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魔術学園の宵星館(へスペロス)  作者: ヤマネ狐


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Episode3~対立~

 深い海の底を漂っているような気分だった。

 心地よさもあるが、どこか息苦しい。

 しばらくして、背中を押し上げられるような感覚が続く。


 水面がすぐそこまで迫っている。

 けれど、その先の世界はどこか騒がしく、煩わしい。

 今だって——ほら。不透明な膜の向こうで、喧しさが渦を巻いている。


「一応、縄で縛ってみたけど……。うん! いい感じじゃない?」

「本当に大丈夫ですか? さっきの二の舞になりません? 亀甲縛りにして絶望感と屈辱感を同時に与えるのはどうです?」

「きっこうしば、リ?」

「ニヴルナ先輩にはきっと縁のない言葉ですよ♪」

「ねぇイリスちゃん」

「なんですか?」

「きっこうしばり、ってなに?」

「……忘れてください」


 暗闇へ差し込んだ光とともに、ルシウスはゆっくり瞼を持ち上げた。


(……確か、寮の中に足を踏み入れて、そこで……)


 断片的な記憶を脳裏で繋ぎ合わせながら、頭の奥を脈打つ鈍痛をやり過ごす。

 両腕は背後へ回され、脚も膝を閉じたまま固定されている。妙な息苦しさの理由は、口にも縄を噛まされているせいだった。


 身動き一つまともに取れない。縄で固く拘束され、ふかふかのベッドへ仰向けに転がされている——どうやら、そういうことらしかった。


 宵星館へ堕とされ、その上で後れを取った。その事実だけが、胸の奥へ鈍い棘のように刺さっている。

 だが今は、それを気にしている場合ではない。

 ルシウスは気取られぬよう、視線だけを静かに周囲へ走らせようとした。


 だが、想定以上に拘束は強く、軽く身じろぎした拍子にベッドが軋み、その振動が足元の三人へ伝わってしまう。


「「「——あっ!」」」


 満月のように丸く見開かれた三つの瞳が、一斉にこちらを向いた。

 それぞれ異なる色と気配を宿した瞳が、ルシウスの望月色の瞳と重なる。毛色の異なる三人の少女が横へ並び、皆一様にルシウスの顔を覗き込んでいた。


「もう目を覚ましちゃったの? 早いねー」


 真ん中の少女が感心したように笑う。

 情熱を宿したような赤髪と赤い瞳を持つ少女——気を失う寸前まで、自分の腹へ跨って拘束していた、あの少女だ。

 続けて、赤毛の少女の右隣にいた長身の少女が、スンスンと鼻を鳴らしながら顔を近づけてきた。


「……ふんふん」


 首筋から鎖骨のラインをなぞるように、何かを探る仕草で匂いを嗅いでいる。

 奇行に身構えたところで、視界の隅に、ちらちらと揺れる二つの山なりが映り込み、ルシウスは目を見張った。

 耳だ。

 ただの耳ではない。顔の側面ではなく頭頂部付近から伸び、スモーキーグレーの髪と同じ色合いの毛並みに、それは覆われている。


(獣人……)


