第6話 英雄誕生
嵐の前の、静けさ。
誰もが衝撃と恐怖、そして当惑のあまり、何の反応もできずにいたとき。
口を開いたのは、ダンテの肩の上のゴールデンハムスターだった。
【生への執着とは、ただの生存を言うのではない……。より感じ、より味わい、より手にすること……。言うなれば他者の経験を、そのすべてが詰まったものを『生』と呼び、それを貪る渇望こそが――】
「うるさい。振り落とされて踏み潰されたくなかったら、黙ってつかまってろ。行くぞ」
【――チュッ】
ダンテはその口を即座に閉じさせてから、全身に力を込めた。
その全身の筋肉は、張り裂けんばかりに膨れ上がり、脈打ち始めた。
(なるほど……これが《暴食の権能》か)
ステータスの特記事項に見える【暴食】の力。圧倒的に増えた能力値。
力が1ポイント上がるだけでも、強くなる。
敏捷が1ポイント上がるだけでも、強くなる。
だが、力と敏捷が1ポイントずつ同時に上がったなら? それは2ポイントぶんの強さではない。
一種の乗算に近い効果を生むことを、ダンテはよく知っている。
その意味で、当座の戦闘に直結する力と敏捷が30、25ポイントの上昇。
体力と正確が30、20ポイントの上昇。
「カ、カアッ、フセげ! フーッ、フセげ!」
「ニ、ニげ、フーッ、コウタイ――」
ホブゴブリンたちが、じりじりと後ずさりながら喚いた。
「防ぐ? 後退? 誰がさせてやるって言った?」
ここで逃がすはずが、ない。
パアッ……!
たった一度の跳躍で、ダンテは狼狽するゴブリンたちのど真ん中まで斬り込んだ。
飛行でもするかのように舞い、着地するその姿を、ゴブリンたちすら呆然と見つめていたとき。
「いい見世物だったろ? なら木戸銭を払わないとな? ――命でだ」
口角がゆらりと吊り上がったダンテが、剣舞を舞い始めた。
ダンテの体格には不釣り合いな巨大ファルシオンだったが、それを扱うのに何の支障もなかった。
その剣が一度、また一度と振るわれるたび、さして明るくもない月光に照らし出されるのは、宙を舞う破片だった。
正確には、ゴブリンの肉片だった。
めちゃくちゃに斬り飛ばされたゴブリンの四肢と胴が、肉の欠片と化して血の雨を降らせていたのだから……。
まさに月夜の村外れは、地獄絵図そのものだった。
「俺たちは今、何を見てるんでしょうね、隊長」
「……分からん。まるで七体の魔王同士の戦いでも見ているようだ。あんなものは……見たことも、聞いたこともない」
そして、その地獄絵図をじっと見つめているのは、やはり村の守備隊だった。
ヒゲの指揮官の呟きに、そばにいた民兵団員の一人が、ふっと笑った。
「で……でも、良かったですね」
「む? 何が良かったんだ?」
あの地獄絵図を見て、良かったと思える?
血と肉が、生命と死が飛び散るあの光景を見て、笑えるだと?
民兵団に駆り出された村の青年の一人が、鍬を握ったまま言った。
「あれが七体の魔王同士の戦いなら……七体の魔王のうち一体が、うちの味方ってことじゃないですか」
彼がどこか安堵し、どこか笑えている理由。
その言葉を聞いた途端、ヒゲの指揮官をはじめとする駐屯兵たちの表情が、ふっと和らいだ。
「そうだな。それほど心強いものも、世の中にないだろうよ」
依然として、ゴブリンの群れの真ん中では地獄絵図が繰り広げられていた。
ただ、地獄絵図を鑑賞する者たちの心持ちが、少しばかり変わったことを。
そのイカれた地獄絵図を描いている画家その人は、知る由もなかった。
(この状態になったとはいえ、全滅させるのはきつい。退かせるのが一番だな)
ダンテが気にかけていることは、一つだった。
《暴食の権能》を活用してホブゴブリンもゴブリンもそれなりに殺したが、それはやつらの狼狽あってのこと。
完全に鏖殺できるほどの余力は、ない。
ならば、やはりこいつらを退かせるのが最善というわけで。
(ホブゴブリンを、まとめて潰す)
こいつらの頭を、全員殺す。
「キ、キイッ?!」
「ほっ、と!」
ダンテはゴブリンの肩を軽く踏んで、跳び上がった。
宙でファルシオンをブウン、と一振りして、やつらを怯ませ。
「そらそらそらっ!」
狼狽するもう一匹のゴブリンの脳天を続けて踏みつけ、そのまま前進。
その後ろにいたやつの背中を蹴って、加速し。
「ニ、ニンゲンを、フーッ」
「フーッ、フセげ、ニンゲンを――」
目標に、集中する。
残るホブゴブリンは、三匹。
「フセげ!」
「アアアッ――!」
「アアアアッ――!」
固まって喚くやつらに向かって。
ダンテもまた、吠えた。
「防げるかああああっ!」
───────────……!!!!
