第88話 雑用令嬢、肉を焼く②
かくして始まる、空前絶後の焼肉パーティー。
「「「……っ!」」
大皿いっぱいに盛りつけたベヒーモスのお肉を前に、周囲のみなさんが揃ってゴクリと喉を鳴らす。
薄く切り分けた肉は綺麗な桃色で、一枚一枚を重ねて並べた姿はまるで大皿の上に花が咲いているようだった。
しかも、ほどよく入った白いサシまで実に美しい。
前世で言うなら、さながらA5ランクのブランド和牛……いや、魔力をふんだんに含んでいるせいか表面がどこか輝いて見えるあたり、むしろ神々しさでは遥かに凌駕していると言ってもいい。
「ではみんな、いくぞ! いただきます!」
旦那様が周囲を見渡しながら声を上げる。
「「「いただきまーす!」」」
町の人々に騎士団のみなさん、エルフやドワーフ、それにフロストーレ様たちが一斉に手を合わせる。
ジュウウウッ!
各所の鉄板へ最初のお肉が置かれていき、脂の弾ける音が広場のあちこちから響いた。
「おお……!」
「いい匂いだ……!」
肉の表面が色づくにつれ、香ばしい匂いも辺りへ広がっていく。
さっきまで壊れた家や屋台を前に沈んでいた町の人たちも、今は鉄板を囲み、焼けていく肉を期待に満ちた顔で見つめていた。
そうしてお肉が焼き上がると、次々と口へ運ばれる。
果たして、そのお味はというと――。
「「「うっっっっまぁああああああああ!!!」」」
広場中を揺らさんばかりの歓声が上がった。
「うまいっ!!」
旦那様もいつになく満面の笑顔で叫びつつ、誰よりも早く二切れ目を口に放り込んでいた。
「う~む、これがベヒーモスの肉か。さすが神話級と称されるモンスター……まさに味まで神話じみている。正直デカすぎていったいどこの肉を食べているのか皆目見当もつかんが、とにかく最高だ!」
しげしげと箸でつかんだ肉を眺めながら呟く。そこへすかさず私が説明する。
「旦那様、それは“カルビ”です」
「カルビ?」
そう。言わずと知れた焼肉の代表格。
カルビとは韓国語で「アバラ」を意味し、全体的に赤身と脂肪が層になっていて、旨みも豊富で濃厚な味わいが特徴の部位である。
「ちなみに旦那様が今食べているのは、カルビの中でも“中落ち”と呼ばれる場所で、あばらの骨と骨の間にあるお肉です。そのため骨の旨味が移って、一層味が濃くておいしい場所だとも言われているんですよ」
「ほう、そんな違いもあるのか」
感心しながら、旦那様はまた同じ皿へ箸を伸ばす。
その横ではムルウジさんや団員さんたちも、負けじと次々に肉を鉄板へ載せていた。
「おい、こっちの肉もウメェぞ! しかもなんか上品な感じがしやがる!」
「たしかに! アブラがスゥーッと溶けていく!」
「姉御、こりゃなんすか!?」
「ああ、それはロースです。とりわけ“リブロース”と呼ばれる部位ですね」
そもそもロースとは、牛や豚などの肩から腰にかけての背中の肉の総称だ。
中でも肩ロースはよく動かす場所なので少し筋があり、肉のきめもやや粗い。その代わり、そのぶん濃厚なコクとお肉らしい力強い旨みがある。
一方の腰側にあるリブロースの場合、身体の構造的にあまり動かされない位置にあるため、きめ細かなサシ――霜降りが入りやすい。
ゆえに柔らかく、とろけるような食感と脂の甘みが楽しめる高級部位なのである。
「おいアイカよ! じゃあこっちの部位はなんだ!?」
今度はフロストーレ様が、身体ほどもある一切れの肉を頬張りながら尋ねてくる。
「フロストーレ様のは“サーロイン”です」
背中の中央部から腰にかけて存在する部位。
牛肉の中で唯一「サー」の称号を与えられた最高の肉質で、柔らかく甘みがあり、ジューシーな霜降りも楽しめる。
まさに肉の王様と呼ぶにふさわしい部位だ。
「ならばこれはどうだ?」
「アグニール様……それは“ヒレ”ですね」
柔らかさなら牛肉随一。きめが細かく、脂肪や筋もほとんどない。
