第3話 船長の声
翌朝、ガルドンは岸壁で荷車を一台追い返していた。
「それは午後だ。今ここへ下ろされたら、奥の荷が出せなくなる」
運転席の男が何か言い返したが、ガルドンは首を振り、空いている通りを指した。車が動きだすと、待っていたアヴィに顔を向けた。
「で、一人欲しいって?」
「力があって、こっちの話を聞ける奴」
「お前の話を聞いて船へ乗る奴は、だいぶ減ったぞ」
「知ってる。だから頼みに来た」
ガルドンはアヴィを見てから、ハーラルへ目を移した。顎の張った、日に焼けた男だった。テルナの息子だと聞いていたが、黙って相手の返事を待つ時の目は、確かにあの女に似ていた。
「あんたも行くのか」
「そのつもりだ」
「ソアが、続きを教えるって言ってたぞ」
「助かってる。いい教師だ」
「伝えとくよ。次の授業は長くなるかもな」
ガルドンは口元を緩め、倉庫の軒下へ二人を連れていった。
そこでは、滑車から下ろした鉄の枠を、四人の男が台車へ移していた。台車の車輪が石の継ぎ目に落ち、枠が傾く。一人が短く声を掛け、両腕で端を抱え直した。
ハーラルは思わず手を出しかけた。自分より小柄な若者だった。ほかの男が二人がかりで支えている側と釣り合いながら、さらに枠の角を持ち上げている。
「下ろすな。足、先に抜いて」
若者は向こう側を見ていた。相手が台車との間から靴を引くまで待ち、頷いたのを確かめてから、ゆっくり荷を置いた。
鉄と木が触れる音がした。若者は手を離し、腰に両手を当てて息を吐いた。額から汗が垂れている。
「あれは何だ」
ハーラルが低く訊くと、アヴィが答えた。
「身体補強。身体を支える術を使ってる」
「腕にも術をかけるのか」
「あいつは、かなり強い方だよ」
ハーラルは若者の腕を見た。袖の下に何かある様子もない。若者は水を飲み、もう一度枠へ手を掛けようとしたが、ガルドンに呼ばれてこちらへ来た。
「ヨルアン。少し話せるか」
近くで見ると、まだ顎の線に若さがあった。手の甲の古い傷が、日に焼けた皮膚の上で白く見える。
「お前、今の力はいつまで保つ」
ハーラルが訊くと、ヨルアンは持ち上げていた枠を振り返った。
「あれなら、もう一度は。でも、運び続けろと言われると困る」
「人と戦ったことは」
「荷の護衛を少し。何の仕事だ」
「少し大きめの荷の護衛だ」
アヴィは周りの者から離れ、船を取り戻す話をした。船に残された五人のこと、明日の試運転、追手が出ること。ヨルアンは途中で口を挟まず、最後にハーラルの剣を見た。
「あんたと、甲板に?」
「そうだ。敵が乗ってきたら、俺が前に立つ。横を支えてほしい」
「俺は銃弾を止められるわけじゃないぞ」
「止めろとは言わん。今、荷を下ろす前に、向こうの男を見ていたな。ああいうふうに、俺の足も見ていてくれ」
ヨルアンはハーラルの顔へ目を戻した。それからアヴィを見た。
「船を取り戻したら、俺は降りるのか」
「乗ってたいかい」
「荷を載せるところまでは、いつもやってる」
ヨルアンは言いかけ、岸壁の船へ目をやった。
「その先も、やってみたい。けど、船の仕事はあまり知らない」
「最初は皆そうさ。甲板頭に習ってくれ。口は悪いけど、教えるのはうまい。働いた分は払うよ」
ヨルアンはしばらく考え、手の汗をズボンで拭った。
「荷物を取ってくる。明日の何時だ」
「今の仕事を終えてからな」
ガルドンに言われ、ヨルアンは足を止めた。荷の脇から呼ぶ声がして、そちらへ戻っていく。ハーラルはその背を見送った。
「いい男だ」
