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魔術学園の宵星館(へスペロス)  作者: ヤマネ狐


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Episode6~歩み寄る影~

 それが夢であると、ルシウスはすぐにわかった。


 幾度となく味わった感覚。

 その身体に刻まれた神秘が、この宇宙の鼓動に呼応しているのだ。

 抗うことはできはしない。


 ただ、定められた刻の断片を——目を逸らすことも叶わぬまま、見届けることしか、許されていない。


 ——そこは、学園東部の校舎の中庭だった。


 石壁にはイルカが鍵と戯れる紋章が刻まれ、その周囲を囲む三角の中に五芒星の意匠が重なっている。

 横切る陽光の中で、それらはぼんやりと浮かび上がっていた。

 開放的な頭上から陽光が差し込み、そこでは生徒たちの談笑する声が響いている。


 正午を告げる鐘が鳴っていた。

 一陣の風が中庭を渦巻き、先端が緑がかった白髪がくすぐったそうに揺れる。

 その瞬間——泡が弾けるような笑い声がした。


 日向の影で、クラゲが嗤っていた。


 ぷくぷく。くすくす。ゆらゆら。からから。


 学園の制服に身を包んだ少女の背後へ、ゆっくりとにじり寄っていく。

 雲のような触手が、静かに伸びる。


 次の瞬間——赤い血飛沫が空を舞った。


 廊下に少女が蹲っていた。

 肩を抱え、小刻みに震えながら。


 近くの壁にはクレーターが口を開け——その傍らに、自分が立っていた。


 ただ呆然と、なにもできないまま。

 やがてこの意識は、望月色の瞳に吸い込まれていった。


 ——その途端、世界が裏返った。


 知っている。

 この惨劇の匂いを、ルシウスは知っていた。


 血の海。

 尸の山。

 その中心には、ひとりの少女。


 かつて生徒だったものを片手にぶら下げ、その皮膚の一部をもいでは口に運んでいる。

 まるでチョコレート菓子を頬張るように。

 その横顔はとても恍惚としている。


 嗤っている。壊れた人形のように、ただ嗤っている。


(……また、か)


 目の前の少女の首が、ゆっくりとルシウスを振り向いた。

 視線が重なり合い、淡いピンク色の唇が微かに上下する。


『ぜんぶ、ぜんぶ、あなたのせい——』


               ♦︎


 9月16日。木曜日。


「——っ!?」

 飛び起きた瞬間、肺が酸素を求めて脈動した。


 荒い呼吸。

 全身にまとわりつく汗。

 視界に映るのは、いささか新鮮さが残る天井の景色だった。


(眠っていた、のか……)

 額に手を当てながら、これまでの自分に想いを馳せる。


 部屋の時計を仰げば、昨日ランニングから帰ってきた頃と同じ時刻を示していた。

 重たげな身体をゆっくりと起こし、ルシウスは隣の机へと向かった。


 引き出しを開く。

 栄養補助食品が並ぶ中から薬瓶を手に取り、中身を確かめた。

 やはり、昨日から数は変わっていない。


「……そうか」

 嘆息とともに、引き出しを閉じる。


 もう少し調査をしてから改めて……という腹づもりだったが。

 思いがけず、眠ってしまったようだ。

 そのせいで、夢を見た。確実に起こるという破滅の未来を含んだ予知夢を……。

 ルシウスは、視てしまった。


「……また同じ、か」


 先日だけじゃない。ここ一ヶ月ずっと同じ予知夢を、ルシウスは繰り返し見続けていた。

 血の海。尸の山。少女が人を喰う映像。

 けれど、今朝はそれだけじゃなかった。


 夢の前半に視たあの映像は、これが初めてだ。

 破滅の因子の強度や時空間的な距離によって、感知のタイミングは変わる。

 おそらく、今朝で予知の感知圏内に入ったのだろう。


 この寮に来てから想定外が積み重なり、忘れかけていたが。

 まだ、運命は変わっていないのだ。

 刻一刻と、破滅はもうすぐそこまで迫っている。

 こんなところで、足踏みをしている場合ではない。


 今すぐにでも対応に乗り出したいのは山々だが、そもそも根本的な話、ルシウスは知らない。

 あの光景が、いつ起きるのか。

 どこで起きるのか。

 何が原因であるのか。

 捉えられるのはその断片だけ……。


 この身に刻まれた術式は、不完全もいいところなのだ。


 だからこそ、一刻も早く、破滅が潜む擬似宇宙結界の中に戻らなくてはならないのだ。



 自室を出て談話室へ降りると、キッチンに立つフレイが驚いたような表情を浮かべていた。


「あ、おはようルシウス君。今日はゆっくりなんだね。

 て言っても、十分早い方だけどね?」


「……」

 ルシウスは無言のまま彼を見つめる。


 そう言うあんたはどうなんだ——そんな言葉が喉元まで出かかったが、なんとか嚥下する。

 フレイはそんな彼の視線を気にしつつも、再び手元の作業へと戻った。


「ちょうど、ぼくの朝ごはんができたんだけど……少し作りすぎちゃって。よかったら半分どうかな?」


 カウンターの上に差し出された皿からはゆらゆらと湯気が立ち昇る。


 言っていることは、なまじ嘘でもないらしい。

 皿の中はどう見たって、一人分の量しかない……。


 しばし、皿の上で視線が交差する。

 そして、ルシウスが口を開きかけた——その瞬間。


「おっはー! 今日は遅いじゃん、ルシウスくん!」


 背後から溌剌な声が脳天を突き抜けると同時に。


 スパァン!!


