第6話 ずいぶんと面倒な仕事
「綻視、ですか」
「ええ。正式な名称ではありません。あなたの見ているものが何なのか、まだ分かっていませんから」
エレナは机の上に置いた魔力循環の検査器具を片づけながら言った。
「ひとまず、現時点で分かったことを記録しておきます。集中すると見えること。距離に限界があること。それから、見えた線が必ずしも異常を示しているわけではないこと」
「分かったことより、分からないことのほうが多いですね」
「調査というのは、そういうものです」
妙にきっぱりと言われた。
そういうものなのだろう。たぶん。
ただ、俺としてはもう少しこう、能力の説明書みたいなものが欲しかった。使用条件、効果、注意事項。できれば保証期間も。
異世界に来てから、説明書のないものばかりに遭遇している気がする。
「検査は以上です。これから局長に会っていただきます」
「局長?」
「この異遺物管理局の責任者です。あなたの今後についても、直接話しておきたいそうです」
「今後、ですか」
「ええ」
エレナは検査器具を持ち上げた。
「あなたをどう扱うか、という話でもあります」
「言い方が物騒ですね」
「安心してください。少なくとも、今すぐ檻に入れるような話ではありません」
「少なくとも、という部分が気になります」
「気にしなくて結構です」
気にするなと言われて気にしなくなるほど、俺の精神は素直にできていない。
とはいえ、ここで逃げ出したところで行く場所もない。外に出れば、見慣れない街並みと見慣れない言葉の看板が待っているだけだ。
俺はエレナの後について、検査室を出た。
廊下には人の行き来があった。
書類を抱えて足早に歩く職員。木箱を二人がかりで運ぶ職員。壁際で何かを相談している職員。魔法らしき光を手のひらに浮かべている人までいる。
思っていたより、普通の職場だった。
いや、普通の職場に魔法を使う人間が混ざっている時点で、普通ではないのだけれど。
「ここには何人くらいいるんですか?」
「王都の本局だけなら、百人ほどです。地方の分室や協力機関を含めれば、もっと多くなります」
「そんなにいるんですね」
「異遺物は一つ見つければ終わり、というものではありません。発見されたものを調べ、必要であれば回収し、安全な場所に保管する。場合によっては使用を禁止し、処分することもあります」
「処分まで?」
「危険なものもありますから」
エレナは歩きながら、淡々と説明を続けた。
「異遺物とは、主に異なる世界から渡ってきた人間が持ち込んだものや、その人物がこちらの世界で作り出したものを指します。魔術で作られた道具とは別の法則で動くものもあるため、通常の魔導具とは区別して管理しています」
「つまり、異世界人の持ち物が原因で問題が起きることもある」
「そうです。持ち主が亡くなったあとも動き続けるものや、本人が用途を理解しないまま使っていたものもあります」
「本人も分かっていないものを、後世の人間が管理するわけですか」
「だからこそ、私たちの仕事があります」
エレナの声には、仕事に対する自負があった。
もっとも、俺にはまだ実感がない。
異世界人の置き土産。
言葉だけなら、どこか夢のある話に聞こえる。だが、実際にそれを管理する側からすれば、夢だけでは済まないのだろう。
廊下の途中で、エレナが足を止めた。
「こちらが局長室です」
扉の横には、見慣れない文字で何かが書かれた札が掛かっていた。
「読めないですね」
「局長室、と書いてあります」
「それは分かります。読めないという話です」
「そうでしたね」
エレナは少しだけ申し訳なさそうにした。
この世界の言葉は、話す分には問題ない。だが、文字は別だ。頭の中で意味が伝わることと、文字を読めることは同じではないらしい。
そのうち覚えなければならないだろう。
大学の講義で英語の論文を読むのにも苦労していたのに、異世界の文字まで覚えることになるとは思わなかった。
「失礼します」
エレナが扉をノックした。
「どうぞ」
中から返事があった。
部屋に入ると、窓際の机に一人の男性が座っていた。
年齢は五十代前半くらいだろうか。銀灰色の髪を整え、琥珀色の目をしている。口元には短く整えられた髭があり、落ち着いた雰囲気をまとっていた。
立派な椅子に座っているからといって、威圧感があるわけではない。むしろ、どこか気の抜けた印象すらある。
「君が成瀬透君だね」
「はい」
「私はオルフェン・ラザール。この管理局の局長を務めている。よろしく」
差し出された手を握る。
握手は普通だった。
異世界の偉い人だからといって、手から魔力が流れ込んできたりはしないらしい。いや、そんなことを期待していたわけではないが。
