第4話 いるはずの男が、いない
ダンテの瞳が、瞬時に動いた。
目の前にいる巨躯の女司祭、ではない。
その周辺。
さらには、戦場。
兵士の数。人の数。
おおよそのゴブリンの動き。
(俺の知っているものと、大きく違う点はない)
100%正確だと断言はできない。
そもそも前回は、この戦闘に参戦していないのだから。
それでも、イスカリオから聞いた情報とは、おおむね一致している。
自分が憑依した初日の記憶を見てもそうだ。
村の入り口に足を踏み入れて間もなく、即座に発生したゴブリンの襲撃まで。
完全に同じように流れてきた、一日だ。
「イスカリオはどこにいる?」
なぜ、一つだけ違う?
「え、えっ?」
女司祭はぶるぶると震えながら聞き返した。
怯えきった表情は明らかだったが、それでもなお、よく通る声の持ち主だった。
ダンテですら、混乱していた。
「お前がイスカリオなのか? いや、そうじゃなくて……」
「え? な、何のお話でしょうか?」
この女が、イスカリオ?
何を馬鹿なことを。
そんなはずはない。
いきなり性転換するわけがないだろう。
自分のレベルやステータスは過去のこの日と同じ。同じように流れた一日の中で、イスカリオだけが入れ替わった?
ダンテは即座に尋ねた。
「イスカリオとは、どういう関係だ?」
少なくとも、関係くらいはあって然るべきじゃないか。
ただでさえ驚きで見開かれていた彼女の瞳は、ダンテの問いの後、さらにまん丸になった。
「暴食の悪魔のことを、おっしゃっているのですか? 七体の魔王の一体と、どういう関係かと。この私に?」
「は?」
【は? それはどういう――むぐっ!】
懐にいたベルゼブブまで反応し、ダンテが慌てて手で押さえつけなければならないほどだった。
すんなり受け入れるには難しい――分かりそうで、まだ理解の追いつかない状況。
だが、悠長に会話を交わしている暇はなかった。
「し、司祭様! どうなさいました?!」
「そこ! おい! 何だ?! 何をしている?」
「短剣? お前まさか、司祭様を――」
司祭の悲鳴に気づいた兵士たちが、ゴブリンとの戦闘のさなかにも、じりじりと近づいてきていたのだから。
彼らが気にかけるのも、当然だった。
イスカリオではないにせよ、強大な神聖力を持つ司祭の存在こそ、この戦闘を左右する最重要の変数。
今、目の前の女性を害そうとすれば、あの連中は全員飛びかかってくるだろう。
正体も分からない女に、復讐ですらない行いをして、逃げるにも中途半端な距離で兵士たちと入り乱れて戦う?
「いえ、流れの冒険者です。村が襲われたと聞いて、助太刀に来ました」
ダンテは、そんな馬鹿ではない。
兵士たちの警戒心は、一瞬で解けた。
「そ、そうか! なら、少し手を貸してもらえるか?」
「ゴブリンとはいえ数が多い、気をつけてくれ!」
「まずは突破されないように手伝って――……ん?」
防御の手薄な地点で多少なりとも力になってくれれば、それで御の字。
兵士たちが望んだのはその程度だったが……。
タタタタッ――!
ダンテは、兵士たちが指し示した場所とは、まるで違う地点へと走っていた。
防御? 突破されないように手伝う?
(イスカリオは、翌朝まで戦ったと言っていた。日が完全に落ちてゴブリンが一時的に退いた後も夜襲が続いて、眠ることもできず、極限の緊張状態で本気で死ぬかと思った、と。ということは、つまり――)
明日の朝まで、あの女と話もできないまま時間を潰せというのか?
自分の性格上、そんなことを許せるはずがないだろう!
「キイッ?!」
ゴブリンの一匹が、駆けてくるダンテを見間違いかというように首をかしげた。
数的に劣勢な人間側から飛び込んでくる理由がない……というのが、やつらの本能的にも当然の判断であり。
ザシュッ――。
その本能のせいで、ゴブリンの眉間には風穴が開くことになった。
突如、バリケードの向こうから飛び込んできた人間一人。
「キ、キイッ! キイッ!」
「キキキ――ッ!」
「キイイイイ!」
ゴブリンたちは態勢を立て直し、素早くダンテを包囲しようとした。
だが、取り囲む陣形が整うより先に、ダンテはすでに動いていた。
振り下ろされる棍棒を、軽く体をひねってかわし、そのままゴブリンの腕、そして肩口に一突きずつ。
「キイイイイ――!」
ドゴォッ……!
