実家に帰ったら元カレが妹と婚約していた
「いやあ、めでたいなあ。紗季ちゃんは昔からいい子だったけど、こんな素晴らしい相手を連れてくるとはねえ」
親戚の一人が赤い顔で声を弾ませる。
その日は妹の婚約祝いということで、実家の奥座敷に親戚一同が集まっていた。
座卓の上には祝い膳が並び、店で作った紅白饅頭が小皿にひとつずつ置かれている。襖の向こうからは、店先に出入りする客の声がかすかに聞こえた。
百年続く老舗和菓子店、藤倉菓子舗。
私――藤倉美緒はそこに生まれた二人姉妹の姉。つまり長女。しかし現在は家業を継がずに東京へ出て、会社員として働いている。
一方で妹の紗季は実家に残り、父と母と一緒に店を切り盛りしてきた。
その紗季が、店の将来まで考えてくれるという相手と婚約した。本来ならば実の姉として心から祝うべき、とてもめでたい話だった。
……紗季の隣に座っている男が、三年前に私を捨てた元婚約者――真島拓人でなければ。
「いえ、そんな。僕なんてまだまだですよ」
拓人は照れたように片手を振った。
けれど口ではそう言いつつも、内心ではまんざらでもなさそうなのが表情からにじみ出ている。
最初は少し固かった頬も、親戚からの褒め言葉が飛ぶたびに緩んでいく。
「ふふ、謙遜なんてしなくていいわよ。しかも東京で働きながら、これからはお店の経営のことまで考えてくれるんでしょう?」
「ええ、まあ。紗季さんが大切にしてきたお店ですから。僕にもできることがあればと思いまして」
「まあ、立派ねぇ」
伯母が感心したように手を合わせる。
紗季は拓人の隣で控えめに笑っていた。薄い桜色の着物に、いつもは下ろしている髪を祝いの席らしく華やかにまとめている。
並んで座る二人だけを見れば、お似合いの婚約者同士に見えなくもない。
「ところで拓人くん」
そこでふと、父は話題を変えるように少し身を乗り出した。
「紗季から聞いたんだが、なんでも店の今後について具体的なアイディアがあるんだってね。よかったら少し聞かせてくれないか?」
「はい、もちろんです。お義父さん」
待ってました、とばかりに拓人の背筋が伸びる。
「まず僕が思うに、ネットでの宣伝はもっと本格的にやったほうがいいでしょうね。せっかく百年も続く老舗なんですから、その強みをもっと広く知ってもらうべきです」
そこから拓人は、若い客が手に取りやすいようにSNS映えする包装への変更や、店の一部を使った甘味処、外国人観光客向けの限定商品などについて語り始めた。
実際にどれだけ売れるのか。設備や人手をどうするのか。始めるためにいくら必要なのか。
そういった話は一つも出なかったが、言葉だけは淀みなく続いていく。
それでも親戚たちは「やっぱり都会で働く人は見るところが違うなぁ」と感心していた。
拓人は差し出された杯を受け取りながら、今の時代は昔ながらのものをそのまま守るだけでは難しい、伝統を残しながら新しいことも取り入れる必要がある――と、さらに調子よく話を広げていく。
「ね、すごいでしょ? 拓人さんったら、こんな風にやる気満々で。これでもう、お父さんもお母さんもお店のことを心配しなくて大丈夫だね」
紗季が両親に笑いかける。そこに拓人も重ねた。
「設備の入れ替えや改装には、最初にまとまった投資も必要でしょう。ですが、そこについても僕が責任を持つつもりです。これからは僕も、この家の一員になるわけですから」
親戚たちから再び感心した声が上がる。
拓人はそれに気をよくしたように胸を張り、さらに続けた。
「僕はお二人がこれまで守ってきたものを大切にしながら、時代に合った形へ変えていきます。それが紗季さんと結ばれた僕の役目……使命だと思っています」
そして、はっきりと言い切る。
「必ずやこの店を、僕が“次の百年へ”つないでみせます!」
その力強い宣言に、座敷のあちこちから歓声が飛んだ。中には「これで藤倉の未来は安泰だな!」などと気前のいいセリフまで混じっていた。
