第4話 長すぎる閉館会議
閉館の説明会は、朝ごはんの湯気がまだ天井へ届く前に始まった。
炉心博物館の小講堂には、古い長椅子が三列並んでいる。かつては子どもたちが前の席を取り合い、後ろの大人が展示札を見失うほど賑わったと聞く。今朝そこに座っているのは、顔を硬くした職員と、腕組みした商人たちと、暖房の弱まった区画から来た住民だった。
カリネは壁際に小さな卓を出し、焼き豆入りの朝粥を椀に分けていた。議会の説明会に屋台を入れる決まりはない。けれど、怒った声と空腹の腹が同じ部屋にあると、たいてい話はこじれる。マリヤムが焼いてくれた薄い塩パンも籠に入れてある。
「粥を置くなら、資料の上には置かないでください」
正面の長机で、シグルギスリが言った。彼の前には紙束が塔のように積まれている。紙の角はすべて同じ向きで、筆記具は太さ順に並び、砂時計まで三つある。短い話で終わらせる気がない並べ方だった。
「資料が多すぎて、どこが上か分かりません」
マリヤムが小声で言い、カリネは肘でそっと止めた。
ヴィルモスは長机の端に立っていた。いつもの解説用の棒は持っていない。代わりに、昨夜封をした保存紙の資料袋を胸の前で抱えている。紙袋の中には、パン籠の下から見つかった恋文が眠っている。海の底で会いましょう。その一行が、講堂の硬い空気の中でも、カリネの耳元でずっと囁いていた。
シグルギスリが咳払いをした。
「では、炉心博物館の今後について説明します。まず来館者数の推移ですが、過去十年間の月別集計、季節別集計、雨天時と晴天時、ただし当市は海底都市であり通常の雨天は存在しませんので、ここでは上層水流の濁りによる外出控えを便宜上、雨天相当と呼びます」
その時点で、前列の老人が目を閉じた。
眠ったのではない。耐えるために閉じたのだと、カリネは思った。
「次に維持費です。炉心母炉周辺の清掃、展示ケースの気密確認、初期潜航服の防錆処置、床材の張り替え、窓硝子の研磨、案内札の更新。ただし案内札の更新については、現行の説明文が長く保存されているため、文化的価値を損なわない範囲での最小限の修正が望ましく、しかし最小限という語の範囲は――」
カリネは椀を一つ、後ろの席へ運んだ。腕組みしていた魚油商の男が、受け取る前に言った。
「飯でごまかされんぞ」
「ごまかすなら、もう少し高い具を入れます」
男は眉を上げ、それから椀を受け取った。湯気が鼻先に触れると、腕組みが少しだけほどける。
「暖房が弱い。うちの倉の油が固まりかけてる。この博物館が炉を抱えているせいで不調なら、責任を取ってもらわんと困る」
「油は、どの時刻に固まりましたか」
「夜明け前だ。鐘が二つ鳴る前」
カリネはそれを覚えた。夜明け前。炉の音が遅れる時刻と近い。
別の住民が声を上げた。
「閉めるなら早く閉めて、炉の管理だけ新しい建物に移せばいい」
「移設には費用が」
博物館の会計係が言いかけたが、シグルギスリが手を上げた。
「その費用については、仮見積もりの前提条件を五つに分けてお話しします。第一に、炉心母炉を停止できるかどうか。第二に、停止した場合の空気循環への影響。第三に、停止できない場合の迂回工事。第四に――」
カリネは薄い塩パンを配りながら、長い言葉の下に沈んでいる短い声を拾った。怖い。寒い。壊れるなら早く言ってほしい。思い出があるのに、守り方が分からない。
ヴィルモスは黙って聞いていた。資料袋を抱える指が白い。普段なら、展示の年代が少しでも曖昧になればすぐ訂正する人だ。だが今日は、議会の紙束の前で言葉を選び続けている。
カリネは彼の前に椀を置いた。彼は驚いたように見る。
「説明会中です」
「冷めると、具が底で固まります」
「それは困ります」
真面目に言って、彼は匙を取った。ほんの一口だけでも、喉を通れば声が出るかもしれない。カリネはそう思って、長机の端に立ったまま待った。
議題が修繕申請へ移ると、部屋の空気が変わった。
水門管理局の事務員ウェンノは、入口近くの席で椅子の背にもたれていた。もたれているというより、少しずつ椅子と同化しようとしているように見える。名前を呼ばれた瞬間、彼は膝の上の鞄を抱えた。
「修繕申請について、水門管理局から状況を」
シグルギスリが促す。
「ええと、その、手続き自体は、だいたい、ほぼ、概ね、前向きに」
「提出済みですか」
ヴィルモスが静かに尋ねた。
ウェンノは鞄の金具を見つめた。
「提出という言葉を、広く捉えるなら」
「狭く捉えると」
「まだ机の上です」
講堂のあちこちで椅子が鳴った。魚油商が粥を飲み込み、低くうなる。
