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魔術学園の宵星館(へスペロス)  作者: ヤマネ狐


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Episode7~災難~その4

 ルシウスは軋む膝に鞭を打って立ち上がる。


 一刻も早く少女の手当てをしようと、その身を前へ投げ出した——その時だった。 


 二つの影が、横合いからルシウスの進路上に割り込んでくる。


 それは、つい先日も噴水広場で出会した人物。

 ブロンド髪の少女と、褐色肌の少年。


「大丈夫ですか! キャロルさん!」


 倒れ伏した少女の名を呼びながら、鬼気迫る表情の少女——フローラ・リヴィエールは、彼女の肩をそっと抱き寄せる。


 一緒に駆けつけた従者の少年は、そんな主人たちを庇うように立ち塞がり、推定加害者と目されるルシウスへ向け拳を突き出した。拒絶に牽制、その両方を兼ね備えた戦闘態勢。


「!」

 そこで初めて、ルシウスは倒れた少女の正体に思い至る。


 名前からではない。目の前で交わされたやり取りが記憶を呼び起こしたのだ。


 ルシウスは、キャロルという少女と顔を合わせたことがある。

 朧げになるほど遠い昔ではない——むしろ直近の話だ。


 そうだ。

 あの日、あの場所に、フローラが伴って現れた取り巻きの中に、彼女はいた。


 てんでバラバラの呼吸で魔術を飛ばしてきた三人。自身の敵と定めたうちの一人。

 あれだけのことがあったというのに、それをルシウスは忘れていた。


 否、忘れていたのではない。

 きっと、それ以前にルシウスは——この少女のことを………。


 異形へと拳を打ち込む寸前、視界の隅に映った少女の瞳は驚愕の中に小さな敵意を宿していたことを、今更ながらにしてルシウスは思い知った。


「ステラフォル! 貴様、どういうつもりだ!」


 果てのない思考に陥りそうになったところに、褐色肌の少年の糾弾が鼓膜をつんざく。


「なぜ、モンテーニュに手を挙げた!?」


 以前に対峙した時に比べ、彼の言動には見るからに余裕がない。

 疑問や混乱、怒りの情念がその節々から顔を覗かせている。

 だが、それだけではなかった。握り締められた拳だけが、不自然なほど強く震えている。


「噴水広場の腹いせか!」


 吐き捨てるような追及を皮切りに、中庭に散っていた視線が一斉に彼らへ集まった。


 一方には同情や憐憫。もう一方には、敵意と軽蔑。


 肌の上へ幾重にも視線が突き刺さる。

 ルシウスは正面を睨み返した。


「違う!!」

「何が違う! この惨状を前にして何を嘯く必要がある!」


 さらに語気を強めて、褐色肌の少年は問責を続ける。


「自らの口で説明しろ! どうしてこんなことをしでかした! なぜ彼女を傷つけた!?」


「決めつけるな! 俺はそこの女に手をあげたかったわけじゃない!」

「なら、その手に握った指輪はどう説明する!」


 慟哭にも似た声だった。褐色肌の少年はルシウスの右手へ向け、指を突きつける。


「オレはこの目で確かに見た。指輪を握り締めたお前の拳が、そこの壁に突き刺さったわずか二秒後だ——周囲一帯を巻き込む爆発が起きたのをな!」

「言い掛かりはやめろ! 見苦しいぞ!」

「見苦しいのはどっちだ、ステラフォルッ!!

 言い掛かりと言うなら、その手の指輪を見せてみろ。見た感じ触媒じゃない。指輪程度に刻印できる術式ならオレにだって解析できる」

「……っ」


 言葉での説得を半ば諦め、ルシウスは促されるまま指輪を放った。

 褐色肌の少年はそれを受け取る。

 しかし次の瞬間、返ってきたのは納得の声ではなかった。


「なんだこれは! 貴様、ふざけているのか!」

「見たらわかるだろう。爆発の衝撃で砕けたんだ」


 三つに割れた指輪へ視線を落としながら、ルシウスは淡々と答える。


 落ち着け——そんな含みを乗せた声だった。

 しかし、相手はそれを挑発と受け取ったようで、


「この後に及んで小細工までするとは……っ!

 宵星館に身を堕とし、体裁のみならず、心までも誇りを失ったか!」


 いとも容易く超えてはならないラインを踏み越えた。


「……なんだと?」

 ピシリ。眉の上あたりで、糸が千切れる音がした。


 ルシウスの周囲を満たす空気が、たちまち肌を刺すようなものへと変わっていく。

 それを迎え撃つかのように、褐色肌の少年もまた、より険しく瞳を細めていった。


 二人の間を飛び交う火花が、今にも導火線を舐める寸前となった時———


「二人とも、およしなさい!!」


 絶叫にも似た一声が中庭を駆け抜けた。


 褐色肌の少年が錆びついた動作で振り返る。

 止血を終え、壁に預けられた少女を背にして立ち上がるフローラの姿がそこにはあった。


 肌を痺れさせるほどの声量を上げたというのに、当の本人はいつも以上に凛とした精悍な顔つきで、二人の言い争いを見下ろしていた。


 穏やかな響きで、彼女は言葉を紡ぐ。


「ステラフォル君。わたしは何もこの一件にまつわる全ての責が、貴方にあるとは考えていません。ですからどうか………事情を、お話しください」


 その佇まいは、どこか懺悔を聞き届ける神父のようであり、ルシウスにしてみれば、その告白と引き換えに最後の尊厳を刈り取らんとする死神のようでもあった。


「…………それは、できない」


 数秒の沈黙は逡巡にあらず。しかし、その唇から零れた声は秋風に攫われそうなほどか細かった。


「……っ!」

 遠くの舌打ちが、耳元で弾けたように聞こえた。


 やがて従者の少年の脇を飛び出し、フローラはルシウスの目前へと歩み出た。俯きがちな彼女の視線を追えば、固く握り締められた右手が小刻みに震えているのが目に止まる。


 だがルシウスは、フローラの正面から退く気にはなれなかった。


 それまでの静寂を切り裂くように、フローラの右腕が振り上げられる。

 口許が微かに揺れ動き、何か言葉を紡ごうとしたその時——中庭へ通じる通路のひとつから、重なり合う複数の足音が響いてきた。


「ここから爆発音がしたが、何事だ!」


 そう声を張り上げながら、真っ先に廊下の角から飛び込んできた男の姿を認めた瞬間、ルシウスは思わず息を呑んだ。


「なっ! ………レオニスお兄様!」


 今朝とは違い、その身は仕立ての良い黒のスーツに包まれている。

 胸元には紺色のネクタイ。

 見間違えるはずもない——コルレオニス・C・ヴェルミナス。

 騒ぎの中心に立つルシウスを見つけた兄は、その表情を硬くした。


「ルシウス………」


 兄のそんな反応に、ルシウスは意識が遠のくような気分だった。

 絶句した弟と、その隣に立つ少女を交互に見比べ、しばし硬直したままだったレオニスだが——次の瞬間、その背後から彼の背丈を優に超える長身の男が姿を現すや否や、その表情に隠しようのない焦燥が走った。


 「あっ、こら兄さん!」


 そう叫んで、レオニスは男の肩を掴もうとする——が、すでに手遅れだった。



 途端、中庭に揃っていた生徒全員が呼吸を忘れたように静まり返った。


 まるで伝説の一幕が現実へ侵食してきたかのような鮮烈な驚嘆が、その場にいた誰もの胸を貫いた。



 それはルシウスとて例外ではない。


 いや、むしろ彼だけが、その光景を未だ現実として受け止めきれていない様子だった。




 最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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