第3話 異世界から来た人間
城門の脇にある詰所は、外から見た印象よりもずっと狭かった。
石造りの壁に木製の机。壁際には槍や剣が立てかけられ、窓から差し込む光が床に四角い影を落としている。
少なくとも、取り調べをするためだけの場所には見えなかった。
俺は机の向かいにある椅子を勧められ、そこに腰を下ろしていた。
正面には、先ほどの門番がいる。
年齢は三十代後半くらいだろうか。短く刈った黒髪に、日に焼けた肌。鎧の上からでも分かるほど体格がよく、腰には剣を下げている。
いかにも兵士といった風貌だった。
「まず、もう一度名前を聞かせてくれ」
「成瀬透です」
「ナルセが姓で、トオルが名か?」
「はい」
門番は机の上に置いた紙へ目を落とした。
そこには、俺の名前らしきものが書かれている。
ただし、当然ながら読めない。
「出身地はニホン。年齢は?」
「二十一歳です」
「職業は?」
「大学生です」
「ダイガクセイ?」
「学校に通っている人間、という意味です」
「学者か何かか?」
「いえ、まだ学生なので。建築を勉強しています」
「建築……建物を造る仕事か」
「将来的には、そういう仕事に就くつもりです」
門番は一度頷き、紙に何かを書き足した。
質問自体は、それほど難しいものではない。
ただ、ひとつ答えるたびに説明が必要になる。
出身地も、職業も、学校も。
日本にいたときなら一言で済むようなことが、ここではいちいち説明を要した。
履歴書のない面接というのは、想像以上に不便らしい。
「では、なぜこの場所にいた?」
「それが、俺にも分からないんです」
「自分がどこから来たのかも分からないと言ったな」
「いえ。日本から来たことは分かっています。ただ、どうやってここに来たのかが分からないんです」
「どうやって?」
門番はペンを止めた。
「気がついたら、草原にいました。その前は、古い建物の中にいたんです」
「古い建物?」
「天体を観測する施設です。星を見るための建物ですね」
「その施設は、君のいた国のどの辺りにあった?」
「山間部です。詳しい地名を言っても、こちらでは分からないと思いますが」
「構わない。話してくれ」
俺は、観測施設で起きたことを順番に説明した。
図面にない扉。
その先にあった廊下。
建物の外から確認しても、廊下が存在するはずの場所には外壁しかなかったこと。
そして、廊下の壁や床に浮かび上がった金色の線と、その先に現れた扉。
説明しているうちに、自分でも何を話しているのか分からなくなってきた。
いや、説明の内容自体は覚えている。
問題は、それを聞いている相手の反応だった。
「……それで、扉の向こうへ?」
「はい。気づいたら、身体が引っ張られて」
「そこから先の記憶はない、と」
「そうです」
門番は黙り込んだ。
机の上に置かれた紙を見つめている。
「その話を、ほかの者にもしたか?」
「荷車に乗せてもらった方には、少しだけ」
「ダリオか。あの男は悪い人間ではないが、噂が広まるのは早い。これ以上、詳しい話を他人にするのは控えた方がいい」
「何か問題でも?」
「君の話が本当なら、珍しい事例だからな。面白半分に騒ぎ立てる者もいるだろう」
どうやら、あまり人に話して回るような内容でもないらしい。
それは俺も同感だった。
自分で聞いていても、かなり怪しい話だと思う。
「ひとつ確認したい」
門番が言った。
「君のいた国には、魔法は存在するか?」
「魔法?」
「火を生み出したり、水を動かしたりする術だ」
「少なくとも、俺が知っている日本にはありません」
「魔物は?」
「こちらで言うような魔物はいません。野生動物ならいますけど」
「そうか……」
門番は何かを考えるように顎へ手を当てた。
魔法。
魔物。
どれも、こちらの世界では当たり前のものなのだろう。
反対に、電気やスマートフォンの説明をすれば、また同じような反応が返ってくるのかもしれない。
「君の持ち物も、少し確認させてもらいたい」
「持ち物ですか?」
「ああ。危険なものがないか、という程度だ」
「分かりました」
俺はポケットの中身を机の上に出した。
財布、鍵、スマートフォン。
門番は財布や鍵をひと通り確認したあと、黒い板のようなものに目を向けた。
「それは何だ?」
「スマートフォンです」
「すまーと……?」
「遠くにいる人と話したり、文字を送ったり、写真を撮ったりできます」
「そんな小さなものでか?」
「はい。ただ、今は通信ができません」
「通信?」
「離れた場所に情報を送る仕組みです。電波が届かないと使えないんですが」
「デンパ……?」
「説明すると長くなります」
門番は眉を寄せた。
「とにかく、見せてもらってもいいか?」
「構いません」
俺はスマートフォンの画面を点けた。
ホーム画面を見せても仕方がないので、カメラを起動する。
机の上に置かれた水差しに向け、シャッターを押した。
「これは?」
「写真です。実際に見たものを、そのまま記録できます」
撮影した画像を表示し、門番に見せる。
彼は画面を覗き込んだ。
「……これは、絵を描いたのか?」
「いえ。今、ここにあるものを撮影しました」
「これが、そのまま残るのか?」
「そうです。あとから見返すこともできます」
門番はしばらく画面を眺めていた。
「魔法の道具か?」
「俺の国では、かなり一般的な道具です」
「一般的……?」
信じられないものを見るような目を向けられた。
俺はスマートフォンを裏返し、側面も見せる。
「これ自体に魔法は使われていません。仕組みについては説明できますけど、たぶんかなり長くなります」
「いや、今はいい」
助かった。
