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異世界で遺物管理局に就職したら、扱う遺物がいちいち普通じゃない。  作者: フィジ05


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第4話 見えているもの

 異世界に来てから、初めての食事は思っていたよりも質素だった。


 木製の皿に盛られたパンと、野菜の入ったスープ。


 パンは少し硬く、スープには見たことのない香草が使われている。味は悪くない。少なくとも、空腹を満たすには十分だった。


「ごちそうさまでした」


 食べ終えた皿を机の端へ寄せる。


 詰所の門番は、向かい側で書類を整理していた。


「口に合ったか?」


「はい。おいしかったです」


「それならよかった」


 短い会話だった。


 食事を用意してもらえたことには感謝しているが、知らない場所で出された食べ物を、何の警戒もなく口にするほど図太くはない。


 とはいえ、出されたものを疑い続けていても仕方がない。


 今のところ、身体に異常はなさそうだった。


「担当者というのは、まだ来ないんですか?」


「使いを出してから、それほど時間は経っていない。もう少し待ってくれ」


「分かりました」


 俺は椅子の背にもたれた。


 窓の外からは、人の話し声が聞こえてくる。


 城門を行き交う人々。


 荷車の車輪が石畳を踏む音。


 兵士同士の短いやり取り。


 どれも、俺にとっては見慣れないものばかりだ。


 それでも、人間の生活という意味では、そこまで違いがあるわけでもなさそうだった。


 朝になれば働き、食事をして、誰かと話す。


 文明の形は違っても、暮らしそのものは続いている。


 そんなことを考えていたときだった。


 詰所の扉が開いた。


「失礼します。渡来者の確認を引き継ぎに来ました」


 聞き慣れない女性の声だった。


 俺は扉の方へ目を向けた。


 入ってきたのは、ひとりの若い女性だった。


 年齢は俺とそれほど変わらないように見える。


 銀灰色の長い髪を後ろで低くまとめ、青みがかった灰色の瞳をしている。整った顔立ちだが、表情にはあまり隙がない。


 濃紺の上着には銀色の留め具があり、腰には小さな道具袋を下げていた。細身の体つきで、姿勢がよく、歩き方にも無駄がない。


 装飾よりも実用性を優先した服装だったが、それがかえって彼女の落ち着いた雰囲気によく合っていた。


「こちらが例の男性ですか?」


「ああ。成瀬透というらしい。出身地はニホン。自分の話では、別の世界から来た可能性があるそうだ」


「分かりました」


 女性は俺の方を向いた。


「初めまして。私はエレナ・ヴァルディス。異遺物管理局の調査部門に所属しています」


「成瀬透です」


「詳しい話を聞く前に、いくつか確認させてください。体調に問題はありませんか?」


「今のところは大丈夫です」


「怪我や痛みは?」


「少し頭が重かったくらいです。今はほとんど問題ありません」


「そうですか。では、こちらへ来るまでの経緯について、もう一度お話を伺っても?」


「さっき門番の方に話した内容と同じでいいですか?」


「はい。記録を取る必要がありますので」


「分かりました」


 俺はもう一度、観測施設で起きたことを説明した。


 図面に存在しない廊下。


 壁や床に浮かび上がった金色の線。


 その先に現れた扉。


 そして、意識を失うまでのこと。


 エレナは途中で口を挟むことなく、手元の紙に内容を書き留めていた。


 話し終えると、彼女は少しだけ考えるように視線を落とした。


「その廊下に入る前、何か異常はありませんでしたか?」


「特にありません。最初は、図面にない通路を見つけたと思ったくらいです」


「扉に触れたときは?」


「普通に開きました。錆びてはいましたけど」


「金色の線が現れたのは、扉が開く前ですか?」


「いえ。廊下の奥まで進んでからです」


「その線は、どこに現れました?」


「壁と床、それから天井にも。廊下全体に広がっていく感じでした」


「なるほど……」


 エレナは紙に何かを書き足した。


「何か分かったんですか?」


「まだ何とも言えません。あなたの話だけで現象を特定することはできませんから」


「そうですよね」


「ただ、渡来現象に関係している可能性はあります」


 また、その言葉だった。


 渡来者。


 渡来現象。


 この世界には、俺の知らない言葉がいくつもあるらしい。


「渡来現象というのは、どういうものなんですか?」


「異なる世界の境界に関係して起きる、特殊な現象の総称です。詳しい仕組みについては、研究部門の領分になります」


「エレナさんは研究者ではないんですか?」