「座ってくれたまえ。エレナも」
「失礼します」
俺たちは机の前にある椅子に腰を下ろした。
オルフェンは手元の書類に目を落とした。紙には、魔導灯の検査結果らしき記録がまとめられている。
「エレナから報告は受けている。魔導灯に異常が起きる前に、君は何かを見つけたそうだね」
「見つけたというか、線のようなものが見えました。金色に近い色で、器具の表面に浮かんでいるような……」
「それは魔導灯が壊れる前から見えていた?」
「はい。最初は細かったんですが、途中から複雑になっていきました」
「君が触れたわけではない?」
「触れていません。エレナさんに離れているよう言われていたので」
「そうか」
オルフェンは書類から目を離し、俺の顔を見た。
「その線が見えたからといって、どこが壊れるか分かったわけではない。そういう理解でいいかな」
「はい。線が何を示しているのかも、正直よく分かっていません」
「それならいい」
短い返事だった。
「自分に何ができるのか分からないうちは、できることを大きく見積もらないほうがいい。特に、異遺物を相手にするときはね」
穏やかな声だったが、そこには軽く聞き流せないものがあった。
「局長は、そういう経験があるんですか?」
「昔は現場に出ていたからね。見た目には安全そうなものが、そうではなかったこともある。逆に、危険だと思われていたものが、正しく扱えば何の問題もなかったこともある」
「見た目だけでは判断できない、と」
「そういうことだ。分からないものを、分かったつもりで扱うのが一番危ない」
オルフェンは書類を机の端へ置いた。
話しやすい人だと思った。
ただし、話しやすいことと信用できることは別だ。初対面の相手に対して、無条件に気を許すほど俺は人ができていない。
「まず、君の現在の立場について説明しておこう」
オルフェンは改めて俺に向き直った。
「君は現在、我々の保護対象だ。異なる世界から渡ってきた人間を、こちらの事情も知らないまま放置するわけにはいかない。生活の支援や身元の確認、必要な知識の提供は、王国と管理局の責任になる」
「保護対象、ですか」
「不自由はあるだろうが、何かを強制するつもりはない。君がこの世界でどう生きるかは、君自身が決めることだ」
思っていたより、まともな説明だった。
少なくとも、いきなり仕事をしろとか、能力を差し出せとか言われる展開ではないらしい。
「それで、ひとつ確認しておきたい。君は元の世界に帰りたいと思っているかね?」
「帰りたいです」
答えは迷わなかった。
家族がいる。大学もある。友人だっている。
突然いなくなった俺を、向こうの人間がどう思っているのかは分からない。事故に遭ったと思われているのか、それとも行方不明として捜されているのか。
考えれば考えるほど、胸の奥が落ち着かなくなる。
「そうか」
オルフェンは、少しだけ目を伏せた。
「残念だが、現時点で確実に元の世界へ戻る方法は確認されていない」
「……そうですか」
「ただし、過去にこちらへ渡ってきた人間は、君だけではない。彼らに関する記録も、いくつか残っている。戻る方法について調べるのであれば、そうした記録が手がかりになる可能性はある」
「管理局で調べられるんですか?」
「我々が扱うのは、異遺物だけではない。渡来者に関する記録や、彼らが残したものも調査対象だ」
少しだけ、道が見えた気がした。
まだ帰れるわけではない。期待できるほどの情報があるわけでもない。
それでも、何もないと言われるよりはずっといい。
「もちろん、すぐに答えが出るとは思わないでほしい。数百年前の記録もあれば、そもそも記録が残っていない例もある」
「分かりました」
「君の協力が必要になることもあるかもしれない。そのときは、必ず事前に説明する。断る権利もある」
オルフェンはそう言ってから、机の上の別の書類に目を向けた。
「それと、エレナから報告を受けた。君には魔術的な構造の偏りを視認する能力があるらしいね」
「まだ仮説です」
「その慎重さは大事にしたまえ。見えることと、理解できることは別だ。君が何かを見つけたとしても、その判断を君一人に背負わせるつもりはない」
その言葉に、少し意外なものを感じた。
能力を持っているなら役に立て、と言われることも覚悟していた。だが、この人はまず、俺が何をできて何をできないのかを確かめようとしている。
「管理局には、異遺物を調査する調査部門、構造や仕組みを研究する研究部門、現場での危険に対処する部門、保管を担当する収蔵管理部門。そして、過去の記録を調べる記録・歴史部門がある」
「思ったより大きな組織なんですね」
