第10話 うっかり人たらし
ベルデは、戦略・戦術については何一つ分かっていない。
プライドが高く、貴族としての自負ばかりが先走る間抜けだ。
だが、ただ一つ。その剣術だけは、本物だ。
最年少騎士団長は、血筋だけでなれるものではない、という意味だ。
(ホブゴブリンの肉体でも、ぎりぎりとはな)
モンスターどもが魔窟から飛び出し始めて以来、籠城戦ではなく野戦での迎撃にこだわったのも、何だかんだで「自分の腕」への信頼があったからこそ。
イスカリオから聞いた話では、稲妻のような突きが彼の得意技ではなかったか。
だからダンテは、ベルデを挑発しながらも、決して緊張を緩めていなかったわけだ。
最初の一撃、あの一突きを、身をひねって躱すために。
(思ったより、やるじゃないか)
そしてこの時点で、ベルデに対するダンテの評価は多少変わった。
天下の間抜け、大馬鹿者かと思いきや。
少なくともその腕前だけは、予想以上じゃないか?
ダンテは、ベルデの剣術に驚いた。
だが、こんなものは驚いたうちに入らなかった。
「躱し……た……?」
「だ、団長の突きを――」
「騎士団の中でも、反応できる者はいないのに……」
ベルデの実力を知り尽くしている者たち。
騎士たちは文字通り、我を忘れて感嘆している最中だったからだ。
運で躱せるものではない。
偶然、避けられるものではない。
「どう、やって……」
それを誰より分かっているのは、言葉を失ったベルデ本人だ。
ダンテは、ひょいと手を挙げた。
まだあどけなさの残るその顔が、恐怖に一瞬ひくついた。
だが、彼が防ぐべきものは、何もなかった。
ダンテの手に握られていたのは、小さな布きれ。
「世界って、思ったより広いでしょう?」
ダンテはそれで、ベルデの頬を伝う冷や汗を拭ってやった。
そこでようやく、ベルデはふうっ、と息を吐き出した。
そして、極めて慎重な所作で剣を納めながら、問うた。
「お前……。何者だ?」
その納刀の動作だけでも、分かった。
つい先ほどまでの、天を衝くような傲慢さは消え失せていた。
「サソ村みたいなド田舎でホブゴブリンを処理した、誰かさんです」
「ふざけ――ふざけずに、答えろ」
つまり、ベルデは理解したということだ。
「ダンテ。冒険者の、ダンテです」
先ほどの決闘で、ダンテが布きれの代わりに剣を握っていたら。
「……素手で決闘に応じてくれたこと、感謝する……。ダンテ」
汗を拭かれるのではなく、額に風穴を開けられていただろう。
自分は、死んでいただろう。
それを潔く認め、感謝までできる程度には、ベルデの剣の腕は本物だという意味。
(「貴様ごときが躱せるはずがないぃ~! 私を馬鹿にするなあっ、もう一回だ~!」とか、駄々をこねて大騒ぎするかと思ったんだがな……)
その微妙な変化もまた、ダンテにベルデをもう一度見直させる部分だった。
腕前だけでは、ない。
(態度や姿勢があれだけ真剣なら、確かに人を見る目も変わっ――)
「ふん。グシニ、サソ村の防衛は問題ないか」
(――やっぱり間抜けか?)
