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魔術学園の宵星館(へスペロス)  作者: ヤマネ狐


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14/33

Episode5~見て~

 擬似宇宙結界内、学園区画近郊。

 そこには、神秘に携わる者たちだけが暮らす小さな街が存在する。

 学会関係者向けの宿泊区画としての側面を持ちながら、同時に、飲食店や雑貨屋の立ち並ぶ繁華街としても機能している場所だ。


 放課後になれば学生たちが門限を忘れて騒ぎ回り、夜になれば教師や研究員たちが酒場で疲れを洗い流す。街の中心には巨大なビアホールまで構えられており、いついかなる時も人の声が絶えることはない。


 そもそも、この街そのものが、実世界には存在しない。

 学園を含む学会の各機関が置かれているのは、【擬似宇宙結界】と呼ばれる神秘領域の内側だ。

 現実のドイツ全域にまたがる龍脈へ接続され、その"裏側"に鏡合わせのように展開された異世界であり、神代期の構築ゆえに内部環境は現代の地形や生態系とも細かに食い違う。


 完全に隔絶されているわけではなく、学会が管理する転移門を介せば現実との往来も可能だ。

 宵星館がミュンヘン近郊に位置するのも、結界内の学園周辺領域が現実のミュンヘン座標と対応しているために過ぎない。他の学生寮が学園中央区画付近へ集約されているのとは対照的に、宵星館だけが街外れへ、切り離されるように置かれていた。

