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魔術学園の宵星館(へスペロス)  作者: ヤマネ狐


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ode9~私を視て~その3

「始めろ」


 試合の合図が——今、鳴った。

 直後——フローラとアサギの指先に、ほぼ同時に魔術式が展開する。


 淡い光を帯びた幾何学紋様は一瞬の逡巡もなく起動し、放たれた閃光が中庭を貫いた。二条の弾撃は正面からぶつかり合い、白熱する火花を四方へ撒きながら瓦解する。


 爆ぜた魔力の余波が芝生を薙ぎ倒し、見物する者たちの前髪を揺らした。  

 余波が収まりきる前に、ルシウスの足が地を蹴っていた。

 向かう先はフローラのみ。一切の迷いなく、その懐へ向かって突き進む。


 しかし、敵陣がそう易々と踏み込みを許すほど隙だらけではないことは、ルシウス自身も承知していた。

 ルシウスの出足をひと時も見逃さなかったサイードは、即座に反応し、意識が前方へ向いたその左脇を狙って強襲を仕掛ける。


 斜めから差し込まれた拳が空気を裂く。間一髪でいなしたルシウスだったが、その動きを読んでいたかのように褐色の少年が正面へ回り込み、行く手を封じた。


「どうした、ステラフォル。お家自慢の術式を披露しなくて良いのか?」


 拳と拳が交差した瞬間、サイードの声がすぐ耳元で響く。けれどルシウスは眉ひとつ動かさず、静かに言い放った。


「黙れ」

「そうかい、ならこれでも喰らってな!」


 宣言と同時に、振り抜かれた拳の軌道上に魔術式が出現する。

 躱そうとしたが、体が追いつかない。

 瞬の隙を逃さず、サイードの腕が重く空気を震わせた。


「ちっ……外したか」


 舌打ち交じりの声が届く。その視界の届かぬ場所で、ルシウスが息を詰めていた。


「……っ!」


 声とも呼べぬ、短い痙攣。

 際どいところだった。

 上体を逸らしたのち、強引に腰を落として体軸を崩していなければ、あの拳は顔面を正確に捉えていた。頬を浅く抉った衝撃だけで皮膚は割れ、熱を孕んだ血が一筋、顎のラインを伝って滴り落ちる。


 ルシウスは口を結んだまま相手の腕へ視線を据えた。

 先ほどまで褐色だったその腕は、今や重厚な金属光沢を帯びた異質な何かへと置き換わっている。


「おいおい、そんな目で見るなよ。御三家からすりゃ取るに足らない技だろ?」

「錬金術……か」

「これでも出身はエジプトでね。黄金への渇望はピカイチさ」


 喋りながら、サイードは胸元のポケットから鋼鉄のシリンダーを取り出す。掌の上で魔術式の青白い光が弾けると、その鋼鉄はたちまち形を失い、ぬるりとした動きで拳へ絡みつき、無数の針を生やした。