さすがに電波や電子回路の仕組みを異世界の兵士に説明する自信はない。
門番はスマートフォンを俺に返した。
「それは君の持ち物だ。こちらで預かる必要はないだろう」
「ありがとうございます」
俺はスマートフォンをポケットにしまった。
「……少し、待ってくれ」
門番が言った。
「何か?」
「今の話と、君の持ち物を見て、ひとつ思い当たることがある」
彼は机の上の紙を裏返した。
「君は、渡来者かもしれない」
「渡来者?」
「ああ」
初めて聞く言葉だった。
「どういう意味ですか?」
「別の世界から、この世界へやって来た人間のことだ」
俺は、すぐには返事ができなかった。
別の世界。
その言葉を聞いた途端、草原で目を覚ましたときの景色が頭に浮かんだ。
やはり、そういうことなのか。
俺は本当に、別の世界へ来てしまったのか。
「……そういう人間が、ほかにもいるんですか?」
「記録上はな」
「記録上?」
「数は多くない。だが、昔からそうした人間が現れたという記録は残っている」
門番は慎重に言葉を選んでいるようだった。
「現れた時期も場所も、それぞれ違う。出身地がどの国の地図にもなく、見慣れない服や道具を持っていた者もいたそうだ」
「その人たちは、どうなったんですか?」
「記録が残っている者もいれば、その後が分からない者もいる。少なくとも、君のような話をした者がいたことは確かだ」
「帰れた人は?」
「それについては、私には分からない」
期待した答えではなかった。
別の世界から来た人間がいる。
それが分かっただけでも大きな進展ではあるが、帰る方法があるかどうかは別の話らしい。
「どうして、俺が渡来者だと思ったんですか?」
「君の話だけなら、奇妙な体験をしたと言われても判断はできない。だが、少なくとも王国が把握している地名にニホンという国はない。持ち物も見たことがない。それに、君が話した現象は、過去の記録に残っている事例と似ている」
「過去の記録に?」
「詳しい内容までは知らない。私が知っているのは、渡来者らしき人間が現れた場合、勝手に判断せず、専門の担当へ引き継ぐように決められているということだ」
門番は少しだけ背筋を伸ばした。
「それから、言葉のこともある」
「言葉?」
「渡来者として記録された者の中には、初めて聞くはずのこの国の言葉を理解できた者がいたそうだ。反対に、文字は読めなかったという報告もある」
俺は、思わず顔を上げた。
「それ、俺と同じです」
「やはりな」
「どうしてそんなことが起きるのか、分かっているんですか?」
「そこまでは知らない。私の仕事は、渡来者かどうかを断定することではないからな」
門番は机の上の紙を整えた。
「王国には、渡来者を保護し、事情を調べるための仕組みがある。まずは君の身元と状態を確認し、それから専門の機関に引き継ぐことになる」
「保護してくれるんですか?」
「少なくとも、君のように身元の確認ができない人間を、そのまま放り出すわけにはいかない」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
もちろん、すべてを信じたわけではない。
ここがどんな世界なのかも、王国がどんな国なのかも知らないのだから。
それでも、少なくとも今すぐ牢屋に入れられるような状況ではなさそうだった。
「その専門の機関というのは?」
「詳しい話は、そちらの担当者に聞いてくれ。私の仕事は、ここで君の身元を確認することまでだ」
「なるほど」
「今は、担当者が来るまでここで待っていてくれ。必要なら、飲み物くらいは出そう」
「ありがとうございます」
そう答えたところで、俺の腹が小さく鳴った。
静かな詰所の中に、思ったよりもはっきり響く。
「…………」
「…………」
門番がこちらを見る。
俺は視線をそらした。
「そういえば、こちらに来てから何も食べていませんでした」
「そうか」
「できれば、何か食べるものもいただけると助かります」
「分かった。手配しよう」
門番は立ち上がり、詰所の奥にいる兵士へ声をかけた。
どうやら、食事については問題なく手配してもらえるらしい。
異世界に来て最初に受ける公的な対応が、食事の提供になるとは思わなかった。
だが、ありがたいことに変わりはない。
門番が戻ってくると、俺の前に水の入った木製の器が置かれた。
「まずはこれを飲んでおけ」
「ありがとうございます」
器を手に取り、水を口に含む。
冷たい水が喉を通り、ようやく自分がひどく喉の渇いていたことを思い出した。
俺は器を置き、窓の外を見た。
城門の向こうには、見慣れない街並みが広がっている。
あの向こうに、俺の知らない生活がある。
知らない文化があり、知らない常識があり、知らない歴史がある。
そして、そこには俺と同じように別の世界から来た人間が、かつて存在していた。
渡来者。
別の世界から、この世界へやって来た人間。
もし過去に現れた渡来者の記録が残っているのなら、帰る方法についても何か手がかりがあるかもしれない。
今は、それを探すしかない。
「……まずは、情報収集だな」
独り言のようにつぶやく。
その言葉に、門番がこちらを見た。
「何か言ったか?」
「いえ。これからどうするか考えていただけです」
「そうか。焦らずに考えるといい」
門番はそう言って、再び机に向かった。
詰所の外から、人の話し声や荷車の車輪が転がる音が聞こえてくる。
知らない世界の、知らない日常。
その中に、俺はひとりで放り込まれた。
幸い、言葉は通じるらしい。
文字は読めないが。
「……まあ、何とかなるか」
そう言ってみたものの、正直なところ、何とかなる保証はどこにもなかった。