 ——隔離施設。

 生徒たちがそんな陰口を叩く理由も、そこに起因している。


 そんな街の一角。

 精肉店の前に設置されたベンチへ腰掛けながら、ルシウスは不機嫌そうに足を組んでいた。


 理由は単純明快。

 もし勝手に帰れば、先ほどの騒動について余すことなく寮母へ報告する——と、アサギに脅されたからである。

 逃げるに逃げられず。

 かといって、律儀に待つ理由も見当たらない。


 結果、ルシウスはひたすらため息を繰り返すしかなかった。

 やがて、店内の扉が開く。

 両腕で紙袋を抱えたアサギが、鼻唄交じりに戻ってきた。


「お待たせ!」


 そして断りもなく隣へ腰掛けると、彼女は紙袋の中から一つ取り出し、ぐいと差し出した。


「はい!」

「……なんだこれは?」

「見たらわかるでしょ? レバーケーゼ=ゼンメルだよ」

「そんなことを訊いているんじゃな——むぐっ!?」


 次の瞬間、まるで煩わしい口に蓋をするみたいに、アサギは包装紙ごと無理やり、ルシウスの顔へ押しつけた。

 続けて彼女も一口頬張り、「んー! 最高ぅ!」と満面の笑みを浮かべる。


「フレイくんたちから聞いたよ。みんなに協力断られたんだってね」

「……」

「申し訳なさそうに話してたなぁ。だから、流石の意地悪なルシウスくんも、落ち込んでるかなって思ってさ。励ましに来てあげたんだよ!」


 露骨に顔を顰めながら、ルシウスは押しつけられたパンを引き剥がす。

 丁寧に包装を解いてから、喰い千切るように噛みついた。


「落ち込んでなんかいない」

「うそだー。ずっと噴水前で項垂れてたくせに」

「……っ」


 バッとアサギを振り返る。その表情は、ニマニマと実に愉快そうだった。

「さてはお前、最初から見ていたな!?」

「まあね。でも勘違いしないでね。君を探してたのは本当」

 慌てて訂正しながらも、悪びれた様子はない。


「見つけたと思ったら、今度はフローラちゃんが話しかけに行ったからさ。もしかして友達なのかな〜って気になって、屋根の上から覗いてたんだ!」

「ふん。趣味が悪いな」

「それは割と自覚してる」


 そこだけ妙に誇らしげだった。

 胸を張る彼女を横目に、ルシウスは盛大にため息を吐く。

 だが、そんな反応すらアサギは気にした様子もなく。

 ふと、ルシウスの横顔を覗き込んだ。


「——それで、どうだった?」

「何が」

「もう気づかないふりして〜。フレイくんたちのことだよ。実際のところどうだった?」


 しばし沈黙。

 再びレバーケーゼ=ゼンメルを頬張り、それから吐き捨てるように答える。


「"落ちこぼれ"の意味を再認識させられた」

「おー、辛辣だね」

「まさかあそこまで愚かだとは思わなかった」

「あくまでも、非は向こうにあると?」

「当然だ」

 躊躇わず断言する。

「俺は条件を提示し、対話を試みた。だが、それに耳を貸さず、一蹴したのはあいつらだ」


 しかし、アサギは煮え切らないようで、悩ましげに唸り声を上げていた。


「えー。拒絶の理由はルシウスくんにこそあると、あたしは思うけどな」

「……なぜそう思う?」

「それこそ答えは明白なんじゃないかな?」


 次の瞬間、彼女の一言がルシウスの胸を鋭く打ち抜く。


「——だってルシウスくんってさ、みんなを見てるようで、全然見てないでしょ?」


 まるで金属バットで殴りつけられたような衝撃だった。

 一瞬だけ、思考が止まる。

 それでも平静を装うように、ルシウスは鼻で笑った。


「はん! 何をいうかと思えば。俺はきちんと彼らの目を見て話していたぞ?」

「うーん……そういう意味で言ったんじゃないんだけどな〜」


 アサギは苦笑する。


「昨晩さ、ルシウスくんは、あたしたちを"落ちこぼれ"って詰ったけど、それはどうして?」

「事実だからな」


 唇へ指を当てながら繰り出された問いへ、ルシウスは淡々と頷いた。

 それを見たアサギは、小さく首を傾げる。


「じゃあさ、その評価って誰の評価?」

「……は?」

「ルシウスくん自身? それとも他の第三者?」

「比率で言えば、第三者が八割。残り二割が昨晩の体験と言ったところか」

「へー、随分と素直に答えてくれるんだね」

「嘘を吐く必要がない」

「なるほどなるほど。ルシウスくんって意外と素直なんだね」

「……話が見えないな」


 感心した様子で何度も頷く少女に、ルシウスは得体の知れない違和感を覚えた。

 吐き出す言葉も自然と刺々しくなる。


「俺に非があると主張するなら、さっさと根拠を提示しろ」

「ははは。不安になると焦っちゃうタイプなんだね」

