誰にでも?
(⋯⋯変わんないな、昔と)
玄関に入った瞬間、最初に抱いた感想はそれだった。そのままリビングの方まで歩いてみるが、印象は変わらない。
勿論、夏希の家に行かなくなったたった四年の期間で、劇的なリフォームが行われた、なんて事はない。ならば家の構造が変わるわけはない。
「随分綺麗にしてるんだな」
だが、家というのはただ住んでいるだけで汚れていく物だ。なのに夏希の家には目立った汚れのような物が少しもない。
「⋯⋯目立つ所だけだよ。お母さんがいつ帰ってきても良いようにしてるだけ」
夏希は簡単そうに言うが、それはかなり大変な事ではないだろうか?ここは一人暮らしの家よりもずっと広いのだから。
「それは凄い事だろ。⋯⋯偉いな、感心する」
俺は基本的に料理以外は親に丸投げしている。自分が出来ない事をしている夏希の事が、俺よりも随分と大人に思えた。
「⋯⋯あの、そろそろ、降ろしてくれても良いんじゃないかな?」
部屋の綺麗さに感動していると、抱えたままの夏希がプルプルと震えながら小さく呟く。さっきよりも容態が悪くなったのだろうか?
「っと、悪いな無駄話して。昔と部屋の場所、変わってないか?」
「⋯⋯降ろしてはくれないんだ⋯⋯」
何を言うか。容態が悪化しているなら、この状態で降ろして倒れられたら俺が困る。
「とりあえず横になるまでは大人しくしてくれ」
「⋯⋯はい」
耳まで赤くしているし、返事もどこか弱々しい。そんな夏希を抱えながら、二階へ繋がる階段を登っていく。昔来た記憶はあるが、流石に四年も経てば曖昧だ。
「⋯⋯そこ、奥の部屋」
「了解、⋯⋯失礼します」
階段を登りきり、言われた通りの部屋の扉を何とか開ける。
(平常心⋯⋯平常心だ)
夏希の部屋、という単語が脳裏を過ぎるが、今はそんな事を気にしている場合ではないのだ。不純な意識を外へ追い出して、ズカズカとベッドの横まで歩いていく。
「んじゃ、降ろすぞ」
軽く息を吐きながらベッドへ近付き、そっと夏希を下ろす。毛布を引き寄せ、そのまま首元まで掛けてやる。
「あ⋯⋯服」
その時の夏希の言葉でようやく、夏希が防寒着を着っぱなしであることに気づく。先程まで外にいたのだから当然だが。
「後で良いだろ、今は暖かくしとけ」
厚着したままというのは落ち着かないだろうが、とりあえずまずは体を暖める所からだろう。冷え切った部屋を暖めるため、エアコンで暖房をつける。
「さてと、とりあえず熱測るか」
まずは『大丈夫』と仰った、夏希さんの体調チェックをする事にする。
「体温計……机の上」
「あれか、取ってくるわ」
言われた通りに机の上を探すと、すぐに体温計はすぐに見つかった。
――その横で、綺麗にラッピングされた箱を見つけた。箱の大きさとしては、片手で持てる程度の平たい箱だ。⋯⋯これは、明らかに⋯⋯
「⋯⋯取ってきた、よし測れ」
無駄な考えを振り切り、体温計の電源を入れて夏希に渡す。俺には関係のない物だ、あれを夏希が誰に渡すかなんて本当に関係がない。
「ありがと。⋯⋯その、測るとこ見られるの恥ずかしいから、部屋から出ていってくれない?」
なるほど確かに、基本的に脇に挟む物だが、その姿が恥ずかしいという事は理解出来なくも⋯⋯
「駄目だな。見てないと、ちゃんと測らないだろ」
「う゛っ!? そ、そんな事ないよ?」
目が泳いでいる。図星のようだ。何故そこまでして体調を隠そうとするのか理解が出来ない。
「別に何度でも怒ったりしないから、ちゃんと測れ」
「はい⋯⋯」
夏希は諦めがついたようで、体温計を脇に挟み、しばらく待つ。その間にも夏希は何度か咳をしていた。
(思ったより酷いかもな)
少なくとも、雪かきなんてしていい状態ではなかっただろう。俺が来てなかったら本当に倒れてたんじゃないか?
