第2話 2周目特典はハムスターでした
ふわふわと浮いているような感覚。
《フライ》をはじめとする浮遊魔法の類はさんざん経験してきたから、さして特別でもない感覚のはずなのだが。
(……生きてる。ベルゼブブの胃袋じゃない?)
ダンテには分かった。
闇の中でも確かに感じられる、自分の呼吸、脈拍、触感。
死んでいない。
(目を開けたら現実……に帰れる、そんな――)
久男。田中久男!
何やってんだよ、お前? 飲みながら寝落ちか?
カラオケでも行こうぜ、俺のおごりだ。
いつ呼ばれたのか、もう記憶もおぼろげな自分の名前を、また聞けるんじゃないか。
友人たち。家族。
彼女……には、まだなっていなかったあの子。
彼らに、また会えるんじゃないか。
田中主任、主任になったんだからもっと頑張らないとな? 期待してるよ?
田中主任! これ、誰がこうやれって言った? は? 俺が? ふざけてるのか!?
いや、主任にもなってこんなミスするかね、普通?
(あ。)
しっとりした感傷に浸ろうとしていたところに、やはり現実は冷たいものか。
改めて目の覚める過去の記憶とともに、ダンテは首を振った。
今すぐその名前で呼ばれることはない、ということ。
【 Credits (2) 】
眼前に見える文字は、ここがダンテの現実であることを刻みつけてくれたから。
フッ、と文字が消えた。
再び、闇だけが残った。
(今まで、この手のメッセージが見えたことはなかった)
おかげでダンテは、自分の思考に集中することができた。
まるで上から見下ろすような、ホログラムのメッセージ?
このクソッタレな世界に放り込まれて六年、どれだけ足掻いても見えたことなどなかった。
なのに、今さら?
不満はそこまでにして。
(とにかく、小説や漫画の類じゃなかったわけだ。ゲームなら、なお良し)
ダンテは素早く自分の状況を整理することができた。
ゲームなら、確固たる目的があるじゃないか。
クリア条件が存在するはずだ。
(そうだ。ステータスがあって、レベルがあって、インベントリまであるゲームなら……クラシックにいくのが正解だろう。世界を乱す魔王を倒せばエンディング。やっぱり七罪宗を全員ぶちのめすのが、このゲームの目的のはずだ。どうりで、あちこち旅している間ずっと勇者様~勇者様~って呼ばれてたわけだよ。勇者として魔王どもを殺すのが、エンディングを見る条件のはずだ)
目的を達成すれば現実へ、元の世界へ帰してくれるんだろう?
……。
ゴクリ。
ダンテは思わず生唾を飲み込んだ。
そこまで考えが至ると、浮かんでくる疑問……。
誰が?
(……金を入れたやつが?)
それとも、ゲーセンの店主?
チャリン、チャリンと、コインが入っていく音を覚えている。
誰が今、筐体の前でコインを入れているんだろうか?
(いや、今どきゲーセンの筐体を探すほうが難しくないか? そもそも俺は帰宅途中だったんだぞ。うちの近所にゲーセンなんてないのに!)
くだらないことを言いながら手足をばたつかせたのも、束の間だった。
闇の彼方に見える、小さな点がひとつ。
それは瞬く間に大きくなり、光の入り口となった。
ダンテの体は、そこへ向かって吸い込まれ始めた。
(実はここがベルゼブブの胃袋で合ってて、あれがベルゼブブのケツの穴、とかじゃないだろうな? 糞になって排出される絵面は、さすがにちょっと――)
ありえないことを考えながらも、ダンテは受け身の姿勢を取った。
───────────……!!!!
ガクン、と最初に感じたのは、やはり重力。
立った。
少し見慣れない気もするが、記憶の中には確かにある場所が見えた。
ダンテは眉間を寄せて呟いた。
「でも《コンティニュー》なら、死んだ場所から再開すべきじゃないのか? 体力全回復、必殺技の類もきっちり補充してくれてさ。ゲーセンにも行ったことないやつが作ったのか……?」
六年前、初めて憑依した、まさにその日。
あのとき見た小さな村に、ダンテは立っていた。
***
日が沈みかけていく時間。
村の入り口。
(すべてを覚えているわけじゃないが、この日を忘れるはずがない)
憑依した、まさにその日。
ダンテは周囲を観察・警戒すると同時に、自分の状態をチェックした。
すり切れた革靴、よれよれの服、鞘から抜いたところで刃こぼれした短剣……。
あのときと、同じ。
(ステータス)
【ダンテ】
─レベル:1
─職業:冒険者(F)
─能力
力:6 敏捷:5
体力:8 魔力:3
知識:4 正確:5
意志:10 運:4
─特記事項:なし
正確な数値までは覚えていないが、このしょぼさから見て、あのときと変わりないはず。
ダンテは即座に次へ移った。
(スキル)
─スキル:なし
─耐性:なし
保有スキル、保有耐性なし。
あのときと同じ。
(インベントリ)
アイテム欄の干し肉五つも、あのときと同じ。
「過去に戻って――きたぁ!? 何だ? 何だこれ?!」
違う点は、たった一つだった。
よれよれの服の中に感じる、微妙な温かさ。
何かがもぞもぞと動く、どこか心地よくもあり、鳥肌も立つこの感覚。
ダンテは本能的に服の中へ手を突っ込み、それを取り出して放り投げた。
【チュ、チューッ!】
チュー?