苦しむやつをあえて殺さなかったのは、そのまま蹴り飛ばして、別のゴブリンへ押しつけるためだ。
「キ、キィッ!」
まだ死んでいない同族をどうしていいか分からず、そのまま抱き留めてしまうゴブリン。
ダンテはそこへ駆け込み、跳んだ。
とんぼを切りながら伸ばした短剣の先が、正確にゴブリンの脳天の急所を捉えた。
「キイイイ……」
着地と同時に、負傷して転がっていたゴブリンの背中を突き刺して、仕上げ。
(ステータスが低いと、ゴブリン相手にも曲芸をやらなきゃならんとはな。まったく)
【レベルが上がりました】
(それでも六匹でレベルアップなのは前と同じ、と……。とりあえず力と敏捷にちょっと振るだけでも~!)
【ステータス】を開き、五つのポイントを力と敏捷に振り分ける間も、ダンテは止まらなかった。
集団を相手にするとき、最も重要なのは包囲されないこと。
そして、やつらに落ち着く時間を与えないこと。
いつの間にかダンテの左手に握られていた棍棒が、また別のゴブリンの後頭部をかち割った。
「キイイイ――ッ!」
「キ――ッ」
それをぼんやり見ていようものなら、右手に握られた短剣がゴブリンの顎の下に潜り込み、鼻まで貫通する風通しのいい穴を開けている始末……。
たかがレベル一つ上がっただけで、ダンテの動きは目に見えてダイナミックに変わった。
「キ、キイッ?」
「キイッ! キイイッ……」
ゴブリンたちの、魂が抜けるほどだ。
裏を返せば、あっという間に味方になった兵士や村人たちから見れば、どうだろうか。
「……速い」
「いや、速いんじゃない。動き自体はそれほど速いとは言えないが――」
「効率的、なんですよ。何もかもが、ものすごく」
「まだ若そうなのに、何なんだ……。海千山千の傭兵にもできない動きを……」
文字通り、戦場の時間がしばし止まってしまった、と言うべきか。
みるみる増えていくゴブリンの死体を、彼らは夢でも見ているかのように見つめていた。
いち早く我に返ったのは、一人だった。
「な、何を見ている! あの若者もあれだけやってくれてるんだぞ! さっさと押し返せ! 日が完全に沈めば、やつらはもっと厄介になる。突撃!」
駐屯部隊の指揮官も、ようやく正気に返って叫んだ。
その咆哮を聞いて、ようやく兵士たちと民兵団の若い男たちが、慌ててバリケードの外へと繰り出した。
「と、突撃! 突撃!」
「皆殺しだ! 押し返せ!」
「俺たちの村は、俺たちが守る!」
やがて、ゴブリンたちは追い立てられ始めた。
ダンテも、変化していく状況を即座に把握した。
(イスカリオのやつ、死にかけたとか何とか言ってたが……この程度なら、そこまで苦しい水準でも――ん?)
自分が聞いていた状況に比べれば深刻ではない、という判断が下った、まさにその矢先。
「ぐああっ!」
「クソッ、ホブゴブリンがいるぞ! う、後ろへ下がれ!」
「ホブゴブリンだ! それも多数!」
ホブゴブリンが、多数?
