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第62話 雑用令嬢、エルフの国に招かれる⑤

 それからラッセル様に案内され、私は王宮の厨房へ向かった。


 大人数の宴にも対応できるよう、厨房の中はアルグレイン邸のものよりずっと広い。

 壁際には大小さまざまな鍋や調理器具が整然と並び、中央には何人もの料理人が同時に使えそうな大きな作業台が置かれていた。


 けれど中へ入った私が最初に目を奪われたのは、立派な設備の方ではなかった。


「…………」

「…………」

「…………」


 周囲から注がれる視線の数々。厨房の入口や窓の向こうから、大勢のエルフの人々がこちらを覗き込んでいた。


 顔ぶれは王宮仕えの料理人をはじめとしつつ、給仕や近衛兵など様々。さらには、普通の一般人らしき方たちまで混じっている。


「ラ、ラッセル様。あの方たちは……」

「すみません、アイカ殿。どうやら皆、アイカ殿の料理姿が見られるとあって集まってきてしまったようです」

「私の?」


 ……ああ、そういうことでしたか。


 この国へ到着した直後の光景を思い返す。あのときのエルフの皆さんの興奮ぶりを考えれば、たしかにこうなるのも不思議ではないのかも。


 とはいえ光栄ではあるけれど、さすがにここまで注目されるのはちょっとなぁ……。


「いかがしましょう? 作業の邪魔になるようであれば、帰るように命じますが」

「ええと……」


 改めて周囲を見回す。どこもかしこも、そこには期待に満ちた顔、顔、顔が並んでいた。


 ……これは、さすがに帰ってとは言いづらいわね。


「いえ、ありがとうございます。このままで大丈夫です」


 仕方ない。たとえギャラリーがたくさんいても、やるべきことが変わるわけじゃないんだ。


 いつも通り食材を見て、どうすれば一番美味しくなるか。そこだけに集中しよう。


 私が小さく息を吐いたところで、ラッセル様が厨房の奥へ合図を送る。すると数人の近衛兵が台車で運んできたのは、一頭のモンスターの死骸だった。


「“ムーンアントラー”です。地方によっては、“月角鹿(げっかくじか)”と呼ばれることもあると聞いています」


 ムーンアントラー。名前の通り、月を模した二本の角が特徴的な鹿型モンスター。


 その角は三日月のような形に大きく湾曲しており、光の加減によって表面が淡い銀色に輝いている。


「これはまた、なんとも立派な子を捕まえましたね……」


 ムーンアントラーと言えば、鹿でありながらサイやバッファローのような巨躯であることも特徴の一つ。

 しかし、目の前に横たわる個体はさらにそこからひと回り以上も大きい。


 私が圧倒されるように呟くと、ラッセル様は誇らしげに胸を張った。


「そうでしょう。なにせこんなこともあろうかと思いまして、お二人の来訪が決まったあとに私が自ら森へ入って仕留めてきた獲物ですから」

「ラッセル様が?」

「はい。ぜひアイカ殿に使っていただきたく」

「それはまあ。わざわざありがとうございます」


 ここまで大きければ、肉の量としては申し分ない。

 これなら集まっているみなさんへも振る舞えそうだし、宴らしい華やかな料理にもできそうだ。


 あとは、どんな味に仕上げるか。


 モンスターの周囲を見ながら考えていると、作業台の端に積まれた丸みを帯びた緑色の実が目に入った。


「梅かぁ」


 レグナディス陛下曰く、梅はエルフ国の名産品。しかも近くの棚には、都合よく瓶詰めされた大量の梅干しまであるではないか。


 ムーンアントラーの野性味あるお肉と、さっぱりとした梅干し。


 頭の中でそれぞれの味を組み合わせてみる。


「……うん。よし、決まった」


 方向が決まれば、あとは作るだけだ。


 私はまずムーンアントラーを解体し、脚肉を適度な大きさに切り分けていった。表面の余分な部分を取り除き、塩と細かく刻んだ香草を全体へ丁寧に擦り込んでいく。


 そのまま肉を少し休ませている間に、大きな鍋と大量のオリーブオイルを用意する。


 やがて味がなじんだお肉をニンニクなどといっしょに鍋へ並べ、上からオリーブオイルを注いでいった。


 一瓶。

 二瓶。

 三瓶。


 それでも肉はまだ半分ほどしか浸かっていないので、さらに追加していく。


「そ、そんなに油を使うのですか……?」


 近くで見守っていた料理人の一人が、思わず声を漏らした。


「はい。今回は、このお肉が全部浸かるくらいまで入れます」


 その答えに、周囲から小さなどよめきが起こる。


 無理もない。これだけの油を使えば、普通はお肉を揚げる以外の選択肢は浮かばないだろう。


 けれど今回、私に揚げ物を作る気はない。それはここまでの工程を見て、なんとなく彼らも察している。だからこそのどよめき。


「…………」


 鍋を火にかけたあとは、ごく弱い火加減を保ちながら油の様子を注意深く確かめる。


 私は表面が激しく泡立たないようにしながら、ゆっくりとお肉に熱を通していった。


「アイカ殿。これはいったいなにをしているのですか?」


 隣で見ていたラッセル様が不思議そうに尋ねてくる。


「これですか? これは“低温調理”というものです」

「低温調理……?」


 ムーンアントラーの脚肉はよく動かす部分だけあって、一般的な他のお肉と比べて筋が多い。

 いわゆるジビエらしく、高タンパク・低脂質・鉄分豊富なのが特徴。


 けれどそれゆえに、ただ普通に焼いたのでは肉が締まって硬くなりすぎる傾向にある。


 が、こうして低い温度で時間をかけて熱を入れれば、肉をぱさつかせることなく硬い筋まで柔らかくすることができるのだ。


「なるほど、さすがアイカ殿だ。まさかそんな調理法があったとは……」

「ふふ、ありがとうございます」


 ま、別に私が考えたわけじゃないんですけどね。


 これもまた前世で得た知識。たしかフランス料理の伝統的な技法だったはず。


「さて」


 しばらくはお肉の様子を見るだけなので、その間にソースを作ってしまおう。


 私は梅干しの種を取り除き、果肉だけを細かくほぐしていった。そこへ醤油と少量の蜂蜜を加え、味を確かめながら混ぜ合わせる。


「ん、おいし」


 当たり前だけど、やっぱり素材がいいとソースも美味しい。


 その後は十分に時間をかけて火を通したところで、お肉を油の海から引き上げる。試しに軽くフォークの背で押してみると、抵抗感はほとんどない。


「すごい……。あの引き締まった肉が、これほどまでに柔らかくなるとは」


 ラッセル様が感嘆のため息を漏らす。


「これで完成ですか?」

「いえ、あとは最後の仕上げがあります」


 私は熱した鉄板へお肉を移し、表面だけを高温でじゅうっと焼いていく。


 そして全面へこんがりとした焼き目をつけたら、お皿へ盛りつけ、赤い梅肉ソースを添える。

 付け合わせには、ハーブを使ったサラダと根菜のローストも。


「できました!」



 ――《ムーンアントラーのコンフィ~エルフ産梅肉ソース添え~》の完成です!


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