第6話 船を並べる港
魚の皿を甲板へ置くと、ヨルアンが鼻を寄せた。
「これ、今夜のか」
「そうだ。アヴィが酒と皿を持ってる。手を空けてやれ」
ヨルアンは渡り板へ戻り、アヴィから酒の瓶と空の皿を受け取った。肉の包みだけが残ると、アヴィはそれを持って魚のそばへしゃがんだ。
甲板では、箱を寄せて食べる場所を作っていた。豆の鍋が運ばれ、椀を持った者が集まってくる。魚を見つけた機関長は、置こうとした椀をまた手元へ戻した。
「そっちを先にくれ」
「豆はどうする」
「あとで食う」
甲板頭が魚へ刃を入れた。焼けた皮が裂け、白い身の間から湯気が上がる。人数を見ながら二枚の皿へ分けていくと、向こう側から、腹のところがいいという声がした。
「今、言った奴には尾だ」
「そこも好きだよ」
皿を受け取った男が笑った。ハーラルは箱へ腰を下ろし、左腕を腿に置いた。右手で差し出した椀に、厚い身と皮が入る。まだ熱く、ひと口食べてから息を吐いた。
香草の匂いが鼻へ抜けた。皮の焦げたところを噛むと塩が利き、その下には脂が残っている。豆をすくい、魚の汁と一緒に食べた。
アヴィが隣で肉の包みを開いた。
「本当に、俺だけ肉もあるのか」
「岩で拾った男を、食わせて寝かせたんだ。これくらい食え」
「その男が、今じゃ俺の船に住んでる」
「もっといい肉を頼むべきだったか」
アヴィは返事の代わりに肉を頬張った。噛んでいる顔を見て、ハーラルもまた魚へ手を伸ばした。
酒は酸味が強かった。口に残った脂が引き、もうひと口食べたくなる。空の杯がこちらへ出され、ハーラルは瓶を傾けた。反対側でも別の瓶が回っている。
ヨルアンは魚の骨を一本ずつ抜いていた。大きな身を口へ運ぶところで、甲板頭に呼ばれる。
「腕は戻ったか」
「今日は平気だ。袋も運べた」
「二日前は、棒を離せなくなってたな」
「指が固まってたんだよ」
ヨルアンが空いた手を開いて見せた。痩せた操舵員が、自分の杯を持ち上げた。
「お前らがあそこを塞いでくれなきゃ、索まで行けなかった」
「そっちが撃ってくれなきゃ、俺たちも出られん」
ハーラルが返すと、男は頷いて飲んだ。甲板頭が魚の皿をヨルアンの前へ押した。
「食っとけ。明日も手は使う」
「明日は、何を運ぶんだ」
「先に船を洗う。お前の棒が転がってた所もな」
ヨルアンは甲板へ目を落とし、それから魚を取った。笑いながら食べているので、骨まで口に入れかけた。ハーラルが指を差すと、慌てて抜き、椀の縁へ置く。
「次にあそこへ出る時も、俺の左にいろ」
「できれば、今度は荷を載せたい」
「荷なら、今日も載せたろう」
「ああ。それも、よかった」
若者は船尾の新しい板の方を見た。そこでは戻った乗員の一人が、食べ終えた椀を持って立ち上がっていた。
「俺は陸へ行ってくる。寝るまでには戻る」
「皿を返してきてくれよ」
アヴィが言うと、男は焼き魚の残りを見た。
「まだ空いてないだろ」
「じゃあ、帰りに寄って、明日の朝返すって言っといて」
「自分で言いに行け」
男は渡り板を下りていった。アヴィがその背に手を振る間、革袋の男はパンで皿の汁を拭っていた。
「次も近場か」
「少し沖へ出たい。皆と相談する」
「行き先を決めてから聞くぞ。留守の間の仕事もある」
「分かってる。明日、話す」
男は頷き、最後のパンを食べた。
ハーラルは瓶を持ち上げ、まだ杯を持っている者へ声を掛けた。手が伸びてくる。魚の骨が溜まった椀の向こうで、機関長が今日の航海の話をしていた。ヨルアンが笑い、アヴィが口を挟む。
「俺が言う前から、出さんと言っただろ」
「言う顔をしとった」
「管から顔まで見えるのか」
ハーラルは声を上げて笑った。皆がこちらを見ると、瓶を高く掲げた。
「もう一杯だ」
*
皿が空く頃には、岸の作業場から灯りが漏れていた。
機関長は先に寝ると言って下へ行き、甲板頭はヨルアンを連れて索の見回りへ出た。ハーラルは残った酒を持ち、アヴィと操舵室へ入った。
窓から海を見渡せる椅子があった。腰を下ろすと、甲板の箱より具合がいい。背を預け、長い脚を伸ばした。
「そこ、俺の席だぞ」
「今は舵を取っておらん」
「取ってなくてもだよ」
アヴィが椅子の背を叩いた。ハーラルは杯を飲んでから立ち、脇の腰掛けへ移った。左膝を曲げ直すと痛みがあり、今度は片脚だけ伸ばしておく。
アヴィは自分の席へ座るなり、船尾へ顔を向けた。
「戻った板は、もう少し高くしたいな。外の波を受ける時、あそこから水が入る」
「今日の親方に頼むのか」
「そう。下へ落とす水の通りも広げたい。あとは、機関長が見せたい継ぎ手があるってさ。金ができたらだけど」
「俺が出したらどうなる」
アヴィはハーラルを見た。
「金を?」
「これから稼いだ分だ。船を直すのに使ってもいい」
「なら、直した俺の船に乗れる」
「俺の船にはならんのか」
「ならないね」
