第7話 触るなと言われると
「この先が研究部門です」
エレナに案内され、俺たちは廊下の奥へと進んでいた。
先ほどまで歩いていた場所と比べると、人の行き来は少ない。代わりに、扉の向こうから何かを叩く音や、低い機械音のようなものが聞こえてくる。
「研究部門では、主に異遺物の構造や機能を調べています。魔術的な仕組みが使われているものもあれば、既存の術式では説明できないものもあります」
「つまり、ここで正体を調べるわけですね」
「そうです。構造の解析だけでなく、修復や安全性の確認も行います」
「修理もするんですか?」
「修復可能なものなら。もちろん、危険性が高いものや、現状を維持することが重要なものは別です」
俺たちは大きな扉の前で足を止めた。
扉の脇には、局長室と同じように文字の書かれた札がある。
「研究部門、と書いてあります」
「ありがとうございます」
「いえ」
自分で読めるようになったわけではないのに、案内されるたびに文字の意味を教えてもらうのも、少し申し訳なくなってきた。
扉が開く。
中は思っていたより広かった。
壁際には大小さまざまな棚が並び、机の上には金属製の器具や透明な結晶、見たことのない部品が置かれている。奥のほうでは白衣に近い作業着を着た職員が、何かの装置を覗き込んでいた。
研究室というより、工房に近い印象だ。
「ずいぶん物が多いですね」
「調査中のものや、修復を待っているものもありますから」
「これ、全部異遺物ですか?」
「いいえ。検査器具や研究用の道具も混ざっています。勝手に触らないようにしてください」
「分かりました」
入って数秒で注意された。
俺はそんなに信用されていないのだろうか。
いや、異世界から来たばかりの人間に、得体の知れない道具が並ぶ部屋を歩かせているのだから、当然といえば当然かもしれない。
「ノア、いる?」
エレナが部屋の奥に声をかける。
「いるよ。いるけど、今は少し忙しい」
返事をしたのは、机に向かっていた男性だった。
年齢は二十四歳くらい。少し癖のある焦げ茶色の髪は無造作に跳ねていて、琥珀色の瞳には知的な印象がある。細い眼鏡の奥の目は、手元の器具からほとんど離れない。
研究用の作業着を着ているが、袖はまくり上げられ、机の上には書類や工具が散らばっていた。
片づけが苦手なのか、研究に集中すると周りが見えなくなるタイプなのか。
後者のような気がする。
「忙しいところ悪いけれど、紹介したい人がいるの」
「紹介?」
男性はようやく顔を上げた。
そして、俺を見る。
「ああ。君が噂の渡来者か」
「噂になってるんですか?」
「悪い意味じゃないよ。局長とエレナが揃って面倒を見ている相手なんて、そう多くないからね」
「面倒を見ているというか、案内しているだけです」
エレナが少しだけ眉を寄せた。
「そういうことにしておこう」
男性は軽く笑い、椅子から立ち上がった。
「ノア・ベルク。研究部門で異遺物の構造解析や修復を担当している。よろしく」
「成瀬透です。よろしくお願いします」
「成瀬君ね。話は聞いているよ。魔術的な構造の偏りが見えるとか」
「まだ、何なのかよく分かっていません」
「そうだろうね。見えたものをどう解釈するか、そこからが研究の始まりだから」
いかにも研究者らしい言葉だった。
「エレナ、彼を連れてきたということは、施設の案内?」
「ええ。研究部門を見せておこうと思って」
「ちょうどいい。見せられるものが一つある」
ノアは机の脇に置かれていた透明な箱を指さした。
「昨日回収されたものだ。未鑑定の異遺物で、現時点では危険性は低いと考えられている」
「さっき廊下で運ばれていた箱ですか?」
「そう。よく覚えていたね」
「封印されていたので」
「なるほど。見た目からして怪しいものね」
透明な箱の中には、手のひらに収まる程度の金属製の円筒が固定されていた。
両端は滑らかに閉じられ、表面には細い溝が何本も刻まれている。上部には小さな透明の結晶が埋め込まれていた。
装飾品にも、工具にも見える。
ただ、どこにも使い方らしいものは見当たらない。
「これが?」
「回収時の記録によれば、古い倉庫の中に置かれていたらしい。周囲にほかの遺物はなく、持ち主も不明。見つかったときには、時折音を出していたそうだ」