「いい加減にしないか!」


 空気がわずかに軋む。

 通りを行く人々の視線が、ベンチへ吸い寄せられていた。

 それでも、二人とも周囲には目もくれず。

 わずかにトーンダウンしたアサギの声だけが静かに、二人だけの世界に響いた。


「——聞いたよ。フローラちゃん含め、同級生のみんなから」

「……」

「ルシウスくんについて、色々」


 その瞬間、ルシウスの瞳が薄く細められた。


「家柄。性格。得意科目。不得意科目。学園での評判。正しそうな話から、根も葉もない噂まで」

 指を折りながら、アサギは続ける。


「半日くらいかなー。結構頑張って聞き回ったんだよ?」

「……ご苦労なことで」

「ありがと」

「褒めてない」

 だが、アサギは満面の笑みを崩さない。


「ルシウス・カルデンソフィア・ステラフォル」

 そして、初めて——彼女は正式な少年の名を口にした。


「昨日まともに自己紹介してくれなかったからさ。正直、その名前聞いてびっくりしたよ」

「……」

「御三家の一つ、カルデンソフィア家の分家筋なんだってね。同時に興味が湧いて、色々調べちゃった」


 口に運ぶ手が止まる。ルシウスはアサギの双眸をまじまじと見つめた。


「羨ましいことに成績は常にトップクラス。魔術理論にも深く精通していて、知識量もずば抜けている」

「……何が言いたい」

「でもその一方で、生徒教師問わず傲岸不遜な態度を取り、賞賛にも罵倒にも動じない。相手が気に食わなければ平然と暴力を振るう」

「くだらない」

「廊下で上級生を突き飛ばしたとか、校内設備を損壊させたとか、同級生の持ち物を破壊したとか……」

「……」


 そこで、アサギはふっと笑みを消した。


「——で、最終的についたあだ名が、"カルデンソフィア家の失敗作"」


 空気が死ぬ。

 気づけばルシウスは、弾かれたようにアサギの胸ぐらを掴み上げていた。


「——俺への評価は好きにしろ。だが俺は半ば実家から勘当されている身……学園での評価は実家とは無関係だ」


 低く、耳が凍てつくような声音だった。


「いいか? それ以上カルデンソフィア家を侮辱してみろ。次はこれだけで済まさない」


 鼻先が触れそうな距離。

 普通の人間なら竦み上がるような圧力だったが、

「近い! 近いよルシウスくん!」

 アサギはむしろ楽しそうにはしゃいでいた。


「もう、そんな怒らないでよ。別にあたしは、ルシウスくんの家を馬鹿にする気なんてさらさらないんだから」

「……」

「言ったでしょ? これはあくまでも、君に対するみんなの評価だって」


 掴まれたまま、アサギは肩を竦める。


「それにさ」

 柔らかな風が、ルシウスの耳朶を撫でた。

「実際のルシウスくん、聞いてた話と全然違ったし」


「……何?」

「びっくりするくらい素直だし。不安に弱いし。合理的なくせして、変なところで大胆不敵。さっきだって、キスされるんじゃないかってドキドキしちゃったもん!」

「っ、お前——」

「でも、意味もなく人を傷つける人じゃない」

 ルシウスの激昂を遮るように、アサギは言い切った。

「だって本当にそういう人なら、フレイくんたちに断られた時点で殴ってるでしょ?」

「……」

「でも、そうはしなかった」


 月光みたいな囁きだった。


「プライドは高いのは本当。でも、傲岸不遜って感じでもない」


 それは、今まで覆い隠されていたルシウスという存在の輪郭を、少しずつ照らしていく。


「君が誇りを抱いてるのって、君自身じゃなくて、君の家そのものなんだもんね」

「……適当に知ったようなことを口にして、勝手に理解した気になるな!」


「全くもってその通り」

 予想していた否定は、思わぬ方向から覆された。


「……だから今、知ろうとしてるの」

 その返答に、ルシウスは力なく舌打ちする。


「あたしがルシウスと衝突する前にさ、褐色の人が言ってたじゃん。"御三家のくせに、なぜ領域型術式を使わないのか"って——」

 脈絡もなく投げ込まれた疑問に、あの時の光景がフラッシュバックする。


「あの時、ルシウスくんが使ってた万年筆って……もしかして魔導具?」

 アサギの言葉を聞きながら、ルシウスは黒いローブへ手を重ねた。

「刻印型術式だったから、発動が異様に速かったんだね!?」

「……そう大雑把に括るな」


 興奮気味に身を乗り出す彼女を押し留めるように、ルシウスは面倒臭そうに説明する。


「確かにこれは刻印型術式だが、蓋を開いてみれば、中身は中世以降に体系化された魔術工学理論を用いた——言わばガラクタだ。現在、魔導具と呼ばれている代物には到底及ばない」

