第86話 最悪上司の終焉③
「待たせたな、リスティンの旦那! こいつがようやく完成した――あんたの“剣”だ!」
そう叫びながら、ガルガン様は布で包まれた長い武器を旦那様へ差し出す。
旦那様は一瞬だけ驚いた顔を浮かべたものの、すぐに折れた剣を手放し、その包みを受け取った。
「これが俺の……」
「こいつなら、もう力を抑える必要はねぇ。旦那が全力で振ったって、絶対にへし折れねぇって約束するぜ」
旦那様が布を解いていく。中から姿を現した剣を見た瞬間、周囲から小さなどよめきが上がった。
旦那様は剣を軽く持ち上げると、確かめるように一度だけ振った。
「不思議だな。初めて持ったはずなのに、重さも握り心地も驚くほど手に馴染む」
「へっ。当たり前だろ。旦那のためだけに打った剣だからな」
「ああ。ありがとう、ガルガン。感謝する」
旦那様は短く礼を告げると、すぐにベヒーモスへ向き直った。
相手も待ってくれるつもりなどないらしい。巨大な腕が振り上げられ、旦那様の頭上へ落ちてくる。
「グオオオオッ!」
今までなら避けるしかなかった一撃。
けれど今度は、旦那様はその場から動かなかった。
「はあっ!」
新しい剣を両手で構え、真正面から受け止める。
ズガァンッ!
激しい衝突音とともに、足元の石畳が放射状に砕けた。
「旦那様!」
しかし旦那様の身体は沈み込んだだけで、吹き飛ばされてはいない。
「ぐっ……!」
さらに力を込め、押し潰そうとする巨大な腕を少しずつ押し返していく。
「う、おおおおおおっ!」
そして最後には剣を大きく振り抜き、ベヒーモスの腕を弾き上げた。
「す、すっげぇ……!」
「団長が押し勝ったぞ!」
周囲から歓声が上がる。
旦那様はその声を背に、巨体の懐へ一気に駆け込んだ。
「はあああっ!」
横薙ぎに振り抜かれた剣が、ベヒーモスの胴体へ深く食い込む。
黒い血が飛び散り、これまで何をしてもほとんど傷つかなかった分厚い皮膚が、大きく切り裂かれた。
「グオオオオオッ!」
ベヒーモスが怒りに任せて拳を振るう。巨大な拳が石畳を砕くたびに周囲が揺れ、腕が振るわれるだけで風が巻き起こる。
それでも旦那様は止まらない。
身を屈めてかわし、続けて横から迫った腕を剣で受け流す。そのまま懐へ潜り込み、脇腹、胸、腕へと次々に傷を重ねていく。
神話級のモンスターを相手に、一歩も引くことなく渡り合っていた。
「うおおおお……!」
「さすが団長だぜ!」
「ほんとに同じ人間かよ!」
沸き起こる歓声を聞きながら、ガルガン様は腕を組んで誇らしげに笑った。
「へっ、別に驚くこっちゃねぇさ。剣を打つために色々調べて分かったが、旦那は文句なしにバケモンだ。ちゃんと本気を出せる武器に出会えりゃあ、あれくらいはできらぁ」
そうだったんだ……。でも考えてみれば、あり得ない話ではないかも。
旦那様はもともと、Sランクのモンスターさえ一人で倒してしまうほどの実力を持っていた。
それに私と出会ってからは、毎日のようにモンスター料理を食べている。最近は剣が耐えられないせいで力を抑えていたけれど、その間にも肉体はさらなる成長を遂げていてもおかしくはない。
――ただし。
「グオオオオッ!」
旦那様の剣が通るようになっても、なおもベヒーモスの勢いは衰えなかった。
胴体にも腕にも深い傷が増えている。それでも巨体は倒れず、むしろ怒りを増したように拳や尾を振り回している。
「くそっ、なんてしぶてぇんだ……!」
「俺たちも何か援護できねぇのか……?」
「せめて、アイツを少しでも弱らせることができれば……」
……弱らせる?
