「不吉な予言しかできない女はいらない」と捨てられましたので、今後は皆様の望む未来だけをお聞きください
公爵令嬢ティアナには、「近い将来に起こる災厄を予知する力」がある。
北部で豪雨が降り、川が氾濫する。
地方都市で疫病が広がり、多くの人が倒れる。
山間部で大規模な土砂崩れが起こり、街道を行く人々が巻き込まれる。
そんな未来が見えるたび、ティアナは王家へ報告してきた。
北部では堤防を補強させ、疫病が広がる前に人の出入りを制限し、土砂崩れが起こる街道は事前に封鎖した。
結果として、ティアナが見た災厄は一度も起こらなかった。それこそが、彼女にとっては何より望ましい結果だった。
けれど同時に、それはティアナの予知が正しいことを証明できないという意味でもあった。
何もしなければ洪水が起きていた。
何もしなければ疫病が広がっていた。
何もしなければ街道で多くの命が失われていた。
そんな未来は、対策して消してしまえば二度と見ることができない。
ティアナ自身、そのことはよく分かっていた。
それでも、だからといって見えた災厄を黙っているわけにはいかない。未来を知りながら何もしなければ、本当に人が死ぬのだから。
問題は、大きな危機の多くが王都から遠く離れた地方で起こることだった。
『北部にて大雨が降り、川の水位が急激に上昇。しかし堤防が決壊することはなく、民や家屋への被害はほとんどなかった』
事後に届く地方からの報告にそう書かれていれば、結局のところ最後に人々の認識に残るのは以下のとおり。
――洪水は起こらなかった。
そもそも王都は堅固な城壁や水路を備え、人も金も集まっている。
遠い地方で降った雨の激しさも、川がどこまで迫っていたのかも、報告書を読むだけでは実感できない。
やがて、ティアナが新たな災厄を告げるたびに、王都ではこんな声が聞かれるようになった。
「またか」
「今度はいくら使うつもりだ」
「本当にそんなことが起きるのか」
そもそも、ティアナの予言は一度でも当たったことがあるのか。
婚約者である王太子アーヴィンも、最初から彼女を疑っていたわけではない。以前はティアナの報告を最後まで聞き、必要だと判断すればすぐに人を動かしてくれた。
それが少しずつ変わっていった。
「西部の山間で地滑りが起こります。街道は一時閉鎖したほうが――」
「またか。本当にそこまでの対策が必要なのか?」
以前なら返ってこなかった言葉だった。
「必要です。崩れる場所も見えています。少なくとも、その区間だけでも――」
「前回も同じようなことを言っていたな」
「前回は対策したから何も起きなかったのです」
「……そうだったな」
アーヴィンは書類へ視線を戻す。
話はそこで終わった。
似たようなことが増えた。
ティアナが災厄を告げ、アーヴィンが必要性を疑い、ティアナが丁寧に説明する。
最後には対策が取られることもあったが、以前のように素直に受け入れられることはなくなった。
災害の話をしていないときまで、二人の間に残ったものが消えるわけではない。
やがて婚約者として顔を合わせる時間は減り、ティアナが王宮を訪れても、アーヴィンが政務を理由に席を外すことが多くなった。
ティアナも、それを無理に引き留めなかった。
災厄が見えたときだけは、嫌がられても伝える。
その繰り返しだった。
そうして少しずつ深くなっていった二人の溝は、“ある一人の女性”が現れたことで、ついに決定的なものとなる。
「ティアナ。君との婚約を破棄する」
王宮へ呼び出されたティアナは、しばらくアーヴィンの顔を見つめた。
その隣には、一人の女性がいる。
聖女ロザリー。
アーヴィンのすぐそばに寄り添い、ティアナを見ながらほくそ笑んでいた。
ロザリーが王都へ現れてから、ティアナを取り巻く状況は急速に悪くなっていた。
彼女が口にする未来は、ティアナのものとはまるで違った。
「今年も豊かな実りに恵まれるでしょう」
「王都には穏やかな日々が続きます」
聞く者が安心する言葉ばかりだった。
実際、そのころの畑を見れば作物は順調に育っていた。王都も長く平穏が続いている。
だからロザリーの言葉はよく当たった。
貴族女性たちから恋愛の相談を持ちかけられることも多かった。
「あの方もあなたを気にしていらっしゃいますよ」
「焦らなくても大丈夫です。きっと良いご縁になります」
そんな言葉をかけられた令嬢たちは、嬉しそうにロザリーのもとを去っていった。
結果が少しでも良い方向へ転べば、聖女様のお言葉通りだったと喜ばれる。いつしか夜会でも茶会でも、ロザリーの周囲には人が集まるようになっていた。
そして彼女は、その人気をさらに高めるためにティアナを使った。
「ティアナ様は、いつも恐ろしい未来をご覧になるのですね」
心配そうな顔でそう言う。
「私は皆様に、もっと明るい未来をお伝えしたいですわ」
ロザリーが笑えば、周囲も笑った。
もともと王都ではティアナの予知に疑問を持つ者が増えていた。
