第3話 復讐まで、あと九歩
あちこちで、すでに戦闘の真っ最中だった。
死んで転がる村人たち。
ゴブリンをかろうじて押し返す駐屯兵力。
その兵士といっても三十そこそこ。村の男たちに農具でも握らせて編成した民兵団を合わせても、百に満たない。
(ゴブリンは確か、二百弱だったと聞いた気がするが)
数年前、世間話のつもりで話して流した内容だ。
親睦を深めるために消費した話題だ。
当然、正確な情報を覚えているはずもなかった。
ただ「かなりきつかった、本気で命が危なかったかもな」という、イスカリオの声だけがダンテの頭を巡っていた。
訓練の行き届いた軍勢が百はいて、ようやくゴブリン二百を相手にできる。
つまり、民兵団を含めた百では、数的に劣勢。
そのうえ、ゴブリンの奇襲でいまだに混乱している状況ときた。
(確かに危なかったんだろうな。イスカリオのやつ、ここでくたばってくれてれば、いっそ――いや、待て。そうなってたらキメラ・ヒュドラを狩るとき、俺が死んでたか)
イスカリオへの呪詛を吐きながらも、同時に、彼とともに切り抜けてきた旅路が思い浮かぶダンテだった。
「キィッ! キイイッ!」
「キイッ!」
「ひ、ひいい、来るな、来ないでくれ!」
そんな中、聞こえてきたのは、ゴブリン三匹に脅かされる一家の声だった。
板切れ一枚を持って振り回す父親。
「頼む、早く逃げてくれ、頼むから! 父さんと母さんがここにいるから、早く!」
「やだ、父さんと母さんと一緒がいい、母さんと一緒に! うえええん!」
鍋を振り回す母親。その後ろに、五、六歳になるかという娘。
ゴブリンたちは、涎を垂らしながら近づいた。
父親がブウン、と板切れを両手で振り回すが、見え見えの遅い攻撃を食らうゴブリンではない。
軽々と後ろへ下がり、粗末な棍棒でゴッ――!
「ぐうっ」
その一撃で、父親は板切れを取り落としてしまった。
ガタガタと震える一家に向かって、ゴブリンたちは一歩、また一歩と近づいた。
そして、錆びた剣を突き出した。
「キイイイイ――ィッ?!」
プスリ。
錆びた剣を突き出していたゴブリンの胸に、穴が開いた。
突き破って出てきたのは、短剣の切っ先だった。
「キッ?! キッ、キキイッ!」
横にいた別のゴブリンが騒ぎ立てた。
ダンテの手には、すでに先に死んだゴブリンの錆びた剣が握られていた。
「よりによって忙しいときに……。夢見が悪くなるだろうが」
「キイッ!」
ゴブリンが棍棒を振り回すが、今度はダンテが軽く後ろへ下がってかわした。
錆びていても、短剣よりは長い。
それを、ダンテが握った。
「ふっ、と」
基本的なリーチの差が、出ないはずがない。
一歩ぐっと踏み込みながら体を前へ。同時に繰り出される突きを、ゴブリンはどうにか避けようとしたが、すでに剣先はやつの腹をえぐっている最中だった。
「キイイイイッ!」
最後に残ったゴブリンが飛びかかってくるのを、ダンテは前蹴りで押し返した。
転がったのはゴブリンだが、顔をしかめたのはダンテだった。
(いくらステータスが低いからって……ゴブリンを蹴っただけで足首にくるとはな。イスカリオに会えたからって目の色変えて突っ込んだら、俺のほうが先に死ぬぞ、これ)
自分の状況を、冷静に把握しなければならない。
ゴブリンのおかげで改めて気づかされた事実に感謝しつつ、ダンテはその首筋を短剣でかき切ってやった。
ドロリ……と流れる緑の血が、ダンテの手を濡らした。
脅かされていた一家は、ダンテに向かって何度も頭を下げた。
「あ……ありがとうございます。ありがとうございます、騎士様!」
「ありがとうございます! ありがとうございます! 本当にありがとうございます、騎士様!」
「騎士なんかじゃありませんって。怪我がないなら早く行ってください。まあ、防衛は成功するでしょうけど、危ないですから。チビちゃんをしっかり頼みますよ」
「もちろん、はい、もちろんです、はい!」
ダンテは気恥ずかしさに手を振りながら、再びイスカリオがいるはずの駐屯軍へと走った。
「いやだから、騎士じゃないんですって。それより――。うぐっ、ぺっぺっぺっ!」
その瞬間、ゴブリンの血の一滴が、跳ねた。
ダンテの口の中へ。
【生を味わいました】
【暴食の刻印:1 (+1)】
ホログラムのウィンドウが、開いた。
***
暴食の刻印。
忙しく動いていたダンテの足を、止めるほどの単語だった。
もちろん、ただ立ち止まったわけではない。
ダンテの手のひらの上には、いつの間にか短い黄金色の毛のネズミが一匹、乗せられていた。
「何だ、これは」
味わう。暴食。そして、刻印。
ベルゼブブと関係が、ないはずがない。
だとしたら、用途は? 効果は?
