第84話 最悪上司の終焉①
「ガルド・バルディオス……!」
旦那様が驚きとともに、その名を口にする。
両腕を縄で縛られたガルドは、服も髪もひどく乱れていた。
けれど周囲を取り囲む騎士たち、それにフロストーレ様やエルフの方々を見回す目には、まだ忌々しいとでも言いたげな敵意が覗いている。
少し離れた場所では、今も団員さんたちが負傷者の手当てや町の安全確認を続けている。
つい数刻前まであれだけ賑わっていた収穫祭の会場には、壊れた屋台や散らばった商品が残り、楽しい祭りの面影はほとんどなくなっていた。
「なぜだ。なぜ貴様がここにいる?」
旦那様が剣を握ったまま、ガルドへ歩み寄る。
「フレット、これはどういうことだ? こいつがこの騒ぎの首謀者とはいったい……?」
「……これだよ」
フレット様が合図を送ると、後ろに控えていた部下の方が手にしていた布を慎重に開いた。
中身は禍々しい意匠をした黒い笛。ただならぬ気配に、そこにいた全員が息を飲む。
そしてフレット様によってその名が告げられると、旦那様やフロストーレ様、それにエルフのレオルーシェ様といった一部の人々はさらに驚愕で目を見開いた。
「この笛はおそらく、《冥禍の笛》だ」
冥禍の笛……?
「《冥禍の笛》とは使用者の魔力を喰らい、凶悪なモンスターを召喚する禁具だ。そして、現れたモンスターは死ぬまで人間を襲い続ける」
「も、モンスターを召喚……?」
「じゃあ、さっきの黒いモンスターどもは……」
「そう。この笛を使って、そこのガルドが生み出したものだ」
周囲のざわめきにフレット様が頷くと、現場の空気はさらに大きく揺らいだ。
「……《冥禍の笛》、か。やれやれ、そんなものがまさか今の時代まで現存しておったとはのぅ」
フロストーレ様?
「この笛は遥か昔、悪魔と契約した錬金術師が冥府の獣を地上へ呼び寄せるために作ったとされる品じゃ。危険すぎるゆえに破壊されたと聞いておったんじゃが……」
「そうですね。少なくとも禁具である時点で、公には厳重な封印が義務付けられています。それをまさか……」
フロストーレ様が笛を睨みながら続けると、旦那様も険しい表情で頷いた。
「それと、厄介なのはモンスターを生むことだけじゃない」
再びフレット様が続ける。
「《冥禍の笛》で生み出されたモンスターには、使用者が笛の音を通して大まかな命令を与えることもできるんだ」
「命令……ですか?」
「うん。例えば、どこへ向かわせるか、どんな人を優先して襲わせるか……とかね。その程度の意思なら伝えられるとされている」
その言葉を聞いた瞬間、先ほどの光景が頭に浮かんだ。
「そっか。だから、あのモンスターたちは……」
町を襲った黒い獣たちは、時折なにか音を聞くようにピクリと反応していた。その直後には、目の前の騎士を無視して一般の人たちへ襲いかかっていた。
あれは恐らく、ガルドの命令を受けてのこと。
加えて、能力を知ったことで祭りの警備網が突破された理由もわかった。
はじめからモンスターたちは外から来たわけではなく、町の内側で生みだされていた。であれば、外周で警備していた騎士たちが気づけるはずもない。
「くっ……!」
事態の全容を把握し、旦那様がさらにガルドへ一歩詰め寄る。
「なぜだ! なぜこんなことをした!?」
「…………」
「貴様っ……!」
黙ったまま何も答えない様子に苛立った旦那様が、ガルドの胸倉を掴んで持ち上げる。
しかし、ガルドは俯いたまま無言を貫く。代わりに呟いたのはフレット様だ。
「おそらく、目的はフランベルさんだろう」
私……?
「以前と同じだ。町の各所へモンスターを出せば、リスティンや騎士団は領民を守るために戦力を分けざるを得ない。その混乱に乗じて、フランベルさんを孤立させ、連れ去ろうとしたんだと思う」
「……そういうことか」
旦那様が強く奥歯を噛む。
「奴らが戦える者より、女性や子ども、負傷者を執拗に狙っていたのも、被害と混乱を意図的に広げるためか」
以前、ガルドたちは私を王国へ連れ戻すため、怪我人を装った男性を使って屋敷からおびき出した。
今回も町中が混乱すれば、旦那様や騎士団の皆さんから私を引き離す機会は生まれる。そう考えたのだろう。
でも、そのためだけにお祭りを楽しんでいた何の関係もない人たちへ、あれほどのモンスターをけしかけたというの?