けれどそんな周囲の明るい空気の中にあって、私はひとり冷めた感情で考える。
――思えば、あのときもそうだった。
私と拓人の出会いは数年前。当時の私たちは同じ会社に勤める同僚だった。
忘年会で彼のほうから声をかけてきたことがきっかけで親しくなり、やがて付き合ってちょうど二年の記念日に指輪を受け取った。
……けれどその直後、拓人の浮気が発覚した。
相手はとある会社の社長令嬢。取引先とのパーティーで出会ったらしい。
そして問い詰めた私に、彼は謝るより先に困ったような顔でこう言った。
「いや、だから違うんだよ。俺じゃなくて、あっちが『私と付き合ってくれたら、パパに役員にしてもらえるよう頼んであげる』って言ってきたんだよ。それで、つい……」
絶句した。
なにが「つい……」なのか、本気で意味がわからなかった。
ちなみに当時の私は、自分の実家がお店を営んでいるという話を拓人にしていなかった。どうせ継ぐのは妹だと思っていたし、あえて明かす必要もないだろうと。
つまり言い換えれば、拓人の言い分は「私よりも金や地位を選んだ」と自ら告白しているようなもの。
だというのに、どうしてそんな被害者みたいな顔ができるのか。
それからほどなくして私は転職し、拓人とは一切連絡を取らなくなった。
だから風の噂で拓人が新しい婚約者にも振られたことや、新しい彼女ができたらしいと聞いたときも特段驚きはしなかったし、むしろ心底どうでもよかった。
でもまさか、その相手が実の妹だったのは予想外だったけど……。
とにかく、百年続く老舗和菓子店という看板を前にして、都合のいい未来ばかりを語る拓人を見ながら私は思ったのだ。
ああ、この人はあの頃から何も変わっていないんだな――と。
「そういえば、拓人くんはどこの会社に勤めているんだっけ?」
宴の途中で叔父から尋ねられ、拓人が具体的な会社名を答える。
すると、別の親戚たちが何かを思い出したようにこちらを見た。
「ん? そこってたしか、前に美緒ちゃんが勤めていたとこと同じ会社じゃなかったか?」
「あら、そういえば……ということは、二人はもしかして知り合い?」
その問いに対し、私よりも先に拓人が口を開く。
「ええ、実はそうなんですよ。あいにく部署は違ったんですけど、たまにプロジェクトでいっしょになることとかもあって」
「まあ、そうだったの。世間は狭いわねえ」
「でもいつだったか、急に美緒さんのほうがよそに転職しちゃったんで、今はもう別々ですけどね。たしか、なんとか……ってベンチャーで、うちよりもかなり小さいとこみたいですけど」
拓人はハハッと小さく笑うと、そのままこっちへ振り返った。
「とはいえ美緒は前から大人数のチームで動くとか、そういうのは少し苦手だったもんな。そういう意味じゃ、案外今くらいの規模の会社のほうが似合ってるかも」
付き合っていた頃と同じ呼び方。ナチュラルな上から目線。
まるで三年という時間などなかったかのように、拓人はなおも気前良さそうに続ける。
「ま、もし仕事が取れなくて困ったらいつでも相談してくれよ。うちで余った仕事でよければ、昔のよしみで回せる仕事もあるかもしれないし。それになんと言っても、これからはお互い“家族”になるんだから」
「…………」
家族……か。果たしてこの男は、いったいどんな気分でその言葉を口にしているのだろう。
……仕方ない。そっちがその気なら、こっちももう何も躊躇う必要はない。
私はなるべく平静を装いながら、慎重に声を発した。
「――ねえ、紗季。そういえばなんだけど」
「ん? なに、お姉ちゃん?」
私があえて周囲にも聞こえるように話しかけると、紗季がこちらを振り返る。
「前に聞いてたお店の修繕費……あれってちゃんと工面できたの? たしか以前、水回りの辺りを少し直さなきゃって話をしてたわよね?」
「ああ、うん。拓人さんが負担してくれることになったから」
