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現代の付喪神は、時計の姿で顕現する。外伝1爺ちゃん編  作者: lemonia


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13/18

勇気は装備ではない

 赤い鍾馗は、通常攻撃隊の後を追って上昇してきた。


 武装も弾薬も防弾板も降ろした機体は、ほかの鍾馗より軽い。上昇角を同じにしても、じわじわと距離を詰めてくる。


 義雄は一度だけ後ろを振り返った。


 三田機は、決められた位置を守っていた。


「震天隊は、そのまま上昇を続けろ。通常隊の上方で待機」


『了解』


 三田の声が無線に入った。


 酸素マスクを通した声は、いつもより遠く聞こえた。


 高度五千。


 義雄は混合比を調整し、発動機の音と回転計を確かめる。


 高度六千を越え、電熱服へ通電する。


 今回は左腿だけが焼けることも、片脚だけが凍ることもなかった。


 全身が暖かいとは言い難い。それでも、厚い手袋の中で指は動く。フットバーを踏めば、爪先へ反力が返ってくる。


 刈屋たちが整備したものは、正常に働いていた。


 それだけで、前回とは別の空に思えた。


 高度七千。


 過給機を切り替える。


 鍾馗の発動機音がわずかに変わった。


 義雄はスロットルを調整し、機首を上げすぎないよう操縦桿を戻す。上昇率を欲張れば、速度を失う。


 後方では水野機が右へ少し開き、義雄の死角を補っていた。


 さらに後ろを、別の二機編隊が間隔を保って上昇している。


 無線に地上からの誘導が入った。


『敵編隊、北東進。高度約九千。進路に変化あり』


 義雄は眼下の地形を確かめた。


 予想より東へ流されている。


 空中での速度は足りている。それでも、強い西風へ向かうと地表の景色がほとんど後ろへ動かない。


 鍾馗が見えない流れに押し戻されている。


「全機、針路を右へ取れ」


 編隊が緩やかに向きを変えた。


 三田たち震天隊は、通常攻撃隊よりさらに高度を取っている。


 軽くなった鍾馗はよく登った。


 義雄には、それを喜ぶことができなかった。


『十一時上方。多数』


 水野の声だった。


 義雄は左上方へ目を凝らした。


 青黒い空の中に、銀色の点が並んでいる。


 一つ、二つではない。


 点は列となり、さらにその後ろにも列が続いている。


 接近するにつれて、それぞれが長大な主翼と太い胴体を持つ四発機の姿へ変わった。


 単機で侵入した偵察機とは違う。


 空の一角を、B29の編隊が占めていた。


 義雄は上方を確認した。


 赤い鍾馗も、敵編隊を見つけている。


「震天隊、その高度を維持。命令があるまで降下するな」


『了解』


「水野、右後方を頼む」


『了解』


「後続は間を取れ。一番組が離脱してから攻撃に入れ。同じ敵へ一度に群がるな」


 返答が続いた。


 義雄はB29編隊の進路を読む。


 敵の現在位置へ向かっても、追いつくころには後方へ抜けられる。


「敵のいる場所へ飛んでも間に合わん」


 自分へ言い聞かせるように呟いた。


「敵が来る場所へ先に上がる」


 鍾馗の機首を、敵編隊の前方へ向ける。


 速度を保ちながら高度を稼ぎ、B29の進路を横切る位置へ回り込む。


 敵編隊が下方に見え始めた。


 義雄は操縦桿を倒した。


 鍾馗が左へ傾く。


 フットバーを踏み、横滑りを抑える。さらに操縦桿を前へ押し、高度を速度へ変えていく。


 発動機音が高まり、速度計の針が右へ動いた。


 視界の中で、B29が急速に大きくなる。


 義雄は敵の現在位置ではなく、その飛行線の先へ機首を置いた。


 筒型照準器を覗く。


