【Episode:K×K】 幕間 鎖と檻と傷痕
Episode:KING Chess × KING Spade
手足を締め上げる白銀の「聖鎖」が肉を焼き切る激痛。
ジュウウ、と立ち上る凄惨な黒煙と熱、そして全身の魔導回路が逆流する凄絶な痺れ。
その冷たい拘束の感触が、狂乱するリズの脳裏で、封印していた遠い過去の地獄の記憶を――あの忘れたくても消えない悲劇の記憶を、泥流のように呼び覚ましていった。
――かつて、魔族としても淫魔としても未熟だった冬の日。
生まれ付き異常なほどの高燃費体質で、常に腹を空かせていたリズ。不吉な破滅をもたらすと言われる、魔族の中でも特殊な魔道回路《闇火》の魔力を有するも制御ができず、一人で狩りに出ることも許されず、いつもお姉様たちの食べ残しのような微かな精気を分けてもらいながら、群れの隅っこで小さく膝を抱える浮いた存在だった。
それでも、たまにお姉様たちが気まぐれに頭を撫でてくれたり、「ほら、お食べ」と温かい余り物を分けてくれるだけで、リズの胸は跳ねるほど嬉しかった。
『ワタシ、役立たずだけど、ここに居ていいんだ』――そのささやかな優しさに心から喜ぶほど、無垢で、健気だった。
だからこそ、あの日。
群れの足枷になりたくない一心で、溢れる飢えと寒さに耐えかね、禁じられていた人里へとひとり降り、浅はかにも人間のマナに手を出してしまったのだ。
退魔の心得がある人間の見極めも出来ずに手を出して返り討ちに遭い、弄ぶように魔力を枯渇させられた末に突き落とされたのは、聖職者たちによる《悪魔狩り》の恐怖だった。
『――害獣め! 銀の拘束具で縛り上げろ!』
封魔の銀鎖で肌を焼かれ、聖なる気が満ちる檻の中で、命乞いをしても誰一人として振り返ることなく罵倒を浴びせられた絶望。
だが――そんなリズを、群れの仲間たちは命懸けで檻から救い出してくれたのだった。
なぜなら、彼女たちはどれほど未熟で不吉な力を持とうとも、仲間を、血を分けた『家族』を見捨てることだけは《魔族の誇り》として出来なかったから。
傷だらけになりながら自分を抱き起し、「無事でよかった」と泣いてくれたお姉様たちの温もりに、リズは泣きじゃくりながら感謝した。
――けれど、その誇りと温情が、最悪の悲劇を招く。
リズを救出したことで人間たちの魔族への警戒は決定的なものとなり、激化した《悪魔狩り》の包囲網が屋敷を襲った。
奪われた命、焼け落ちる屋敷、散り散りになる同族。
追手から逃げ延びた果て、血と煙に汚れた生き残りの仲間たちがリズに向けたのは、もはや『魔族の誇り』という大義名分も『家族』としての温かい目でもなかった。
『……どうしてあの時、助け出したりしたのかしら』
『アンタさえ……アンタさえ余計な真似をして捕まらなければ、皆死なずに済んだのに!』
『万年空腹の出来損ない! 疫病神! 頼むからどこかへ消えて!!』
血を流すお姉様たちから浴びせられる、刃のような憎悪と剥き出しの本音。命懸けで救ってくれたと感謝していたからこそ、その手が自分を突き放す痛みが、魂を肉削ぎ落とすほどに重く鋭く突き刺さった。命を奪うことすらして貰えず、叩きつけられた『追放』という拒絶。
大好きだった唯一の《居場所》も、優しかったお姉様たちの笑顔も、すべて自分の手で壊してしまったのだ。
――『お前さえいなければ』
追放という名の冷酷な拒絶を下され、追われるように雪原を彷徨っていたあの頃。吹雪が容赦なく小さな体を叩きつけ、銀鎖の焼け跡が痛む手足は感覚を失っていく。
足跡ひとつ残らぬ白銀の世界で、倒れ込み、吐き出す息すら凍りついていく中、リズはたった一人で絶望の底を這いずっていた。
「あのまま、聖職者に祓われて消えちゃえばよかったのに……っ」
「ワタシなんて、生まれてこなきゃよかったのに……っ」
自分の存在そのものを呪い、凍てつくような孤独と寒さに震える日々。人を襲うことへのトラウマから精気を奪う食事すら恐怖となり、力尽きた小動物や枯れかけた植物の微かな命にすがり、口では「消えたい」と泣きながらも必死に生を繋いでしまう惨めさ。