ダンテは、生唾を飲み込まねばならなかった。
(……こいつは、まずいな)
少なくともイスカリオは、裏切りはしても嘘はついていなかった、ということが分かった。
ホブゴブリンが、十匹。
小さな村落で相手にできる規模ではない。
***
ホブゴブリンは、ただのゴブリンより図体が大きいだけの存在ではない。
物理的な力は五倍以上。脳みそも大きくなったぶん、戦略・戦術にも長ける。
ホブゴブリンが十匹いれば、陣形を組んでオーガの三、四匹すら殺せるほど強力なのだから……。
「ホ、ホブゴブリンが十匹だ! クソッ、下がれ! 下がれ! バリケードの後ろへ!」
まさに今、この小さな村にオーガ三、四匹以上が襲撃してきたのと同然の状況になった、というわけだ。
駐屯部隊のヒゲの指揮官は、顔を歪めるしかなかった。
「住民の避難は終わったのか?! 援軍は?」
避難さえ完璧に済んでいるなら、村を捨てたほうがましだ――という計算の最中、ということ。
「ひ、ひとまず近くへ誘導はしましたが……全員が避難できたかまでは分かりません。援軍は、どんなに早くても明日の朝にならないと……」
だが、確信が持てない。
この混乱の中、誰か一人でも残っていたら。
逃げそびれた子供が、一人でもいたら。
「クソッタレ……。まずは――。その、まずは……!」
ヒゲの指揮官は何か言おうとするが、そう簡単に命令が下せるはずもなかった。
ホブゴブリンが、十。
ただのゴブリンたちも、いつの間にか再編成を終えていた。
『若い冒険者』が活躍したとはいえ、それで逆転できるほどの状況ではない。
同じような悩みは、ダンテも抱えている最中だった。
(イスカリオがいたとしても、狩れる数じゃない。どうやったんだ?)
当然だった。
ホブゴブリンたちは、ただのゴブリンを送り込んで、様子を見ていたのだ。
ただのゴブリンで制圧できるなら、それで良し。
もし駄目なら、自分たちが出ていく。
ただ、前回はホブゴブリンたちが出ようとするタイミングと援軍の到着がぴったり重なったせいで、退かざるを得なかった。
時間もちょうど、日が昇る頃だったから。
だが、今は?
ダンテが活躍しすぎたのが、災いした。
「ニンゲン、フーッ、コロス」
「ヨルは、フーッ、マゾクどもの、フーッ、ジカン」
夜は、これからが本番だ。
昼より凶暴に、強力になったモンスターどもの時間だ。
月明かりも乏しい夜――闇を見通す、やつらの時間。
(逃げるか……。クソッ)
逃げようと思えば、逃げられる。
だが、一人でか?
そうなれば、イスカリオの「席」にいるあの女は死ぬだろう。
逃げようという説得を、聞くような相手でもなし。
(あの巨躯を無理やりどうにかするってのも、なあ)
手首をつかんで走れるような相手でもないのだから。
だとすれば、ホブゴブリンを食い止めるしかない、という話になるわけだが……。
【クックックック。忘れているようだな、人間】
「あ?」
【お前が味わった生を思い出せ。そして、もっと生を渇望しろ。もっと多くの生に、執着しろ】
暴食の七罪宗、ベルゼブブが言った。
***
「ふ、防げますか、隊長?」
「……防ぐしかあるまい」
「ですが、ホブゴブリンは負け戦はしないんですよ! 今、この時間に出てきたってことは、勝てる計算が立ったから――」
「モンスターより頭が悪いと自慢する気か?」
「――そうじゃなくて……」
ホブゴブリンの特性をよく知る兵士たちの反応は、当然のものだった。
そしてその恐怖は、瞬く間に伝染した。
ただでさえ戦闘に不慣れな、それも勝利の快感を一度味わってしまったぶん、絶望がより大きくなった民兵団へと。
武器を握っているとはいえ、ただの村の青年たちが勇気を振り絞るのは、簡単なことではないはずで。
「引くわけにはいかん! せめて我々が……時間だけでも稼――。む?」
ヒゲの指揮官は、一席ぶって兵たちの士気を引き上げようとした。
だが、目に留まるものがあった。
すっかり濃くなった闇の中でも目を引く、ほのかな金色の光。
若い冒険者? やつから、光が?
ヒゲの指揮官がダンテをまじまじと見つめる頃には、すでにその光は消えた後だった。
ダンテは、服の襟元をぐっと整えながら言った。
「皆さん、ひとまず俺が一回、食い止めてみますね」
「ニンゲン、フーッ、コロス」
のしのしと歩み出てくるダンテを見て、ホブゴブリンが言った。
ダンテは、ぎこちなく笑うしかなかった。
眼前にあるホログラムのウィンドウを、見つめながら。
「俺の人生も、ほんっと波乱万丈だよなあ」
シュウウウウ……。
どこか緑がかった煙が、ダンテの体から噴き出し始めた。
【味わった生を消化します】
【対象生命体:ゴブリン】
イスカリオの行方は謎のまま、ホブゴブリンが十匹湧きました。
過去に戻っても残業させられる、それが勇者という職業です。
次回、勇者が『せめて焼かせてくれ』と懇願します。




