第74話 一方その頃、かつての職場は……⑪
ブラッケスの冒険者ギルド、そのギルドマスター執務室に鈍い音が響いた。
「くそっ、あの馬鹿どもが……! だからあれほど油断するなと言ったろうに……!」
ガルドが叩きつけた拳に、机の上の書類が跳ねる。
その正面では、報告に来た職員が青ざめた顔で立ち尽くしていた。先ほどまでガルドが読んでいた報告書は、すでに床へ投げ捨てられている。
そこに記されていたのは、《金の盾》がドワーフとの中継地で待ち伏せを行った末、現れたドワーフに返り討ちにされたという報告だった。
武器も手に入らず、里の場所も聞き出せず、三人そろって敗走。
ドワーフの職人を押さえ、リスティンに対抗できる武器を作らせるはずだった計画は、何一つ成果を上げないまま潰れたことになる。
「しかも戦ったドワーフはたった一人だと!? それを三人がかりで仕留めるどころか、揃って返り討ちにされたというのか!」
「は、はい……。詳しい被害状況につきましては、まだ確認中でして……」
「そんなことは聞いておらん!」
怒鳴り声に、職員の肩が大きく跳ねた。
「誰がしょうもない失態の詳細など知りたいものか! 何の役にも立たん報告を持ってくるな! さっさと失せろ!」
「も、申し訳ありません!」
職員は深く頭を下げると、逃げるように執務室から出ていった。
扉が閉まったあとも、ガルドはしばらく荒い息を吐いていた。
「くそったれめ……どいつもこいつも相変わらず……!」
吐き捨てながら椅子へ腰を落とす。
正面からアイカを奪おうとすれば、前回と同じくリスティンに邪魔される。
ならば数を揃えようにも、ドルイ鉱山の魔石を失ったことで傭兵を雇うための資金は底を突いていた。
その状況をひっくり返すはずだったのが、今回のドワーフ製武器だった。
優れた武器さえ手に入れば、《金の盾》も本来の力を発揮できる。ドワーフの職人そのものを従わせれば、強力な武器を継続して供給させ、残った冒険者たちを最強の兵団へ育て上げることもできた。
それもすべて、あの三馬鹿のせいで台無しになった。
(ちっ、こうなったらもういっそ他の冒険者を使うか……? いやしかし、うちのギルドに《金の盾》以上の者などおらん)
王国内の人間を人質に取る手も、アイカの家族へ手を回した時点でリスティンに潰されている。
王城へ働きかけて帝国側へ圧力をかけさせることも考えられたが、正式な手続きを踏めば時間がかかる。
そもそも虚偽の報告だけで、王国がすぐに動くとも限らなかった。
ガルドが欲しいのは、今すぐアルグレイン領を揺さぶる手段だ。
リスティンをアイカのそばから引き離し、その隙を突いて連れ戻す。そうでなければ意味がない。
「何か……何かあるはずだ」
机に積まれていた書類を腕で払いのける。
ばらばらと床へ落ちていく紙を眺めているうちに、ガルドはふと、以前王城へ呼び出された日のことを思い出した。
ギルドをBランクへ降格され、ソルヴェイン王から帝国側の偵察を命じられた、あの日のことだ。
王は、同じ国境地帯でありながら、王国側だけでモンスター被害が拡大していることを不審がっていた。ブラッケス周辺では町や街道にまでモンスターが現れているというのに、帝国側のアルグレイン領では目立った混乱が起きていない。
その違いを調べろと命じられた際、ガルドは帝国側がモンスターを王国へ誘導しているのではないかと疑った。
何の根拠もない憶測だったが、その瞬間、同時に別の考えも浮かんでいた。
――その手があったか、と。
「そうだ……。連中がやっていないのなら、こちらがやればいい」
王国側で増えすぎたモンスターを、帝国側へ押し流す。
それだけで王国側の被害を減らしつつ、アルグレイン領には新たな混乱を起こせる。リスティンが領内各地の対応に追われれば、屋敷の守りも今より薄くなるはずだ。
その隙にアイカを奪えばいい。
「フッ……一石二鳥どころではないではないか」
ガルドの口元が歪む。
だが、その笑みはすぐに消えた。
考えそのものは完璧でも、肝心のモンスターを帝国側へ動かす手段がない。
餌を撒いたところで、誘き寄せられるのはせいぜい数匹だろう。冒険者を使って追い立てようにも、今のギルドに大規模な群れを制御できる戦力はない。“調教”のできる魔法使いを集めるにしても、それだけの金が必要になる。
下手をすれば、途中で統制を失ったモンスターが王国側へ逆流する危険すらあった。そうなれば王城から今度こそ責任を問われ、致命的な賠償や処分を突きつけられかねない。
「チッ……! せっかくワシがここまで考えてやっているというのに、使える人間が一人もおらん!」
ガルドは立ち上がり、苛立ちを持て余すように部屋を歩き回った。