【クックックック】
ベルゼブブが笑った。
ダンテも、笑い返してやった。
両手で野球ボールを握り込むように、手を組み替えながら。
【良いものだ】
ベルゼブブは、押しつぶされた顔で言った。
「詳しく」
【私が何と言ったか、覚えていないのか、人間?】
誰よりも生を望むがゆえに。
誰よりも渇望し、執着するがゆえに。
暴食するのだ、と言っていた。
「言葉遊びは終わりだ。ハムになるか、ならないか。二つに一つだ。話せ」
再びハムスターを握って投げ飛ばす寸前、ベルゼブブは叫んだ。
【ば、馬鹿者が! 貴様らが私を攻撃したとき、どうだったか思い出せ!】
ピクリ。
ダンテが攻撃したとき。
仲間たちが攻撃したとき。
ベルゼブブが、どうだったか?
「……まさか?」
【運が良かったな、私の刻印とは。もしこれが色欲、あやつの刻印だったなら、貴様は――】
「で、何で『刻印』なんだ? お前にも良いことがあるんじゃないだろうな。どう見てもこれ、裏がありそうなんだが?」
ベルゼブブの戯言を遮って、ダンテは尋ねた。
【……チュー?】
そして、黄金色の毛のハムスターは小首をかしげた。
「ああもう、このネズミ公が本当に――」
【チュ、チュー! チュチュッ!】
諸刃の剣。
ダンテ自身も何らかの力を使えるようになるが。
同時にベルゼブブにも、何らかの力が生じる構造だと理解するのが正しい。
だとすれば、方法は一つだ。
「オーケー。まずは検証からいこう。もし俺のほうが不利な構造なら、お前はその瞬間に死ぬ」
【クックックック】
七つの大罪が一、暴食は笑った。
ダンテは軽くため息をつきながら、再び走った。
暴食に狂ったネズミ。
ちっぽけなハムスター一匹になってしまった、七体の魔王の一体。
「チューチュー言うならチューチューだけ言え。喋るなら喋るだけにしろ。紛らわしいんだよ」
【チュ~ウ?】
もしかしてこいつ、楽しんでいるんじゃなかろうか。
合理的な疑いを抱くダンテだった。
***
「矢を補充してくれ!」
「左側注意! 柵を回り込むやつらがいる、止めろ!」
「槍! 槍兵! 早く!」
怒号、悲鳴、気合、剣戟の音が入り乱れて広がった。
文字通り命を懸けた、ゴブリンの前進を食い止めるための死闘。
もっとも、ダンテが乱入するつもりはなかった。
イスカリオを見つけ出して「仕事」をするためには、この乱戦が続いてくれたほうが都合がいいのだから。
(それにしても、えらい騒ぎだな。昔の俺なら、一発で全部薙ぎ払えるってのに)
世界樹の枝から作った弓と矢。
たった一本、空へ放つだけでも矢の雨となって、やつらを殲滅するだろう。
巨人族が製錬した隕石のハンマー。
地面をドン、と叩きつければ、ゴブリンどもはまとめて地中に消え去るはずだ。
シルバードラゴンの歯? あれは使うまでもない。
ゴブリンごとき、歯からにじみ出るドラゴンの威厳だけで、一目散に逃げ出すだろうから。
そのすべては、ダンテが手に入れた物だった。
ただ、自分ひとりで使うには効率が悪い気がして、仲間たちに分け与えただけで。
(クソッタレども。ムカデ人間になったとき、気づくべきだったんだ。あいつらだけで随分と仲良しこよしを……)
死ぬ前の状況を思い出して、つい愚痴りたくなる気持ちが湧いたが、ダンテはすぐにやめた。
今、考えることじゃない。
今考えるべき人間は、一人だ。
(雑念を捨てろ。イスカリオに集中する)
肘から先を斬り飛ばされた兵士が、よろめきながら後方へ歩いてきた。
「ぐ、ぐううう……腕が――。治療、治療を――」
「重傷者はあっちだ! 司祭様のところへ行け、早く!」
指揮官格の兵士がどこかを指しながら、彼を送り出した。
身を潜めていたダンテも、自然とその指先を目で追った。
(見つけた)
慌ただしい戦場でも、目立たずにはいられない特徴。