「引き抜いておいて、俺に言うな」
ガルドンはそう返し、倉庫から出てきた男へ手を上げた。
「ケムリック。さっきの船の話、こいつらに直接してくれ」
紙を綴じた板を脇に抱えた男が、アヴィの顔を見て寄ってきた。
「本当に戻す気なんだな」
「戻すよ」
「なら、戻った船で仕事をしてくれ。近場へ出したい荷がある。乾物と雑貨だ。デインの船しか選べないと、運賃の話ができん」
ケムリックは明日の搬入を請ける職人と取引があった。アヴィが連絡を頼んでいる相手でもある。交換材は既にそろい、ガルドンが運ぶ手をまとめることになった。
「抜けたあとの修理場にも話をする。あそこの親方なら、デインの顔色では仕事を決めん。ただし、金は取るぞ」
「最初の運賃から払う。それまで待ってもらえるか」
「船の具合を見てからだ。引き受けてもらえる範囲を聞いてくる」
ケムリックが去ると、ガルドンは倉庫の中へ二人を招いた。
「俺が行くのは荷を渡すところまでだ。明後日も、ここで仕事がある」
「分かってる」
アヴィが答える横で、ハーラルも頷いた。ガルドンは棚から上着を一枚引き出し、ハーラルの肩へ当てた。
「やっぱり短いな。だが、その血のついた服よりはいい」
*
午後、職人を通じて船内から返事が来た。
機関は明日動く。十分な出力へ上げるまでの時間も書いてあったが、ハーラルには数字が読めない。アヴィに説明させ、どこまでが待つ時間で、どこからなら船を動かせるのかを確かめた。
その足で港の外へ回り、岩の続く岸を歩いた。アヴィは水際まで下り、長い竿を沈めては、濡れたところを確かめている。ハーラルは上から竿を受け取り、次の足場へ渡した。
「ここへ入るのか」
岩と岩の間で、波が白くほどけていた。上から見る幅はある。だが、水面の下にも岩の肩が伸びている。
「明日の試運転は、もっと潮が上がった時刻だ。船の沈み具合も、機関長が知らせてくれた。あれなら通れる」
「追ってくる方は」
「回収艇は底が深い。ここへ同じようには入れない。砲艇は沖を回るだろうね。その前に、向こうの岩の陰へ出たい」
ハーラルは港口を振り返った。あそこから岸に沿って来て、ここで曲がる。沖側を敵の船で塞げても、ずっと隠れてはいられない。
「機関が整うまでは、俺たちが甲板を持たせる。合図はお前から出せ」
「出したら、すぐ離してくれよ。引っ張ったまま曲がりたくない」
「索を扱える者を、二人ともこちらへ寄せておけ」
「甲板頭と、舵を交代する奴だな」
アヴィは水から竿を抜き、先の砂を落とした。
夕方には、ヨルアンを加えた甲板の分担を船内へ伝えた。ケムリックからも、船の修理場が当座の点検代を待つという返事が届いた。試運転用の燃料で、そこまでは行ける。
ハーラルは借りた上着の袖を引いた。どう引いても手首が出た。
*
翌朝、ヨルアンは待ち合わせの倉庫に、二人より先に来ていた。
小さな袋を肩へ掛けている。ガルドンに、それは船へ載せる工具箱の横へ置けと言われると、結び目を確かめてから下ろした。
ハーラルの剣も、鞘ごと布で包まれていた。長い工具箱の底へ収め、その上に鉄の棒と修理道具を並べる。腰が軽いのが気に入らず、ハーラルは空になった剣帯を外した。
「持つなら、そっちの端だ」
ガルドンに言われ、ヨルアンと箱を持ち上げた。アヴィは帽子を深く被り、交換材の台車を押した。
桟橋の入口で、武装した男が職人を呼び止めた。搬入の紙と交換材を見比べ、工具箱の蓋も開けさせる。職人は上に並べた道具を指し、昨日の点検で交換を決めた箇所を説明した。男は手元の紙に目を落とし、道を空けた。