そこへ、明るい未来ばかりを告げる聖女が現れた。
どちらと話したいかなど、考えるまでもなかったのだろう。
気づけば夜会でティアナの周囲に集まる者は減り、彼女が近づけば会話を切り上げる者まで出てきた。
そして今。
ロザリーはティアナの婚約者の隣にいる。
「君の予言は一度だって当たっていない」
アーヴィンが言った。
「そのたびに国を動かして、金も人も使わせてきた。それでも何も起きなかったじゃないか」
「対策をしたからです」
「またそれか」
アーヴィンはうんざりしたように眉を寄せた。
「起きなかったことを、自分が防いだと言い張っているだけだろう」
「……そう思っていらしたのですね」
「他にどう考えろというんだ」
アーヴィンは隣へ目を向けた。
その視線を受けたロザリーが、嬉しそうに微笑む。
「ロザリーは違う。人々に希望を与え、皆から慕われている」
ティアナは何も答えなかった。
「不吉な予言しかできない女はいらない。俺はロザリーを選ぶ」
ロザリーは否定しなかった。驚いた顔すらしない。当然そうなると分かっていたように、アーヴィンの隣に立っている。
ティアナは一度だけ目を伏せた。
長く続いた婚約だった。
その終わりがこれなら、今さら言葉を重ねても意味はない。
「承知いたしました」
ティアナがあっさり答えると、今度はアーヴィンのほうがわずかに目を見開いた。
けれどティアナには、婚約とは別に伝えなければならないことがあった。
「ただ、最後に一つだけ」
「なんだ?」
ティアナはアーヴィンをまっすぐ見た。
「数か月後、この国を大干ばつが襲います」
アーヴィンの顔から、わずかに残っていた余裕が消えた。
「……まだ言うのか」
「水を確保してください。穀物も今のうちに備蓄を。間に合う土地では、作物も干ばつに強いものへ切り替えるべきです」
「もういい」
アーヴィンが吐き捨てる。
「君の予言で国を振り回すつもりはない」
「ですが――」
「婚約は終わった。もう王家のことに口を出すな」
ロザリーがアーヴィンの腕へそっと手を添えた。
「殿下。ティアナ様も、きっと心配なさっているだけですわ」
その言葉とは裏腹に、口元には薄い笑みが残っている。
ティアナはそれ以上何も言わなかった。
その後、事は婚約破棄だけでは終わらなかった。
ティアナはこれまで不確かな予言によって国を振り回し、必要のない支出を重ねさせた責任まで問われた。
そして公爵令嬢としての立場も失い、ついには罪人として王都から追放された。
向かわされたのは、王国の端にある辺境伯領だった。
馬車の窓から流れていく景色を、ティアナはただ眺めていた。
王都の建物はとうに見えなくなっている。
婚約を失った。
王太子妃になる未来も消えた。
それだけなら、まだ受け入れられたかもしれない。
けれど最後に突きつけられたのは、これまで自分がやってきたことすべてが無駄だったという評価だった。
自分は人々を助けたつもりだった。少なくとも、そう信じていた。
けれど結果だけを見れば、確かに災害は起きていない。
(本当に、私は国を振り回していただけだったのかしら……)
考えても答えは出ない。
ただ一つ、頭から離れないものがあった。
大干ばつの未来だった。
一度見てしまった以上、なかったことにはできない。このままではいずれ甚大な被害が出てしまう。
王都では拒絶されてしまったが、せめて追放先だけでも備えてもらえればいい。
そう思って、ティアナは辺境伯オスカーへ予知した内容を伝えた。
(……もっとも、どうせ信じてもらえないだろうけど)
王都であれだけ否定されたのだ。
まして今の自分は、国を振り回した罪人として送りつけられてきた女でしかない。
「わかった。すぐに各所に手配しよう」
「……え?」
ティアナは思わず聞き返した。
執務机の向こうに座るオスカーは、すでに手元の書類へ何かを書きつけている。
「井戸と貯水池の確認をさせる。穀物も今のうちに買い付けよう。作付けを変えるなら急いだほうがいいな」
「お、お待ちください」
ティアナは呆然としたまま彼を見た。
「私の話を、信じるのですか?」
オスカーが顔を上げる。
「逆になぜ信じない?」
「なぜって……」
言葉に詰まる。
「私の予知は、一度も当たっていません」
自分で口にして、胸の奥が冷えた。
王都で何度も聞かされた言葉だった。
けれどオスカーは眉をひそめただけだった。
「あのときの豪雨をここで見ていた。対策していなければどうなっていたかくらい、俺たちには分かる」
ティアナは何も言えなかった。
「川は堤防のすぐ下まで来ていた。補強していなければ、町まで水が入っていた。あれを見て、それでも何も起きなかったから無駄だったとは、ここじゃ誰も言わない」
「でも、王都では……」
「王都の連中は、あの雨を見ていないからな」
あまりにも簡単な答えだった。
ティアナが言葉を失っていると、オスカーは少し不思議そうに続けた。
「知らなかったのか?」