サーロインが肉の王様なら、こちらは肉の女王と称される部位だった。
「なるほど。たしかに先ほどの肉より気品のようなものを感じるかもしれん」
アグニール様が納得したように次の一枚を焼き始める。
続いてお声がかかったのは、レオルーシェやラッセルたちエルフが鉄板を囲むテーブル。
「あの、フランベル殿。よろしければこちらも教えていただいてよろしいですか? この少々歯ごたえのある薄切りのお肉なのですが」
「そちらは“タン”……いわゆる舌にあたります」
「なんと、舌!? そんなところまで!」
レオルーシェ様の隣にいたラッセル様が、私の言葉に驚いて目を見開く。前世の焼肉では定番だけれど、この世界では動物の舌を食べる文化自体がほとんどない。
「ちなみにタンの場合、塩やレモンといっしょに食べても相性バッチリでおいしいですよ」
「ほう。それは興味をそそられますね」
「ぜひ試しましょう! レオルーシェ様!」
それともう一つ付け加えるなら、長い舌の中でも根元側の「タン元」から「タン中」「タン先」「タン下」と場所によって味わいはさらに異なる。
根元ほど脂が乗っているので焼肉向き、先端や下側は硬めなので煮込み料理などに適しているという違いがある。
「この赤いところの肉もうめぇなぁ! オレ好みだぜ!」
さらに隣のテーブルでは、ガルガン様が赤身肉を豪快に頬張っていた。
「そちらは“ランプ”という部位です、ガルガン様」
サーロインの隣にあるモモ肉の一部。
サシは入りにくいものの、きめが細かく柔らかい。脂っこさは控えめなのに、肉そのものの旨みがたっぷり味わえる部位だ。
「へ~。じゃあ僕が食べているこのお肉はどこかな、フランベルさん?」
続いてフレット様が、自分の皿に載せた肉を箸で持ち上げる。
「フレット様のそれは“イチボ”ですね」
牛の臀部の先、人間でいうお尻の“エクボ”にあたる部分だ。
一頭から極少量しか取れない希少部位で、ランプより脂が多く、とろけるような味わいが特徴的。
なお完全な豆知識だけど、イチボという名前は、お尻の骨がアルファベットの「H」の形をしているため、「エイチボーン」が訛ってそう呼ばれるようになったのだとか。
「ではアイカ、この肉はなんだ! これもやたらとウマいぞ!」
そして再び旦那様から呼ばれる。
「ふふ。それは“ミスジ”ですよ、旦那様」
ミスジとは、肩甲骨の裏側あたりにある肩肉の一部だ。一頭からわずかしか取れないため、幻の部位とも呼ばれている。
断面に三本の筋が入っているのが名前の由来で、濃厚な赤身の旨みと、口の中でとろける上品な霜降り。その両方を味わえるのが特徴だった。
「幻の部位!」
「そんなものまであるのか!」
周囲からどよめきが起こる。
ちなみに、ここまで当たり前のように牛肉に例えてきたけれど、ベヒーモスの肉は見た目だけでなく味わいもかなり牛肉に近い。
私も調理の際に少し味見したのだが、思わず前世で冬のボーナスをはたいて食べた最高級和牛を思い出した。
しかも、あの時より肉質や旨みはさらに上。正直、こんなお肉は私も初めて食べたので大いに感動してしまった。
その後も会場では、スネやネック、カイノミ、ザブトン、トモバラなどなど。みんな思い思いの部位を鉄板へ載せては、次々と焼いて頬張っていく。
こうして一度にたくさんの部位を食べ比べられるのも、焼肉の楽しいところだ。
「すげぇな……まさか肉の部位にこんな種類があるなんて」
「つーか姉御がすげぇ。詳しすぎだろ……」
「たしかに。なんでポンポン答えられるんだ……」
え~っと。それはまあ、単に前世の私が焼肉好きで、気になって調べたことがあっただけで……。
「よし。こうなったらこれからは肉料理の時は博士とお呼びしよう」
「おお、そりゃあいい! ピッタリだ!」
「よ、博士!」
「博士殿!」
「博士ちゃん!」
な、なんか嫌だ……!
