Episode3~対立~その5
「そこで、だ。お前を元の寮へ戻してやる代わりに——こいつら全員、更生させて宵星館から叩き出せ」
条件の輪郭が、ルシウスの頭の中で遅れて像を結んだ。
「……は?」
静寂を切り裂いたのは、ルシウスの困惑に満ちたため息だった。
「もちろん、分かりやすく暴力でもよかったんだがな」
寮母の男は面倒臭そうに肩を回す。
「でも……。お前が十人束になっても、こいつらには勝てない気がして」
「なに?」
「そう簡単にピキんなよ。人生経験に裏打ちされた。ただの"勘"ってやつだよ、勘」
曖昧なことを言うようで、しかしその声色には妙な確信があった。
「だから"更生"って形にしてやるって言ってんだ。いわばハンデだな」
「……随分とお優しいんだな」
「別に? お前のことなんてどうだって——」
「俺じゃなくて、あいつらにだ」
「あー、そっちね。紛らわしい言い方すんじゃねぇよ。いやまぁ、どっちにしろ同じことだ」
男は寮生を見回し、鼻で笑った。
「特別、こいつらを信頼しているわけでも、贔屓しているわけでもない。むしろ、俺は毎日、こいつらにウンザリさせられているわけで……」
「それはこっちのセリフだってんだ、コノヤロー!」
「うちらだって、アンタには迷惑してるんですよ!」
「肉ドロボー!」
「被害者ヅラすなー!!」
「「「「そうだそうだ!」」」」
「うっせぇ、黙ってろ問題児ども!! こっちはめんどくせー奴に、めんどくせー話してやってんだよ!」
ギャーギャー。ワーワー。
アサギ扇動のもと、寮生全員が手のひらを返し、寮母を詰って追い立てる。
途中聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするが、しばらくしてルシウスは、寮母の意識が再び自分だけに注がれるのを感じた。
「……実際問題だな。6:4でお前に肩入れしても、まだ怪しいくらいだ。どう足掻いたって、今のお前じゃまず勝てない」
その言葉に、ルシウスの目つきが変わる。
「……つまり?」
「つまり、お前が本懐遂げるには、この条件を飲むしかねぇってことだ」
もう一本箱から取り出して、男は不敵に笑う。
「ハンデって言い方が気に入らないなら、"花を持たせる"に言い換えてやってもいい」
あからさまに、ルシウスの反応を見て揶揄っているのが見て取れる。
味方であるはずの寮生たちの視線も、どこか冷たい。
「別に、意地悪で言ってるんじゃねぇよ。嘘に聞こえるかもしれんが、俺はこれでも、お前に近道を示してやってるつもりなんだぜ?」
生命力に満ちた単眼が、真っ直ぐルシウスの顔を捉えている。
そこに寸分の揺らぎもない。だが、
「それに、お前。お貴族サマなんだろ?」
最後にわざとらしく付け足し、紫煙の向こうの口許は半弧を描いていた。
「問題児の一人や五人、更生させてやるくらい、わけないよな?」
加えて、そんな風に正面から挑発されて、ルシウスが我慢できるはずがなかった。
「やっすい煽り文句だが……いいだろう。あんたの思惑に乗ってやる」
目の前に立つだらしのない男の顎に向かってルシウスは、ビシッと指先を突きつける。
「この名と誇りにかけて、必ず遂行して見せよう」
カルデンソフィアの家紋が刻まれたペンダントを胸に繋ぎ止める。古血の矜持を静かに宿した、小さな金属片。その重さだけが、今のルシウスに残された旗印だった。
そして、仕返しとばかりに顎をもたげ、不敵に宵星館の寮母の顔を見上げた。
「ここまで言わせておいて、いざとなったら前言撤回で雲隠れ、なんて都合のいい話にはならないといいな?」
「はぁ?」
煙草を指で挟んだ部分がぐしゃりと潰れる。
「ただの我儘坊ちゃんかと思っていたらなかなかどうして、随分と吹かすじゃねぇか」
その額にはうっすらと青筋が確認できる。
自分から先に煽っておいて、実際、相手に煽り返されての怒りように、寮生たちの視線がより一層白くなる。