そこでようやく、地面にべちゃっと落ちたそれを見ることができた。
黄金色の毛。
小さくて丸っこい体。
黒い豆粒の目とピンク色の鼻が印象的な……。
「ハムスター? いや、まさかな」
ダンテはゴールデンハムスターに酷似した生命体の、背中の皮をつまみ上げた。
呆れているのは、ダンテだけではなかった。
【チュー、チュチュッ、チュー!】
ゴールデンハムスター?
いや、砂漠の砂色のネズミ。
こいつは、間違いなく……。
「おい、七罪宗」
七体の魔王の一体。
七つの大罪の顕現。
【はあ……そうだ。ベルゼブブだ】
暴食に狂ったネズミ、ベルゼブブが口を開いた。
状況を理解できない人間と七罪宗が、ただ互いを見つめて瞬きだけを繰り返していた。
【クックック、なぜ黙っている? 私が恐ろしいか、人間?】
「はっ。ゴー・ルデンハムスターごときが、何を――」
【ゴ、ゴールデン、何だと? 無礼者め! いいから放せ】
「何で俺が?」
【ぐぬぬ――。放せと、放せと言っている!】
じたばたと暴れるハムスターの力の、なんと強いことか。
ダンテは結局、背中の皮をつまんでいたそいつを、手のひらの上に乗せてやらねばならなかった。
ぜえぜえと息を切らすハムスターを見ていると、ダンテは笑いも出なかった。
これは一体、どういう状況だ?
そのとき、ふと頭をよぎる考えがあった。
「……クソが。六年前に戻ったんじゃない。死んだんだ、俺は」
【……何?】
「これは夢だ。俺はもう死んでる。ちくしょう」
夢か。
だから、か。
どうりで、この六年間見えもしなかったコンティニュー~とかいうホログラムメッセージが見えたり。
ゲーセンのコイン投入音が聞こえたりしたわけだ。
死ぬ間際に駆け巡るという走馬灯が、ちょっとばかりリアリティを増した、そういうことなんだな。
「どうせ見せてくれるなら、もっと昔を見せてくれよ……。この日を見せられても別に懐かしくもないのに、何でわざわざ――。いっ!?」
瞬間、感じるチクリとした感覚。
痛い。
痛い?
ダンテは指先ににじむ血の玉を見た。
ハムスターがガブリと噛みつき、にじみ出た血。
ハムスターはあまつさえ、それを二度ほど舐めた。
【しっかりしろ、人間。そして、どうなっているのか説明しろ】
「……説明しろって。何をだよ」
【この状況をだ。なぜ私が……なぜ、こんなことになった?】
「それはこっちが聞きたい……。いや、待てよ」
瞬間、ダンテの頭に浮かんだ言葉。
【2周目特典として、一つだけ持ち帰ることができます】
そうだ、死んだんじゃない。
あの闇の中でも、確かに生きていることを感じた。
自分はベルゼブブのケツの穴から排出されたわけじゃない。
持ち帰る、と言った。
帰ってきたのだとしたら。
(六年前、このイカれた世界に初めて落とされたあの日に、戻ってきた?)
ベルゼブブと、一緒に?
