Episode9~私を視て~その5
会場がどよめく。五割が試合の継続に歓喜し、三割は呆れたように肩を竦める。残りの二割は、不安そうに試合の変遷を見守っていた。
中庭中央で倒れ伏したルシウスが、ゆらりと立ち上がったのだ。
満身創痍で足取りはおぼつかない。けれど、少年は確かにその両足で体を支えている。
あまりの胆力に一瞬目を見開くサイード。
「おいおい。マジかよ、その体でまだ動くか?」
脱落判定だろ——そんなことを内心で毒づく。
そして僅かに眉を上げる。
ボソボソとルシウスが何かを呟いているのだ。
それはサイードに向けられたものでもなく、また意味を持った言葉でもない。
だが決してそれは、高尚なものなどではなかった。
言うなれば——呪い。
「示さねば示さねば示さねば示さねば示さねば」
そうして、近くに転がっていた小さな石ころを拾い上げ、ルシウスは自らの腕目掛けて深々と突き立てた。
皮膚は裂かれ、その内側から少なからず血肉が溢れ出す。
あまりにも異様な雰囲気に、サイードは一瞬だけ呑まれそうになる。が、すんでのところで踏み止まり、何とか拳を構えた。
(瀉血、じゃないな、あれは……)
意図的に傷をつけているのは確かだ。だが、目的がまるで違う。サイードはルシウスの手の軌跡を視線でなぞり——ようやく合点した。
刻んでいる。
文字を、刻んでいるのだ。
「あいつ、自分の腕に術式を刻んでるのか……!」
誰に言うでもなく、声が漏れた。
ルーン文字。
古い言語体系を魔力の媒介として応用した刻印術式の一形態。紙や石に刻むのではなく——自身の肉体そのものを媒介にしている。
魔術の行使には精巧な魔力操作が不可欠だ。
領域型術式であれ刻印型術式であれ、その根幹は変わらない。
そしてその集中力を最も効果的に遮断するのは、痛みだ。だから魔術師の戦闘は基本、短期決戦が鉄則である。
(それを、わかった上でやってるのか……?)
あそこまで来ると、逆に正気を逸しているとは思えない。
あれは、痛みを無視できるほど追い詰められた人間の顔ではない。痛みを承知で選んだ人間の顔だ。
その事実が、形容しがたい種類の恐怖を、サイードの胸に落とした。
やがて文字を刻み切ったのか、ルシウスは小石を脇に放り投げた。
手の感覚を確かめるようにグーパーを繰り返し、それから鋭い目でサイードを睨みつける。
「———っ!」
反射的にサイードは防御を固めた。
ふっと視線の先から影が消える。先制してきたのはルシウスだった。
迷いなくルシウスは、血だけの拳をサイード目掛けて振り下ろす。
以前に比べたら、見るからにキレの鋭さは落ちている。
避けること自体は容易にできそうだ。
しかし、サイードは頑として迎え撃つ構えを取った。
いかなる術式を刻もうが、今のルシウスが行使できる規模は限られている。
それは術式の発動方式が刻印型である点もさることながら、彼の肉体的精神的疲労度を鑑みれば、自明の理である。
「……一撃で沈むことはないだろうな」
願望ではない。積み重ねてきた分析の果てに辿り着いた結論を口にして、サイードは一旦、刻まれた術式の正体を探るべく、鋼鉄の腕で受け止めることにした。
——が、しかし。
接触した瞬間、腕が大きく弾かれた。
(力負け……じゃない。これは——)
刹那、耳に不快なノイズが奔る。
「振動……!?」
肌が触れた瞬間、強烈な振動がサイードの腕の内側を走り抜けたのだ。
ふと見下ろせば、鋼鉄の皮膚の表面には、早くも細かな亀裂が走り始めていた。
物体を細かく振動させる術式。
サイードの所感として、振動数はかなり高く設定されているのだろう。接触面を通じて伝播し、硬質なものほど内側から崩していく性質を持つ。
サイードの鋼鉄の皮膚は、それ自体が硬いがゆえに、天敵といっても差し支えない。
だが、その直後、サイードはルシウスの息が先ほどよりも上がっていることに気づく。
右腕をわずかに庇うような仕草。
(——なるほど、着眼点はいいが、同時に自らの身体にも刃を向けるか……)
術式の規模からして、自身の肉体へのプロテクタまでは用意できていない。
不快なノイズが聞こえたのも、拳が振り下ろされた後の僅かな時間だけだった。
常時振動させていないのは、刻印型術式として当然の仕様——つまり。
「攻撃するたびに、同じ衝撃が自分の腕に返ってくる。連発できない、か」
弱点を確信したサイードは、防御から攻勢へ切り替えた。
疲弊している今が好機。
拳を振り上げた、その瞬間。
ルシウスは構わず、右腕に力を溜めた。
諸刃と知っていて、それでも彼は振るうのだ。
両者の腕に、再び激しい衝撃が迸る。
二人とも背をのけ反らせ、数歩後ずさった。
そして勢いを殺し切ったところから、また衝突する。
その繰り返しだった。
サイードはルシウスの猛攻を鋼鉄の腕で受け止め続ける。
一方ルシウスは、サイードの一撃を、体から少し離れた位置へ小規模の結界を薄く展開することで完全には防げずとも軌道を逸らし、辛うじて凌ぎ続けていた。
打ち合うたびに、ルシウスの顔色は悪くなっていく。
それでも、彼は——止まらなかった。
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