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魔術学園の宵星館(へスペロス)  作者: ヤマネ狐


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Episode5~見て~その3

 夕陽が沈んだ後の宵星館は、穏やかだった。

 バーカウンターの中では、すでにフレイが夕飯の支度を始めている。鍋の中でスープが静かに煮立ち、野菜を刻む包丁が俎上で小気味いい音を鳴らしていた。

 匂いに釣られてのこのこと顔を出したニヴルナが、カウンター越しに指をさす。


「ねぇ、フレイ。アレ食べていイ?」


 視線の先には、厚切りのベーコン。物欲しげな瞳で見つめるが、


「ダメだよ、ニヴルナさん。まだ味付け前なんだから」

「ムゥ……」


 軽くあしらわれ、不満そうに狼耳が伏せられる。

 その奥のソファでは、イリスが仰向けになって顔全体に青い光を受けていた。


「というか、なんで毎度懲りずにつまみ食いしようとするんですかぁ。育ち盛りなんです?」

「ルナ、育ち盛りダ」

「いや、十分育ってません?」


 自分の胸に手を当て、目の前の長身で豊満なそれと見比べ、恨みがましく呟く。


「まあ、うちだって本気出せばあれくらい余裕ですから?」

「なんか、言ったカ?」

「いーえ、空耳ですよきっと♪」


 そんなありふれた他愛もない空気。暖色の照明に包まれた談話室には、夕食前特有の緩やかな時間が流れていた。


 そこへ——ガンッ!! 

 大きな物音を立てて、突如、部屋の扉が乱暴に開け放たれる。


 何事かと、その場にいる全員の視線が一斉に振り向いた入り口には、ルシウスが立っていた。


「…………」

 凄まじい剣幕で、不機嫌なオーラがメラメラと立ち昇っている。


 いや、不機嫌なんて生易しいものでない。触れるもの全てを破壊せんばかりの殺気が輪郭をなぞるように滲んでいた。

 しかも次の瞬間には、怪獣も斯くありなんとばかりの足音を響かせ、談話室を一直線に横断していく。


 誰にも目もくれず、一直線に二階へ消えた。直後——吹き抜けの天井に、扉の閉まる音が跳ね返った。


「「「………」」」


 急な状況に誰もが理解できず顔を見合わせていると、少し遅れて、ひょっこりアサギが玄関から姿を見せる。


「あーはは……」


 乾いた笑みを浮かべながら側頭部を掻く彼女に、三人からジト目が集まる。

 そんな曖昧な態度だけで、何があったのかを悟るのは容易だった。


「アサギちゃん。凄く怒ってるみたいだったけど……ルシウス君に何したの?」


 確かフレイの記憶の中では、落ち込んでいるはずの少年を慰めるのだと、張り切って飛び出して行ったはずなのだが——あの時の威勢はどこへやら、その背中は借りてきた猫のように丸まってしまっている。


「えっとね……途中までは上手くいってたんだよ?」

「「「………」」」

「でも最後に、気楽に行こうぜベイベー、って言ったら、なんか怒っちゃって……」


 三人揃って深いため息を零す。息ぴったりの反応にアサギは人知れず肩を震わせる。


「やっぱりアサギ先輩の自業自得じゃないですかぁ」

「うぐ」

「うちは先輩の尻拭いなんて、真っ平ごめんなんで♪」

「ひーん。そこをなんとか〜、イリスちゃ〜ん」


 情けなく腰にしがみつくアサギ。それを年下の少女に足蹴にされる光景を横に、ニヴルナは神妙な面持ちで吹き抜けをじっと見上げていた。

 どこか哀れみを帯びた眼差しに、フレイが首を傾げていると、


「……ルシウス、お腹減ってル?」

「いや多分、飢餓状態だからって見境がなくなっているわけじゃないと思うよ?」


 的外れな憶測が飛び出し、フレイは困ったように苦笑する。

 とはいえ、夕食の時間も近い。ルシウスがアサギと間食を口にしていたことを知らないフレイとしては、彼の空腹を心配せずにはいられなかった。


(……放っておいて、大丈夫かな)