などと私が困惑していると、ちょうど近くで火にかけていた釜からグツグツと音が聞こえてきた。
やった、グッドタイミング!
「ま、まあまあみなさん。その話はいったん置いておいて、お待ちかねのお米が炊き上がりましたよ」
「おおおおお!」
「やったぜ!」
「待ってました!」
「うひょおおお!」
途端、みんなの興味が一瞬でそちらへ移る。
炊きたての白いご飯を器へよそっていくと、待ってましたとばかりに焼いた肉と一緒にかき込み始めた。
「ぐおおおおお! うんめぇええええ!」
「やっぱ肉には米だぜぇ!」
「間違いねぇ!」
「くぅううう止まんねぇええ!」
わかるわかる。甘辛く味の濃いお肉を頬張った直後、そこへ白いご飯をかき込む。これがまた最高なのだ。
そんな中、旦那様はお肉の盛り付けられた皿を持ち上げながら、何やらしみじみと頷いていた。
「しかし肉質がいいのはもちろんだが、なんと言っても決め手はこのソースだな。特にこっちの下味として皿で浸されている方だ。これがあるおかげで、焼肉の美味しさが何倍にも増幅されている気がする」
「ふふ。さすが旦那様、お目が高いですね」
私は旦那様の指した皿を見ながら笑う。
「ただ、これは正確にはソースではなく、“タレ”と言います」
「タレ?」
焼く前のお肉に絡めてあるタレ――いわゆる“揉みダレ”は、焼肉においても重要な役割を持つ。
甘味や塩味を加えたり、果物の酸味で後味を軽くしたり、部位ごとに適した下味をつけることでお肉の旨みは更なる高みへと引き上げられる。
おまけに肉の脂と一緒に焼けることで、表面に甘辛く香ばしい焦げ目まで作ってくれる。
もちろん、今回のベヒーモスほど上質なお肉なら、適当に素焼きしただけでも充分おいしいでしょう。
それでも部位ごとに切り方を調節し、揉みダレで旨みを増幅させ、最後は食べる人自身が好きな加減へ焼き上げる。
そうしてお肉の味を最大限にまで高めて楽しむ料理こそが、焼肉なのだ。
「うおおおおなんか力が漲って来たぁああ!」
「ぐっ、ダメだ! なんかもうカラダが熱い!」
「よっしゃ、いっちょ踊るか!」
ともあれ、白いご飯が加わったことで会場の勢いはさらに加速する。
騎士団のみんなのテンションは一気にマックスへ達し、中には暑くなったのか、とうとう服を脱ぎ始める人まで現れる始末。
エルフのみなさんはどこからともなく自前の楽器を取り出し、その演奏に合わせてドワーフのみなさんが愉快に歌い出す。
そこに町の人々も加わりつつ、お肉とご飯のマリアージュに感極まったフレット様はお決まりの号泣芸を披露していた。
そこへフロストーレ様とアグニール様の氷と炎による花火の粋な演出も加わり、いつしか壊れた町には人々の笑い声が溢れていた。
「「「あははははははっ!」」」
つい数刻前まで、ここには悲鳴と怒号が響いていた。
家や屋台が壊れ、楽しみにしていた収穫祭も終わってしまった。
それでも今、同じ場所では人間もエルフもドワーフも、さらには妖精まで一緒になって鉄板を囲んでいる。
終わってしまったはずの収穫祭は、いつしか種族の垣根を越えた焼肉パーティーとして再び賑わいを取り戻していた。
――こうして。
広場を埋め尽くすほど大量にあったベヒーモスの肉は、町の人々と駆けつけてくれた仲間たちの手によって、わずか一夜のうちに綺麗さっぱり食べ尽くされたのだった。