その言葉が耳に入った瞬間、頭の中に祭りで会ったアドーさんたちの姿が浮かんだ。
それからすぐさま、私は近くにいた団員さんを呼び止めた。
「すみません! どなたか馬を走らせ、今すぐ避難民の中からドルイ族の方々を探してきてください!」
「ど、ドルイ族? なぜです……?」
「彼らの持っている魔石がこの状況を打開してくれるかもしれないんです! 急いで! 時間がありません!」
「わ、分かりました!」
団員さんはすぐに表情を引き締め、近くに繋がれていた馬へ飛び乗った。そのまま領民たちが避難している丘へ向かい、全速力で駆けていく。
すると、そのやり取りを聞いていたムルウジさんが近づいてきた。
「おい、嬢ちゃん。今のはいったい……?」
「私、あれがベヒーモスだと聞いて、特別な存在だと思いすぎていたんです」
「特別な存在?」
「はい。神話に出てきて、召喚された経緯も普通ではなくて、あんなにも巨大で……。でも、どれほど強大であっても相手がモンスターであることに変わりはありません」
私は戦い続ける旦那様と、傷口から黒い瘴気を滲ませるベヒーモスを見つめる。
「そして、モンスターの身体を動かしているのは魔力と瘴気。なら、その瘴気を取り除くことができれば……」
「……そうか! それで魔石か!」
ムルウジさんも私の意図に気づき、目を見開いた。
「はい。魔石には、モンスターの瘴気を抜く力があります。私もこれまで、料理の下処理に使ってきました」
「料理と同じことを、あのベヒーモスにやるってのか?」
「そうです。ありったけの魔石の力を集中させれば、あの巨体にも干渉できるかもしれません」
もちろん、並の魔石では大して意味はないだろう。
でもアドーさんたちが持ってきていたのは、新しい採掘場所で採れたという以前よりも良質な魔石だ。
たしか聖水にも負けないほど、強く瘴気を打ち消せると話していたのを覚えている。
あの魔石ならば、たとえ相手がベヒーモスでも……。
「おお、なるほど!」
「さすがアイカ殿だ!」
説明を聞いたことで、周囲にいた団員さんやエルフのみなさんなどからも声が上がる。
けれど、まだ上手くいったわけではない。今はただ、間に合ってほしいと願うしかなかった。
「ぐっ……!」
旦那様はベヒーモスの拳を受け流し、胴体へさらに剣を振るう。新しい剣は全力の斬撃を何度受け止めても、折れるどころか刃こぼれ一つしていない。
でも、戦っている旦那様自身の体力には限界がある。
額から流れる汗も、息の荒さも、少しずつ増していた。
「急いで……!」
祈るように呟いた、そのとき。
「アイカちゃーん!」
遠くから聞き覚えのある声がした。
振り返ると、先ほどの団員さんと一緒に馬に乗ったアドーさんたちがこちらへ走ってくるところだった。
その背中には、祭りで見せてもらった魔石入りの大きなリュックが担がれている。
「アドーさん!」
「事情は騎士さんから聞いたべ。こいつでみんなを救えるなら、遠慮なく使ってけんろ!」
アドーさんがリュックを地面へ下ろす。ほかのドルイ族の皆さんも次々と荷物を開き、中から魔石を取り出していった。
「ありがとうございます! 皆さん、その魔石の力をベヒーモスへ集中させてください!」
「任せろ!」
「オレたちも手伝うぞ!」
ドルイ族だけでなく、騎士団やエルフ、ドワーフの皆さんも魔石を手に取る。
私も一つを両手で握り、ベヒーモスへ向けた。
「いきます! 全員で魔力を込めてください!」
掛け声と同時に、辺り一面で魔石が眩い光を放つ。
無数の光が一つに重なり、ベヒーモスの全身を包み込んだ。
「グオオオオオオオッ!?」