ファルシオンの剣面が、月光を反射した。
そして、トッ、トトッ……。
ホブゴブリン三匹の首と、ダンテの足が、同時に地面へ落ちた。
「キ、キイ……キイッ!?」
「キイ、キイイッ! キイ?!」
「キイ……」
ホブゴブリン十匹が、全滅した。
たった一人の人間の手で。
残るゴブリンは、もう二十匹余り。
あちこちに散らばったやつらは、迂闊に動けなかった。
突如として指揮系統を失ったからだけでは、ない。
ダンテの一挙一動に、全神経を集中させていたからだ。
スッ、とダンテは周囲を見回した。
その視線が触れた先のゴブリンが、ことごとく、じりじりと後ずさった。
やつらから見れば、悪鬼、化け物、災厄……そのどれで呼んでも足りない、たった一人の人間。
「わっ」
「キ、キイイイッ!」
「キイッ! キイッ! キイイッ!」
反応は、一瞬だった。
誰かに背中を突かれでもしたかのように、ゴブリンたちは全員が背を向け、四方八方へと駆け出したのだ!
散らばったやつらを一匹ずつ殺すよりも、わざわざ追いかけて討伐するよりも、これが一番楽な方法であることをダンテは知っていた。
「ほら、さっさと行け! 死にたくなかったらな――!」
ダンテはやつらを見送りながら、叫んだ。
相変わらず、月の輝く夜だった。
ゴブリンたちがその悪臭ごと消え去るのに、そう長くはかからなかった。
ダンテは、背を向けた。
そして、ようやく気がついた。
この場に、自分ひとりだけがいるのではないということ。
また、長くはないが短くもなかったあの時間、静かだった理由は何なのか。
「あ……れ?」
兵士たちの大半が、口を開けたまま閉じられずにいた。
民兵団に駆り出された若い男たちは、ほとんど泣いていた。
中には、持っていた武器を取り落とした者もいた。
ヒゲの指揮官とて、変わりはなかった。
指揮のために少し高い場所にいたぶん、より良く見えてしまった。
ダンテの、あの出鱈目な力量を。
より大きな衝撃のぶんだけ腕をだらりと垂らし、ただ鑑賞するしかなかった戦い。
誰も、何と言っていいか分からない状況で。
194cmの司祭が、言った。
「ゴブリンを逃がしたのは……。帰って同族に伝えろ、という意味なのですね? 『ここへ来れば死ぬ』……と?」
感激に濡れた瞳。
遠目にも分かるほど、感激に打ち震えている巨躯。
「え?」
――って、この人は一体何を言い出すんだ?
散らばったやつらをいちいち追いかけて狩るのは面倒くさいから、ただ追い払っただけなんだが。
だが、まるで集団幻覚にでもかかったような。
集団催眠にでもかけられたような、この状況で。
「あ……!」
「そ、そんな深いお考えが!」
「そうだ。皆殺しにしたところでまた来るかもしれんが、恐怖を植え付ければ、二度と寄り付けまい!」
彼女の一言は、引き金になるには十分すぎた。
「なんてこった、あの若者が――」
「若者だと! え、英雄様に! 貴様、口の利き方がなっとらんぞ?」
「――そ、そうですね、いやはや、英雄様……。さすが英雄様!」
「英雄だ! お、俺たちは今、英雄の誕生を目にしたんだ!」
圧倒的な武力を持ち。
モンスターの生態と心理まで見抜いた。
英雄へ向けた、割れんばかりの歓声と声援!