「音?」
「短い声や物音だね。誰かが近くで話すと、少し遅れて同じ音が聞こえることがある」
「録音する道具みたいなものですか?」
「そう考えている。ただ、毎回同じように動くわけじゃない。音を拾っているようには見えるんだけど、再生される条件も時間も一定していない」
ノアは透明な箱の縁を軽く叩いた。
「運搬時の封印は、研究部門で所定の確認を済ませてから解除した。今は許可を得たうえで、隔離用の検査箱に入れている。外から観察する分には問題ないと判断されているよ」
「なるほど」
「もちろん、直接触れるのはまだ禁止。成瀬君も、手を出さないようにね」
「触りませんよ」
「本当に?」
「初対面の研究員の前で、正体不明の物体にいきなり触るほど無謀ではありません」
「それはよかった」
ノアは満足そうに頷いた。
エレナが隣で補足する。
「局長からも、許可なく遺物に触れないよう言われています」
「二重に念を押されましたね」
「念を押す必要があると思われているのでしょう」
「心外です」
そんな会話をしている間も、俺の目は円筒に向いていた。
見れば見るほど不思議な形をしている。
金属の表面に刻まれた溝は、装飾というより何かの部品を組み合わせるためのものに見えた。上部の結晶も、ただ埋め込まれているだけではない。円筒の内側とつながっているような構造だ。
「気になる?」
ノアが尋ねた。
「まあ、少し」
「触りたい?」
「いえ、そこまでは」
「本当に?」
「疑い深いですね」
「研究者は疑うのが仕事だから」
「……触るなと言われると、余計に気になるんですよね」
口にしてから、少しだけ子供っぽい発言だったかもしれないと思った。
別に、本気で触りたいわけではない。仕組みが気になるというだけだ。
「それは君の感想?」
「いえ、一般論です」
「そういうことにしておこう」
ノアは笑いながら、検査箱の横に小さな器具を置いた。透明な板を挟んだ金属製の枠で、先ほどエレナが使っていた検査器具に似ている。
「これは魔力の流れを測るためのもの。異物が魔力に反応しているのか、それとも別の仕組みなのかを調べている」
「魔力を使って動かす道具ではない可能性もあるんですか?」
「もちろん。渡来者が持ち込んだものの中には、こちらの魔術とは違う原理で動くものもある。仕組みを決めつけると、見当違いの調査になるからね」
ノアは器具のつまみを回した。
透明な板の内側に淡い光が灯る。
「まずは、音を出してみようか」
彼は円筒から少し離れた位置で、指を軽く鳴らした。
ぱちん、と乾いた音が部屋に響く。
数秒。
何も起きない。
「今のところ反応なし」
ノアが記録用の紙に何かを書き込んだ。
「もう少し待ってみよう」
数秒の沈黙のあと、円筒から小さく音がした。
ぱちん。
先ほどの指を鳴らした音だった。
「おお」
思わず声が出た。
「今のように、少し遅れて再生されることがある。けれど、再生までの時間も毎回違うし、拾った音がすべて再生されるわけでもない」
「音を記録しているけれど、再生する条件が分からないということですか」
「そういうこと。どの程度の音を拾うのか、どれくらい蓄えているのかも不明だね」
ノアは今度、机を指先で軽く叩いた。
とん、とん。
しばらく待ってみても、今度は何も起こらなかった。
「反応しませんね」
「うん。さっきと同じように音が鳴ったからといって、必ず再生されるわけではないらしい」
「気まぐれですね」
「研究者泣かせだよ」
ノアは苦笑した。
俺は円筒を見つめた。
少し不気味ではあるが、同時に面白い。
普通の録音機器のように、ボタンを押せば音が記録されるわけではない。何かをきっかけに音を拾い、何かの条件で再生する。
この世界の魔術で説明できるのか。それとも、まったく別の仕組みなのか。
「では、次は声で試してみよう」
ノアは円筒に向かって、短く言った。
「聞こえるか?」
反応はない。
「……まあ、そう簡単にはいかないか」
「声には反応しないんですか?」
「いや、過去には声が再生された記録もある。ただ、条件がまだ分からない」
俺は円筒の結晶を見た。
先ほどから、何となく気になっている部分がある。
表面に刻まれた溝の一部が、ほかの場所よりわずかに深い。結晶の縁から伸びる金属の線も、きれいに円を描いているわけではない。
