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WORLD's END  作者: 織川笑緒


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【Episode:K×K】 第五章 冷徹の誤算

Episode:KING Chess × KING Spade





アンテレット共和国の首都シャリテ。

科学の発展が生み出した街灯が煌々と照らす大通りを、敵国の最大戦力、殺戮の悪魔と悪名高いリズが、拙いとしか言えない変装で歩いていた。


つばの広い帽子を目深にかぶり、無骨なコートで小柄な体を包み隠しているものの、持ち前の天真爛漫なオーラと可愛らしさは隠しきれていない。一体誰がこの人懐っこい笑みを浮かべた少女を、殺戮の悪魔と思うだろう。

ショーウィンドウに並ぶ珍しい菓子を見つけては目を輝かせ、通りかかる市民に無邪気な笑顔を振り撒いていた。




「あ、あの……! もしよかったら、この焼き菓子を食べてくれませんか?」



「えっ? ワタシにくれるっすか!? わぁい、ありがとうっす!」




近所の店の青年が頬を真っ赤にし、照れくさそうに差し出した包みを、リズは無防備な満面の笑みで受け取る。

彼女に深謀遠慮などない。ただ好意と食べ物を素直に喜んでいるだけだ。だが、その愛くるしい仕草は、無意識のうちに周囲の人間を惹きつけていた。



――その光景を、公務用車の窓越しに見つめる男がいた。

最高指導者、フレデリック・クロエである。




(……あいつは何をしているんだ……阿呆な悪魔め。変装のつもりか、あれで)




冷酷な分析官であるならば、「街の市民を巧みに手懐けている」と評価すべき場面。

だというのに、青年の赤らんだ顔と、それに対して一切の警戒もなく甘い笑顔を返すリズの姿に、フレデリックの胸の奥には説明のつかない重く、不快な熱が渦巻いていた。




(誰にでもあんな顔を晒して……軽率極まりない)




胸を突き刺す不快な苛立ちの正体を「密会を危険に晒しかねない愚行への怒り」だと自らに言い聞かせ、フレデリックは冷ややかに視線を逸らした。






─────────






その夜。廃墟の図書館。

いつものように天井の隙間から舞い降りてきたリズは、嬉しそうにフレデリックへと駆け寄った。




「フレデリック〜! 今夜も来たっすよ! 今日の歴史のお話は――」



「……座りなさい」




いつものように優しく伸ばされるはずの手はなく、フレデリックの声は氷のように冷たく張り詰めていた。軍服の襟元は固く閉ざされ、メガネの奥のアイスブルーの瞳が冷酷に見下ろしている。




「え……? フレデリック、どうしたんっすか……?」




張り詰めた空気に、リズはパチクリと瞳を瞬かせた。

フレデリックは手帳を開き、感情を殺した淡々としたトーンで吐き捨てる。




「昼間の視察、ご苦労だったな。街の青年に無防備な笑顔を振り撒き、巧みに魅了していたようじゃないか。……アリストクラット≪スペードのキング≫の籠絡術としては大したものだ」



「へ……? あ、あのお菓子をくれたお兄さんのことっすか?」



「お前が誰に笑顔を振り撒こうが、俺の知ったことではない。……だが、俺との密会を他人に悟られるような軽率な振る舞いは困る。今夜は情報の記録だけに留めよう。精気の提供はお預けだ。ペナルティと思いなさい」




昼間の光景に対する明らかな嫉妬と独占欲。それを認めることができず、指導者の仮面で塗りつぶした身勝手なペナルティ。

精気を焦らせば、彼女は自分に泣きつき、縋りついてくるはずだ――そう踏んでいたフレデリックだったが、返ってきたのは思いもよらない反応だった。




「……うん。分かったっす、フレデリック」




リズは怒ることも、精気を強請り駄々を捏ねることもなく、静かに頷いた。その唇には、いつものように聞き分けのいい、ニコニコとした愛らしい笑みが浮かんでいる。


だが――彼女の瞳だけが、嘘をつけていなかった。


宝石のように明るかった赤色は失われ、深い夜の残映のような、哀しみと寂しさに満ちた深く澄んだ紫へと染まっていた。




(……あは。そうだよね。ワタシはフレデリックにとって、都合のいい『情報源』でしかないんだもんね。……勝手に浮かれて、嫌われちゃダメっすよね……)




リズは膝の上にちょこんと小さな手を置き、健気に、そしてニコニコと笑いながら静かに語り始めた。




「じゃあ……今夜は百年前の、帝国の東部境界線にあった魔導鉱山の話を始めるっすね。あそこはアヴァル様が昔――」




淡々と、けれど丁寧に語られる歴史の記憶。

失望されたくない、捨てられたくないという一心で、精気という彼女の生命線でもある食事の見返りすら求めず、哀しみを秘めた紫の瞳で笑いながら知識を差し続けるリズ。


その健気な笑顔と、隠しきれていない紫の瞳を見つめるフレデリックの胸の奥で――冷酷なお仕置きを気取っていた己の浅はかさに対する激しい悔恨と、言葉にならない衝動が、静かに蠢き始めていた。