少なくとも190cmは超える巨躯と、あの特有の重々しいメイス、そして盾。
(六年間いろんな司祭を見てきたが、あんな無骨な武器を使うのは、あいつだけだった)
そこらの傭兵の武装よりも、さらに堅牢に着込んでいるのが特徴。
後衛が安全であってこそ前衛も安心できるという主張で、自分の身は自分で守ると言っていた男だ。
(今日はその心がけが、お前を殺すことになるぞ、イスカリオ)
ダンテは慎重に、身を潜めて動いた。
幸いなことに、前線はこれ以上押し込まれてはいなかった。
壊れた荷馬車や家具、扉などで作った簡易防壁を境に、兵士たちは二倍の数のゴブリンの攻撃を、適切に食い止めていた。
つまり、ダンテが兵士たちの後方で静かに動くには、おあつらえ向きの状況ということだった。
ドクン、ドクン。
(七罪宗を初めて殺しに行くときだって、こうはならなかったぞ)
七つの大罪、七体の魔王。
七罪宗の一体にして、ダンテたちが最初に討伐した【怠惰】を相手にしたときよりも、心臓が高鳴っていた。
緊張? 恐怖?
そんなはず、あるわけがなかった。
(復讐しに来たやつが、わざわざ名乗りを上げたくなる気持ちが分かる気がするな)
込み上げる感情――実のところ、興奮と怒りのせいと言うべきだった。
せっかく背後を取ったのに「父母の仇! このときを待っていた!」などとやらかす馬鹿どもの心境が、理解できてしまうほどだったのだから。
この六年間の経験が自分を鍛え上げていなかったら、鬱憤を晴らすためだけにでも、間違いなく叫んでいただろう。
俺の顔を見て、狼狽するあいつを見るために。
その顔を見ながら、あいつの命を絶つために。
(ふうう……。よし)
サク、サク……。ダンテは息の音すら殺して接近した。
「ありがとうございます、司祭様」
肘から先をばっさり斬られたまま治療を受けに来ていた兵士が、深々と頭を下げた。
その腕は、いつの間にか盾を握って自然に動いている最中だった。
この時点でも、やはり大した神聖力を発揮しているわけか。
(未来に聖者と呼ばれる人物を殺す、ときたか。バレたら異端審問官どもが総出で俺を殺しに来るだろうな)
ダンテは軽く自嘲した。
もはや心臓すら騒がない平常心で、ダンテは動いた。
「し、司祭様、足が――」
ふくらはぎの骨が見えるほど負傷した者が、再びイスカリオに治療を受け始めた。
チャンスは一瞬。おそらく、あの兵士が立ち上がって背を向けた直後。
次の重傷者が訪れる直前の、間隙。
ダンテは、待った。
治療は、それほど長くはかからなかった。
「ありがとうございます! 司祭様の、あ、愛を思いながら、また懸命に戦ってまいります!」
兵士はにこにこと笑いながら、覚悟を決めるように言った。
いささか、妙な感謝の言葉だった。
司祭様の、愛?
愛って、何だ?
いくらイスカリオでも、死者を蘇らせることはできない。
あんな冗談を言うには、死と隣り合わせすぎる状況じゃないか?――という考えも、一瞬。
兵士が背を向けた瞬間、ダンテもまた動いた。
イスカリオまでは、九歩でいい。
一、二、三、四、五。
タタタタタッ――。
刺す。
ヒュッ、その瞬間、司祭が身を翻した。
プレートメイルを着込み。
ゴブリンの胴体よりも太いメイスを持ち。
主神の紋章が刻まれた盾を構えた。
「き、きゃあああああっ――!?」
194cmの女性が、悲鳴を上げた。
「え、ええっ?!」
イスカリオじゃ、ない?
何だ、この女は? 誰だ!?
いかに戦闘機械のごとく鍛え上げられたダンテといえど、繰り出しかけた剣を止めるしかない――あまりにも、意味の分からない状況だった。
復讐対象に会いに行ったら、知らない人が立っていました。
二周目でも、世界の理不尽は通常営業のようです。
次回、194cmの女司祭に事情聴取(物理ではない)を試みます。




