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信じないでください、私の話を  作者: あゆと


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7/8

番外編 アルベルトの手紙 最後まで読んでほしい

 君を責めたいのではない。最後まで読んでほしい。


 そう書き出しても、君はきっと疑うだろう。白薔薇の間で婚約を解いた男が、今さら責めたいのではないなどと書いて、何を信じろというのか。そう思うだろうし、そう思われても仕方がない。だが、私は君を断罪したかったわけではない。これもまた、君には言い訳に聞こえるかもしれない。


 セレスティア。私は、君が悪意を持ってすべてを行ったとは思っていない。


 教本の背表紙が裂けたこと。葡萄酒がミレーユの胸元に広がったこと。大階段で彼女が足を滑らせたこと。アンナが君の前で手を震わせること。それらを一つずつ並べれば、君はきっと一つずつ説明するだろう。紙が古かった。誰かの肩が触れた。裾が金具にかかったように見えた。アンナは昔から寒がりだった。どれも、君にとっては嘘ではないのだと思う。だからこそ、難しかった。


 嘘をつく者なら、暴けばよかった。悪意を持つ者なら、罰すればよかった。だが君は、たびたび本当に分からない顔をした。それが、私にはいちばん恐ろしかった。


 私が恐れたのは、君がミレーユやアンナを傷つけたことだけではない。傷ついた相手を前にしてなお、君が自分を導く側に置き続けることだった。相手が怯えていても、黙っていても、手を引いても、君はそれを自分の正しさの内側へ収めてしまう。君が王子の婚約者でなければ、それは一つの家の中の不幸で済んだかもしれない。だが、君が王妃となるなら話は違う。女官も、下位貴族も、嘆願に来る者も、将来君のそばに置かれる子どもも、皆、君の優しさで正される側になる。


 最初に違和感を覚えたのは、王宮の小庭だった。ミレーユが、君の後ろを歩いていた。君は彼女に扇の持ち方を教えていた。私は少し離れた場所にいて、最初は微笑ましいものだと思った。公爵家の令嬢が、遠縁の娘に宮廷の作法を教えている。そう見えた。


 君は美しかった。よく通る声で、姿勢もよく、言葉も整っていた。ミレーユは緊張していたが、宮廷に慣れていない娘なら当然だと思った。君が『そうではないわ』と言うと、ミレーユは扇を閉じ直した。君が『今の礼では幼く見えるわ』と言うと、彼女はもう一度膝を折った。


 私が覚えているのは、君の白い手袋と、ミレーユの指先だ。彼女の指は、扇の骨を強く握りすぎて白くなっていた。


 私は、それを見た。見たのに、何もしなかった。


 その時は、まだ何かをするほどのことではないと思ったからだ。宮廷には厳しさがある。私も幼い頃から、間違えれば直された。背筋、発音、剣の構え、臣下への視線。正しさは、時に痛みを伴う。私は、君の厳しさを、その範囲に置いた。


 だが、そのあとも同じものを何度も見た。君の名前が聞こえると、ミレーユは手を胸の前に戻す。君の足音が近づくと、アンナは盆を持ち替える。君が優しく微笑むと、二人とも、叱られる前の顔をする。


 私は、その意味をすぐには認めなかった。認めれば、私にも責任が生まれるからだ。


 君は私の婚約者だった。公爵家の令嬢で、王妃になる可能性のある女性だった。君を疑うことは、君だけを疑うことではない。ヴァンクリーフ公爵家を疑い、父上と公爵の取り決めを疑い、私自身の見る目を疑うことになる。私はそれを避けた。


 避けながら、ミレーユには言った。『困ったことがあれば、言いなさい』と。


 なんと軽い言葉だろう。私は、そう言うだけで、自分は手を差し伸べたつもりになっていた。ミレーユが黙れば、まだ言えないのだと思った。アンナが目を伏せれば、侍女として主人を悪く言えないのだと思った。私は待った。待ったのではない。何もしないことを、待つという言葉で飾っていた。


 夜会で葡萄酒がミレーユの胸元に広がったとき、君はすぐに布巾を求めた。動きは速かった。染みになる前に処置しようとしたのだろう。周囲の者が騒ぐ中で、君はむしろ落ち着いていた。それが、かえって人の目には冷たく映った。


 私は、あの時も君を責めなかった。事故かもしれなかったからだ。誰かの肩が触れたのかもしれない。君の手元が滑ったのかもしれない。悪意と断じるには足りなかった。だがその夜、私は君に手紙を書いた。


 明日、ミレーユと少し距離を置いてほしい。


 そう書いた。封をした。だが、出さなかった。


 理由は覚えている。出せば、話が大きくなると思った。君は傷つくだろう。公爵家も動くだろう。ミレーユもまた、自分のせいで騒ぎになったと怯えるだろう。私は、騒ぎにしたくなかった。その結果、騒ぎはもっと大きくなった。


 大階段のことは、今も正確には分からない。君が押したのか、助けようとしたのか、裾を直そうとしたのか、ミレーユが先に身を引いたのか。私には断言できない。私はそこにいなかった。あとから見たのは、膝を打ったミレーユと、手袋に細い糸をつけた君と、何も言えなくなった使用人たちだけだ。


 その場で、君は言ったらしい。『危ないと思ったの』と。


 その言葉を聞いたとき、私は、君が嘘をついているとは思わなかった。君は本当に危ないと思ったのだろう。君は本当に手を伸ばしたのだろう。だが、ミレーユは君の手を見て身を引いた。そのことを、君は見ていなかったのではないか。私はそう思った。