 北欧の神秘領域に潜むとされる、ヒトに近い異形の存在。

 ヒトを遥かに凌ぐ強靭な肉体を有しており、自分を気絶へ追い込んだあの蹴りは、この少女のものだったのかと、遅ればせながらルシウスは得心した。


「うん……今のところ、敵意はない、みたイ」


 胸元から顔を離した獣人の少女は、細められた琥珀色の瞳でルシウスを睨みつけながら、隣の少女たちへそう告げた。

 だが、小さく「でモ」と、付け加えもする。


「何か、よくないことを、企んでる奴、特有の匂いがすル」


 獣の嗅覚か、あるいは純粋な直感か。

 いずれにせよ、何か行動を起こした瞬間、この少女が真っ先に察知するだろう。

 ルシウスはこの少女への警戒を、脅威の赤色にまで引き上げた。


「なら、とっとと吐かせればいいじゃないですか」


 ベタつくように鼓膜に張り付くような、可憐でいて妙に艶めいた声が、辛辣に響く。

 赤毛の少女の左側。

 首の後ろで丸めたチェリーピンクの髪に、燻んだ秋空のような色合いの瞳を持つ少女。

 魔性とでも言うべきか、そこはかとない妖しさを纏った桃髪の少女は、媚びた外見とは対照的に、侮蔑を込めた視線でルシウスを睥睨していた。


「拷問なら、うち得意ですよ?」


 にたり、と少女の口角が吊り上がる。


「一回、本気で魔術師を拷問してみたかったんですよねぇ」


 瞳孔の開き切った瞳。そこには、揺らぎない狂気があった。

 その視線は、今も頭の奥へこびり付いて離れない“あの映像”と重なる。

 ルシウスの心が、反射的に拒絶反応を起こした。気付けば、謂れのない害意へ対抗するように、同等かそれ以上の剣幕で少女を睨み返していた。


「きゃー、睨まれちゃったぁ」


 甲高い声を上げ、身振り手振りで怯えたような素振りを見せる。

 が、その声色は終始平坦だった。

 白々しい態度に、周囲の少女たちでさえ微妙な顔をしている。


「まぁまぁイリスちゃん、落ち着いてって」

「でもアサギ先輩。この人、どう見ても怪しいですよ?」

「ン。勝手に家へ入ってきタ」

「だからって即拷問はどうかと思うけどなぁ……」


 赤毛の少女——アサギは腕を組み、顎へ指を当てながら独り言のように呟いた。

 眉一つ動かさず、まるで夕飯の献立でも考えているかのような気軽さで。


「困ったな。私は血とか悲鳴とか、苦手なんだよね」


 すると、イリスがふわりと微笑む。

 その笑顔だけが、妙に自然だった。


「頭をかち割るわけにもいきませんからね……。なら、頭の中に直接聞いてみます?」


 その一言が、ルシウスの思考を瞬時に凍てつかせた。


(こいつら、使えるのか……!?)


 〈学園(スクール)〉に属する者ならば、禁術の一つや二つ修めていても不思議ではない。

 精神干渉系術式。一般に、禁術として扱われる類の魔術。

 その単語が脳裏をよぎった瞬間、胸の奥へ冷たいものが流れ込んだ。

 痛みなど問題ではない。恐ろしいのは、“暴かれる”ことだ。


 魔術師にとって、神秘の露見は死より重い。

 カルデンソフィア家の神秘。

 それが、この少女たちの手へ渡るのを想像して、全身の毛穴が粟立った。


(——それだけは、絶対に許されない)


 口へ押し込まれた縄の向こうで、言葉にならない叫びが喉を押し上げた。

 しかし、


「うーん、それはないかな〜」


 予想に反して、アサギは難しそうに唸りながら、イリスの提案をあっさり却下した。


「なら、爪剥ぎ系?」

「違う違う」

「え、じゃあ内臓系?」

「待ってイリスちゃん。なんで物騒な発想ばっかり出てくるの? ていうか私、血苦手って言ったよね!?」


 会話が進むにつれ、精神操作は本命ではないらしいと分かり、ルシウスの肩からわずかに力が抜ける。

 同時に、先ほどまで本気で恐怖していた自分への苛立ちと、目の前で生産性も欠片もないやり取りに垂れ流されたことに対する怒りが、ふつふつと湧き上がってくる。

 アサギは軽く咳払いすると、ルシウスの口元へ手を伸ばした。


「まずは、何か言いたいことがあるなら聞いてあげようかな。せっかくだしね」


 口へ噛まされていた縄が、するりと緩む。

 呆気なく外されたくつわの存在意義に、正直、疑問を抱かずにいられない。

 何がしたいのだろう、この少女たちは……。


 目的がその場その場で変化するような印象を受ける。

 どうにもちぐはぐな彼女たちの行動原理に、困惑を禁じ得ないながらも、ルシウスは、解放された瞬間に堰を切ったように言葉を吐き出した。


「誤解だ——俺はお前たちが想像するような輩じゃない。今日から宵星館へ転寮することになった、〈学園(スクール)〉の生徒だ!」


 その言葉を聞き、アサギとニヴルナは顔を見合わせた。


「そんな話あったっけ?」

「さあ。ルナ、知らナイ」

「だよね! 私も聞いてないや」


(——なに!?)


 背中を嫌な冷や汗が伝う。

 転寮の手引き書には、事前に通達されていると書かれていたはずだ。

 伝達ミスか?


(いやどうであったにしろ、こんなことになるなんて、誰が予想できるんだ……)


 相手の知識を前提に説得を始めた以上、その前提に穴があれば理屈は崩壊する。

 そして、その綻びを見逃すほど、この桃髪の少女は甘くなかった。


「——嘘つき♪」


 ぽつり、と。

 となりから投げ込まれた爆弾に、二人の少女が振り返る。




———『続』———


 最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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