「私は調査部門です。現場で起きたことを確認し、必要な対応を行うのが仕事です」


「なるほど」


 異遺物管理局。


 名前だけでは何をしている組織なのか、まだよく分からない。


 ただ、渡来者に関する調査も担当しているらしい。


「それで、俺はこれからどうなるんでしょう?」


「まずは王国の保護下に入ってもらいます。住居や食事についてはこちらで手配します。生活に必要なものも、順番に用意する予定です」


「ずいぶん手厚いですね」


「渡来者への対応は、王国の決まりで定められています。本人の意思を確認せずに行動を制限することはありません」


「それは助かります」


「ただし、身元の確認や状況の調査には協力していただきます」


「もちろんです。俺も知りたいことがたくさんありますから」


 特に、帰る方法について。


 そこだけは、はっきりと伝えておいた。


「元の世界に帰る方法を探したいんです」


「……そうですか」


 エレナは一瞬だけ視線を落とした。


「帰還については、私から確約できることはありません。ただ、過去の渡来者に関する記録は残っています。調査を進めれば、何か分かる可能性はあります」


「分かりました。それだけでも十分です」


「では、ひとまず管理局で保護の手続きを進めましょう。ここからは私が案内します」


 そう言って、エレナは扉の方へ向かった。


 俺も立ち上がる。


「門番さん、ありがとうございました」


「ああ。何かあれば、また来るといい」


「お世話になりました」


 詰所を出ると、城門の内側にある通路へ案内された。


 石造りの壁には、一定の間隔で小さな灯りが設置されている。


 炎が揺れているわけではない。


 透明な結晶のようなものが、淡い白色の光を放っていた。


「これは?」


 俺は近くの灯りを見た。


「魔導灯です。魔晶石に蓄えた魔力を使って光らせています」


「電気みたいなものですか?」


「電気?」


「俺の世界にある、光を生み出す仕組みに近いのかなと思って」


「仕組みは違いますが、用途は似ているかもしれません」


 エレナは淡々と答えた。


「この国では一般的なものです。街灯や屋内の照明にも使われています」


「へえ……」


 魔法がある世界の照明。


 仕組みは気になるが、今は聞いても理解できないだろう。


 そう思って、俺は通路を進んだ。


 そのときだった。


 壁に取り付けられた魔導灯が、一瞬だけ明滅した。


 気のせいかと思った。


 しかし、もう一度。


 今度は少し長く、光が揺れる。


「この灯り、調子が悪いんですか?」


 俺が尋ねると、エレナは振り返った。


「よく気づきましたね。少し前から軽い明滅が起きています。点検は予定されていますが、現時点では危険な兆候は確認されていません」


「そうなんですか」


「ただ、念のため近づかないでください。こちらで確認します」


 エレナは俺を魔導灯から数歩離れた場所に立たせ、自分も距離を取った。


 腰の道具袋から、小さな金属製の器具を取り出す。先端には透明な結晶がはめ込まれている。


「魔力の状態を確認します。少し待っていてください」


「分かりました」


 俺は邪魔にならないよう、少し離れた位置から魔導灯を眺めた。


 透明な石の表面には、目立った傷もひびもない。


 金属の枠にも、特に異常は見当たらなかった。


 それなのに、何かが気になった。


 建物の図面を見ているときに、寸法が合わない部分を見つけたときのような感覚。


 全体の形は整っている。


 けれど、どこかに小さな違和感がある。


 俺は無意識に、魔導灯の細部へと視線を向けていた。


 結晶の輪郭。


 金属の枠。


 壁への固定部分。


 それらの位置関係を頭の中で組み立てる。


 その瞬間だった。


 結晶の表面に、細い線が浮かび上がった。


「……あれ?」


 目を細める。


 線は一本ではなかった。


 淡い金色の線が、結晶の表面を走っている。


 そこから、結晶を支える金属の枠の一部へと伸びていた。


 実際に傷があるわけではない。


 指で触れられそうな凹凸もない。


 それでも、そこに線があるように見える。


 俺は視線を外せなかった。


 線の一部が、奇妙な形をしていた。


 途中で折れ曲がり、別の線と交わっている。そこから先は、流れが乱れているようにも見えた。


 まるで、立体パズルの部品が正しい位置に収まっていないような。


 そう感じた途端、頭の中で魔導灯の構造が組み上がっていく。


 ただし、何が原因なのかは分からない。


 見えている線が、何を意味しているのかも分からなかった。


「成瀬さん?」


 エレナの声がした。


「何か見えましたか?」


「この結晶の表面に、線が見えるんです」


「線?」