「うおおおおおおっ――!」
「英雄だ! 我らの村を救った英雄だ!」
「勇者様! 勇者様!」
【レベルが上がりました】
【レベルが上がりました】
【レベルが上がりました】
六年前だったなら。
いや、六年前でなくとも、この状況でさえなければ、心から喜んだはずのレベルアップメッセージ。
(ええい、目障りだ)
今のダンテには、ただただ視界の邪魔なホログラムウィンドウでしかなかった。
「おかげで……。おかげで助かりました、勇者様。ううっ、おかげで……」
「どうかここにサインを! 私めが英雄にお会いしたという事実を、子々孫々まで残せますよう、お許しください!」
ダンテは、太鼓に鉦にと大騒ぎの彼らを、止めることもできずにいた。
すでにダンテの周りには、涙と鼻水を垂れ流す青年や中年男性がひしめいていたからだ。
周りでは歓声やら叫び声やら、その騒ぎのさなかにレベルアップメッセージまで視界を塞ぐわ、ヒゲの指揮官はキラキラした瞳で近づいてくるわ……。
「ゆ、勇者ど――勇者様……! 我らが領主様には私から直々にご報告を――。いえ、今すぐ出発でも構いませんので、どうか、我らが領主様にお、お会いいただけ――ませんでしょうか?」
しまいには、たどたどしい敬語まで使いながら、領主に謁見しに行こうという提案?
何と答えるべきかすら分からず混乱していた、そのとき。
「勇者様! ところで、お名前は――……。あ」
めいめい勝手に喋っていた人間たちが、一瞬で静まり返った。
彼らはすぐ、自然と道を空けた。
「あ、いたた、司祭様。肩をそんなに強くつかまれると――。どいてくれと言うだけで、どきましたのに」
「あっ、す、すみません」
もちろん、中には強制的に道を空けさせられた者もいた。
身長194cm――その高さに見合うだけの、頑健で強靭な力を持つ女性が、ダンテに向かって歩いてきていたのだから。
「小聖堂へ、お連れしたいのですが。よろしいでしょうか」
少なくとも今この瞬間だけは、彼女がダンテの救いだった。
ダンテは頷いた。
そして、すぐさま後ろを振り返って言った。
「指揮官殿、領主様にはもちろんお会いしますが、まずは司祭様と小聖堂へ行ってまいります」
「え、ええ、もちろんですとも。行ってらっしゃい――」
「ですのでその間に、モンスターの――特にホブゴブリンの死体を、一箇所に集めておいていただけませんか?」
「は? 埋めたり燃やしたりする程度でしたら、我々が直々に――」
「いえいえ。こほん。モンスターの生態について、調べたいことがありまして……。埋めたり燃やしたりしては、いけません」
「おお……! はい! 承知しました! 斬り飛ばされた手足まで、一つ残らず集めておきます!」
ヒゲの指揮官は一瞬戸惑ったが、すぐに頷いた。
やはりあれほどのお方は何一つおろそかにしないのだな、という眼差しだった。
「そこまでは――。いや、分かりました。ありがとうございます」
ダンテはあえてそれ以上説明せず、ただ感謝を伝えた。
状況が落ち着いたのを確認してから、司祭は自分の所属する小聖堂へと歩き出した。
ダンテはその後に続いた。
どれほど歩いた頃だろうか。
彼女は振り返ってダンテを見つめ、こんな話を今さら聞くのもお恥ずかしいのですが、というように軽く笑った。
「そういえば、お名前もうかがっていませんでしたね。お名前は?」
「ダンテ」
ダンテは軽く答えた。
彼女は、あ、と頷いてから、続けて尋ねた。
「ダンテ様。……それは、何でしょう?」
瞬間、ダンテは悟った。
【指をさすな、雌】
彼女が指し示した先。自分の肩の上に、まだゴールデンハムスターがいるということを。
「あ」
帰りたいだけの男が、英雄にされてしまいました。
なお、肩の上の「それ」については誰も深く考えていません。……一人を除いて。
次回、女司祭の質問にどう答えるのか。勇者の言い訳力が試されます。
本日はここまでです。たくさんの応援、本当にありがとうございました。
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