「くだらない」

 ルシウスは一瞥しただけで切り捨てる。


 だが、余裕は言葉の上だけのことだった。

 物質変形。錬金術の初歩と呼ばれる技法でも、その精度と速度は相当なものだ。

 門外漢のルシウスであっても、その腕前が一廉のものであることは認めざるを得ない。


「オラッ! オラッ!! どうした、躱しているだけじゃ勝負にならないぞッ!?」

「……」

「それでも御三家の魔術師か!?」


 金属を纏いながら、その拳に重さの気配がない。それどころか、打ち込みの速度は増しているようにすら感じられる。

 腕全体を何らかの術式で補助しているのだろうが、系統の見当がつかない。


 対処の糸口が掴めない以上、ルシウスは後手に回り続けるしかなかった。

 小規模の平面結界で拳の軌道をいなしてはいるが、その場しのぎの防御がどこまで機能するか、先は見えていない。


 しかも——障害はサイードひとりではない。


「……っ!」

 右の拳を捌いた直後、それを待っていたかのようにフローラの魔力弾が脇腹へ突き刺さる。


 回避の余地はなかった。

 ルシウスはたまらず奥歯を噛み締める。

 アサギがある程度フローラを抑えているにも関わらず、彼女は相方との呼吸を測り、アサギの攻撃が緩んだ瞬間だけを狙ってルシウスへ確実な一撃を差し込んでくる。


 一発ずつは致命的ではない。

 だが積み重なれば、話は変わってくる。

 八撃目を受けた瞬間、ルシウスの防御の間合いに乱れが生じた。


 当然、それを見逃すサイードではない。よろめいた横顔へ、鋼の拳が肉薄する。

 その刹那——背後から三つの礫がルシウスの肩を掠め、サイードへ向かって飛来した。

 打ち出す直前に察知したサイードは後退し、追撃を手放す。それから軌道を冷静に見極め、鋼の腕でそれを弾き落とした。


 細められた眼が、ルシウスの後方を映す。フローラの猛攻に押しとどめられながらも、そこに立つ赤毛の少女がいた。

 追い詰められたルシウスの状況を読み、強引に援護を差し込んだのだ。


「なかなかやるじゃねえか——」


 思わず漏れたサイードの感嘆は、しかし次の瞬間、別の声に塗り潰された。


「なに邪魔してくれてんだッ!! オウサカァァッ!!!!」


 中庭に怒号が炸裂する。望月色の瞳を逆立てた少年の声が、場の空気を一瞬で塗り替えた。


「手を出すなと、伝えたはずだ!!」

「え? え?」


 困惑が遠くから滲み出す。


「でも、一度仕切り直さなかったら、ルシウスくんの身の方が危なかったよ? それにお願いされたのは、足を引っ張るなってことだけだったと思うんだけど……」

「誰にも手出しはさせないとも言っていたはずだが?!」

「あれ、そうだっけ?」

「——っ! いいか! 今後一切、俺の指示したこと以外に余計な行動を起こすんじゃない! 取り敢えずいまはリヴィエールを牽制しておけ! 俺はこっちを片付ける!」

「さっきと言ってること逆だけど……まぁいっか。おっけー、やれるだけやってみるね」


 呼吸を合わせる二人と、嚙み合わない二人。

 戦況はしばらく膠着状態に陥ったが、その間、一貫して優位に立ち続けるのはフローラ陣営だった。

 アサギを釘付けにしながら、攻撃の矛先をルシウス一点に絞り、波状攻撃を継続する。

 たくみに攻守を入れ替えるフローラ陣営。

 専守防衛を強いられるルシウス陣営。

 そして——限界は、静かに訪れた。


「どうした、ステラフォル。もう足が震えてるじゃないか」

「……余計な心配だ」

「心配? 俺はただ、事実を言ってるだけだぜ」

「……だから、黙れと言っている」

「そうかい。それなら黙ってこれでも喰らってな!!」


 その言葉が終わらぬうちに、鋼の拳がルシウスの視界を塗り潰した。


 体が宙を舞う。放物線を描いて落下し、芝生に背から叩きつけられた。


 全身を鈍痛が貫き、肺の空気が絞り出される。至る所が擦り切れた体に、もはや受け身を取る余力すら残っていなかった。


 もはや、指先を動かす意思すら遠かった。


 そんな光景を前に、観覧席上のレオニスの腰が浮いた。

 審判として、弟の戦闘不能を告げるべく立ち上がろうとした——その時、たちまち横に座るレグルスにその肩を掴まれる。

 言葉はなく、彼は静かに首を横に振った。

 しばし二人の間で睨み合いが続いた。

「……」

 結局、それで観念したのはレオニスの方だった。兄レグルスの判断を尊重し、彼は席へ戻った。

 焦りを宿したその視線は、仰向けに倒れる弟の方へ一心に注がれる。


「……はぁはぁ」

 乱切りになった呼吸がルシウスの喉を焼く。


 冷たい芝生の感触が、やけに裂けた頬に沁みた。

 力なく横たわったままでも、望月色の瞳だけは動かすことができた。


 空が視界の中央に入り込む。

 白く均質な、感情を持たない昼の空。


 そこから視線を動かした先で——レグルスの視線と交差した。


 感情の機微を捉えさせない、深海の底を思わせるような碧を湛えた瞳。

 その目を捉えた瞬間、意識の奥から古い記憶が浮かんだ。


 ——いつのことだったか。

 夜の書斎で、幼い自分が泣いていた。理由はもう思い出せない。

 しばらくして、レグルスが隣に来て腰を下ろした。

 何も言わずしばらくの沈黙の後、ただ一度だけ、静かに口を開いた。


『ルシウス、わたしはお前に期待している——それだけは、本当のことだ』


 激励ではなかった。慰めでもなかった。

 揺るがない事実を確認するような、穏やかな声だった。


 その一言が、ずっと胸の奥に残り続けた。

 何年もの間、それだけを頼りに立っていた気がする。


 今の兄が自分に失望しているかどうか、ルシウスには分からなかった。

 そうなのかもしれない。

 それでも——失望されたことが、立ち止まる理由にはならなかった。


 静かな確信が、体の奥で灯った。

 熱ではなく、光に近い何か。

 指が、動いた。

 続いて腕が……。

 ルシウスはゆっくりと、しかし一切の迷いなく、体を起こした。


  最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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