自分の発想には何の問題もない。
実行できないのは、職員も冒険者も無能だからだ。自分の命令を確実にこなし、思い描いたとおりに動く手足さえあれば、とうにアイカを取り戻せている。
そう考えるほどに腹立たしさが募り、ガルドは再び舌打ちした。
「――お困りのようですね」
不意に、背後から静かな声が聞こえた。
「っ!?」
ガルドが勢いよく振り返る。
いつ入ってきたのか、閉じた扉の前に一人の男が立っていた。
全身を黒い服で覆い、顔の半分は影に隠れている。その出で立ちからして明らかに怪しいというのに、男には他人の執務室へ忍び込んだ者とは思えないほどの余裕があった。
「誰だ貴様! どうやってここへ入った!」
男はガルドが怒鳴りつけてもまったく動じず、礼儀正しく一礼した。
「名乗るほどの者ではございません。ただ、かつてあなた方の釈放に一役買った人物の使い――とだけ申し上げておきましょう」
「釈放……?」
ガルドは目を細めた。
帝国の牢から何の前触れもなく解放された時、裏で何者かが動いたのだろうとは考えていた。
通常の手続きを無視して自分たちを釈放できたのだから、恐らく相応の権力を持つ者なのだろうとも。
「そうか。お前たちが……」
呟いたあと、ガルドはすぐに顔をしかめた。
「……それで、今さらワシに何の用だ。まさか礼でも貰いに来たのか?」
「いいえ」
男は静かに首を横へ振る。
「我々は何も欲してはおりません。むしろ貰う側なのは、あなたです」
「なに?」
男は懐から小さな包みを取り出し、机の上へそっと置く。
ガルドはその包みと男を交互に見た。
「なんだ、これは」
「中をご確認ください」
正直なところ、何が入っているのかも分からない品を不用意に触ることには抵抗があった。
しかし男が危害を加えるつもりなら、わざわざ姿を見せてこんな回りくどい真似をする必要もない。そう判断し、ガルドは警戒しながら包みを開いた。
そして中身を目にした瞬間、その目が大きく見開かれる。
「こ、“コレ”は……!」
「おや。ご存じでしたか」
男がかすかに笑う。
「……無論だ」
ガルドは包みの中を凝視しながら、ゴクリと唾を飲んだ。
“それ”はいわゆるマジックアイテムで、闇の世界では禁忌の呪物として名の知られた危険な代物である。
と同時に、その希少さゆえに市場で見かけることはまずない。もし仮に出回っても法外な値が付くほどにはレアアイテムである。
ガルド自身、噂を耳にしたことがあるだけで実物を見るのは初めてだった。
(こんなブツを用意できるなど、やはりこいつの主とやらは……)
かつての推測が再びガルドの脳裏をよぎる。
「なぜ、これをワシに渡す」
「今のあなたには、必要なものかと思いまして」
「……見返りは何だ?」
「そのようなものは不要です」
あまりにもあっさりと答えられ、ガルドは眉を寄せた。
「ならば、何のためにこんな物を寄越す」
「我々はただ、あなたのファンなだけですよ」
男の口調は変わらず丁寧だったが、もちろんガルドはその言葉を真に受けなかった。
何の見返りも求めず、これほど危険な品を渡す人間などいるはずがない。何かしら裏があり、自分を利用する思惑があるのだろう。
もっとも、今のガルドにそれを追及する気はない。
相手が何を企んでいようと、タダで手に入るのなら受け取ればいい。そのうえで、自分の目的のために最大限利用すればいいだけの話だ。
「……まあいい。くれるというなら、ありがたく貰っておこう」
さっきまで散々悩んでいた実行手段が、今や自分の手の中にある。
これさえ使えば、わざわざモンスターを誘導してアルグレイン領に送り込む必要はない。それよりももっと簡単に、それでいてもっと大きな混乱を引き起こすことすらできるだろう。
それこそ、未曾有の災害とも呼ぶべき混乱を。
そしてそうなれば、その最中にアイカを連れ去るのも難しくはない。
「ククッ……」
ガルドの喉奥から、低い笑いが漏れた。
先ほどまで自分を苛立たせていた問題が、すべて解決したように思えた。
「フハハハハ! 見ておれ、アルグレインの小僧よ……! このワシを敵に回したこと、必ず後悔させてやるぞ!」
高笑いが執務室いっぱいに響き渡る。
だが、その頃には黒づくめの男の姿はすでに部屋の中から消えていた。
閉ざされた扉の向こうへ出た男は、廊下まで漏れてくるガルドの笑い声をしばらく聞いていた。
「やれやれ。本当に愚かな人だ」
小さく息を吐いた男の口元には、呆れだけではない笑みが浮かんでいる。
男は満足そうに目を細めると、執務室へ背を向けた。そして人の気配がない廊下の影へ溶け込むように、静かに歩き去っていく。
扉の向こうでは、何も知らないガルドの笑い声がいつまでも響き続けていた。




