第76話 雑用令嬢、お祭りの準備をする②
そうしてやってきた、アルグレイン領の東側にある砂浜。
海から吹いてくる風に髪を揺らされながら、私たちは波打ち際に沿って歩いていく。
足元には白い砂が広がり、少し離れた場所では青い波が一定の間隔で寄せては返していた。
「目撃情報があったのは、この辺りだったはずだ」
周囲を見回しながら、旦那様が口を開く。
「砂浜の中でも、特に砂が多く積もっている場所を好むんだったな?」
「はいですキュル! 巣を作るために、たくさんの砂が必要ですキュル!」
先頭を跳ねるキュルちゃんが、元気よく答えた。
しばらく海岸を探しているけれど、今のところそれらしい姿は見つかっていない。
キュルちゃんの話では、グラスファイバータートルは大きなウミガメに似ているものの、甲羅にはガラスのような半透明の部分があり、光が当たるときらきら輝くのだという。
「どれくらい大きいの?」
「大人になると、ごしゅじんさまよりも大きくなりますキュル!」
「それはずいぶん大きいな」
でも逆に言えば、視界に入りさえすれば見落とすことはなさそうだ。
問題は、この広い砂浜のどこにいるかだけれど――。
「あっ! いましたキュル!」
キュルちゃんが大きく跳ね、白い繊維の一部を腕へ変えて前方を指した。
その先にある砂浜には、大きな岩のようなものが見える。最初は本当に岩だと思ったが、日の光を受けた表面が時折きらりと輝いていた。
よく見ると、その岩はゆっくり首を動かしながら地面へ口をつけている。
「あれが……グラスファイバータートル?」
「はいですキュル!」
甲羅だけでも私の背丈ほどありそうな、巨大なウミガメ型のモンスターだ。
灰色がかった甲羅は砂にまみれているが、表面には半透明の筋が幾本も走り、縁にはガラス質の突起が並んでいる。その部分だけが陽光を受けて淡く輝いていた。
こちらにはまったく気づいていないのか、平たい口を砂浜へ押しつけながら黙々と砂を食べ続けている。
すぐ近くには、日の光を受けてキラキラと輝く何かがあった。
細いガラスの糸が何重にも折り重なって作られた巣だ。
「本当にガラスの糸でできてる……」
近づきすぎないよう気をつけながら、少し横へ回り込む。
一本一本はほとんど見えないほど細く、それが無数に重なることで丸みを帯びた巣の形を作っていた。
「グラスファイバータートルは食べた砂を身体の中で溶かして、細いガラスの糸に変えますキュル。それを重ねて、卵や子どもを守る巣を作るんですキュル!」
「だが、これだけ透けていては外から中が見えてしまうのではないか?」
旦那様の疑問を聞いて、キュルちゃんが身体を左右に振った。
「ただ透明なだけではないですキュル。光をたくさん反射して、周りの景色に紛れるようになっていますキュル!」
言われてみれば正面から見たときにはガラスの塊があるように見えていたのに、角度を変えるとその輪郭が急に薄くなる。
巣の向こうに広がる砂浜や海が、ほとんど途切れることなく見えていた。
そこにあると分かっていても、少し目を離したら見失いそうなくらいだ。
「すごい……これなら外敵にも見つかりにくいわね」
自然の中で生き残るための仕組みなのだろう。
しかもあれだけ細くフワフワならば、まさに綿あめにもぴったり。これはアタリかも……。
そんなことを考えている間にも、グラスファイバータートルは砂を食べ続けている。やがて甲羅の後ろ側から透明な糸がゆっくりと伸び始めた。
「ちなみに、あそこにあるのが“排砂孔”ですキュル!」
キュルちゃんが、亀の後ろ側を指す。
「一見するとしっぽの下から糸が出ているように見えますが、実際には甲羅の後ろにある、糸を出すための専用の器官ですキュル!」
「へぇ。身体じゃなくて甲羅から出ているのね」
グラスファイバータートルは身体の向きを少しずつ変えながら、“排砂孔”から伸びる糸を巣へ重ねていく。
細い糸は空気に触れながらゆっくり固まり、巣の欠けていた部分を埋めていった。
「さて、問題はどうやって屋敷まで連れて帰るかだな」
旦那様が声を落とし、亀の様子をうかがう。
「グラスファイバータートルは、基本的にはとても大人しいモンスターですキュル。でも、急に触ったり、大きな音で驚かせたりすると暴れるので要注意ですキュル!」
「これだけの大きさだからな。無傷で捕獲するためにも、暴れられるのは勘弁だな」
倒すのであれば、旦那様にとって難しい相手ではないのだろう。
でも今回は討伐が目的ではない。連れ帰って綿あめづくりに協力してもらうのが前提。
「それなら、まずはこちらに敵意がないと分かってもらいましょう」
私は魔法袋から、保存食として持ってきていた干し肉を取り出した。
いきなり近づくのは避け、亀から少し離れた砂の上へ一切れ置いてみる。
グラスファイバータートルが砂を食べるのは、糸を作るための材料にするからだ。食事そのものは普通の動物と同じく肉や魚も食べるらしい。
しばらくすると、亀がゆっくり顔を上げた。こちらと干し肉を交互に見たあと、一歩ずつ近づいてくる。