少しだけ、構造が偏っているように見えた。
意識を集中させる。
視界の中に、淡い金色の線が浮かび上がった。
円筒の表面。結晶の縁。金属部分の接合箇所。
線は細く、ところどころで重なり合っている。
俺は目を凝らした。
線の一部が、円筒の上部にある小さな輪へと集まっているように見える。
「……ノアさん」
「ん?」
「この上の輪なんですが、少し気になります」
「上の輪?」
「結晶の周囲にある金属部分です。ほかの場所と比べて、線が集まっているように見えます」
ノアは俺の指す場所を確認した。
「ふむ」
彼はすぐに器具を取り、円筒を少し離れた位置から観察した。
「確かに、ここは接合部になっている。内部の部品とつながっている可能性はあるね」
「そこが音に関係しているんでしょうか」
「それはまだ分からない。ただ、調べる価値はありそうだ」
ノアは机の上から細い金属棒を取り出し、検査箱の外側にある測定器具へ接続した。
「エレナ、少し記録を手伝ってくれる?」
「分かりました」
ノアは器具を操作し、円筒の反応を確認する。
しばらくすると、透明な板に表示された光の模様が変化した。
「……やっぱり、この部分の魔力の流れが少し偏っている」
「見えた線と同じ場所ですか?」
「そう。もちろん、これだけで君の見ているものと測定結果が一致したとは言えないけれど」
「そうですね」
「それでも、面白い情報だよ。君の目は、少なくとも研究の手がかりにはなりそうだ」
ノアはそう言って、俺を見た。
そのとき、目の奥に鈍い疲れを感じた。
長く細かい図面を眺めていたときに似ている。大した痛みではないが、これ以上集中するのはやめておいたほうがよさそうだった。
俺は一度、目を閉じる。
「大丈夫ですか?」
エレナがこちらを見た。
「少し目が疲れただけです。前にも似たようなことがありました」
「無理はしないでください。今はまだ、どの程度使っていいのかも分かっていません」
「はい」
ノアも、すぐに手元の記録を閉じた。
「今日はここまでにしよう。君の見ているものについて、もう少し詳しく知りたいところだけど、無理をしても仕方がない」
「すみません」
「謝ることじゃないよ。調査は長く続けるものだからね」
ノアは円筒を検査箱に入れたまま、保管用の棚へ移した。
「成瀬君、また時間があるときに来てくれないか。君の見ているものについて、もう少し詳しく知りたい」
「俺に分かる範囲なら」
「それで十分。無理に何かを見つけてもらおうとは思っていないよ」
ノアは軽く笑った。
「それと、最後にもう一つ」
「何でしょう?」
「この部屋にあるものは、基本的に勝手に触らないこと。危険性が低いものでも、何が起きるか分からないからね」
「それはさっきも聞きました」
「大事なことだからね」
「分かりました」
「特に、机の右側にある青い瓶には触らないように。あれはまだ調査中で、蓋を開けると……」
「ノア」
エレナが口を挟んだ。
「説明はそこまでにしてください。彼を怖がらせる必要はありません」
「怖がらせているつもりはないんだけどな」
「それに、その瓶はあなたが先週、誤って蓋を開けたものですよね」
「……よく覚えているね」
「後片づけをしたのは私です」
ノアは気まずそうに眼鏡の位置を直した。
研究対象に詳しい人間が、必ずしも周囲の管理に詳しいとは限らないらしい。
俺は机の右側にある青い瓶を見ないようにした。
見ないようにすると、余計に気になる。
だが、ここで好奇心に負けるほど俺は愚かではない。
たぶん。
「では、次に行きましょう」
エレナに促され、俺は研究室を後にした。
扉が閉まる直前、背後から小さな声が聞こえた。
『……触るなと言われると、余計に気になるんですよね』
円筒が、もう一度俺の声を再生したらしい。
ノアの笑い声が続く。
「どうやら、気に入られたみたいだね」
あれに気に入られるというのが、どういう状態なのかは分からない。
そもそも、あれに意思があるのかどうかすら分からない。
ただ一つ確かなことがある。
異遺物管理局には、俺が想像していた以上に、妙なものが集まっている。
そして、その妙なものに囲まれて働く人間も、なかなか妙だった。