 視野の端から、B29の機影が入ってきた。


 高高度の薄い空気では、操縦桿を動かしても機体の反応が鈍い。フットバーを踏みすぎると機首が滑り、狙点と着弾点がずれる。


 義雄は操縦桿を握る力を抜いた。


 小さく修正する。


 照準器の中を、巨大な機体がゆっくり横切っていく。


 まだ遠い。


 義雄は撃たない。


 敵の銃座がこちらを向いた。


 B29の機体が照準器の視野を埋めていく。


 主翼。


 発動機。


 胴体の外板。


 国籍標識。


 それぞれの形が見分けられる距離まで近づく。


「まだだ」


 鍾馗へ向けて言った。


「もう少し、連れていけ」


 敵機との距離が詰まる。


 義雄は操縦桿上部の射撃ボタンを押した。


 機銃が一斉に火を吐いた。


 発射の振動が、操縦桿と座席を通して身体へ伝わる。


 曳光弾がB29の前方へ走り、敵機の進路と重なった。


 主翼付け根から胴体へ、着弾の白い閃光が続く。外板の破片が剝がれ、後方へ飛んだ。


 一基の発動機から、黒い煙が流れ始める。


 敵の防御砲火がこちらへ伸びた。


 義雄は射撃ボタンから指を離した。


 それ以上は追わない。


 操縦桿を前へ押し、フットバーを踏み足す。鍾馗をB29の下方へ滑り込ませ、編隊から抜ける。


 直後、赤い曳光弾が風防の上を通過した。


「一番組、離脱。二番組、入れ」


 義雄は速度を残したまま降下を続けた。


 水野機も右後方からついてくる。


 後続の二機編隊が、入れ替わるようにB29へ向かっていった。


 機銃の発射光が瞬く。


 B29の胴体に新たな命中痕が生じる。


 波状攻撃は機能していた。


 一組が攻撃して離れたあと、次の組が入る。


 敵の銃座に一機だけを狙い続ける時間を与えず、鍾馗は速度を失わない。


 義雄たちが、これまで訓練してきたとおりの攻撃だった。


 だが、B29は落ちなかった。


 最初に義雄が撃った一機は、一基の発動機から煙を吐きながらも飛び続けている。


 編隊からわずかに遅れてはいる。


 それでも、高度を大きく失ってはいない。


 義雄は機首を上げた。


 速度をできるだけ残しながら上昇し、次に敵の進路を叩ける位置へ向かう。


「残弾は」


『まだあります』


 水野が答えた。


「次は、もっと近づく」


『また刈屋中尉に叱られますよ』


「帰れればな」


 義雄はB29の前方へ回り込んだ。


 二度目の攻撃へ入る。


 今度は射撃開始をさらに遅らせた。


 B29の防御砲火が先に始まる。


 曳光弾が鍾馗の左右を流れた。


 義雄は大きく避けない。


 操縦桿をわずかに倒し、フットバーで機首を合わせ直す。


 照準器から敵機を逃がさない。


 B29の胴体が急速に膨らむ。


 義雄は射撃ボタンを押した。


 発射振動。


 曳光弾。


 敵機の外板に並ぶ着弾。


 風防の向こうで、破片が飛び散る。


 次の瞬間、左翼に硬い衝撃が走った。


 操縦桿が震える。


 義雄は射撃を止めた。


 操縦桿を引きすぎず、そのままできるだけ速度を保ちながらB29の下方へ抜け、降下して離脱する。


「水野」


『ついています』


 義雄は左翼を見た。


 翼面に穴が開いている。


 だが、補助翼は動く。燃料も漏れていない。


 まだ戦える。


 再び高度を取りながら、義雄は攻撃を受けたB29を探した。


 煙は濃くなっていた。


 しかし、まだ飛んでいる。


 当たらなかったのではない。


 狙った場所へ、確かに当てた。


 戦法も間違っていない。


 鍾馗も、操縦に応えている。


 それでも足りなかった。


 義雄は上方を見た。


 赤い鍾馗が、機首を下げようとしていた。


「震天隊、そのまま待て」