「なんてことを……」
私は気づけば拳を握りしめていた。
ただ、そこでようやくガルドが口を開く。
「ふん、勝手に決めつけるな」
吐き捨てるように言うと、彼は開き直ったようにまるで普段と変わらない態度でふんぞり返った。
「ワシはそんな笛など知らんぞ! 今日はただ、この領地の祭りを見物しに来ただけだ!」
「……見物だと?」
「ああ、そうだとも! それの何が悪い!」
旦那様が睨みつける中、ガルドはなおも声を張り上げる。
「そもそも、なぜその笛とワシを結びつける! ワシが使ったところでも見たのか!? ええ!?」
「しかし、その笛は貴様の――」
「拾っただけだ! たまたま道ばたでな! ワシは誰かの落とし物だと思って届けようとしていたんだ! それが禁具であることさえ、ワシは知りもしなかった!」
ガルドはそう言い切ると、今度はフレット様へ向かって顎を突き出した。
「どうだ、わかったか! ワシはただの善良な観光客だ! それなのに、ただ凶器を持っていただけで首謀者扱いとは、とんだ言いがかりだ! この国の司法はそんな横暴を認めるのか!? 証拠もなしに犯罪者に仕立て上げるなど、ワシはそんな悪行を断じて許しはせんぞ!」
……ひどい言い草だ。かつて司法を歪めて、私に濡れ衣を着せた男の発言とは思えない。
ただ、その姿勢だけはある種感心してしまった。
自分の言い分が苦しいことなど、本人も分かっているはず。それでもあまりに堂々とまくし立てるものだから、周囲もその勢いに呑まれて若干圧倒されてしまった。
――しかし。
「証拠ならもちろんある」
「……へ?」
「《冥禍の笛》のようなマジックアイテムには、使用時に注がれた魔力の痕跡が残るからね」
そう冷静に告げたのは、フレット様だった。
「これから中央の魔導技術部へ出向いて、笛に残った残滓とあなた自身の魔力を照合する。そうすれば、誰が使用したかはすぐに分かるはずさ。まさか、その程度のことも知らなかったのかい?」
「うぐっ……」
ガルドの口から、潰れたような声が漏れた。
さっきまでの勢いは一瞬で消え失せ、目に見えて絶句しているのがわかる。きっと言葉ではもう、どれだけ頑張ってもどうにもならないと悟ったのだろう。
そのままガルドは周囲に視線を泳がせた。でも、どこを見回しても逃げ道などない。
旦那様や騎士団のみんなだけでなく、フロストーレ様とアグニール様、レオルーシェ様たちからも厳しい視線を向けられている。
やがてガルドは、肩を落として俯いた。
「………………わかった」
まるで別人のように弱々しい声。
「ワシの、負けだ。もう言い逃れはしない。好きにするがいい……」
「やれやれ。ようやく観念したか」
旦那様が吐き捨てるように呟く。
フレット様も短く息を吐き、部下へ顔を向けた。
「馬車へ連れていってくれ。このまま帝都へ連行する」
「はっ」
兵たちが縄を持ち直し、跪いた状態のガルドを立たせようとする。
その瞬間だった。
「……なんて言うと思ったか! この馬鹿どもめ!!」
「なっ!?」
ガルドが突然顔を上げ、両腕を縛られたまま全身を投げ出すように飛びかかった。
まさか――!
狙いは眼前の兵士……ではなく、その手にある《冥禍の笛》。兵が身を引くより早く、ガルドは布の隙間から笛へ噛みつく。
「くっ、離せ!」
「おい貴様、止めろ!」
兵たちが肩を掴んで引きはがそうとする。けれどガルドは笛を口の中へ無理やり押し込み、そのまま喉を大きく動かした。
――ゴクンッ。
黒い笛が、完全に口の奥へ消える。
「げほっ! ごほっ……!」
ガルドは激しく咳き込みながらも、兵を振り払うように身体を起こした。喉元を押さえ、苦しそうに息をしながら笑う。
「わは……ワハハハハッ! ど、どうだ……! これでもう調べられまい!」
そ、そんな……。
「やったぞ、これで証拠は消えた! ワシが笛を使ったと証明するものは、もうどこにもない!」
ガルドは勝ち誇るように声を上げた。
「確かな証拠もなく、王国の重鎮であるワシを勝手に裁いてみろ! たちまち両国を巻き込む外交問題だ! フハハハハハッ!」
まさか……証拠を消すためだけに、あんな得体の知れない禁具を飲み込むなんて。
あまりの行動に、誰もすぐには言葉が出なかった。
「フハハハ――がっ!?」
けれど、そんなガルドの笑い声は唐突に途切れた。
「ぐっ……う、ううっ……!」
……な、なに?
胸の奥を掴まれたように身体を折り、苦しげな呻き声を漏らすガルド。続けて彼は縛られた腕を無理に動かし、爪を立てるように胸元を掻きむしる。
「な、なんだ……これは……! 苦しい……!」
「おい、何かおかしいぞ」
アグニール様がそう呟いた――直後。
「ぐああああああっ!!」
ガルドの口と鼻から、濃密な黒いモヤが噴き出した。
あれは……!
「マズい、瘴気じゃ! そやつから離れろ!」
フロストーレ様が叫ぶ。
瘴気はガルドの襟元や袖、衣服の隙間からも溢れ、あっという間に彼の全身を包み込んでいく。
「全員、町の外へ退避だ! 急げ!」
得体の知れない事態を受け、旦那様もすぐさま指示を飛ばす。
それを受け、周囲にいた人々は一斉に門の方へ向かって駆け出した。私も旦那様に肩を支えられながら後に続く。
その間にも瘴気は溢れ続け、ガルドの姿を完全に覆い隠した。
「何が起きているんだ……?」
逃げ延びた町の外の平原にて、旦那様が剣を構えたまま黒い塊を睨みつける。
「まだ大きくなるぞ……!」
ラッセル様もレオルーシェ様を庇いつつ頭上を見上げた。
その言葉どおり、みるみると膨れ上がった黒い塊は太陽を隠すほど成長し、私たちの上へ巨大な影を落とした。
そして。
「っ……!」
周囲を覆っていた瘴気が、一気に吹き散らされる。
その中心に現れたのは、建物すら見下ろすほど巨大な人型に近い魔獣だった。
牛や獅子を思わせる頭部から二本の角が大きく湾曲し、分厚い胴体は荒々しい鬣と筋肉に覆われている。
太い脚の先にある爪は石畳へ深く食い込み、その赤黒く濁った瞳は私たちを剥き出しの敵意で見下ろしていた。
そして、魔獣がおもむろに天を仰ぐ。
「グオオオオオオオオオオオッ!」
空気そのものを震わせる咆哮が町中へ轟く。
「あ、あやつは、まさか……」
誰もが絶句する中、フロストーレ様が呆然とその名を口にした。
「……“ベヒーモス”!」




