変えれぬ関係、気づいた想い
(⋯⋯⋯近すぎるな、これは)
騒がしいと感じるレベルで、心臓が音を立てている。そんな状況でも、頭だけは冷静に思考するように努める。夏希もこの状況に混乱しているだけなのは間違いない。少し彼女を押し返せば良いだけだ。
『それで?実際の所、彼女役って何してくれるんだ?』
何故か放課後の会話を思い出す。⋯⋯俺は何を考えてる?今はそんな記憶必要ないだろ。
『き、キス、とか?』
「彼女役として何が出来るか」、その返答として夏希はそう答えた。ならここで、もしも今俺が、もう少しだけ近づいたとしても⋯⋯
「……クリーム、取ってくれるんじゃなかったのか?」
――そんな事、出来るわけがない。
「⋯⋯⋯え!?あぁそうだったよね!ごめん、一回どくね?」
しばらくしてから、ようやく呟く事が出来た言葉に、夏希も返事をしてくれる。体勢を立て直し、先程までの定位置に戻る。
「なんで正座で座ってるんだよ」
さっきまでの位置に戻ったと思えば、夏希はトンネルの中で何故か正座になっている。その心境は分からなくも無いが、その姿がなんとも可笑しくて笑ってしまう。
「⋯⋯こ、この度は大変失礼をしてしまって」
「失礼はしてないだろ。中々面白い体験だった」
夏希がぎこちなく俺の頬に触れてクリームを取ってくれる。ナプキン越しのその動きは、随分と慎重で、どこか遠慮がちだった。
「あのまま夏希さんに唇奪われるのかと思ったわ」
出来るだけ軽く聞こえるように、冗談っぽく話をしてみる。それだけ言うのが精一杯だ。
「それは⋯⋯私もだよ」
「そりゃ悪かったな、まぁ少女漫画ならキスする展開かもしれないけど、俺には出来ないな」
そんな俺の軽口に、夏希の体がピタリ、と止まる。
「それは、私が、幼馴染だから?女の子として、見れないって事?」
⋯⋯何を聞いてくるんだこいつは、少女漫画の受け売りか何かか?
「その言い方、してほしかったみたいに聞こえるぞ。もうちょっと言葉選べ」
「⋯⋯⋯ごめん」
少しだけ注意しておく。俺は勘違いしないように努めるが、聞く人によっては間違いも起きるだろう。
「それにしても……近すぎだろ、ここ」
わざとらしくそう言って、少しだけ体を引く。
「今更だよ」
「いや、距離感バグったのこの狭さのせいだろ」
「バグってるのは今日ずっとだと思うけど?」
⋯⋯まぁ確かに、今日一日は、随分と普段と違う事が起きた気がするな。
「だとするなら、彼女役を買ってでた夏希さんの責任だな」
「責任って⋯⋯ゆうくんだってノリノリだったでしょ?」
いつもの調子に戻そうと、普段の軽いやり取りを心がける。少しは元の彼女との関係に戻れているだろうか。
(……危なかったな)
何が、とは今は考えないようにする。考えた瞬間に、多分、引き返せなくなるから。
「ほら、さっさと食おう。こんなとこ長居する場所じゃないだろ」
「……うん、そうだね」
夏希も笑ってそう答える。ただ、その返事には少しだけ間があって、それが完全に同じ空気には戻りきらない事を、意味しているように感じた。
「ご馳走様でした。⋯⋯なんか、疲れたね」
手を合わせて食事を終え、お互いにトンネルに背中を預ける。冬という事もありかなり冷たいが、謎に火照った体には丁度良く感じる。
「今日は疲れる事ばっかりだったな。恋人がいる奴らはみんなこんなに大変なのか?」
「そんな事ないと思うけど⋯⋯私相手だと、羞恥心が勝っちゃうんじゃないかな?」
なるほど、そうかもしれない。夏希以上に仲良い女子なんていない筈なんだがな。今の所作る気はないが、本当の彼女が出来た時にはどうなるか分かったもんじゃない。
「俺は彼女作るなら、夏希みたいな彼女が欲しいな」
俺の事を理解していて、料理も手伝ってくれるような彼女がいたら色々と楽だと、そういうつもりの発言だったんだが。
「⋯⋯そういう風には、思ってくれてるんだ」
⋯⋯不味い、流石に良くない言い回しだった。言い方に気をつけろと夏希に注意したくせに、これでは示しがつかない。
「そう思えるくらい、彼女役出来てたって事だよ。今日はありがとな」
夏希にとっては、今日はただの予行練習だというのに。
「ま、この練習を活かして、本番頑張ってくれよ」
「⋯⋯本番って?」
何を不思議そうな顔をしてるんだ、もう少しすれば、例のイベントだろう。
「クリスマス、頑張るんだろ?」
「あ、それは勿論頑張る。せっかくゆうくんが教えてくれたんだから」
話題がクリスマスに切り替わった。⋯⋯聞くなら今しかない、と思った。
「そういや、何人でクリスマス会やるんだ?」
なるべく、何の気もないように、軽く聞いてみる。
「二人でだけど⋯⋯流石に他の人は呼べないかな」
「⋯⋯そうか、そりゃ楽しみだな」
夏希からの返答を聞いて、残念ながら、俺の勘違いという線は消えたようだ。
(呼べないのか、二人きりで、過ごすのか)
それはもう、そういう事だと結論づけて良いだろう。⋯⋯だからなんだ。俺には関係のない話だろう。
「そういや、もう呼び方直しとけ。あんまり言ってると癖づくぞ?」
余計な考えを別の思考で押し込める。彼氏役の「ゆうくん」期間も終了だ。学校でもしも口が滑ったら、森下から何を言われるか分かったもんじゃないしな。
「そう、だね⋯⋯今日は色々ありがと、脇阪くん」
「おう、頑張れよ。ちゃんと練習の成果出してくれよ?」
そうして別れ道で夏希と別れて、擬似彼女期間と、夏希の彼女練習は終了となった。
(そう、練習。今回の事はあくまでも練習だ)
自分にそう言い聞かせる。今更どれだけ彼女に惹かれたとしても、何の意味もないと、分かっているだろうに。
『それは、私が、幼馴染だから?女の子として、見れないって事?』
答えられなかった。本当の事を話しても、彼女を困らせるだけだと、分かっているから。
(⋯⋯だけどこれ、あいつも悪いだろ)
ここまでの事をしておいて、別の相手がいるというのだ。俺との今日の出来事は練習。その事に対して、もっと怒りを覚えても良いのではないだろうか。
(でも、結局怒る事も出来ないんだよな)
もう、認めるしかないのだ。夏希と過ごしている時間が心地良いのも、彼女に世話を焼きたくなる気持ちも、⋯⋯近くにいるだけで、鼓動が速くなるのも、全てが手遅れになってから気づいてしまった。
(⋯⋯これが恋って奴なんだろうな)
――今思っているこの気持ちが、好きという感情なのだとしたら、自分が知らない間に、俺は彼女に恋をしていた。




