない』


 義雄の疾風が答えた。


『だが、聞こうとしている』


 講習を終えたあとも、刈屋は格納庫へ残っていた。


 机の上には整備帳面と、講習に使った部品が並んでいる。


 義雄が近づいた。


「ずいぶん偉そうになったな、刈屋中尉」


「片桐大尉が、異音や振動を記録しろと言ったのでしょう」


「あそこまでやれとは言っていない」


「でしたら、私が勝手にやりました」


 刈屋は帳面を重ねた。


「何か問題がありますか」


「ない。だから困る」


「でしたら結構です」


 義雄は格納庫に並ぶ疾風を見た。


「機体が話せれば、もっと楽なんだがな」


 時計は、義雄の左手首でその言葉を聞いた。


「話したとしても、搭乗員が聞かなければ同じです」


 刈屋が答えた。


「俺は聞くぞ」


「存じています」


 刈屋は、そう言って担当機の点検へ戻った。


 時計は考えた。


 機械は、ずっと話している。


 時計がそれを言葉として聞き取れるようになる以前から、振動や温度や音で訴えている。


 人間が聞こうとしなければ、声を届けても意味はない。


 義雄と刈屋は、聞こうとしていた。


 だからこそ、時計は二人へ伝えたかった。


 だが、声はまだ届かない。


 疾風とは話せる。


 周囲の機体の声も聞こえる。


 それでも、最も話したい相手へは、一言も届けられなかった。


 五月に入ると、四七戦隊へ移動命令が届いた。


 進出先は、宮崎県の都城西飛行場。


 義雄たちは作戦室の机へ地図を広げた。


 成増から南九州まで、長い距離がある。


「今度は、敵が来るのを待つんじゃないんですね」


 水野が地図を見ながら言った。


「ああ。こちらから南へ行く」


 沖縄では、すでに激しい戦闘が続いている。


 都城は、その作戦を支える航空基地の一つだった。


 機体を移せば済む話ではない。


 搭乗員。


 整備兵。


 工具。


 予備部品。


 燃料と弾薬。


 機体ごとの整備帳面。


 戦隊を戦わせるために必要なものを、可能な限り南へ運ばなければならない。


 刈屋は輸送する器材の一覧を義雄へ差し出した。


「多くないか」


「足りないくらいです」


「全部持っていくつもりか」


「機体だけ先へ送られても、戦隊は動きません」


「何が要る」


「全部です」


「欲張るな」


 刈屋は、表情を変えなかった。


「では、どの機体なら、壊れたままにしてもよいのですか」


 義雄は一覧へ目を戻した。


「分かった。持っていけるよう掛け合う」


「お願いします」


 格納庫では、整備兵たちが移動の準備を始めていた。


 工具を箱へ収める。


 予備部品を整理する。


 機体ごとの帳面には布を巻き、輸送中に濡れないよう包む。


 義雄は持ち機のそばへ行った。


 疾風の胴体へ手を置く。


「今度は南だ」


 疾風が答えた。


『敵のいる方角か』


『そうらしい』


 時計が答える。


『ならば行く』


『燃料も部品も、今より悪くなるかもしれない』


『だから何だ』


『怖くはないのか』


 疾風は、少しも迷わなかった。


『私は飛ぶように作られた』


 義雄は、外板に手を置いたまま呟いた。


「飛べるうちは、飛ばせてやる」


 疾風が沈黙した。


『やはり、この男には聞こえているのではないか』


『私も、そう思うことがある』


 移動の日、四七戦隊の疾風が列線に並んだ。


 発動機が一基ずつ始動する。


 誉の音が重なり、飛行場全体を震わせた。


 機体は二機ずつ滑走路へ出ていく。


 先行する一機が加速を始める。


 尾輪が浮き、長い機首が下がる。


 主脚が地面を離れる。


 続いて、僚機が空へ上がった。


 義雄も機首を滑走路へ向けた。


 右後方には水野機がいる。


「行くぞ」


 義雄はスロットルを押し出した。


 疾風が走り始める。


『承知した』


 その声は、義雄には届かなかった。


 それでも、二人は同じ空へ向かっていた。


 南へ向かう主人の腕で、私は時を刻んでいた。


 残された時間が、どれほど少ないのかも知らずに。


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