紗季がさらりと答える。
拓人もそれを否定することなく、むしろ親戚たちへ聞かせるように頷いた。
「そうそう。さっきも話したけど、これからは正式に跡取りとして店に関わっていくわけだからな。それくらいは未来の跡取りとして、責任を見せようかなって」
「へぇ……それはよかった」
うん、本当に。
「よかった?」
微かに笑みを浮かべた私に、拓人が不思議そうに繰り返す。しかし私は構わない。
「それで、実際の費用はいくらになったの?」
私が尋ねると、紗季はまたしてもあっさりと答えた。
「うん。全部合わせて、ざっと”一億円”ってところかな」
「…………え?」
そこではじめて、拓人の笑みが曇った。
「い、一億って……修繕だけで?」
予想外の金額に驚く拓人に対し、紗季の代わりに父が首を振る。
「いいや。厨房と配管の修繕だけなら、数百万かそこらかな。ただ、厨房の設備を入れ替えて、通販用の作業場を作って、甘味処と客席も整える。拓人くんが話していたことを一通りやるなら、それくらいはかかるそうだ」
「そんな……僕は、そこまで全部いっぺんにやるなんて――」
「でも、どれも拓人さんがやりたいって言ってたことだよね?」
紗季は笑顔のまま首を傾げた。
「私たちが勝手に増やしたわけじゃないよ。拓人さんの案を業者さんに伝えて、実際にいくらかかるのか見積もってもらっただけ」
「だからって、一億全部を僕が出すなんて話じゃ……」
拓人は父と母を交互に見た。
「お義父さんたちも、当然いくらかは出してくれるんですよね? だって今までの売上とか、蓄えだっていろいろあるでしょう……?」
「まさか」
父はあっさりと否定した。
「実を言うとだね、拓人くん。私たちはもともと君が来る前から、この店を畳むつもりだったんだよ」
「……は? 畳む?」
「ほら。設備も古くなったし、昔みたいな経営も難しくなったでしょう?」
母も、普段と変わらない調子で言う。
「このところは材料費もどんどん高騰しているし、無理に続けるよりかは私たちが動けるうちにきれいに幕を下ろしましょうかって、前から家族で相談していたのよ」
「そう。だから、私たち夫婦の蓄えを今更また店へ入れるつもりはないよ」
父がそう頷くと、拓人は震えながら紗季のほうへ振り返った。
「で、でも、じゃあ紗季は……」
「私も店には残らないよ」
紗季は即答した。
拓人の視線が、座敷の中をさまよう。
「残らないって……じゃあ、誰がこの店を――」
「誰って、拓人さんでしょ?」
紗季の声は、あくまで穏やかだった。
「この店を次の百年へつなぐって、さっき自分で言ってたじゃない」
拓人の顔から、みるみる血の気が引いていく。
やがて何かを思い出したように、こちらへ顔を向けた。
「美緒……お前も知ってたのか?」
もちろん知っていたとも。
なぜならそもそもこの婚約話自体が、私と紗季で計画的に仕掛けたものだったのだから。もっとも、最初の言い出しっぺは紗季だけれど。
店を畳む話が本格的に出始めた頃、紗季は私に言った。
『私が思うに、あの人なら老舗の看板を餌にすれば絶対食いつくよ』
今だから明かすが、昔から紗季は私によく懐いていた。拓人との別れの経緯を話したときも、当人である私以上に腹を立てていたくらいだ。
だからだろう、私を裏切った拓人にどうしても復讐がしたかったのだという。
そこからの紗季の行動は早かった。
まずは拓人が新しい恋人をマッチングアプリで探しているという情報を得ると、自身も即座に登録。老舗和菓子店の娘であることや家業を継いでくれる相手を探していることを匂わせつつ、拓人に対して「いいね」を送ってアピールしはじめたのだ。
百年続く老舗。土地と建物。跡継ぎ。そして、いずれは経営者。
無事に直接やり取りを交わすようになってからは、紗季がそうした言葉を差し出すたび、拓人は喜んで受け取った。