「荷役は作業が済んだら下ろせよ」
職人とガルドンが返事をし、一行は柵の内側へ入った。
濃い青の船が、すぐ目の前にあった。
岸から船へ渡した板は、波に合わせてわずかに上下していた。ハーラルは箱の重さを片側へ寄せないよう、ヨルアンの歩みに合わせた。最後の一歩で左膝が痛んだが、足裏が甲板を捉えると、そのまま膝を緩めた。
船が揺れた。岸の石とは違う、身体の下で水を受ける動きだった。
渡り板の脇にいた監視が、銃を下げたまま二人を見ていた。前の操舵室にも、戸口に一人立っている。
「箱はこっちだ」
太い指をした男が、甲板中央の戸の脇を示した。ハーラルたちが箱を下ろす間に、アヴィの台車へ木片を噛ませ、留め具を外していく。
ハーラルは道を空けて舷側へ寄った。すぐ下の水に、青い船腹が映っている。広い海へ出れば、ここにどれほど風が来るだろう。
アヴィが脇を通り、中央の戸へ手を掛けた。一度引き、少し持ち上げると、戸が音もなく開いた。親指が、手すりに継ぎ足された木の端を撫でた。
機関長に呼ばれ、ハーラルとヨルアンは交換材を二度に分けて下ろした。狭い機関室では、もう一人が管の留め具を締めていた。
甲板へ戻る途中、操舵室から出てきた痩せた男が、アヴィの前で足を止めた。
アヴィは工具を差し出した。男はそれを受け取る際、アヴィの手を一度強く握った。渡り板の監視がこちらを向いた時には、もう操舵室へ戻るところだった。
ハーラルは最後の段を上がった。船首の帆柱脇では、見張りが岸の動きを窺っている。箱を受け取った男は、剣の上にあった道具を脇へ移していた。こいつが甲板頭だ。目を合わせると、男は小さく頷いた。
足の下で低い音が始まった。鉄の震えが靴底へ届く。ハーラルは中央の戸へ目をやったが、アヴィはまだ首を振った。
職人とガルドンは台車を岸へ戻し、ハーラルたちは残りの道具を待った。機関の点検が済むまでは、針のついた計器を外せないと機関長に言われていた。
船尾から来た監視が、近くの木箱に腰を下ろした。銃は腿に載っている。
ガルドンたちと入れ違いに、四人目が渡ってきた。
短い外套を着た男だった。操舵室へ目を向け、それから甲板を見渡した。アヴィは屈んだまま、工具を布で拭いていた。
「元の乗員は、まだ全員いるのか」
「五人です」
渡り板脇の監視が答えた。
外套の男は操舵室脇の監視を呼んだ。
「お前が舵を取れ。元の舵取りは岸で待たせる」
監視が戸の中へ入り、代わりに痩せた男が出てきた。甲板頭が手を止める。
「そいつには、まだ索をやってもらう」
「岸の者にやらせろ。下りろ」
痩せた男が立ったままでいると、渡り板脇の監視が腕を取って引いた。
アヴィが工具を置いて立ち上がった。下では機関が鳴っているが、音はまだ低く、出航の合図は来ない。
速さが出るまで待っていれば、あいつは岸にいる。
ハーラルは手にしていた道具を置き、ヨルアンの肘に触れた。甲板頭がこちらを見た。足元の工具箱は開いていた。
「待て。そいつは乗せていく」
アヴィの声だった。
痩せた男が、渡り板へ出しかけた足を止めた。外套の男は声の方へ顔を向け、まっすぐアヴィを見た。
「……デグラム」
アヴィはもう顔を伏せなかった。
外套の男の手が胸元へ走った。吊っていた笛を咥えるより早く、ハーラルは箱の布を掴んだ。鞘から剣を引き抜きながら、ヨルアンへ顔を寄せる。
「俺の左だ」
鋭い笛が鳴った。岸で怒鳴る声がし、その先から、同じ笛の音が返ってきた。