 白薔薇の間で婚約を解くと決めたのは、私だ。公爵でもなく、父上でもなく、ミレーユでもない。私が決めた。ここは、君に伝えておかなければならない。


 私は、もっと静かな方法を選べた。私室で話すこともできた。公爵と父上を通じて、穏便に婚約を解くこともできた。君を傷つけない方法を探すこともできた。それでも、私は白薔薇の間を選んだ。


 君が私室での話し合いを、いつも美しく終わらせてしまうからだ。公爵家が穏便な解決を望めば、ミレーユとアンナの話はどこかで薄まると思ったからだ。人の前でなければ、君はまた、自分の痛みから語り始めると思ったからだ。


 そして、もう一つ。


 私にも、王家の体面があったからだ。


 私は君を止めるのが遅れた。その遅れを、正しい断罪の形で取り返そうとした。皆の前で婚約を解けば、私は決断した王子に見える。被害を見逃していた者ではなく、被害を裁いた者に見える。それを望まなかったと言えば、嘘になる。


 私は、君を守れなかった。ミレーユも守れなかった。アンナも、公爵家も、私自身の名誉も、どれも少しずつ守ろうとして、最後には一番派手な場を選んだ。だから、白薔薇の間での私は、正しかっただけではない。卑怯でもあった。


 君は、あの場でミレーユに言った。『あなたを許します』と。


 あの言葉を聞いたとき、私はようやく立ち位置を間違えたと分かった。君は、許す側に立っていた。ミレーユは、君の後ろに戻されそうになっていた。私は、そこで初めて一歩前に出た。遅すぎた一歩だった。


 君はきっと、その一歩をひどいものとして覚えているだろう。私がミレーユを君から隠した。君と彼女のあいだに壁を作った。そう書くだろう。その通りだ。私は壁になった。もっと早く、そうするべきだった。


 アンナに『答えなくていい』と言った時も同じだ。君は彼女の言葉を聞こうとしただけだと思っているだろう。だが、君の問いは、答えを求める形をしていながら、答えを許さないことがある。君は『責めていない』と言う。『怒っていない』と言う。『信じている』と言う。そのたび、相手は君を傷つけない答えを探す。


 私は、それを何度も見た。見たのに、遅れた。


 この手紙を、君が最後まで読むかどうか分からない。君は最初の数行で閉じるかもしれない。君を責めたいのではない、と書いた時点で、逆に責めていると思うかもしれない。あるいは、読まないまま、私の手紙もまた君を傷つけるものの一つとして箱にしまうかもしれない。


 それでも書く。


 君がすべて悪かったとは、私は思っていない。君をそう育てた家があり、君の美しさと正しさを便利に使った私たちがいた。君が手のかからない子でいることを望み、君が誰かの手を取れなくなるまで、それを強さだと呼んだ者たちがいた。


 私も、その一人だ。


 君がミレーユを自分の形にしようとしたように、私は君を王子の隣に立つ令嬢として見ていた。君が何を怖がり、何を欲しがり、何を欲しがれなかったのかを、私は知らなかった。知ろうとしなかった。


 だから、この手紙は裁きではない。謝罪とも、まだ呼べない。私は謝罪をするには、君から奪ったものの名を知らなさすぎる。


 ただ、君に一つだけ伝えたい。


 君の話を、君だけで閉じないでほしい。


 君はきっと、修道院へ向かう途中で手記を書くのだろう。君の言葉は美しい。乱れていても、乱れていないふりができる。


 だが、どうか最後まで、自分の言葉だけを信じないでほしい。ミレーユの沈黙を、怯えではなく愚かさとして片づけないでほしい。アンナの震えを、寒さとして片づけないでほしい。公爵の背を、ただの裏切りとして片づけないでほしい。そして私の断罪を、正義としても、ただの残酷としても、片づけないでほしい。


 私は君を止めた。だが、君を理解したわけではない。ここを間違えたくない。


 君は、私を恨んでよい。ミレーユを恨んでも、アンナを恨んでも、公爵を恨んでもよい。君にはその痛みがある。私は、それをないものにはできない。だが、もし君がいつか、この手紙を最後まで読む日があるなら。その時は、君が書いた手記の中で、誰がどの順番で痛んでいるのかを、もう一度だけ見てほしい。


 君はいつも、自分の痛みを先に置く。それは罪ではない。だが、その後ろで誰かが息を止めていたなら、その息も、君の話の外に捨てないでほしい。


 セレスティア。私は、君を愛していたのだと思う。


 思う、と書くのは卑怯だろうか。けれど、今はそうとしか書けない。私は、公爵家の美しい令嬢としての君を愛した。王子の隣に立つにふさわしい君を愛した。正しく、強く、乱れない君を愛した。


 それは、君だったのか。


 それとも、私に都合のよい君だったのか。


 今はまだ、分からない。


 だから私は、この手紙を送る。断罪の続きではなく、答えでもなく、許しでもなく、ただ君が最後まで読まないかもしれない一通として。


 最後にもう一度だけ書く。


 君を責めたいのではない。最後まで読んでほしい。


 そして、もし読めなかったのなら。


 読めなかったことも、君の話に書いてほしい。

読まれなかった手紙です。

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― 新着の感想 ―
男爵家の娘や侍女が圧に苦しんだ程度で、高位の令嬢が排斥されるだなんてー(>_<)
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