 胸の奥に、小さな引っ掛かりが残る。

 しばらく迷った挙句、フレイは鍋の火を弱め、エプロンを外した。


「ちょっと、ぼく様子見てくるね」

「健闘を祈る!」

「他人事みたいに言わないでよ……」


 人の気も知らず、サムズアップを返してくるアサギに、何とも言えない感情が析出するが、かぶりを振って二階へ向き直る。

 階段の先は、嵐が過ぎ去った後に似た静けさを湛えていた。廊下の窓の外には、隔絶された空間であるにも関わらず、宵星館の外——ミュンヘンの夜景が広がっていた。


 建物の外観よりも高い位置からの景色に、いまさら驚きはしない。ただ静謐な夜が自身の歩みを拒んでいる気がして、新品の扉を目指す足が重たくなる。

 けれど揺れる内心とは裏腹に、時は流れていく。


 おそらく今も激昂中であろうルシウスがいる部屋を前にして、フレイは深呼吸を三セット繰り返す。それから勇気を振り絞って、そっと扉をノックした。


「フレイです。ルシウス君、今ちょっといいかな?」


 返事はない。拒んでいるというより、続きを促すような静寂。


「夕飯、もうすぐできるけど……食べる?」

「………。必要ない」


 数秒の沈黙ののち、やがて無愛想な声が返った。


「すでに外で食べてきた」


 相変わらずの言い方だった。けれど昨日とは——どこか、違う気がした。

 まるで迷子の子供を彷彿とさせる声色に、一瞬、フレイはここへ来た目的を忘れかける。


 しばらく木目と睨めっこしていたが、それで何かが起こるはずもなく、フレイは心の中の引っ掛かりを断ち切るように小さく息を漏らした。


「……そっか」

 ここで無闇に踏み込むべきではない。漠然とだが、フレイはそう思った。


 何となく、昨日今日で扉の奥に潜む少年は変わりつつある。

 アサギによる影響であることは間違いない。

 それが彼にとって良いことなのか、まだわからなかった。

 けれど今は——ただ、そっとしておく他なかった。

 そう判断して、フレイは静かに踵を返した。


「気が向いたら、いつでも降りてきてね」


 それだけ残して、フレイは廊下へ戻っていった。扉の向こうは——静かなままだった。


                 ♦︎


 足音が遠ざかっていく。

 扉の前で聞き耳を立てていたわけではないのに、その音はやけにはっきりと耳に届いた。


 部屋の中でベッドへ腰掛けていたルシウスは、背面から布団の上に飛び込む。

 ぼふんと僅かな反発を背中に受ける。

 そのまま天井を眺めて、ルシウスは口許を苦痛そうに歪ませた。


(……なんなんだ、あいつは!)


 苛立ちが収まらない。

 凪いだ湖面に荒風が吹き付けるように、胸の奥がずっとざわついている。

 脳裏に浮かぶのは、赤毛の少女。


『——だってルシウスくんってさ、みんなを見てるようで、全然見てないでしょ?』


「……くだらない」

 吐き捨てた言葉はどこか弱々しく。妙な空虚さを抱えていた。


『相手見るって、こういうことを言うんだよ』


 頭の奥で、続けて彼女の声が弾ける。


『聞いて、話して、触れて、時々想像して——確かめる』


 フライパンの底にこびりついた焦げのように。

 それはしつこく鳴り響く。


「黙れ……」


 勝手に踏み込んできて。

 かと思えば、その場を荒らして。

 勝手に暴いて。

 勝手に理解した気になる。


「あんなもの………独り善がりに決まってる」


 そう断じては見るけれど。

 しかし、何故だろう。継ぐ否定の言葉が見当たらない。


『——だったら、落ちこぼれなわけないじゃん』


「……っ!」


 何度目とも知れないリフレインに、ルシウスは右脇を思いっきり殴りつけた。

 衝撃はクッションに吸収され、布団が軽く波打つ。

 それでもルシウスの怒りは収まらない。

 無性にイライラする。居ても立っても居られないほどに。


「……何故、あいつの言葉が離れない!?」


 あの時の彼女の声に、言葉に、温度に。

 そればかりに思考が引っ張られる。

 ルシウスは舌打ちし、顔を伏せる。

 独り言のように呟いた問いに、答えは生まれない。

 考えれば考えるほど、思考が泥沼へ沈んでいく。


「……オウサカ」


 ぽつり。夜空の星々へ囁くみたいに。


「オウサカ・アサギ……」


 意味もなく彼女の名をそらんじる。


 そのまま、いつしか意識は重く沈み始めていた。

 抗う余地もなく。深い海の底へ引き摺り込まれるようにルシウスは………。



 最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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