第5話 綻びが見える
異遺物管理局の建物は、王都の中心部から少し離れた場所にあった。
石造りの街並みを抜け、いくつかの通りを曲がった先。
周囲には役所や騎士団の施設らしき建物が並んでいる。その中でも、管理局の建物は一際大きかった。
正面には広い階段があり、建物の中央には縦長の窓が規則正しく並んでいる。装飾は控えめだが、壁や柱はかなり頑丈そうだった。
建物の外観を眺めていると、つい構造が気になってくる。
正面から見る限り、左右対称に近い造りだ。
ただ、右側の棟だけ窓の配置が少し違う。増築された部分なのだろうか。
「成瀬さん」
「はい?」
「何を見ているんですか?」
「建物です」
「建物?」
「左右で窓の配置が少し違うので、後から増築したのかなと思って」
エレナは建物を見上げた。
「よく気づきましたね。右側の棟は、十数年前に増築されています」
「やっぱり」
「建築に詳しいんでしたね」
「大学で勉強している程度ですけど」
「それでも、初めて見た建物の違いが分かるのはすごいと思います」
「趣味みたいなものです。気になるだけで」
俺はもう一度、建物を見上げた。
異世界に来てから、初めて建築関係の話ができた気がする。
相手が建築に興味を持っているかどうかは別として。
「入りましょう。ここで立ち止まっていても、何も進みませんから」
「そうですね」
エレナに続いて、階段を上がる。
入口の脇には、見慣れない紋章が掲げられていた。円をいくつか組み合わせたような意匠で、その中央には小さな石のような模様がある。
その下には文字が刻まれていた。
当然、読めない。
「これが管理局の紋章ですか?」
「はい。異遺物管理局のものです」
「文字は何と書いてあるんですか?」
「管理局の正式名称です」
「なるほど。読めないので、何が書いてあるのか分かりませんでした」
「文字については、後で学ぶ機会を設けましょう」
「助かります。看板を見ても、店に入っていいのかどうかすら判断できないので」
「それは少し困りますね」
エレナは小さく頷いた。
冗談として受け取ったのか、真面目に心配してくれたのかは分からない。
建物の中に入ると、広い廊下が続いていた。
壁には書類を運ぶ職員や、道具を抱えた人間が行き交っている。机に向かって仕事をしている者もいれば、何かの資料を抱えて急ぎ足で歩く者もいた。
思っていたよりも、普通の職場に近い。
もっと魔法使いが集まって怪しげな研究をしている場所を想像していたのだが、少なくとも入口から見える範囲はそうではなかった。
「ここが管理局なんですね」
「そうです。今日は簡単な確認だけですので、奥の部屋を使います」
「俺のために、わざわざ部屋を用意してくれたんですか?」
「もともと初期確認に使う部屋があります。特別なことではありません」
「なるほど」
俺のために施設を一から用意するほど、手厚いわけではないらしい。
それはそれで安心した。
エレナが廊下を進み、ひとつの扉の前で足を止めた。
「ここです」
扉を開けると、室内には机と椅子、それから壁際にいくつかの棚が並んでいた。
窓は大きく、外から光が差し込んでいる。
部屋の中央には、金属製の台がひとつ置かれていた。
研究室というより、簡単な実験や検査を行うための部屋といった印象だ。
「座ってください」
「失礼します」
俺が椅子に腰を下ろすと、エレナは向かい側の机に資料を置いた。
「先ほどの魔導灯の件ですが、少し確認したいことがあります」
「俺に見えた線について、ですか?」
「はい。あの現象が一時的なものなのか、それとも意識して再現できるものなのかを知りたいんです」
「再現ですか」
「あなた自身も、何が起きているのか分かっていないのでしょう?」
「まあ、そうですね」
「ですから、まずは何が見えるのかを一緒に確認しましょう」
エレナは棚から、小さな金属製の器具を取り出した。
手のひらに収まる程度の大きさで、中央に透明な結晶が取り付けられている。周囲には細い金属の輪が何重にも重なっていた。
「これは?」
「簡単な魔力循環の確認具です。魔晶石に蓄えた魔力を、内部の術式に沿って流す仕組みになっています」
「魔導灯と似たようなものですか?」
「基本的な構造は似ています。ただ、こちらは状態を確認するためのものなので、出力はかなり小さいです」
エレナは器具を机の中央に置いた。
「まずは、普通に見てください。何か気になるものはありますか?」
「これを、ですか?」
「はい」
俺は器具に目を向けた。
透明な結晶。
金属の輪。
小さな留め具。