即座に鼻を鳴らして馬に飛び乗ってしまうベルデの姿に、ダンテは小さなため息が漏れかけた。
とにかく、当面の問題自体は解決したはず。
「はい、ベルデ卿」
「……分かった。副団長、戻るぞ」
「承知しました。全隊、帰還! 領主様の城へ戻る!」
残るは、領主への謁見だけだった。
少なくとも今のダンテには、予測できなかった。
六年前――ダンテの1周目で、あっけなく死んでいったあの鼻つまみ者が。
改心のきっかけを、手にしたということを。
***
オルガス伯爵は、権勢を誇る貴族ではない。
1周目の情報を全部ひっくり返しても、彼はジェネビア王国の伯爵の中でも、中の中がいいところだろう。
だが、その程度の貴族にとってさえ、実のところホブゴブリン10匹だの、ゴブリン百余匹だのは、さして驚くことではない。
彼の領地全体はもちろん、国家や大陸の単位で見れば、極めて微々たる、些細な案件だからだ。
「ふうむ……」
ゆえに、オルガス伯爵とその家臣たちは、驚かなかった。
少なくとも、グシニの目にはそう見えた。
だが、この六年の経験――1周目であらゆる上流階級と渡り合い、すれっからしになったダンテの目は、欺けなかった。
(まったく、そろいもそろって澄まし顔しやがって。驚いたなら驚いたと、素直に顔に出せばいいものを)
大したことのない、モンスターだ。
だが、「さらに大したことのない」サソ村が、単独で防衛したという点。
その部分では、オルガス伯爵とその家臣たちであろうと、驚かずにはいられなかったはずで……。
「サソ村が、単独で……」
「冒険者……」
ぎらつく瞳は、こぞってベルデに向けられた。
あの負けん気とプライドの塊のような騎士が大人しくしている、という点もまた、彼らの好奇心を刺激するには十分だった。
「ベルデ卿。ほ、本当に、卿と騎士団が到着する前に――」
「はい。出立の途中で、グシニと冒険者ダンテに会いました。私も虚偽……の可能性を考慮しましたが、彼の実力が本物であることは、確認済みです」
「ほう」
「実力の検証まで、済ませたと」
貴族家の外交や財務を担う準貴族たちが、ざわめいた。
ベルデの性格と同じくらい、その実力もよく知っているからこそ、なおさら驚くべき点だった。
「ダンテと言ったか。まずは、礼を言わねばなるまいな。私が……報告の内容を誤解し、危うくサソ村を大きな危険に晒すところだったのだから」
オルガスは、大いに満足げな表情で頷いた。
その中でもベルデを庇う、度量の広い、人の好い伯父貴の姿。
ダンテの知る、1周目のオルガスと同じだった。
「いえ。伯爵様が適切に派遣・配置なさった、グシニ殿はじめ兵士の皆さんの、的確な対応のおかげです」
だから、ダンテも場にふさわしい応対を返してやった。
冒険者には期待すらしていなかった話術と礼法に、オルガスとその家臣たちが思わず目をみはるほどだった。
「ほっほ、そう言われるとかえって面映ゆいな。して、冒険者と言ったが……明確な目的はあるのかね? もし、そなたの求めるものが、腰を落ち着けてもできることなら……私がじきじきに席を用意したいのだが」
すっかり上機嫌になったオルガスは、本格的にダンテを取り込もうとした。
ダンテは昔を思い出してふっと笑い、首を横に振った。
「残念ながら、立ち止まっては果たせない目標でして……。ただ、オルガス伯爵様にお心にかけていただいたこと、いつも胸に留めておきます」
「はっはっはっ! そうか。ならば仕方あるまい。もちろん、サソ村を救った冒険者をこのまま帰したのでは、私の面目も立たん……何か望みはあるかね? 私に叶えられることなら、何なりと報いよう」
オルガス伯爵は、呵々と笑った。
チョロいおじさんめ……。
「そこまでおっしゃるなら、お言葉に甘えまして……」
ダンテは言った。
サソ村でオルガス伯爵の恩恵を受けたことを証明する「通行証」。
サソ村のみならず、伯爵領を巡ってモンスターを討伐できる「装備類」。
そして広大な伯爵領の中でも、捜索兵の足すら届きにくい場所を探検し、伯爵のお役に立てるように、という「特定地点への捜索許可」まで。
実のところ、通行証と、装備と、行きたい場所に行かせてくれ。この三つである。
得るものは、すべて得た。
「よかろう。ただし、ダンテよ。そなたが捜索するその場所については、必ず……事後の報告もしてもらうぞ」
しかも、オルガス伯爵まで引き込んだ。
その場所から、のちに魔物が爆発的に湧き出す理由。