「細い金色の線です。枠の方にも続いていて……この辺りで、少し乱れているように見えます」


 俺は線のある場所を指した。


 エレナはそこを確認する。


「……何もありませんが」


「え?」


「結晶に傷はありません。枠にも歪みは見当たりません」


 彼女は手元の器具に視線を落とした。


 先端の結晶が淡く光っている。


「ですが、魔力の流れは確かに偏っています」


「分かるんですか?」


「ええ。こちらの器具で確認できます。ただ、どこに原因があるのかまでは分かりません」


 エレナは器具の反応を確かめながら、魔導灯との距離を保っていた。


 俺はもう一度、結晶に目を向ける。


 金色の線は、まだ見えている。


 観測施設で見たものと似ていた。


 あのときも、線の配置が少しずつ変わっていった。


 そして、廊下全体を覆うように広がっていった。


「……これ、さっきより線が増えている気がします」


「線?」


「はい。最初よりも、少し複雑になっているような……」


 エレナが顔を上げた。


「成瀬さん。念のため、もう少し離れてください」


「分かりました」


 俺は言われたとおり、さらに数歩後ろへ下がった。


 エレナは器具をしまい、片手を魔導灯へ向ける。


 その直後だった。


 魔導灯が大きく明滅した。


 ぱち、と小さな音が響く。


 透明な結晶の表面に、白い光が走った。


「下がって!」


 エレナの声が飛んだ。


 彼女が片手を前に出す。


 薄い光の膜が、魔導灯と俺たちの間に広がった。


 次の瞬間、結晶の内部で光が弾けた。


 乾いた音とともに、灯りが消える。


 破片が飛び散ったが、光の膜にぶつかり、乾いた音を立てて床に落ちた。


 エレナは手を下ろし、すぐに周囲を確認した。


「怪我はありませんか?」


「はい。大丈夫です」


「よかった」


 彼女は俺の無事を確認してから、慎重に魔導灯へ近づいた。


 透明な結晶は、内部から細かく砕けていた。


 その表面には、先ほど俺が見ていた線の形に沿うような細い亀裂が残っている。


「やはり、魔力の偏りが限界に達していたようですね」


「さっきの線と関係があるんでしょうか」


「あなたが指摘した場所と、破損した位置は近いです」


 エレナは砕けた結晶を見つめていた。


 それから、ゆっくりと俺の方を向いた。


「成瀬さん」


「はい」


「あなたには、何が見えていたんですか?」


 答えようとした。


 だが、言葉が出てこなかった。


 さっきまで見えていた金色の線は、もうどこにもない。


 視界に映るのは、壊れた魔導灯と、石造りの壁だけだ。


 目をこすってみる。


 何も変わらない。


「……分かりません」


「分からない?」


「はい。傷があるように見えたわけでも、光が反射していたわけでもありません。ただ、そこに線が見えたんです」


「それは、いつからですか?」


「ここに来てから……いえ」


 俺は少し考えた。


 あの観測施設。


 廊下の壁に浮かび上がった金色の線。


 そして、今の魔導灯。


「日本にいたときにも、似たようなものを見たことがあります」


「どんなものを?」


「建物の中にあった、妙な模様です。最初はただの線だと思っていました。でも、あれも何かの構造を示しているように感じたんです」


 エレナは俺をじっと見つめていた。


 警戒しているというより、何かを確かめようとしているようだった。


「少し、確認したいことができました」


「確認?」


「あなたの目に何が起きているのか、もう少し詳しく調べる必要があります。あなたの意思を確認したうえで、必要な検査を進めたいと考えています。協力していただけますか?」


「もちろんです。俺も、何が起きているのか知りたいので」


「ありがとうございます」


 エレナはそう言って、砕けた魔晶石を布に包んだ。


 俺は、もう一度その場所を見た。


 何も見えない。


 さっきまで確かに存在していた、あの金色の線。


 あれは一体、何だったのだろう。


 建物の構造を頭の中で組み立てることは、昔から得意だった。


 けれど、あんなものが見えたことは一度もない。


 少なくとも、俺の知る限りでは。


「成瀬さん。こちらです」


 エレナが歩き出す。


「はい」


 俺はその後を追った。


 異世界に来たこと。


 言葉が通じること。


 そして、今まで見えなかったものが見え始めていること。


 帰る方法を探すためにも、まずは自分の身に何が起きているのかを知らなければならない。


 俺の目にだけ見えていた、あの金色の線。


 それが何を意味しているのか。


 その答えは、まだどこにもなかった。

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