 乾いた音とともに、ルシウスの臀部へ衝撃が走った。


「???」

 突然の出来事に全身が凍りつく。


 自分が今なにをされたのか——痛みが臀部に滞り、視界の端に赤毛が揺れる。

 ふたつが頭の奥で結びついた時、ようやく理解が追いついた。


「このっ、お寝坊さんめ!」

 淀みを知らない純粋な声に、ピシリとルシウスの額に青筋が走る。


 不意をつくような彼女の奇行に、頭に血が上るのも当然のこと。

 しかし、大半の熱量は両頬に集中していた。


「オ ウ サ カ ァァァァァッ!!!!」

 ごった煮の感情を乗せた、天を引き裂く勢いの絶叫。


 振り向きざま、ルシウスの拳が唸りを上げる。


「ひゃっ!?」


 アサギは寸前で身を捩り、小さな悲鳴を置き去りにして慌てて飛び退いた。


「どうしていきなり攻撃するのさ!?」

「それが分からないほど、お前の脳みそは落ちこぼれているんだな!!」


「ちょっと、フレイくん助けて!」

「……今のは擁護できないよ。アサギちゃん」

「うそー!?」


 キッチンへ救いを求めたアサギだったが、あっさり返された一言に、その顔がさらに強張る。 

 繋ぐ二撃、三撃目が回避を続けるアサギに襲いかかる。

 ルシウスの反撃は緩むどころか、苛烈さを増していくばかりだった。


 それに応じて、ヒーヒー言いながらアサギのステップも加速する。

 そんな風にドタバタ騒がしくしていると、自室に潜んでいた他の住人たちが目覚めてくる。


「もうなんですかこの騒ぎは……やかましくてゆっくりできたものじゃないんですけど」

「……」

「おはよう、イリスさん。それとダイナーくんも」


 不満たらたらで階段を降りるイリスの後ろを、無言のままダイナーが続いていた。

 顔を出した二人に声をかけ、フレイは新たな朝食の準備に入る。


「朝っぱらからなんなんですかあれ」

 カウンターの椅子を引きながら、イリスは背後のいざこざを一瞥する。


 純粋な殴る避けるの応酬は、いつしか魔術を絡めた肉弾戦に発展していた。

 ルシウスから繰り出される身体強化の術式によってブーストされた右ストレートを、局所的に展開した平面結界でアサギが防ぐ。


 一撃が防がれるたび、その余波が床を伝い、カウンターに着いたイリスの眉間へ皺を刻んだ。


「ちょーメイワクなんですけど。フレイ先輩、なんとか止めて下さいよ」

「うーん……正直関わりたくないかな」


 すでに視線を外していたフレイは、困ったように曖昧な相槌を返す。

 そんな二人の様子を横目に、秘策があるとでも言わんばかりに、ダイナーが密かに微笑んで。


「ダイナーくん」「先輩」

「「——はお呼びじゃないから」」


 示しあわせもなく飛んできた二本の制止に、ダイナーは寂しげな表情を残して、懐に伸ばしかけた手を机に戻した。


 その時だった。

「——ちょっとアサギちゃん!?」

 ルシウスの隙を見て、アサギがキッチンの中に逃げ込んできたのは……。


 だが、あろうことか彼女の蛮行はこれに止まらず。


「ごめんねフレイくん。しばらく盾になって?」


 彼が手にしていた包丁をシンクに放り、アサギはフレイの背中から肩をがっちりと掴む。

 そんな彼女の暴挙に、真っ先に非難の声を上げたのはルシウスではなく、自らの朝食を待っていたイリスの方だった。


「ちょっとアサギ先輩! 先輩の邪魔をしないでください! 

 うちの朝食が遅くなるじゃないですか!」


 桃髪の少女から赤毛の少女へ、抗議の視線が注がれる。


「喧嘩ならよそでやって下さいよ!」

「ぶー! イリスちゃんのケチ! まあいいよ。先輩を大事にしない後輩ちゃんがどうなるかその身に教えてあげるんだからね!」


 言うが早いか、アサギはイリスが皿に置いていたソーセージをひょいと摘まみ上げ、口に放り込んだ。


「あー! うちのソーセージ!」

「もごご……先輩を軽んじるとこうなるんだよ? イリスちゃん」

「………もう、怒りましたからね。先輩……」


 そうして、今度はそこの二人で大乱闘が始まった。

 それを眺めていた誰も、驚く様子すらなかった。


 ——なるほど、これが日常か。

 以前寮母がぼやいていた通り、この寮では取っ組み合いの喧嘩は珍しくないらしい。


 いつの間にか蚊帳の外になっていた自身を俯瞰して、ルシウスはふと大きく息を吐いた。

 そして、フレイがアサギの拘束から外れたのを見届け、フレイの元まで歩み寄ると、その耳元へ顔を寄せた。


「……今日の昼、絶対に中庭にはいくな」

「え?」


 アサギたちの対応に追われていたフレイは、反射的に頷く。


「う、うん。わかった」


 だが——どういう意味だろう。

 そう思って振り返った時には、すでにルシウスの姿は談話室から消えていた。


「……なんだったんだろ」


 忠告。それとも脅し……。

 得体の知れない胸騒ぎだけが、フレイの胸に残る。

 その後、騒ぎもひと段落した頃。


「……あれ?」


 フレイは、カウンターの上を見て目を瞬かせた。

 自身のために用意していた朝食が、きっかり半分だけ綺麗に消えていたのだ。


「誰か食べた?」

「いや?」

「うちも知りません」


 ダイナーは沈黙を保ったままだが、三人とも心当たりはないらしい。

 となると、半分平らげたのは……。

 フレイはしばらく、ルシウスが出ていった扉を見つめていた。


 最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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