─────────






「――以上が、東部魔導鉱山の崩壊の顛末っす。……これで今夜のお話はおしまいっすね!」




リズは膝の上でパッと手を合わせると、どこまでも健気で無邪気な笑顔を浮かべた。

だが、その双眸は悲しみに澄んだ深い紫に染まったままだ。万年空腹の身体は精気を求めて悲鳴を上げていたが、彼女はそれを微塵も顔に出さず、スッと瓦礫の上から立ち上がった。




「じゃあフレデリック、ワタシ、そろそろ帰るっすね。今夜もありが――」



「立ちなさい、とは言っていない」




立ち去ろうと背を向けかけたリズの袖を、フレデリックの手が咄嗟に掴んでいた。彼はリズが話終わる直前に苛立ちを紛らわせるようにポケットから取り出した紙煙草に再び火をつけ、紫煙を吐き出していた。

そしてその反対の手には、携帯用の湯沸かし機器で沸かせたばかりの、湯気を立てる温かいカフェオレのカップがあった。


密会を重ねる中で、リズが甘い飲み物を好むと知り、密かに用意していたものだ。冷たく突き放し、ペナルティを与えたはずの自分が、なぜこんな行動をとっているのか――フレデリック自身、自らの支離滅裂さに眉をひそめていた。




「……座りなさい。これを飲んでから行くといい」




フレデリックは視線を逸らしたまま、素っ気ない声でカップを差し出した。冷たいお仕置きの後に見せる、突然のささやかな歩み寄り。

だが、その優しさは今の二人の距離感に揺れるリズにとって、かえって苦しい毒でしかなかった。




(……え? なんで……? ワタシ、また何か失礼なことしちゃったっすか……?)




リズの頭はパニックを起こしていた。

怒らせた本当の理由――フレデリックの胸にある醜い独占欲や嫉妬――など、道具として扱われていると思い込んでいるリズに分かるはずもない。


《密会を他人に悟られるような軽率な振る舞いだった》と冷酷に言い渡されたペナルティ。優しさを見せられたかと思えば急に突き放され、そして今また差し出される温かいカップ。




(分からないっす……フレデリックが何を考えてるのか……)




フレデリックの与えてくれる綺麗な毒に身を委ねているからこそ、これ以上彼の不機嫌の理由になりたくはない。




(これ以上呆れられて、完全に嫌われて捨てられるくらいなら、今すぐここから逃げて離れたい)




リズの防衛本能が、激しく警鐘を鳴らしていた。



「あ、あの……! お気遣いありがたいっすけど……ワタシ、今日はお腹も空いてないし、すぐ帰らないとアヴァル様に怪しまれちゃうっす! だから、失礼するっす――」




万年空腹のサキュバスである彼女が「お腹も空いてない」などと言うのは、あからさまな嘘だった。それほどまでに彼から逃げ出したいという焦燥が、健気な強がりを口走らせていた。

掴まれた袖をそっと引き抜き、後ずさりしてフレデリックから距離を取ろうとするリズ。

笑顔を貼り付けたまま、一刻も早くこの場から逃げ出そうとするその姿に、フレデリックの胸の奥で何かがぷつりと切れた。




(……逃げるだと? 俺から……距離を置こうというのか)




見返りも求めず知識を差し出し、悲しげな紫の瞳で笑いながら、自分から去ろうとする悪魔。

冷酷な打算で彼女を縛り付け、手懐けた気になっていたのは自分の方だ。


それなのに――彼女が自分から離れようとした瞬間、全身を襲ったのは、失うことへの猛烈な焦燥と狂おしいほどの独占欲だった。




「……待てと言っている」



「ひゃいっ……!?」



ガチャン、と音を立ててカフェオレのカップが傍らの机に置かれると同時に、先程まで吸っていた紙煙草が足元の瓦礫へ乱暴に投げ捨てられた。


次の瞬間、フレデリックは長身を生かして一歩で距離を詰めると、逃げようとしたリズの細い手首を力任せに掴み引き寄せた。




「フレデリック……っ!?」




顔一つ分は優に超えた身長差がある重厚な体躯の影にすっぽりと覆い隠され、リズは息を呑んだ。

見上げれば、金縁メガネの奥のアイスブルーの瞳が、いつもの冷徹な分析官の面影を消し去り、見たこともないほどの苛立ちと熱情に揺れている。

フレデリックは自らの手で、固く閉ざしていた階級礼式軍服の襟元を乱暴に解き放った。褐色肌と、そこから溢れ出す極上の精気の匂いが、一気に密会の空気を支配する。




「お前が帰れなどと言っていない。……吸え」



「え……? でも、ペナルティだって……」



「黙って吸いなさい!!」




取り繕うことすら忘れた、剥き出しの怒号。

フレデリックは固まるリズの腰を強引に抱き寄せると、己の首筋へと彼女の頭を力任せに押し付けた。




「お前が笑顔を見せるのも、その手を受け取るのも、俺の前だけでいい……! 俺以外のものに甘えることなど、絶対に許さない……っ!」




冷酷なキングチェスの仮面は、完全に打ち砕かれていた。

嫉妬と独占欲を露わにし、自分から逃げようとした彼女を力ずくで引き留める一人の男の姿。


リズの紫色の瞳が、驚きと戸惑い、そして再び許された事への甘い歓喜に丸く見開かれ、甘やかな鮮やかな赤に色を変えていくのだった。





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