それまでとは明らかに違う、苦しげな咆哮が上がる。
巨体の表面から黒い瘴気が浮かび上がり、煙のように身体から剥がれ始めた。
「おおおお……!」
「き、効いてるぞ……!」
ベヒーモスの動きが目に見えて鈍くなる。
振り上げた拳は途中で止まり、足取りも重そうだ。
さらに旦那様がつけた傷口の周囲からも瘴気が抜け、皮膚や筋肉が少しずつ柔らかくなっていくのを感じる。
「旦那様、今です!」
「ああ!」
旦那様が地面を蹴る。
体勢を崩したベヒーモスの懐へ一気に飛び込み、剣を両手で握りしめた。
「これで――終わりだ!」
全力を込めた一撃が、ベヒーモスの急所へ深く叩き込まれる。
「グオオオオオオオオオッ!」
最後の咆哮が町中へ響き渡った。
巨大な身体がぐらりと傾き、そのまま地響きを立てて広場へ倒れ伏す。土煙が大きく舞い上がり、辺り一帯を覆った。
しばしの間、誰も声を上げずに倒れた巨体を見つめ続ける。
やがて煙が晴れても、ベヒーモスは二度と起き上がらなかった。
「……やった」
そう誰かが呟いた、次の瞬間。
「やったぞおおおおおっ!」
「団長が倒した!」
「助かったんだ!」
広場に大歓声が沸き起こった。
騎士団員さんたちは互いに肩を叩き合い、エルフやドワーフ、ドルイ族の皆さんも一緒になって勝利を喜んでいる。
私もその場で大きく息を吐いた。
黒いモンスターの襲撃から続いたアルグレイン領の危機は、これでようやく終わったのだ。
その後は手分けして、町の安全と負傷者の確認が行われた。
収穫祭の屋台や建物には大きな被害が出ていたものの、幸いにも死者は一人もいなかった。負傷者も確認されたが、全員軽傷で済んだらしい。
「よかった……」
その報告を聞いて、張り詰めていた力が一気に抜ける。周囲の皆さんも、ようやく安心したように武器を下ろした。
そんな中、旦那様が何かを思い出したように振り返る。
「さて、となると後の問題は……“これ”だな」
「ですねぇ……」
私も隣に並び、広場へ横たわるベヒーモスの亡骸を見上げる。
倒れていても、やはり大きい。町の外へ運び出すだけでも一苦労だろうし、そのまま処分するのも現実的ではない。
ならば、残された手段はもう――。
「……仕方ない。アイカ、頼んでもいいか?」
「ええ。お任せください、旦那様」
とはいえ、相手はおとぎ話に登場するような伝説上のモンスターである。触れるどころか見ることさえ初めてなだけに、どうするのが最適か……。
腕を組んで考えていると、避難先から戻ってきた領民の皆さんが目に入った。
「ああ、俺の家が……」
「うわっ。屋台がぺしゃんこだ……」
「おかあさ~ん、お祭りは~?」
全員が無事だったことには安堵しているものの、やっぱり被害の爪痕は大きい。
壊れた町の惨状に誰もが胸を痛め、表情も暗く嘆いている。せっかく楽しみにしていた収穫祭も、すっかり台無しになってしまった。
できることなら、なんとかみんなを元気づけてあげたい。
「……よし」
私は近くに落ちていた鉄板と木の棒を拾い上げた。
そしてカンカンと鉄板を打ち鳴らすと、広場にいた人々が何事かとこちらを振り返る。
「さあ、みなさん! どうか顔を上げてください! 今からみんなでお祭りをやり直しましょう!」
「祭り……?」
「でも、こんな状態じゃ収穫祭はもう……」
目の前の光景に、それは無理だろうという空気が流れる。
けれど、私は首を振った。
「はい。ですので、今からやるのは別のお祭りです」
「「「別の?」」」
みんな揃って首を傾げる。
私は巨大なベヒーモスを背にして、声を張り上げた。
「ええ。そのお祭りとはズバリ――“焼肉パーティー”です!!!」