「へぇ……でも、だったらどうして、ルシウスくんはあんな言われ方をしていたの? 刻印型術式自体、そこまで珍しいものでもないよね?」


「ハッ! 連中からすれば気に食わなかったんだろうな」

 鼻で笑って続ける。


「散々見下してきた技術を、旧家の——それも御三家の人間が行使しているんだからな。おもちゃにしては粗末すぎないかと嘲笑われたんだ」

「卑屈だねぇ。……でも実際のところさ、速かったよね実行速度」

「当然だ」


 ルシウスはここぞとばかりに頷く。


「領域型術式は、術式構築から投射、魔力循環を経て発動するまでを自己領域内で完結させる必要がある。対して刻印型は、その工程の大半を事前に済ませられる」


 冴えた口調とは裏腹に、その瞳はどこか冷めていた。


「発動速度だけなら、領域型術式を遥かに上回る場合もある。特に不意打ちならなおさらだ」

「なるほどなるほど」

「実戦では、先に術式を完成させた方が勝つ。嫌になるほど聞いた対人戦のセオリーだ」

「ふーん」


 アサギは感心したように頷いてから、不意に呟く。

「でもさ」

「……?」


「ルシウスくんが刻印型術式を頼ってる理由って、"それだけ"じゃないよね?」


 その瞬間、心臓が大きく跳ねた。

 動悸が止まらない。

 そしてアサギは、まるで今日の天気でも話すみたいな気軽さで、禁忌へ踏み込む。


「だってほら、君のその体に刻まれた神秘がさ、他の領域型術式と競合しちゃうんでしょ?」


 頭の中が真っ白になった。

「……何を言っている?」


「なんていうんだろ。無理やり折り畳まれた星空みたい」

 アサギは何気ない口調のまま続ける。

「本来なら、人ひとりの器に収まるような術式じゃないのに、無理やり押し込めて形を保ってる感じ?」


「……」

「あぁ! だからこそ、その額のゴーグルなんだね!」


 何が起きているのか、理解が追いつかなかった。

 ルシウスはハッと我に返り、ローブの内ポケットを探る。

 取り出されたのは、砕け散った石の破片だった。

 元は球状だったはずの石は、見るも無惨に砕けている。


(……あの時か!)


 アサギが飛来してきた瞬間を思い出し、ルシウスは頭を抱えた。

 あの衝撃で石が砕けたのだ。それによって、今朝仕込んだ神秘隠匿用の結界も弾け飛んだ。


「……見えているとでも?」

「まぁ、なんとなく?」

 当然みたいに首を傾げる。


「体表近くの魔力の流れを見れば、割とわかるよ」

「そんな馬鹿な」

「へぇ……これがカルデンソフィア家の神秘かぁ」


 興味深そうに、アサギはルシウスの身体へ視線を這わせる。

 ぞわり、と背筋が粟立った。

 結界がないとここまで暴かれるのか——いや、どちらにせよ無意味だったのかもしれない。


 輪郭が多少ぼやけたところで、この少女が止まるとは到底思えなかった。

 彼女の観察眼は、すでに常人の域を逸脱している。

 もはや、それ自体が一つの神秘と言っても過言ではなかった。


「なるほど、これが"|墓暴き《Grave Reaver》"か……」

 皮肉のつもりだった。だがむしろ、自分の恐怖を煽っただけだった。


「あぁ、知ってるんだ。いいよねその二つ名。ちょーイカしてるって思わない?」

「嫌悪と侮蔑を凝縮したような名のどこに気に入る要素がある?」

「響きがカッコいいんだよ」

「はは、常軌を逸しているな」

「褒め言葉?」

「違う」


 軽口を交わすことで、辛うじて平静を保っていた。

 だが、神秘が暴かれた事実は変わらない。どう始末をつけるべきか思考を巡らせていると、そんな様子を察したのか、アサギが穏やかに微笑む。


「安心して。ここで見たことは誰にも話さないから」

「……」


 まるで信用できない。

 瞳を見ればわかる。

 好奇心という感情を、まるで隠せていない。


「だからさ、もっと詳しく見せてくれない?」


 思考が完全に渋滞を起こした末、遠慮ない土足で踏み込んでくる少女を前に、ルシウスはとうとう考えることを放棄した。


 最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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