どこにでもありそうな、少し複雑な道具だった。
「特に何も見えません」
「そうですか」
「普通の魔法の道具に見えます」
「では、少しだけ意識して見てみてください。先ほどの魔導灯で線を見つけたときのことを思い出して」
「意識して、ですか」
「はい。どこかに違和感がないか、細かく観察するような感覚で」
俺は器具に視線を戻した。
結晶の位置。
金属の輪の重なり方。
それぞれの部品がどのようにつながっているのか。
普段、立体パズルを解くときと同じように、頭の中で構造を組み立てていく。
その瞬間だった。
「……あ」
結晶の表面に、細い線が浮かび上がった。
淡い金色。
魔導灯で見たものと同じ色だった。
線は結晶の表面から金属の輪へ伸び、いくつかの接続部分に沿って続いている。
ただし、器具全体を覆うように広がっているわけではない。
光っているのは、結晶と金属が接する部分や、魔力が集中しているらしい箇所に限られていた。
魔導灯で見た線とは、少し印象が違う。
あのときの線は、一部が不自然に折れ曲がり、同じ場所に何本も重なっていた。
対して、今見えている線は薄く、比較的落ち着いている。
それでも、どうしてそこに線が見えるのかは分からなかった。
「見えます」
俺は思わず口にした。
「どんなものが?」
「金色の線です。結晶と金属が接している部分に、いくつか見えます」
エレナが少しだけ身を乗り出した。
「どのようにつながっていますか?」
「結晶の表面から金属の輪へ伸びています。ただ、魔導灯のときよりも薄いですね」
「乱れている部分はありますか?」
「……少し偏っているようには見えます。でも、さっきの魔導灯ほどではありません」
「分かりました」
エレナは器具を手に取り、別の小さな道具を使って状態を確認した。
「こちらの確認具は正常です。魔力の流れにも大きな偏りはありません」
「線が見えているのに、異常がないんですか?」
「魔力を循環させている以上、負荷がまったく生じないわけではありません。小さな偏りがあっても、動作に支障が出ない場合はあります」
「なるほど……」
確かに、先ほどの魔導灯とは違う。
あのときの線は、同じ場所に集中し、流れが乱れているように見えた。
しかし、今の器具はそこまでではない。
線が見えること自体が、故障を意味するわけではなさそうだ。
「少し、位置を変えてみます」
エレナが確認具を持ち上げた。
「見えるかどうか、距離を確かめるんですか?」
「はい。どのくらい離れると見えなくなるのか、確認したいので」
彼女は確認具を持ったまま、部屋の奥へ移動した。
机から離れ、窓際にある棚の近くまで進む。
「この位置ではどうですか?」
俺はそちらに視線を向けた。
先ほどと同じように意識を集中させる。
淡い金色の線が、結晶の表面に浮かんだ。
「見えます」
「では、もう少し離れます」
エレナはさらに数歩、部屋の奥へ進んだ。
「ここでは?」
「……少し薄くなりましたが、まだ見えます」
「分かりました」
彼女は確認具を持ったまま、部屋の反対側にある壁際まで移動した。
距離はかなり離れている。
「これではどうですか?」
俺は目を細めた。
線が見えないわけではない。
ただ、先ほどよりもずっと薄く、形もはっきりしなかった。
「まだ見えます。でも、かなり見づらいです」
エレナはさらに半歩ほど離れた。
「では、ここは?」
今度は、どれだけ目を凝らしても線が浮かび上がらなかった。
「消えました」
「分かりました」
エレナは確認具を元の位置に戻した。
「今の距離は、およそ五メートルです。少なくとも、今の確認ではそのあたりが限界のようですね」
「五メートル……」
思っていたよりも短い。
これでは、離れた場所にあるものを自由に調べられるわけではない。
「ただ、距離だけが条件とは限りません。対象の状態や周囲の環境によっても変わる可能性があります」
「そうですね。まだ一度しか試していませんし」
自分でも、確かなことは何も分かっていない。
「次に、これを試してみてください」
エレナは確認具の前に、小さな木製の板を立てた。
器具が板の向こう側に隠れる。
「見えますか?」
「いえ。見えません」
「では、こちらは?」
板を取り除く。
再び、金色の線が見えた。
「見えます」
「なるほど」
エレナは何かを書き留めていた。
どうやら、視界を遮るものを透かして見ているわけではないらしい。
それも当然か。
もし何でも透けて見える能力だったら、さすがに困る。
そもそも、俺はそんな能力を望んでいない。