「いつから机の上にある」
「明日やろうと思った日からです」
「それは、いつだ」
「明日が何度も来たので、少し混ざっています」
マリヤムがパン籠を抱えたまま、天井を見た。笑ってはいけないと、顔全体で戦っている。
シグルギスリは眉間を押さえた。
「ウェンノさん。あなたが申請を出していないため、修繕予算の審査が止まっている可能性があります」
「可能性は、はい、あります」
「なぜ出さなかったのです」
その問いに、ウェンノはすぐ答えなかった。さっきまでの逃げるような目が、鞄の奥ではなく、ヴィルモスの手元の資料袋へ向いた。
「添付しなければならない記録がありまして」
「記録?」
「二十年前の改修事故の記録です。古いものですし、触ると、いろいろ、出てくるので」
ヴィルモスの匙が、椀の縁で止まった。
カリネは息を吸い、何も言わなかった。聞かなければならない話が来るときは、急に近づいてはいけない。おびえた貝のように、閉じてしまう。
ウェンノは鞄から一枚の控えを出しかけ、また引っ込めた。
「責任の所在とか、当時の設計者とか、安全装置の誤作動とか、そういう言葉が並んでいて。正直、私は書類に判を押すだけのつもりだったんです。けれど、読んだら、押せなくなって。明日、詳しい人に聞こうと思って。それで、明日が」
「増えたのですね」
カリネが言うと、ウェンノは情けない顔で頷いた。
「増えました」
シグルギスリが長く息を吐いた。その息だけで、紙束が一枚めくれた。
「この説明会は、閉館の是非を論じる場です。未提出書類の反省会ではありません」
「でも、未提出の理由は、閉館の理由とつながっています」
カリネは、思わず言っていた。講堂中の目が向く。手にしていた空の盆が、急に重くなる。
「カリネさん」
ヴィルモスが小さく呼んだ。止める声ではなかった。続きを待つ声だった。
カリネは盆を胸に抱え直した。
「みんな、閉めるか残すかを話しています。でも、炉の音が遅れていること、パズルの記録が欠けていること、古い恋文が収蔵庫の紙で見つかったこと、修繕申請に事故記録が必要なこと。その全部を別々に話していたら、どれも底へ沈みます」
魚油商が椀を置いた。
「恋文?」
「それは保存確認中です」
ヴィルモスがすぐに言った。顔は平静だったが、耳が少し赤い。マリヤムがそこを見逃さず、塩パンを口へ押し込んで笑いを隠した。
後ろの席の老女が、杖を床にとん、と置いた。
「底といえば、昔は寺の底へ息を入れに行ったと祖父が言っていたよ」
講堂が静まった。
カリネは老女のほうへ体を向けた。
「寺の底、ですか」
「ああ。無人の寺さ。今は道も閉じているけれどね。炉が機嫌を悪くすると、鐘の下で息を合わせるんだと。子どもの頃は、変な昔話だと思っていた」
「鐘の下」
ヴィルモスが繰り返した。
シグルギスリは即座に紙束へ手を伸ばしたが、該当する資料は見つからないらしい。めくる音だけが長く続いた。紙はたくさんあるのに、必要な一枚が欠けている。
ウェンノが小さく言った。
「事故記録の表紙にも、寺の鐘という語がありました」
ヴィルモスは目を伏せた。カリネは、その沈黙を責めなかった。今は、誰かを追い詰める朝ではない。欠けた言葉が、ようやく椀の底から浮かんできた朝だ。
シグルギスリは砂時計を一つ倒し、声を整えた。
「本日の説明会は、予定を変更します。閉館の結論は出しません。まず、未提出の修繕申請、二十年前の事故記録、無人の寺および鐘に関する証言を整理します」
「議論、短くなりましたね」
マリヤムが小声で言った。
「今のは中断です。短縮ではありません」
シグルギスリは聞こえていたらしく、きっちり訂正した。
その硬さに、何人かが小さく笑った。怒鳴り声ではない笑いが講堂に落ちると、炉の低い音まで少し丸く聞こえた。
カリネは空になった椀を集めた。魚油商の椀も、職員の椀も、ヴィルモスの椀も、底まできれいだった。
説明会は終わっていない。閉館の話も消えていない。むしろ、見えなかったものが増えたせいで、先は深くなった。
けれどカリネは、無人の寺という言葉を、今度は一人で抱えていなかった。講堂の長椅子、資料袋、未提出の書類、老女の杖の音。いくつもの声の間に、その言葉は置かれている。
海の底で会いましょう。
あの一行は、誰か一人を呼んでいるのではないのかもしれない。
カリネは最後の椀を盆に重ね、ヴィルモスのほうを見た。彼もまた、古い資料袋ではなく、老女の座っていた席を見ていた。
聞き取るべき朝は、まだ続いている。