「扱うものが扱うものだからね。研究者だけでも、騎士だけでも務まらない。知識と現場、両方が必要になる」
「なるほど」
「君の能力は、調査や研究の役に立つ可能性がある。ただし、今の段階でそれを理由に君を職員にするつもりはない」
オルフェンは机の上で指を組んだ。
「まずは、この世界で暮らすことに慣れてほしい。仕事について考えるのは、そのあとでも遅くない」
その言葉には、少し安心した。
ここがどんな組織なのか、どんな人間が働いているのか。俺はまだ何も知らない。
そんな状態で仕事を決めるのは、さすがに早い。
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことではないよ。君にとっては、突然知らない世界に放り出されたわけだからね」
「それは、まあ……」
「エレナ」
「はい」
「彼に局内の施設を案内してあげてくれないか。見せられる範囲で構わない」
「承知しました」
「それから、彼の生活についても必要な手続きを進めておいてくれ。寝る場所や食事のこともある」
「すでに手配を始めています」
「助かる。君は仕事が早いね」
「当然のことです」
エレナはいつもどおりの顔で答えた。
ただ、ほんの少しだけ背筋が伸びたように見えた。
オルフェンは俺に向き直る。
「成瀬君。最後に一つだけ」
「はい」
「この局で扱うものに、興味を持つなとは言わない。むしろ、興味は持ってほしい。ただし、職員に確認する前に触れることだけは避けてくれ」
「分かりました」
「それが守れるなら、ここは君にとっても悪い場所ではないと思うよ」
穏やかな笑みだった。
けれど、その言葉には妙な説得力があった。
俺はエレナとともに局長室を出た。
扉が閉まってから、ひとつ息を吐く。
「どうでしたか?」
「思っていたより普通の人でした」
「それは局長に対する評価として適切でしょうか」
「悪い意味じゃないです。もっとこう、威厳があって、髭を撫でながら『若者よ』とか言う人かと」
「局長は髭を撫でますよ」
「そこは合ってるんですね」
「考え事をするときに、たまに」
エレナは真面目な顔で答えた。
俺は局長室の扉を振り返った。
あの人が、異遺物管理局の責任者。
そして、俺が元の世界へ帰るための手がかりを持っているかもしれない組織の長。
「さて」
エレナが歩き出す。
「施設を案内します。まずは調査部門から。そのあと研究部門と収蔵管理部門を見て回りましょう」
「全部見せてもらえるんですか?」
「危険な保管区域や、機密性の高い資料室は無理ですが、それ以外なら」
「ずいぶん親切ですね」
「あなたに、この局が何をしている場所なのか知ってもらうためです」
「それなら、ありがたいです」
調査部門の前を通ると、開いた扉の向こうで数人の職員が書類を囲んでいた。壁には地図や現場の見取り図が貼られている。
「ここでは、発見された異遺物の情報を整理したり、現場での調査計画を立てたりします」
「現場に行く人たちも、ここに?」
「ええ。調査部門だけで判断できない場合は、研究部門や現場対処部門と協力します」
その先では、別の職員が木箱を台車に載せて運んでいた。箱の表面には封印らしき紋様が描かれ、側面には札が貼られている。
俺が目を向けると、エレナもそちらを見た。
「今のは?」
「回収されたばかりの異遺物です。研究部門で調査する前に、収蔵管理部門で保管状態を確認するところですね」
「中身は分かっているんですか?」
「まだ詳しいことは。発見された場所と、回収時の状況だけは記録されています」
「それでも運ぶんですね」
「運ばなければ調べられませんから。ただし、あの箱は封印が施されています。許可のない人間が開けたり、触れたりすることは禁止されています」
「……なるほど」
ちょうど台車を押していた職員が、箱の側面に貼られた札を確認した。
その札には、俺には読めない文字が並んでいる。
「何て書いてあるんですか?」
「未鑑定。開封・接触禁止、です」
「ずいぶん厳重ですね」
「正体が分からないものほど、慎重に扱う必要があります」
エレナの言葉に合わせるように、台車は廊下の奥へと進んでいった。
箱の中身は分からない。
何に使うものなのかも、どんな仕組みなのかも。
ただ、あれがこの世界に持ち込まれた誰かの置き土産なのだということは分かった。
「さて、次に行きましょう」
エレナに促され、俺は歩き出した。
この局で最初に覚えるべきことは、遺物の名前でも仕組みでもなく、触れてはいけないものには触れない、ということらしい。
ずいぶんと面倒な仕事だ。
……まあ、言われたそばから触るつもりはない。
今のところは。