(無茶して、明日に響いたらそれこそ大惨事だってのに)
俺にとってはただの休日でも、夏希にとっては明日は大切な一日なのだから。
「「⋯⋯⋯」」
体温を測る間に、少しだけ沈黙が生まれた。エアコンの音が大きく聞こえるくらいの静けさだった。
「……ごめん」
それが耐えられなかったのか、夏希が何故か謝罪の言葉を呟いた。
「何に対して謝ったんだ?」
「その⋯⋯色々、迷惑かけて」
「色々じゃ分からん」
正直本当に分からない。迷惑とはどれのことだ?学校を休んだ事か?無理して雪かきをしていた事か?心配をさせた事か?
どれを指しているのか分からなかったが、恐らく今思いついた全てに対してだろう。こういう時に、夏希は無駄に責任感が強すぎるのだ。
「迷惑かけたと思うんだったら、返事くらいはちゃんと返してくれ」
とりあえず、連絡だけはちゃんと繋がるようにしてくれないとな。そう思い、ベッドの横に置かれていた携帯を指さす。
「⋯⋯あ、携帯、充電切れてる」
「マジか」
俺なんて、もはや生活の必需品と化しているのに、夏希にとってはそこまで重要なアイテムではないのか。
「結構連絡来てるね」
夏希が携帯の充電をしながら、通知を確認している。
「そりゃそうだろ、急な休みだったからな」
「あ、『生きてるか?』 だって。脇阪くんらしいね」
俺のトーク画面を見て笑っている。何が可笑しいのだ、こっちは心配で連絡したというのに失礼な奴だな。
「でも脇阪くんなら、もし私が大丈夫って行っても来てくれそうだよね」
「そうかもな」
意地張って一人で無茶しそうだからな。
「私って、そんなに頼りないかな」
「頼りないとかじゃなくて、心配なんだよ」
「⋯⋯そうなんだ」
俺のその言葉を聞いて、夏希はどうにも腑に落ちないという表情をしている。何だ?嘘は吐いてない筈だが。
「⋯⋯それは、私だから、心配するの?」
夏希からすれば、当然の疑問かもしれない。ここまでのお節介を誰にでもすると思われているのだろうか?
「これがもし、他の人なら⋯⋯どうしてたの?」
深々と毛布を被りながらの夏希からの問い、夏希の表情は読み取れない。
他の人相手なら、正直、自分でもどこまでするかは分からない。
クラスメイトならプリントだけ渡して帰ったかもしれない。森下ならLINEだけ送って終わっていたかもしれない。
(少なくとも、雪の中を走ってここまでは来てないだろうな)
そんな事は、自分が一番分かっていた。それだけは間違いないと思えた。
「俺は――」
少しだけ、思いの丈をぶつけようとしたそのタイミングで、ピピッ、と電子音が鳴る。⋯⋯どうやら体温計が空気を読んでくれたらしい。
「何度だ?」
話を逸らす事も含めて、彼女の体温を確認する。
「ん……」
夏希が画面を見る。
――その瞬間、視線を逸らした。あ、これ駄目な奴だな。
「見せろ」
「⋯⋯大丈夫だって」
ダラダラと汗が出ている。風邪のせいだけではなく、冷や汗も混じっていそうだな。
「見せなさい」
「……はい」
渋々差し出された体温計を見る。
表示された数字は――38.5℃。なるほど、これが夏希の『大丈夫』らしい。
「前田さん」
「はい」
「これはちょっとの熱って言わない」
「……そうかも」
「そうかもじゃない」
思わず額を押さえる。この調子だと、何年経っても心配させられそうだった。