 赤い機体の姿勢が戻った。


 義雄は三度目の攻撃位置を取る。


 残弾は少ない。


 燃料も減っている。


 何より、一度攻撃するたびに高度を失う。上り直している間にも、B29は先へ進む。


 通常攻撃隊の別の鍾馗が接近した。


 機銃を撃つ。


 敵機の尾部に命中する。


 それでも、B29は飛び続ける。


 義雄は照準器へ敵機を入れた。


 最後まで近づく。


 射撃ボタンを押す。


 機銃が短く火を吐き、止まった。


 弾が尽きた。


 義雄は射撃ボタンから指を離す。


 機首を下げ、敵機の下を抜けた。


「一番機、残弾なし」


 水野から返事が入る。


『二番機、残り僅か』


 義雄は後続機の位置を確認した。


 通常攻撃を続けられる機体は、まだある。


 だが、B29編隊は目標へ近づいている。


 上方で待機していた赤い鍾馗が、再び機首を下げた。


「三田、まだだ」


『三田機、了解』


 返事はあった。


 しかし、赤い鍾馗は降下を続けた。


「待機しろ。通常攻撃を続けられる」


 今度は返事がない。


 三田機は、煙を吐くB29へ向かっていた。


 義雄には、その理由が分かっていた。


 三田機には機銃がない。


 弾薬もない。


 照準器もない。


 敵へ向けて降下を始めた以上、できることは一つしか残されていない。


「三田、帰れ!」


 震天制空隊へ出された命令とは、正反対の言葉だった。


 赤い鍾馗は進路を変えない。


 B29の尾部へ向けて距離を詰めていく。


 機影を収める照準器はない。


 射撃距離を測る必要もない。


 操縦席にいる三田自身が、唯一の照準器だった。


「三田!」


 赤い鍾馗が、B29の下方から機首を起こした。


 B29の銃座が火を吐く。


 鍾馗の主翼から、小さな破片が飛んだ。


 それでも機体は上がっていく。


 二つの機影が重なった。


 音は聞こえなかった。


 銀色の巨体から尾部の一部が折れ、赤い鍾馗の翼がちぎれた。


 わずかに遅れて、破片が空へ広がった。


 B29が傾く。


 編隊から外れ、煙を引きながら高度を落としていく。


 赤い鍾馗だったものも、いくつかの破片に分かれて落下していた。


 義雄は空を探した。


 落下傘は見えない。


「三田、応答しろ」


 雑音しか返らない。


「三田」


 義雄はもう一度呼んだ。


 返事はなかった。


 B29編隊の防御砲火が、再び周囲を通過した。


 ここで立ち止まることはできない。


 三田を追って降りることもできない。


 義雄は操縦桿を倒した。


「全機、敵編隊から離脱。残弾と燃料を報告しろ」


 返答が続く。


 その中に、三田の声はなかった。


 成増へ帰還すると、刈屋が義雄機の左翼へ駆け寄った。


 外板に開いた穴へ手を入れ、内部を確かめる。


「主桁までは達していません。補助翼の索も無事です」


「次も飛べるか」


「飛ばします」


 刈屋は短く答えた。


 ほかの整備兵たちも、帰還した鍾馗へ取りついている。


 被弾した機体。


 機銃を撃ち尽くした機体。


 高高度で発動機を酷使し、油を吹いた機体。


 損傷していても、帰ってきた機体には整備兵が集まった。


 震天隊の赤い鍾馗も帰還していた。


 武装も防弾板も持たない機体が、再び列線へ並べられている。


 その中に、一か所だけ空いた駐機位置があった。


 三田の赤い鍾馗が置かれていた場所だった。


 車輪止めだけが残っている。


 刈屋も、その場所を見た。


「機体は直せます」


 誰に言うでもなく、刈屋が口にした。


 少し間を置く。


「ですが、搭乗員は直せません」


 義雄は答えなかった。


 やがて、搭乗員の一人が言った。