誰からも必要とされず、求められず、ただ静かに白銀の雪へと溶けて消えかけていた幼き日のリズ。
その死の淵で、彼女の前に現れたのが――幼き日のアヴァルだった。
人里から遠く離れ、誰も寄りつかない雪に埋もれた古代の遺物だけが残る山間で、出逢った白皙の少年。齢は五つに満たないように見えるのに、陽の光を受けて輝く金髪と、血のように赤い瞳が、幼な子とは思えない底知れぬ雰囲気を際立たせていた。
冷徹さと神々しさが同居するようなその幼い少年は、死に瀕し伏せたリズを観察するように暫く見下ろすと、徐に小さな掌を伸ばし、自らの生命力――マナを差し出した。
「消えゆく命なら、我が使ってやろう。……お前にやらせてみたいことがある。ついてこい」
その圧倒的な存在感と、差し伸べられた生命力。自分が必要とされたという――かすかな錯覚に導かれるようにして、リズはアヴァルに拾われた。
アヴァルに拾われてからの日々は、リズのすべてであり、唯一の救いだった。
アヴァルはただ命を救っただけではない。路頭に迷う欠陥品でしかなかったリズに、生きるための住処や食事や衣服を与えるにとどまらず、後に帝国の最高戦力たる≪スペードのキング≫として君臨することを見据え、その手で一から彼女を作り上げていったのだ。
高度な学問、洗練されたマナーと社交術、男を完璧に惑わす美容術や房中術、さらには洗練された騎士道教育に至るまで――。
かつて「役立たず」と捨てられた少女に、アヴァルは惜しみなく一流の教養と技術を叩き込んだ。
さらに、彼女を死の淵まで追いやった原因の一つ、凶悪すぎる《闇火》の魔術。その暴走をねじ伏せるための高度な魔導回路の構築法と制御術を授け、彼女の体内に眠る強大な破滅の力を、完璧な「兵器」としての才能へと開花させた。
アヴァルにとっての害敵を排除するため、閨事の最中で標的の命を蝕む密やかな暗殺。あるいは戦場へと赴き、解き放った《闇火》で敵陣を全滅させる《殺戮の悪魔》としての凄惨な役目。
他者から見ればそれは血塗られた過酷な調教と歴史に他ならなかったが、リズにとっては「自分を必要とし、完璧な価値を与えてくれたアヴァルに応えるため」の、何より誇らしい恩返しだった。
すべてを奪われ、消えかけていた悪魔の少女が、皇帝の最鋭の刃として牙を研ぎ澄まし、裏社会で恐れられる存在へと変貌していくすべての軌跡。その傍らには、常にアヴァルという絶対の主が寄り添い、彼女を導いていたのだった。
やがて幼くして皇帝の座に着き、精鋭魔法騎士団の頂点たる《スペードのキング》の席をリズへ賜ったアヴァル。
だが、その精鋭魔法騎士団に集うのは一筋縄ではいかない者ばかりだった。
荒くれ者が集い、誰もが強大な魔力と突出した戦闘力を持つ代わりに、致命的なまでに協調性のない我が儘な者たちの集まり。当初の城内は、意見が違えば殺し合い、気に入らなければ背中を撃つような、殺伐とした無法地帯そのものだった。
当然、そんな魔導エリートたちの集まりに放り込まれた少女の風貌をした魔族のリズが最初から受け入れられるはずもなく、「こんな食いしん坊の小娘が最高幹部の一角か」と幾度も挑まれ、嘲笑を買った。
――だが、リズは圧倒的だった。
敵対する者がいれば、アヴァルからの言いつけ通りに、底なしの食欲の裏に隠された容赦ない暴力と、制御を失えばすべてを灰にする《闇火》の圧倒的な出力を叩きつけ、誰一人として文句が言えなくなるまで力でねじ伏せた。
いつしか荒くれ者たちは、その小柄な体躯と笑顔の裏に隠された恐るべき実力を認め、恐れ、そして「最強のキング」としてリズを認めざるを得なくなったのだ。
衝突と喧嘩を繰り返し、いつしか背中を預け合えるようになっていった精鋭たちとの任務や、騒がしくも賑やかな城内での共同生活。
勿論すべてが最初から順調だったわけではないけれど、かつてただ魔族であるというだけで疎まれ、《闇火》のせいで同族からすら「忌み子」として煙たがられていたリズにとって、仲間たちと築いた絆と、アヴァルが与えてくれたその居場所は、何物にも代えがたい温かな《我が家》となっていた。
完璧な教育、美味しい食事、最高峰の役職、そして何よりも「お前が必要だ」という絶対的な言葉。