「短い付き合いになることを願っているが——ひとまず、宵星館はお前を歓迎するぜ」
——ようこそ、落ちこぼれ寮へ。
皮肉たっぷりの微笑みで、寮母の男は右手を差し出した。
「俺はここの寮母をしている。ヴィルヘルム・フェアベルクだ。俺を呼ぶ時は名前でも、先生でもなんでもいい」
ただ——そう注意置きして、ヴィルヘルムは続ける。
「次からは敬意を持って俺に接しろ? さもなくば、躊躇なくど突く。宵星館では俺がルールだ」
「分かりました。ヴィルヘルム先生」
差し出された手のひらを、ルシウスは迷わず掴みに行く。
「短い付き合いになりますが、どうぞよろしく」
「こちらこそ、お手上げになったらすぐに申し出ろ? 俺の胸の中で慰めてやるからよ!」
「——結構です!」
ぐぐぐ。
互いに笑みは崩さぬまま、手の内で骨が軋む音だけが、その場に響き渡っていた。
♦︎
新寮生のルシウスと寮母のヴィルヘルム、ふたりの睨み合いは五分ほど続き。
同時に手を離すよう示し合わせたことで、不毛な争いは、ついに幕を閉じたのだった。
その後、ルシウスは今日一日で溜め込んだ疲労が祟ったらしく、青い表情を浮かべながら、逃げるようにそそくさと自室へ引きこもってしまった。
もちろん、床に散らばった料理や皿の破片を片付けることもなく、二階へ消えてしまった。 仕方なく、その場に残った全員で手分けして後始末をすることになった。
各々、ゴミ袋や箒、雑巾を持ち寄って壁際を片付け始める。
その間、寮生たちの話題は新星の問題児で持ちきりだった。
とはいえ、その内容は決して芳しいものではなかった。
「——もう! なんなんですか、あの男! ちょーむかつきます!!」
「同意。アイツ、食べ物、粗末にシタ。絶対に、許さナイ」
皿の破片を拾いながら、苛立ちの収まらないイリスが叫ぶ。
心の底から溢れ出す怒りに、別ベクトルからニヴルナの肯定が重なった。
「みんなごめんよぅ。私の早とちりで失礼なことしっちゃったから……ぐすん」
「アサギ先輩が謝るようなことじゃないですよ! あんなぶっきらぼうな人、おじさん以外に初めて見ました。天然記念物ってやつですよ♪」
「天然なおじさんって……イリスちゃんの保護者の人のこと?」
「色々混じってますけど、はい概ねその通りです♪ 家柄と研究にがんじがらめになっててぇ、ずっと眉間に皺だらけなんですよぉ。もうほんとこんな感じで——」
「あひゃひゃ! 何それ変なのー!」
言いながら、両手で無理やり眉間に皺を寄せるイリス。
その表情がツボに入ったらしく、さっきまでの沈みようはどこへやら、アサギは腹を抱えて笑っていた。
そんな少女たちの背後では、男子組が二人——湿った雑巾を手に、黙々と床の汚れを拭っている。
女子組の雑談を耳にして、ダイナーが憂鬱そうに呟く。
「くそっ……。芸術のなんたるかも知らん奴の尻拭きを、なぜオレらがやらないけんのだ!」
「仕方ない……と思う。今回ばかりは配慮が足りなかった、ぼくたちの落ち度だよ。きっとルシウスくんにも、色々と事情があるんだよ……」
「——待てよ? この怒りをさらなる芸術に昇華できれば、オレは!」
「そうだよね。ダイナーくんが真剣に他人のことで悩むなんてないよね」
相変わらずの様子に、ひとり真面目に答えていたフレイは、がっくりと肩を落とす。
汚れた雑巾をすすごうとして、バケツ内の水が濁ってきたことに気づく。フレイは水を換えてくると仲間たちに告げ、キッチンの水道へ向かった。
(みんな……文句たらたらだけど、手だけはきちんと動かしているんだよね)
アンバランスな様相に、フレイはひとりでに苦笑する。
掃除は順調。しかし、いま一つパッとしない。
あともう一人加われば、瞬く間に終わりそうなものだが……。
パズルの最後のピースは、キッチン前のカウンター席にあった。
縦に長いその背中は、宵星館の寮母のもの。
