Episode6~歩み寄る影~その3
「そうだな。まずはこれからにしよう」
独りでに頷き、レオニスは群青の瞳で弟を真っ直ぐ見据えた。
「学園からすでに通知は受けている。
……ルシウス、宵星館に転寮したらしいじゃないか」
ルシウスの肩が、びくりと跳ねた。
「……申し訳ございません」
絞り出された声は酷く掠れていた。
喉の奥に何かが詰まっているようで、言葉は上手く形にならない。
目を伏せたまま、忸怩たる思いでルシウスは深く頭を下げた。
「家名に泥を塗るような結果になってしまい……万死に値する思いでございます」
床と平行になるほど腰を折った弟を見下ろし、レオニスは小さく息をついた。
咎めるためのため息ではない。困ったような、どこか言葉を選びあぐねたような気配だった。
「なに、責めているわけじゃない」
それだけ告げると、レオニスは視線を僅かに外し、右手で目尻を摘んだ。
すぐに戻したその指先には、ほんの僅かな逡巡が滲んでいる。
「それに、過ぎたことを蒸し返すのは性に合わない」
顔を上げるよう促す声は穏やかだったが、ルシウスの耳にはひどく遠いものに聞こえた。
そろそろと持ち上がった弟の顔は、どこか強張っている。頭上に岩でも載せられていたかのような、ぎこちない動きだった。
「それよりも、聞きたいのはお前の今後についてだ」
レオニスはそこで一度言葉を切り、弟の反応を確かめるように見た。
「この結果を受け、お前はどうするべきだと考えている?」
「この汚名を払拭すべく、速やかに宵星館を脱出して見せます」
「ほう……」
レオニスの眉が、ほんの僅かに動いた。
「そのために、寮の監督者から試験を与えられたそうだな。宵星館の住人全員を更生させなくてはならない、そうだな?」
「……っ!」
不意に投げられた言葉に、ルシウスは息を詰まらせた。
なぜそこまで知っているのか、という驚きが先にたち、すぐには言葉が出てこない。
「お前に、それができるのか?」
獣が唸るような低く、静かな問いだった。
交差する視線。
兄の試すようなそれに晒され、乾いた舌を湿らせてからルシウスは答えた。
「可能です」
「であるなら、どうしてお前は学園に一人でいる?
彼ら彼女らを更生させると言うのなら、今はそばを離れるべきではないのではないか?」
レオニスの問いは、矢継ぎ早と言うより、弟の胸の内を一つずつ手繰るようだった。
図星を刺されたルシウスは、一瞬だけ視線を泳がせた。
だが、誤魔化す気にもなれず、結局彼はありのままを口にするしかなかった。
「おっしゃる通りです。不甲斐ないばかりですが、初対面時に少しアクシデントがありまして……。今は、ほとぼりを覚ますためにも、彼らとは距離をとっている現状です」
「それで彼らの更生が叶うと思うのか?」
「いえ。当初は、寮生一人ひとりに合わせたカリキュラムで導くつもりでした」
発言の中で、ルシウスは己の唇を噛む。
「ですが、このような体たらくが続くようであれば、強行的な手段に出ることもやむを得ないと、今は考えております」
更生させる手段は、相手自身の変化に限る必要はない。
重要なのは、周囲がそう認めること。
彼の考えは、昨日の噴水広場からその方針へ傾いていた。
「ほう……」
レオニスは、今度こそ興味深げに目を細めた。
だが、その視線は温かいものではない。ただ、弟の腹づもりを図るような静かな観察だった。
「現在、彼らとの関係に手間取っていることは事実です。
ですが……いずれ、宵星館を脱出して見せます」
ルシウスはそこで、少しだけ語気を強めた。
「カルデンソフィア家の誇りにかけ、必ず遂行いたします」
その言葉に、レオニスの表情がわずかに固まる。
家名やその誇りをかける——そうした言葉は、この家では重大な意味を持つ。
一度口にした以上、撤回は許されない。
レオニスはそれを知っているからこそ、すぐには頷かなかった。
「……そうか」
短くそう零し、一つ息を吐く。
「この件に関して、オレや兄さんに指示を仰ぐ必要はない。
また、こちらからも何かを命じるつもりは一切ない」
声音は平然としたものだったが、どこか釈然としない想いを滲ませていた。
「以降の選択は、すべてお前の判断に委ねる」
続く言葉は、兄としてではなく、カルデンソフィア家の側に立つ者としてのものだった。
「一族の名に誓った以上、恥のない結末を掴み取りなさい」
「——はい!」
力のこもった返事が、神秘に切り離された一室に落ちる。
レオニスはそれを聞いて、ようやく僅かに頷いた。
「ふう。さて、雑談はここまでにしよう」
その声に、ルシウスは反射的に顔を上げた。
先ほどまでの話が本題ではなかったことに、驚きが遅れてやってくる。
「ここからが本題なのだが……」
空気が一段、重くなる。
絵に描いたような前置きの先を、ルシウスは固唾を飲んで見守るしかない。
「本日の正午過ぎ、ここへレグルス兄さんが訪問する手筈となっている」
「レグルスお兄様がいらっしゃるのですか!?」
その名前を耳にして、ルシウスは椅子を鳴らさんばかりの勢いで身を乗り出した。
抑えていた声が、思わず弾む。
「ああ。この度、オレの魔術工房が〈観測丘〉から〈学園〉に移転することになった。
兄さんはその付き添いだ」
観測丘——それを聞いてルシウスは、兄の右肩に巻かれた懐中時計に刻印されたレリーフを一瞥する。
一匹の黒猫が頭上の満月を仰ぐ姿を象った紋章。
それは〈学会〉の管理する研究機関の一つであり、古き理論に囚われず、常に新たな魔術体系の構築を掲げる革新派の巣窟として知られている。
現在、レオニスはそこの大学部に所属していた。
学生の身でありながら、すでに個人の魔術工房を所有することを認められていることは、ルシウスとて把握している。
だが、その工房がまさか〈学園〉へ移されるなど夢にも思わなかった。
「つまり、レオニスお兄様はしばらく、〈学園〉にいらっしゃるということですか!?」
「期間は未定だが、数ヶ月はここに根を張ることになるだろうな」
「……!」
歓喜とも安堵ともつかぬ感情が、ルシウスの胸いっぱいに広がっては染み渡っていった。
兄が学園にいる。
それだけで、まるで足元に据えられていた石が少しだけ軽くなったようだった。
「でも、どうしてお兄様が……」
「気になるか?」
レオニスとしては、何気ない問いかけだったのだろう。
しかし、問われた瞬間、ルシウスが首がもげそうな勢いで頷くものだから、苦笑まじりにレオニスは口を開いた。
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