(いや、いやいや、でも何でベルゼブブなんだ? それこそ意味が分からな……)
ダンテは考えた。
この状況が起きる前、何を、どのように、なぜしていたのか。
もぞもぞと呑み込まれていく、あの感覚。
持っていたすべての装備が、すべてのアイテムが溶けて消えた。
ベルゼブブに、全部吸収された。
そうして、糸一本まとえない体ひとつで……。
【聞いているのか、人間?】
こいつに、喰われていたんじゃないか。
「おい」
【……何だ? 私に向かって――】
「おい」
【――チューッ!?】
ダンテはそのまま、ハムスターの背中の皮をつまみ上げた。
じたばたともがくが、さっきとは違う。
ダンテの目つきは、すでに変わっていた。
「ベルゼブブ。俺がお前を生かしておく理由は?」
【チュー、チュチュ! チュッ!】
暴食に狂ったネズミ、七罪宗が一体。
生かしておく理由がない。
「今さら猿芝居はやめろ。理由がないなら、お前を殺す」
生かしておく理由があるとすれば、一つだけだ。
自分の役に立つこと。
スラリ――短剣を抜いてハムスターに突きつけるまで、その動作は流れるようにつながった。
ダンテの、本気。
それをベルゼブブが感じ取れなかったはずはなかった。
【お前のやり方では、やつらを――我々を殺せないからだ!】
暴食の悪魔は叫んだ。
ダンテが最も食いつくであろう情報だった。
「そうか。『旅路』がどうとか言ってたな。あれがどういう意味か、言ってみろ」
【順序が違うと言っているのだ、順序が!】
「順序? 言ってみろ」
【私が話すとでも?】
チューッ、とベルゼブブは威風堂々とした表情で言った。
ダンテの手に、ぶら下げられたまま。
ダンテはニヤリと笑った。
「……お前、ハムスターの『ハム』が何のハムだか、考えたことないだろ? 今日はその意味を、身をもってきっちり教えてやろうか?」
【は、放せ――! 放せーッ! チューッ!】
ベルゼブブはじたばたともがいた。
この態度や姿はともかくとして、その言葉に込められた重みだけは本物だ。
実際、ダンテはベルゼブブの討伐に失敗したのだから。
そして、死んだのだから。
裏切られて。
じたばたするハムスターは、そういうことが二度と起こらないようにしてやれる、という取引を持ちかけているのだ。
【話したら私を殺すくせに、話すとでも思うか?】
自分の命を懸けた駆け引き、とでも言うべきか。
ダンテは切り返した。
「話さなくても殺せるのに、俺がお前を殺せないとでも思うか?」
【私は七体の魔王の一体。暴食のベルゼブブだ。貴様の知らぬ数多の秘密を知る、古の悪魔。私を殺すのは、容易ではないぞ】
ハムスターは、宙にだらんと垂れた体で凄んでみせた。
やはりその言葉に真実が宿っていることだけは、事実だった。
「……なら聞くが。今が六年前だとしたら。お前はこの時点で、すでに『暴食』として悪名高い魔王だった。なのになぜ今、ここにいる? じゃあ、この時間軸の……? 現在? 今の『暴食』は何だ? 誰だ?」
その仕組みは分からずとも、今は六年前のあの日だ。
つまり、時間が六年、巻き戻ったのだ。
それなのに、ベルゼブブが今ここにいるとしたら?
この世界の【暴食】は、どうなっている?
【知らん】
「よし、ぶん投げるか」
【チュ、チューッ!】
ダンテは投球フォームを取りかけて、やめた。
どのみち、この『ハムスター』は特殊な能力によって手に入れたものだ。
この騒ぎでも逃げていかない、ということは?
(俺の所有物……離れられない、ってことだろう。【2周目特典】ってのも、そういう意味のはずだ)
帰属。
殺すのは、いつでもできる。
今、急ぐ必要はない。
「きゃあああっ――!」
「に、逃げろ! ゴブリンだ!」
「兵士様たちに知らせろ! ゴブリンが襲ってきた!」
何より、村の向こうから沸き起こる騒ぎのせいで、集中もできなかった。
ダンテは当然、知っている出来事だった。
「ああ、こんなに早く始まったんだったか」
憑依初日から巻き込まれた騒動――ゴブリンの村襲撃。
あの真に迫った悲鳴に小便をちびりかけて、すぐさま逃げ出したあの日。
ゴブリンは、一匹も殺せなかった。
文字通りただ走って、走って逃げたのが、一周目の自分だった。
それでも、その後の六年間それなりにうまくやってきたことを考えたら?
(あえてここでゴブリンを相手にする理由……が、ある)
身をひるがえして前回のように逃げようとしたダンテの体が、止まった。
その目つきが、変わった。
(そうだ、そういえば……。あの野郎)
ザッ、ザッ、タッ、タタッ、タタタッ――!
ダンテは速度を上げて走り始めた。
あのときは、知らなかった。
だが、この村にも駐屯軍がいる。
そしてその駐屯軍には、兵士たちの回復を担当する司祭も派遣されている。
一周目のときは、この時点では出会えなかった。
時間がずいぶん経ってから「あれ、あそこにいたの?」と、笑顔で言葉を交わした記憶がある。
その笑顔を、ダンテは覚えている。
「イスカリオ」
忘れようにも忘れられない人間が、すぐ近くにいる。
2周目特典:ゴールデンハムスター(中身:古の大悪魔)。
ペットにしては口が悪く、魔王にしては丸すぎる相棒との旅が始まります。
次回、勇者は「絶対に忘れられない顔」と再会します。……本当に?