「はい、もちろんです」
ダンテは、知っている。
(怠惰のロバ、ベルフェゴール。やつの送り込んだ魔族ども……。あれをオルガス伯爵の兵で一部でも塞き止められるなら、こっちは万々歳だからな)
1周目と同じ流れになるなら、およそ一年後に魔物が湧き出すだろう。
そしてそれが怠惰のロバ、ベルフェゴールの差し金だと気づくまでに、さらに三年かかるはずだ。
(同じかどうかは分からんが……結局、それを確かめるためにも、行くしかない)
ダンテにとっては、事実上初めて七罪宗の痕跡を見つけ、その手がかりを追うことになったきっかけ。
本格的に七体の魔王を討伐する準備を始め、旅立つ動機となった、あのとき、あの場所。
「よし! 冒険者ダンテ。オルガスの名において、ジェネビア王国内の通行を保障しよう。はっはっはっはっ! どうか、私の名を輝かせる者となってくれたまえ!」
「ありがとうございます」
ダンテは、その場所を含め、大陸の一国を自由に行き来できる権限を手に入れた。
1周目、オルガス伯爵領から隣の領地へ移るだけで、まるまる9ヶ月かかったあの頃とは、比べものにならない成長速度だった。
***
〈オルガス伯爵印入りの通行証(等級なし)〉
〈鋭い鉄剣(B)〉
〈なめしの良い革鎧・革靴(B)〉
〈柔らかな綿の服(A)〉
〈30ゴールド〉
ホブゴブリンの魔石10個と、その他ゴブリン討伐の証を渡して受け取った品々。
ダンテは服を着替え、装具を身につけながら、にこにこと笑った。
(ホブゴブリンの魔石10個なんて、せいぜい20ゴールドになるかどうかだろうに……太っ腹だねえ、うちの伯爵様は)
装備などは、褒賞として与えるものだと言っていた。
だが、正当な討伐の対価はその値を払うべきだと、わざわざ相場より高い値でダンテに「小遣い」を握らせたオルガス伯爵だった。
(まずは魔窟の候補地を調査しつつ、ついでにレベル上げの狩りもして――。ん?)
ようやく自分の望む「基本装備」が揃ったのだから、次は計画を着々と進めようというダンテだった。
そんな彼の視界に入ってきたのは、プレートメイルをはじめとする高価な装備で全身を固めた騎士だった。
オルガス伯爵城の出入り口で、騎士と兵士たちを整列させたまま。
ベルデは、馬に跨っていた。
もう一頭の馬を、用意した状態で。
ダンテは冷ややかな眼差しで彼を見て、言った。
「何か御用ですか?」
腐っても貴族にして騎士、しかも団長。
こんな場所でまで、その名誉を無下にはできない。
ベルデもまた、鋭い眼差しで問うた。
「探索するというその場所へは、なぜ行く? 何の理由もなく行くはずがなかろう」
ダンテは、しばし考えた。
ベルデ。
剣の腕だけは、本物だ。
未来のことを考えるなら……。
「怠惰のロバに関する情報が、あるかもしれないからですよ」
さりげなく真実を流しておくのも、悪くない手かもしれない。
ベルデを含む、オルガス伯爵騎士団がざわつき始めた。
「た、怠惰のロバ?」
「それって……七つの大罪の?」
「いやいや、一介の冒険者が――」
「だが、ただの冒険者じゃないだろう。あの腕前は……」
信じるべきか?
信じられない。信じがたい。
その騒めきの中で、ただ一人だけが、頷いた。
「そうか。行くぞ」
ベルデは馬を進めてダンテに近づき、主のいない馬の手綱を差し出した。
ダンテは、首をかしげた。
行く? どこへ? 一緒に?
ダンテは、ただ思っただけだった。
【行くとはどこへだ? ベルフェゴールの痕跡を探すのに、なぜあんなマヌ――】
「今、何と言った?」
【――むぐっ、チュー!】
まったく同じ考えを、よりによってブブが口に出してしまったのが、問題だった。
「何と言ったのだ、ダンテ?」
ベルデは、殺気立った目で睨みつけた。
ダンテの瞳が、ぐるぐると泳いだ。
「マヌ……カン。マヌカンみたいな色男だ……と、言ったんですが」
彼にできる、精一杯の言い訳だった。
そして、不幸か。
幸いだった。
ベルデは、ブブが喋ったとは気づかなかった。
「喋るハムスター」の秘密は、守られた。
だが、どこか不幸だった。
「……そ、そうか」
マヌカンみたいな色男――ダンテの、褒め言葉ともつかぬ褒め言葉に、ベルデはその顔をわずかに赤らめたのだから。
罵倒をとっさに褒め言葉へ変換する技術、社会人スキルの最高峰だと思います。
次回、いよいよ「怠惰」の痕跡へ。本格的な旅の始まりです。