ヴィルヘルムはカウンター席に腰掛けながら、ワインのボトルを開けていた。
三十年熟成されたカベルネ・ソーヴィニヨンの風味に、恍惚とした表情を浮かべながら、歌うようにグラスを口許へ傾けている。
「みんなが頑張ってるのに……ひとりだけ優雅なんですね、先生」
「おうフレイ。お疲れ」
「労うくらいなら手伝ってよ……」
「何言ってんだ。掃除はお前らの仕事だろ?」
いじらしく頬を膨らませるフレイに、そう言ってヴィルヘルムはそっぽを向く。
どう贔屓目に見ても、寮母という肩書きが似合わない男だった。
だが、現状の不満よりも、今後の不安の方がフレイの胸の中を占有していた。
「あんな口約束、してよかったんですか?」
もちろんそれは、目下の問題——目の上のたんこぶとも言える、ルシウスについてだった。
フレイの心配に対し、ヴィルヘルムはあっけらかんと答える。
「なんのことだ」
「自分でおっしゃってたじゃないですか。全員を更生させられたら、元の寮に戻してやるって」
「あぁ、あれな? どうだ、イキリたったガキを黙らせるには最適だったろ?」
「そういうことじゃなくてですね、先生」
フレイの口から大きなため息が溢れる。
「なんで教えてあげなかったんです? 宵星館は決して更生施設なんかじゃないって……」
むしろ、その真逆。
「事実、これまで宵星館を脱出できた生徒はひとりもいないじゃないですか」
「まぁ、そうだな」
更生不可能、徹底的に頭のネジが飛んでしまった生徒が、最後に辿り着く場所。
それが宵星館。
「……元の寮に戻るなんて、夢のまた夢の話だ」
「意地の悪い」
「そっちは人聞きが悪いがな……。ある種、希望を与えてやったんだから問題ないだろ?」
「ぼくたちにしてみれば、大迷惑だけどね?」
「あっそ……俺には関係のないことだ」
「いいんですか、先生? そんなテキトーな態度とってると、痛い目見るかもしれませんよ?」
「痛い目、ね」
ハッと鼻で笑うヴィルヘルム。
「一体俺はどんな目に遭わされるんだろうな?」
煽りを忘れない寮母の姿に、フレイは静かに、しかし確かな笑顔を浮かべた。
そして、
「ねー聞いてー! 先生がさっき皆のこと、頭のネジが飛んだ馬鹿野郎って貶してたよ!」
「ばかおい! そこまでは言ってないだろ!?」
咄嗟に、止めに入るヴィルヘルム。
しかし、すぐ自身の失言に気づき、伸ばした腕が虚空で凍りついた。
背後から不穏なオーラが、炎のように立ち上がっていた。
「へ〜。そこまではってことは、近いニュアンスのことは言ってたんだ!」
振り返ると、仁王立ちするアサギの視界にすっぽりと収まっていた。
ジリジリと追い詰められ、ヴィルヘルムは乾いた笑みを唇に滲ませる。
「はは。言葉のあやってやつだ。な? だからさ、暴力反対——」
次の瞬間、アサギの背後に控えていたふたりの少女とともに、三人がいっせいにワインボトルへと飛び出した。
「ははは! この暴力教師め、普段の恨み!」
「食べ物の恨み!」
「体臭がくさい恨み!」
「おい、最後のやつただの悪口じゃねぇか!」
イリスとニヴルナに拘束され、なんの捻りもなくアサギにボトルを強奪される。
「いやーーーー!! それを取り上げないでーー!!」
悲痛な叫びがキッチンに反響する。
悲痛な面持ちの叫びがキッチンに反響する。
「うーん。ぼくがけしかけておいてなんだけど、先生ってそこそこ恨みを買ってるんだな……」
余裕があれば、明日からは少し優しく接してあげよう——そんな思いを、そっと胸にしまう。 ドタバタが日常の宵星館だけれど……。
明日からはいっそう騒がしくなる。
そんな予感で、フレイの頭はいっぱいだった。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
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