やがて自分から店の将来を語り始め、営業の引継ぎと費用負担に関する書類にも、ろくに中身を確かめず署名した。
おそらく拓人の中では、すべて都合よく出来上がっていたのだろう。
百年続いた店なのだから経営の基盤はしっかりしている。立派な店舗も固定客もすでにあり、藤倉家には当然それなりの蓄えがある。足りなければ融資や補助金も使える。
だから自分が実際に出すのは、せいぜい数十万……いっても百万、二百万程度のはず。だったら自身が普段もらっている毎年のボーナスくらいで賄える。
それで経営者という肩書と、店が生み出す将来の利益を手にできるのなら安いものだ――と。
かつての浮気のときと同じだ。
目の前に都合のいい未来を差し出されると、その裏側を確かめようともせず、自分に都合のいい答えで勝手に埋めてしまう。
そして案の定、彼はこちらの期待を裏切らなかった。
つまり今日の婚約祝いは、そんな拓人に自分の口で店の未来を語らせ、そこから現実を見せつけて奈落の底に突き落とすための席だったのだ。
すべては拓人が破滅する瞬間を、紗季が私に見せたいがために用意したもの。
「な、なんだって……!?」
拓人が絶句しながら私と紗季を見比べる。それから助けを求めるように親戚たちを見回した。
けれど、誰一人として驚いた顔をしていない。言うまでもなく、彼らもまた全てを知っていた。言うなれば、ただのサクラである。
さっきまで拓人を褒めていた叔父も、肩をすくめて杯へ口をつけただけだった。
父は席の脇に置いていた封筒を取り、座卓の上へ置く。
「見積書と、拓人くんが署名した書類の写しはそこに入っている。あとは業者と相談してくれ」
「そんな……こんなの、認められるわけが……」
「それじゃ、そういうことだから」
紗季は立ち上がり、着物の裾を軽く整えた。
「拓人さんが望んだとおり、これで晴れてこのお店は拓人さんのもの。お父さんとお母さんは引退だし、私も残らない。あ、当たり前だけどもちろん結婚もしないから、これからどうするかは拓人さんだけで決めてね」
拓人は紗季を見上げたまま、何も返せない。
そんな彼に、紗季は最後まで変わらない笑顔を向けた。
「それじゃあ拓人さん。次の百年に向けて、がんばってね」
それを合図に、父と母が腰を上げる。親戚たちも少し遅れて、次々と席を立ち始めた。
私も立ち上がり、紗季たちのあとに続く。
去り際、一度だけ拓人へ目を向けたが声はかけなかった。
「は……はは……」
部屋の中から、乾いた笑いが短く漏れる。
ついさっきまで意気揚々と店の未来を語っていた声とは、まるで別物だった。
私はその先を見届けることなく、襖を閉じた。
ちなみにこれは余談だけど、拓人が勝手に心配していた私の仕事は順調だ。
以前の大きいだけの会社よりも仕事はしやすく、職場の人間関係にも恵まれている。
それと父と母の引っ越し先や、店で働いてくれていた人たちの次の勤め先もすでに決まっているので問題ない。
紗季については……まあ、心配するだけ無駄だろう。
もともと私よりずっと要領のいい子だし、どこへ行ったところできっと平然と生きていく。
閉じた襖の向こうからは、まだ拓人が何かをぶつぶつと言っている声が聞こえていた。
けれど、もう私には関係のないことだ。
「……さてと。明日の会議の資料、作らないと」
私はバッグを手に取り、実家の廊下を玄関へ向かって歩き出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。もし少しでも皆様の暇つぶしになったようでしたら、
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それとよければ、以下の作品も現在連載中ですのでぜひご覧ください。(ページ下部にリンクも置いてます)
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