大きな身体のわりに動きは静かで、砂を踏む音もほとんどしない。
そして干し肉の前まで来ると、平たい口でそっとつまみ、そのまま小さく噛み始めた。
「なんだか、想像していたよりお上品に食べるのね」
ちょっとかわいい。
「美味しいですかキュル?」
キュルちゃんが少し離れた場所から尋ねる。
もちろん亀から返事はなかったが、食べ終えると同じ場所を見つめたまま動かなくなった。
もう一つ欲しいのかもしれない。
私は同じ場所へ追加の干し肉を置き、それから少しずつ距離を縮めていった。
何切れか食べる頃にはグラスファイバータートルも私たちを気にしなくなり、目の前の干し肉へ意識を向けている。
「旦那様、今なら大丈夫そうです」
「ああ。やってみよう」
旦那様は足音を立てないよう、ゆっくりと亀の横へ回った。
すぐそばまで近づいても亀は干し肉を食べ続けている。旦那様はその様子を確認してから腰を落とし、両腕を身体の下へ差し入れた。
「……持ち上げるぞ」
ほんの少しずつ、巨大な身体が砂浜から浮いていく。
旦那様なら一気に持ち上げることもできるはずだけれど、今日は力を振るわないことのほうが大事だ。
グラスファイバータートルがわずかに首を動かした瞬間、旦那様の動きがぴたりと止まる。
亀が再び落ち着くまで待ち、それからまたゆっくりと立ち上がった。
その表情は、普段モンスターと戦っているときよりも固い。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ。ただ、少しでも揺らせば驚かせそうでな」
旦那様は亀を抱えたまま、砂浜に用意していた台車へ一歩ずつ近づいていく。途中で亀が身じろぎするたびに立ち止まり、完全に動かなくなってから再び進む。
そうして時間をかけながらも、どうにか台車の上へ乗せることができた。
「なんとか無事に辿り着きましたね」
「ふぅ……討伐するより緊張したかもしれん」
旦那様が珍しく大きく息を吐きながら額をぬぐう。
あとは驚かせないよう、できるだけゆっくり屋敷へ戻るだけだ。
私たちは時々干し肉を与えながら台車を引き、グラスファイバータートルを無事にアルグレイン邸まで連れ帰った。
屋敷へ到着すると、私はすぐに中庭で実験の準備を始めた。
グラスファイバータートルは台車から下ろしたあとも暴れる様子はなく、地面へ置かれた干し肉をのんびり食べている。
その正面へ、小さく砕いたミノタウロスの斧砂糖を置いた。
「いよいよですね……」
緊張の一瞬。
見た目は同じ粒だけれど、亀が普段食べている砂とはまったく違う。
そもそも口にしてくれるかも分からないし、食べたとしても糸へ変えられる保証はなかった。
なるべく余計な不安を与えないよう私たちが少し離れると、グラスファイバータートルが首を伸ばす。
そして砂糖の匂いを確かめるように何度か鼻先を近づけたあと、そのまま口へ入れた。
「食べた……!」
けれど、そこからは何も起こらなかった。
亀は砂糖を食べ終えたあと、のんびりと中庭に座っている。私たちはなおも見守り続けたが、いくら待っても糸が出てくる気配はない。
「やっぱり、砂じゃないと駄目だったのかしら……」
「もう少し待ってみよう。身体の中で加工するのに時間が必要なのかもしれん」
「そうですね……」
旦那様の言葉に頷きつつも、だんだん不安になってくる。
食べてくれただけでも一歩前進ではあるけれど、砂糖を糸にできないのであれば、綿あめには使えない。
そんなことを考え始めた、そのとき。
「あっ、ごしゅじんさま! 出てきましたキュル!」
キュルちゃんの声に慌てて亀の後ろ側へ回る。
お尻付近の排砂孔から、透明なガラスとは違う一本の白い糸が伸びていた。雪のように白く、日の光を受けてわずかに輝いている。
「砂糖の糸……!」
やがて一本だった糸は途切れることなく伸び続け、その場へゆっくりと落ちていく。
「やった! 上手くいきました!」
「本当に砂糖まで糸に変えたのか……」
「大成功ですキュル!」
旦那様とキュルちゃんも近くへ寄り、細い糸を覗き込む。
太さも、私が匙で伸ばして作った飴とは比べものにならない。これなら記憶の中の綿あめにずっと近い。
私はすぐに用意していた棒を手に取り、落ちてくる糸を巻き取ろうとした。
ところが。
「あれ……?」
糸は棒へ巻きつくより先に、その場へ落ちて重なっていく。
何本もの糸が互いに貼りつき、あっという間に一つの塊へまとまってしまった。慌てて棒を差し入れてみるが、すでに固まり始めた糸は上手く巻きついてくれない。
やがて完全に冷えたものを持ち上げると、そこにあったのは白い綿あめではなく、糸が絡まり合った砂糖の塊だった。
「うーん……細さは完璧なんだけどなぁ」
けれど糸をその場へ落とすだけでは、綿あめにはならないらしい。固まる前に、もっと空気を含んだ感じでソフトに棒へ巻き取る必要がある。
大きな前進の直後、私たちはまた新たな壁に直面した。
「あとは、この糸をどうふわっと受け止めるかだけだと思うんだけど……」
私は白い砂糖の塊を手にしたまま、記憶の中の綿あめを思い浮かべる。