「三田伍長は、よくやりました」


 義雄も、それを否定しなかった。


 否定できるはずがなかった。


「ああ。勇敢だった」


 一度、そこで言葉を切った。


「だが、勇気は装備ではない」


 周囲が静まった。


 発動機の冷える音と、工具が外板へ触れる音だけが残った。


「足りない機銃も、届かない高度も、薄い装甲も――搭乗員の勇気で埋めていい穴じゃない」


 若い搭乗員が口を開いた。


「ですが、通常攻撃では落とせませんでした」


「だからといって、生きて帰れない方法を戦法にしたら、次は誰を使う」


 義雄は、その搭乗員を見た。


「その次は誰だ」


 誰も答えない。


「最後には、飛べる者が誰も残らん」


「体当たりしても、脱出はできます」


「生還できた者がいることと、生還できる戦法であることは違う」


 義雄は、赤い鍾馗がいた場所へ目を向けた。


「三田は命令を果たした。あいつの勇気を疑う者はいない」


 空になった駐機位置には、もう誰も近づかなかった。


「だからこそ、それを次の搭乗員へ要求してはいけない」


 義雄は、自分の持ち機へ戻った。


 左翼には弾痕がある。


 胴体と主翼には、硝煙と油がこびりついている。


 それでも鍾馗は義雄を飛行場まで連れて帰った。


 義雄は胴体へ手を置いた。


「お前が悪いんじゃない」


 金属の外板は、まだ発動機の熱を残していた。


「お前は、届くところまでは連れていってくれた」


 義雄は、傷ついた主翼を見る。


「足りなかったのは、その先だ」


 少し離れたところで、刈屋が聞いていた。


「片桐大尉」


「何だ」


「機体が本当に話せるなら、何と言うでしょうな」


 義雄は考えた。


「もっと早く連れていけ」


「はい」


「もっと近くまで寄せろ」


「手厳しいですな」


「飛ぶために作られたものは、飛ばし方にも注文が多い」


 義雄は赤い鍾馗がいた場所を見た。


 油の染みと、車輪止めだけが残っている。


「あいつも、帰りたかっただろうな」


 三田のことなのか。


 赤い鍾馗のことなのか。


 刈屋は尋ねなかった。


 義雄は左手首のチュチマを見た。


 クロノグラフの針は、攻撃を開始してからの時間を示している。


 実際に射撃できた時間は、ほんの数秒。


 攻撃位置へ入り、撃ち、離脱するまでを含めても数十秒にすぎない。


 義雄はクロノグラフを止めた。


 針を零へ戻す。


 時計は何も言わない。


 ただ、時を刻み続けた。


 年が明けた。


 義雄の机へ、一通の書類が置かれた。


 機種転換に関する命令だった。


 水野が横から書面を覗き込む。


「四式戦闘機」


 義雄は書類の文字を追った。


 鍾馗より速く、航続距離も長い。武装も強化され、格闘性能まで備えているという。


「今度こそ、足りますかね」


 水野が言った。


 義雄は、格納庫の外に並ぶ鍾馗を見た。


 速さと上昇力を求め、旋回性能だけに頼らない戦闘機として生まれた機体。


 鍾馗が先に選んだ思想を、さらに先へ進めた新型機が来る。


「それは、乗ってみなければ分からん」


 遠くから、聞き慣れない発動機音が近づいてきた。


 義雄と水野は格納庫の外へ出た。


 飛行場上空へ、一機の戦闘機が進入してくる。


 鍾馗より長い胴体。


 大きく広がった主翼。


 空冷発動機を収めた機首から、尾部へ向けて滑らかに絞られた機体。


 四式戦闘機――疾風。


 新しい機体は飛行場上空を一度通過し、着陸のために旋回へ入った。


 義雄は、その姿を目で追った。


 左手首では、チュチマが静かに時を刻んでいた。


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