Episode2~宵星館~その2
「空き巣魔——確保ォーーッ‼」
早朝に浴びる朝日のような煌めきで、“それ”は天井から降ってきた。
やけに気合いの入った声を背中に受け、ルシウスは反射的に身を翻した。たちまち身構えようとして、一歩遅かったことを悟る。
振り返った時にはすでに、目と鼻の先に“そいつ”がいた。
そいつは浮遊しているのではない。天井から真っ逆さまに落下してきていた。
「——かはっ!」
次の瞬間、腹部と背骨に鈍い痛みが駆け抜ける。急激に内臓を圧迫され、喉から声にならない悲鳴が溢れた。
そいつは腹の上へ勢いよく着地すると、目下まで追い詰めた少年の両肩を、間髪入れず床へ縫いつけた。掴まれた肩の骨がみしみしと軋み、決して逃がさないという意思が、骨の髄まで染み込みそうなほどに感じられる。
「よしっ! 捕まえた! って、ありゃりゃ、思ったより若い顔」
両肩に加わる圧力とは裏腹に、底抜けに明るい呟きが腹の上で弾けた。
薄れかけた視界の中、ルシウスは声の方を射殺す気迫で睨みつける。
「……ッ‼」
茜色の瞳を輝かせた、小柄な少女。
その細腕のどこにこれほどの剛腕を隠し持っていたのか、甚だ疑問ではあるが、魔術師の住処に足を踏み入れた者に、そんな野暮な質問を投げかける必要はないだろう。
空間の揺らぎから感じられる。
この少女は、魔術を行使している。
「なにものだ……?」
絞り出すようにして放つ。同時に、一つの可能性が脳裏を掠めた。
(まさかこいつ……空き巣犯?)
脳裏を掠めた推測を、ルシウスは即座に否定した。
確かに、この少女がルシウスより先に館内へ侵入していた可能性はある。だが——それにしては、動きが妙だった。
天井へ身を潜め、不審者の侵入を待ち構えていた挙動。
そして何より——。
「みんなー! もう出てきても大丈夫だよー!」
腹の上の少女が、弾んだ声を張り上げる。その一言で、確信に近いものが生まれた。まるで、自分たちの居場所へ侵入してきた外敵を排除した——そう信じ切っている者の口ぶりだった。
十中八九、この少女は宵星館の住人だ。
だが、それならなおさら説明がつかない。
なぜ新寮生のルシウスが、在寮生と思しき少女に組み伏せられているのか——。
(ダメだ。思考がまとまらない)
乱れた呼吸のままではまともに思考がまとまらない。
深く考えるのはやめ、すべての疑問が解消されることを願って、ルシウスは一時的に少女の言葉を待った。
「何者って、それはこっちのセリフだよ? 空き巣のお兄さん!」
「……は?」
予想した通りの返答に納得する一方、探偵気取りの少女の態度に、嘆息を禁じられなかった。
迷いなく突きつけられた指先。断定の眼差し。事実に裏打ちされていないにも関わらず、確信に満ちたその表情に、沸々と殺意すら湧いてくる。
「そんな怖い顔しないでよ。悪いのはそっちでしょ? 私は悪くない。ノットギルティー」
「……誤解だ。俺は空き巣じゃない。直ちに拘束を解け!」
「あーあー、聞こえなーい。空き巣のお兄さんの声なんて、なにも聞こえなーい」
その軽さが、余計に神経を逆撫でした。
ルシウスは腰を捻って無理やり拘束を振り解こうとするが、それに対抗して少女の細く引き締まった太腿も、締め付けをさらに強固にする。
じわじわと締め上げられる腰の窮屈さに、ルシウスは苦悶の表情を描いた。
その最中、先ほどの呼びかけに応じるように、天井付近から別の声が降ってきた。
「本当ですか? 先輩って、たまにドジるから心配なんですけど……」
「大丈夫だって! というか、むしろ手伝って欲しいんだけどッ!」
「うち、力仕事は専門外なんで……」
「なら、ルナちゃんでいいから! 早く助けて! このお兄さん、意外と力強いんだよ〜」
目線の先で、軽口の往来が繰り返される。
「今夜のおかず半分あげるから‼」
赤毛の少女が声を張り上げた直後、二階の吹き抜けからもう一人が飛び降りる気配がした。
視界の外に、静かな着地音が響く。全身は捉えられなかったものの、足音だけでこちらへ向かって来ている光景が、頭の中で再生できた。
「約束だナ?」
あどけなさを残したハスキーボイス。
待望の救援に、赤毛の少女の顔へ光明が差し込む。
「うんうん。約束! 約束するから!」
「嘘つかナイ?」
「つかないつかない。私が嘘をついたことなんて、多分、きっと、おそらく、一度もない!」
「……乗ッタ」
「乗っちゃうんですか……。ほんと、ニヴルナ先輩って食べ物に弱いですよね」
最後の一人が、階段を使って降りてきた。
呆れの色を滲ませながら、妙に耳へ絡みつくような声色が近づいてくる。
気がつけば、三人の少女に囲まれていた。
だがルシウスに、気を緩める余裕はない。
脱出の隙を探りながら、少女たちの会話へ神経を集中させる。
「四割型嘘ですよ、それ」
「嘘じゃないもん!」
「え……、ルナに嘘ついたのカ?」
「おや、流れが変わったぞ?」
間抜けな声が腹の上から放たれる。
なんとも気が抜けそうなやり取りだが、努めて冷静に、その時を待つ。
「——ってそうじゃなくって! このお兄さん、すごい力で暴れてるの見て分からない!?」
「そうですねぇ」
「ウソなのカ?」
「言うてる場合かっ!」
辛抱ならんといった具合に、赤髪の少女はふたりへツッコミを入れる。
その瞬間、彼女の意識が自分から逸れたのを、ルシウスは見逃さなかった。
——今だ。
咄嗟に、ルシウスは呪文の詠唱を始めた。
「『祖は彼方の星団』『昏き天蓋は巡る』『因果を射抜く、オリオンの矢』——」
一斉に三人の目が見開かれた。驚愕を纏った三つの視線が交差する。
だが、これは囮に過ぎない。焦った目下の少女が詠唱を止めようと、ルシウスの口を塞ぐため肩から両手を離した瞬間こそ——逆転の狙い目だった。
やがて、その時は訪れる。
「——詠唱!? まさか魔術師!?」
直後、少女の手が離れた。
彼女はものの見事に、ルシウスが仕掛けた罠へ引っ掛かってくれた。
思惑通り、黒髪の少年は詠唱を破棄し、上半身を跳ね上げて少女を振り落とす。
たちどころに右脇から「わっ」と小さな悲鳴が上がったが、気にする余裕はない。
流れるような動作で少女の襟首を掴み、引き寄せ、そのまま背後を取る。
羽交締めへ移行しようとして——、
「……っ!?」
突如、横合いからの強烈な一蹴りが側頭部に炸裂した。
脳震盪。視界がチカチカと明滅する。
体勢を維持できず、襟元からも手が滑り落ち、ルシウスはそのまま床へ倒れ伏した。
闇へ沈む意識の中で、最後に見たのは——三人の少女。
そのうちの一人。
頭ひとつ分抜けた長身の影が、こちらへ足裏を向け、無言のまま立っていた。
怨嗟の一つでも吐くべきところだったが、そんな余裕はすでになく、次の瞬間、ルシウスの意識は完全に闇の中へ溶け込んでしまった。
———『続』———
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