窓の向こうで、ヨルアンが索を跨いだ。甲板頭に何か言われ、足を戻している。
「お前は、もう一隻持てばいい」
「これがいい」
ハーラルが答えると、アヴィは椅子の背へ肩を預けた。気に入らぬ返事のはずなのに、口元が上がっている。
「じゃあ、船長に頼んで乗せてもらうしかないな」
「今、頼んでおる」
「所有まで頼むなよ」
アヴィが杯を差し出した。ハーラルは瓶に残っていた酒を分けた。
*
甲板へ戻ると、風が冷たくなっていた。
二人は舷側の箱に並んで座った。岸で誰かが戸を閉め、灯りが一つ消えた。船の下では、水が船腹を軽く叩いている。
ハーラルは杯を口へ運びかけ、止めた。
「息子とも、飲むつもりだった」
アヴィがこちらを向いた。
「船に残した息子かい」
「ああ。帰ったら話を聞くと言った。あいつは、何か言いかけていた」
舷側に立っていたオーラヴの手を思い出した。剣の柄を握り、父を見ていた。何を言いたかったかは、あの時に聞けばよかった。
酒を飲むと、もうぬるかった。
「戻るのがいつになるかも分からん。いつまでも待てとは言えん」
アヴィは自分の杯へ目を落とした。しばらく二人とも黙っていた。下から短い笑い声がして、誰かが寝ろと言った。
「お前の姉も、お前が生きておると知らんのか」
ハーラルが訊くと、アヴィは顔を上げた。
「知らないかもしれない。会えなくても、まずはそれを伝えたい」
「お前が戻ってきたのは、その消息を聞くためだったな」
「そう。知ってる奴に辿りつく前に、船を取られた」
「そいつは、今もここにおるのか」
「もう出たよ。けど、どこへ行くかは聞けた。船で暮らして、海の上を回ってる連中の所だ」
アヴィは海の方を見た。
「今度は、そこで会いたい」
ハーラルは頷いた。杯の底に残った酒を飲み、箱の上へ置いた。
岸壁の先には、補修を待つ船が二隻並んでいた。一隻は帆柱が外され、もう一隻の船首には足場が掛かっている。昼間の木の匂いが、まだ薄く残っていた。
ここでは船を直し、金を払い、また出ていける。
ハーラルは最初に歩いた港を思った。あそこには、もっと長い岸壁があった。船大工の店が続き、荷車が行き交い、路地を戻ればテルナが鍋を火に掛けていた。ガルドンは朝の荷を動かし、ソアは読めない字を指してくれた。
「あの港が欲しい」
「どの港だ」
「お前が俺を食わせた所だ」
アヴィが顔を上げた。
「今度は港かい。王様も欲が深いな」
「あの岸へ船を並べたい。これだけでは足りん。大きいのも、小さいのもだ」
ハーラルは海へ右手を伸ばした。暗がりの向こうから船が入り、自分の旗を見つけて舳先を向ける。岸には次の荷があり、下りてきた者には飯がある。戻ってきた船長たちと、その晩の酒を飲む。
思い浮かべると、また杯が欲しくなった。
「船を取られたままにさせぬ場所がいい」
「俺も、直したい時に直して、出たい時に出られる岸は欲しいよ」
アヴィは片足を箱の下へ引いた。
「けど、あそこにはデインがいる。欲しいって言っただけじゃ、空かないぞ」
「知っておる。だから、船と人が要る」
「その人たちにも、行きたい所があるだろ」
「会って話す。お前にも、そうした」
アヴィは鼻で笑った。
「俺には、船を寄こせって言った」
「断られたので、一緒に乗っておる」
「よく覚えてるな」
ハーラルも笑った。アヴィは空の杯を持ったまま、海の先へ顎を向けた。
「船長に会うなら、俺の行く所には大勢いるよ」
「さっき言った連中か」
「ああ。船が集まって、一つの国になってる。家も店も船の上だ。船と船の間へ橋を渡して、買物に行く」
ハーラルはアヴィを見た。冗談を言っている顔ではなかった。
「家を載せた船か」
「何軒もだよ。あんたがここから岸を見てるだろ。向こうじゃ、見上げた船の窓から誰かが洗濯物を干してる。生まれてから、陸に住んだことがない奴もいる」
ハーラルは向かいの船へ目をやった。その船腹を高くし、窓と家を重ねようと想像したが、うまく形にならない。
「お前は、見たのか」
「行ったことがある。いい飯屋も知ってる」
「飯はあとだ。船はどれほど大きい」
「見れば分かるよ」
アヴィの声に、笑いが戻っていた。
ハーラルは立ち上がった。暗い海の向こうを見ても、今夜は防波堤の端までしか見えない。それでも、あの先へ出て、家を載せた船の脇へ自分たちの船を寄せたかった。
「俺も行くぞ」
「働くならね」
「働いたろう」
「今日の分は、今日払った」
ハーラルは空の杯を取り、アヴィへ渡した。
「なら、明日は何をする」
「まず、皿を返す」
甲板の隅に重ねた皿が、岸の灯りを受けて白く見えた。ハーラルはそれを見てから、操舵室を振り返った。
「戻ったら、あの椅子へ座って待つ」
「俺より先に乗っても、そこは譲らないぞ」
アヴィが立ち、二人分の杯を持って中央の戸へ向かった。ハーラルもその後を追った。明日は、あの国までの海路を聞こう。




