Episode9~私を視て~その2
今一度、両陣営が揃い踏みになったことを確認すると、レオニスは高らかに声を上げた。
「これより決闘を始める。両陣営、名乗りをあげよ」
その言葉に従い、四人は胸元へ手を伸ばす。
取り出されたのは入学時からともにある懐中時計。鍵と戯れるイルカの紋章が刻まれた面を胸の前へ掲げると、四人は順に名乗りを上げた。
「高等部一年、白鳥館所属。フローラ・リヴィエールですわ」
「高等部二年、同じく白鳥館。サイード・アル=ザーヒルだ」
「高等部一年、……宵星館所属。ルシウス・C・ステラフォル」
「右に同じく! アサギ・オウサカでーす!」
それぞれが名を告げる中、ざわめいていた観衆も、この瞬間ばかりは静まり返っていた。
レオニスはゆっくりと頷く。
「よろしい。続いて誓約を確認する」
途端、空気が僅かに張り詰めた。
「まず、リヴィエール嬢。この決闘に勝利した際の要求を述べよ」
「わたしが勝利した場合、ステラフォル君には、カルデンソフィア家との縁を断っていただきます」
その瞬間、沈んでいた喧騒が一斉に噴き上がった。
誰もが想定外の要求に顎が外れかかっていた。
対して、ルシウスはというと——驚愕は確かにあった。
カルデンソフィアの名を直接持ち出してくるとは思わなかったが、彼から誇りを奪おうとする類のものが来ると、ある程度は覚悟していた。
だから動揺を顔に滲ませることはしなかった。
気になって観覧席へ視線を向けると、そこに座る兄の顔は、微動だにしていない。
その静けさに、胸の内で何かが一瞬だけよろめいた。
それでもルシウスは、以前のように彼女の言葉に噛み付くことはしなかった。
「承知した。ではステラフォル。お前は何を望む」
フローラの要求を受領したレオニスが、次に弟の方へ向き直る。
ルシウスは一度だけ深呼吸すると、
「ありません」
そう一言だけ口にした。
先ほどの喧騒が嘘のように、中庭には困惑だけが満ちていく。
今度は、フローラが固まる番だった。
「……なんですって?」
呟きながら彼女は眉を顰めた。
それに応えるように、ルシウスは言葉を変えて同じ内容を繰り返す。
「自分から望むものは何もありません」
「人を侮辱するのも大概になさい!」
今にも飛びかかりそうなフローラを正面で捉え、ルシウスは言う。
「本気だ」
「これは決闘ですのよ?」
「知っている」
「でしたら何故ですか!」
鋭く問い質されても、ルシウスの心が揺らぐことはない。
「図に乗るなよ。俺にとって、この決闘は単なる通過点に過ぎない。
俺が真に求めるものを、お前は持ち合わせてなどいない」
一瞬の後——フローラの表情が、凍りついた。
「……そう、ですか。どこまで行っても、わたしの前に貴方はいないのですね」
一度だけ俯く。だが次の瞬間には、いつもの強気な顔を取り戻していた。
そして、ならばと彼女は審判へ向き直る。
「レオニス様。これが正式な決闘であるならば、勝敗の条件は対等であるべきです」
レオニスが僅かに目を細めるものの、フローラは構わず続けた。
「わたしは自らの要求を提示しました。ですが、ステラフォル君は何も求めないと仰る。それでは決闘として不完全ではありませんか?」
レオニスは否定も肯定もしない。沈黙だけがその先を促していた。
「故に提案します。ステラフォル君が勝利した場合、彼にはわたしへ一度だけ命令する権利を与えるのはいかがでしょうか」
中庭のどよめきが、ひときわ大きくなった。
ルシウスは無言でフローラを見ていた。
これは——同情か。
あるいは、彼女なりの矜持か。
どちらにせよ、今の自分には与えられた施しを受け取る気はない。
そう思った刹那、さらに掛け金を上げるようにフローラが言葉を重ねる。
「内容の如何を問わず。わたしは必ず、それを履行しますわ」
これには流石のルシウスも、片眉がぴくりと跳ねた。
「勝手なことを——」
「審判殿。この条件に異議はございますか?」
咄嗟の声は、フローラの硬い意志によって遮断された。
代わりに問いを受けた群青の瞳が、ルシウスへ向く。
「俺に異議はない。ルシウス、お前はどうだ」
「……お兄様の判断とあれば、従います」
全てを兄へ預けるような返答に、フローラは複雑そうに目を細める。
だがそれ以上は彼女も、何も言わなかった。
「確認した」
弟が受領したことを見届けて、レオニスが一歩前へ出る。
「フローラ・リヴィエールは、敗北した場合、勝者の要求を一つ履行する義務を負う。
ルシウス・C・ステラフォルは、敗北した場合、カルデンソフィア家との縁を断つ」
そこで一度言葉を切り、群青色の瞳が四人を順に見渡す。
「双方の誓約を確認した。この決闘における契約は成立したものとみなす」
そんな宣言とともに、静寂が降りた。
観衆たちは口を噤み、中庭を渡る風の音だけが、場の空気をゆるやかに押し流していく。
声を出すことさえ憚られるような、剥き出しの緊張が中央の四人を取り囲んでいた。
ルシウスは前を向いたまま、静かに息を吐いた。
これ以上、考えることは何もない。
「では——」
そうして、
「始めろ」
試合の合図が——今、鳴った。
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