アヴァルが注ぎ込んでくれたそれらすべてと、仲間たちと過ごす賑やかな日々が、傷つき冷え切っていたリズの心と体を内側から満たし、あの無邪気で天真爛漫な笑顔を取り戻させていくための、完璧な養分となっていたのだ。
(……食べるのが楽しいと思えるようになったことも……生きているのが嬉しいと思えるようになったことも……ぜんぶ、アヴァル様に居場所をもらえたから……っ)
――それなのに。
(……ごめんなさい、アヴァル様。ワタシ……ワタシ、本当は……ずっと寂しかったのかもしれないっす……)
アヴァルから与えられていたのは、「道具としての価値」と「役目という名の居場所」だった。
そこに嘘はなかった。捧げてきた感謝も、崇拝も、絶対の恩義すらも、間違いなく本物だったが、心のどこかに『アヴァルの都合の良い道具』という消えない燻りがあった。
けれど――フレデリックという男の手で抱きすくめられた瞬間、リズの魂の奥底で凍りついていた「愛されたい」という痛々しいほどの渇望が、一気に熱を帯びて爆発してしまったのだ。
アヴァルの前では、期待に応える「完璧な殺戮の刃」でいなければならなかった。
だが、フレデリックの腕の中では、ただの傷ついた一人の少女としていることを許されている心地だった。
冷たい計算を隠しながらも、自分を離すまいと強く抱きしめてくる腕の力加減。注ぎ込まれる狂おしいほどの精気。指先から伝わる、痛々しいほどの独占欲。
(……『都合のいい道具になること』も……フレデリックになら、いいかなって……そう思っちゃったんす……)
長年積み上げてきた盲目的な敬愛すらも覆い尽くしてしまうほど、目の前で指揮杖をこちらに向け、冷ややかに立ち尽くす軍服の男に――抗いようもなく、恋をしてしまっていた。
利用価値があるからという、打算に溢れた利己的な理由だったとしても構わない。偽りの甘やかしだと分かっていても、今までアヴァルに与えられていたどんな居場所よりも甘く心地いいと、このまま二度と離れたくないと願ってしまった。
「お前を離さない」という冷徹な計算の裏に見え隠れする熱に、心をドロドロに溶かされ、愛しさに溺れさせられてしまった――破滅的な恋心。
身も心も依存させられてしまった、敵国の先導者――フレデリック・クロエ。
しかし今、光を失ったリズの瞳に映るのは、自身に向けられた彼の兵器と、それに呼応するように起動した、かつて自分を縛り上げた銀の拘束具と同じ、肉体を焼き苛む白銀の光だった。
「いらない子」として捨てられ、冷たい檻の中で肌を焼かれたあの冬の日の恐怖と、今の絶望が完全に重なり合う。
(あ……そっか……。ワタシ、『解析』されて……用済みになったんだ……。きょうで、もうおわり……? フレデリックも……ワタシを、要らない子にして捨てるの……?)
「いやぁぁぁぁぁっ! 痛い、痛いよぉっ……! 捨てないで、やめて……っ! お願いだから、ワタシをいらない子にしないでぇっ……!!」
助けを求める叫びは、高周波の金属音とかき消し合うように虚しく響く。リズの悲痛な叫びは掻き消され、フレデリックの耳には半分も届いていない。
目の前の男――偽りの甘い温もりで自分を甘やかし、毒してくれたはずのフレデリックが、冷徹な先導者の顔に戻って自分を見下ろしているように見えた。
アヴァルへの恩義も、命への執着も、すべてを上書きしてしまうほど深かったフレデリックへの情愛。
それが「偽りだった」と思い込まされた瞬間、リズの心は完全に壊れ、過去のトラウマという名の底なしの泥へ引きずり込まれていく。
「リズ、動くな! 今、罠の制御を――」
「あ、あ……あああぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!!」
フレデリックが焦燥に駆られて手を伸ばした瞬間、悲痛な咆哮と共にリズの体内から制御を失った魔力が《殺戮の悪魔》と呼ばれる所以の《闇火》が爆発的に吹き荒れた――。
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