「今のところ、分かったことは三つあります」
エレナが紙を見ながら言った。
「ひとつ目は、対象に意識を集中させると線が見えること。ふたつ目は、見える範囲に限界があること。そして三つ目は、線が見えるからといって、必ずしも大きな異常があるわけではないことです」
「そうですね」
「ただし、どれもまだ十分な検証ができていません。現時点では仮説です」
「分かっています」
俺自身、今の現象を完全に理解できているわけではない。
ただ、少しずつ形が見えてきた気はする。
「もう一度、先ほどの魔導灯の話に戻します」
「はい」
「あのとき、あなたは線のどこが乱れているのかを指摘しました」
「そうですね」
「それは、何を根拠に判断したんですか?」
「うまく説明できないんですが……線のつながり方が、そこだけ不自然に見えたんです」
「不自然?」
「はい。ほかの部分と比べて、流れが偏っているように見えました。構造の一部に、無理がかかっているような感じです」
エレナは少し考え込んだ。
「それは、魔力の流れそのものが見えているということですか?」
「そこまでは分かりません。俺には、ただ線として見えているだけなので」
「そうですか」
「それに、どこがおかしいかは分かっても、どうすれば直るのかは分かりません」
「……それは重要な情報ですね」
「見えるだけですから」
俺は確認具に目を向けた。
線が見える。
ただ、それだけだ。
原因も、意味も、直し方も分からない。
それでも、見えないものが見えるという事実は変わらない。
「少し休憩しましょう」
エレナが言った。
「もう終わりですか?」
「いいえ。あなたの様子を見ていると、少し疲れているように見えます」
「そうですか?」
「目元に力が入っていますし、先ほどから瞬きも増えています」
言われてみれば、目の奥が少し重い。
頭の片側に、鈍い痛みもあった。
「確かに、少し頭が重いかもしれません」
「無理はしないでください。初めての検査ですから、今日はここまでにしましょう」
「分かりました」
俺は目を閉じ、椅子の背にもたれた。
数分ほど休むと、少しずつ頭の重さが引いていく。
「どうですか?」
「だいぶ楽になりました」
「よかったです。今後は、長時間その力を使わないようにした方がいいかもしれません」
「使うという感覚が、まだよく分からないんですけどね」
「それも含めて、少しずつ確認していきましょう」
エレナは資料に目を落とした。
そこには、今日の検査結果がまとめられている。
「あなたが見ているものは、魔法によって作られた構造に生じる負荷や不均衡を捉えている可能性があります」
「負荷や不均衡……」
「例えば、先ほどの魔導灯。魔力の流れが偏っていた場所と、あなたが線の乱れを指摘した場所は近かった。偶然とは考えにくいでしょう」
「そうですね」
「ただ、線の意味を読み取れるわけではない。原因や修復方法まで分かるわけでもない」
「はい」
「それなら、まずは見えているものを正確に伝えられるようになることが大切です」
エレナはペンを置いた。
「綻びを視る力――便宜上、『綻視』と呼んでおきましょうか」
「綻視……」
小さく口にする。
悪くない名前だと思った。
もちろん、名前がついたからといって、使いこなせるようになったわけではない。
見えているものが何なのかさえ、まだ分かっていないのだから。
「成瀬さん」
「はい」
「今日の検査結果は、私から上に報告しておきます。しばらくは、こちらであなたの状態を確認することになると思います」
「分かりました」
「それと、明日以降の生活についても説明する必要があります。住む場所や、今後の手続きについても」
「お願いします」
「今日は一度休んでください。分からないことがあれば、遠慮なく聞いて構いません」
「ありがとうございます」
エレナは資料をまとめ、確認具を棚へ戻した。
俺は椅子から立ち上がる。
異世界に来てから、まだ大した時間は経っていない。
けれど、分からないことは増える一方だった。
渡来者。
渡来現象。
魔法。
そして、自分の目にだけ見える金色の線。
帰る方法を探すためには、この世界のことを知る必要がある。
そのためにも、まずは自分に何ができるのかを知っておかなければならない。
俺は、机の上に置かれた確認具をもう一度見た。
今は、ただの透明な結晶と金属の輪にしか見えない。
けれど、意識を向ければ、そこには確かに何かがある。
見えているのに、分からない。
どうやら、しばらくはこの感覚と付き合うことになりそうだった。