ティアナはゆっくり首を振った。
「……はい」
「この領地じゃ、あなたに感謝している人間ばかりだぞ」
その言葉を、すぐには受け止めきれなかった。
王都では、予言が外れたと言われ続けた。
けれどここでは違う。
実際に豪雨を見た。
増水した川を見た。
そのうえで、何も起きなかったのではなく、起こさずに済んだのだと分かっている。
「だから今回も備える。それだけだ」
オスカーは再び書類へ目を落とした。
ティアナはしばらくその横顔を見ていた。
やがて、小さく頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「礼なら干ばつが終わってから聞く」
その日から、辺境伯領は動き始めた。
井戸の状態が確認され、貯水できる場所にはできる限り水を蓄えた。穀物は値が上がる前に買い集め、倉へ運び込む。作付けの一部も、ティアナの助言に従って干ばつに強いものへ切り替えられた。
ティアナも準備に加わった。
王都にいたころと、していること自体は変わらない。
未来に起きる災厄を伝え、それを防ぐために動く。
違うのは、誰も彼女へ「本当に必要なのか」と聞かなかったことだった。
そして数か月後、雨が降らなくなった。
一日、二日という話ではない。
各地で水源の水位が下がり、畑の土が乾き始める。
さらに日が経つと、作物は明らかに弱り始めた。
収穫量は落ち、穀物の価格が上がる。備蓄の少ない土地では、食料不足まで起こり始めた。
ティアナが見た通りだった。
王国を大干ばつが襲ったのだ。
もちろん王都も例外ではなかった。
「水が足りないだと!?」
報告を受けたアーヴィンは、王宮で声を荒らげた。
「はい。周辺領からの供給も減っております。穀物も値が上がり続け、このままでは――」
「他から買え!」
「すでに各地で同じ状況です。今から十分な量を確保するのは……」
そこでアーヴィンは、ふと黙った。
頭の中に、あの日のティアナの言葉が蘇った。
『数か月後、この国を大干ばつが襲います』
水を確保しろ。穀物を備蓄しろ。
あのとき確かに、そう言われた。
そして自分は退けた。
『もういい。君の予言で国を振り回すつもりはない』
「……そんなはずがない」
アーヴィンは低く呟いた。
けれど窓の外に広がる空には、今日も雨雲一つなかった。
一方、辺境伯領では事前に確保した水が配られ、倉に積まれた穀物が領民へ回されていた。
畑の被害がなくなったわけではないものの、それでも何も備えていなかった領地とは状況がまるで違う。
「備蓄分をこちらへ。井戸の使用量は昨日決めた通りにしてください」
ティアナが指示を出す横で、オスカーも次々に報告へ目を通していた。
「北側の村は?」
「まだ余裕があります」
「なら南へ回せ」
領地は忙しく動いていた。
だが混乱はしていない。準備していたからだ。
そして干ばつが長引くにつれ、王国の各地から別の声も上がり始めた。
「ティアナ様の言った通りになった」
最初はそんな声だった。
やがて、過去の話まで掘り起こされるようになる。
北部では、以前の豪雨の際にティアナの進言で堤防を補強していた。
当時を知る者たちは、川がどこまで増水していたのか覚えている。
「もし補強していなかったら、あのとき決壊していた」
疫病を予知された地方でも同じだった。ティアナの言葉を受けて早く動いたから、広がる前に抑えることができた。
山間部の街道も、土砂崩れが起きる前に封鎖されていた。
いずれも王都では「何も起きなかった」とされてきた出来事だった。
けれど現地には、その直前まで何が起きていたのかを知る人間がいる。
そして今回だけは、ティアナの警告が無視された。
その結果が目の前に広がっている。
王都でも、さすがに同じ言葉を口にする者はいなくなった。
ティアナの予言が外れていたのではない。
予言するたびに対策していたから、災厄が起きなかったのだ。
さらに悪いことに、大干ばつについてはティアナが婚約破棄の場でアーヴィン本人へ直接告げていた。
知らなかったでは済まない。
聞いていたのに、そのうえで退けた。
王宮では、アーヴィンの責任を問う声が一気に強くなった。
やがて彼は王太子の地位を失った。
ロザリーもまた、それまでと同じ場所にはいられなくなった。
「今年も豊かな実りになるでしょう」
そう語っていた聖女の言葉を、今さらありがたがる者はいない。
ましてロザリーは、ティアナを不吉な女として笑い、自分を引き立てるために利用してきた。
社交界で彼女を囲んでいた令嬢たちも離れていく。王太子妃になるはずだった未来も、アーヴィンの廃嫡とともに消えた。
それからしばらくして、辺境伯邸へ王都から使者がやってきた。
ティアナは応接室でその申し出を聞いた。
「これまでの評価に誤りがあったことは、王家も認めております。どうか王都へお戻りいただき、今一度そのお力を王国のために――」
「お断りします」
使者の言葉が止まった。
ティアナは静かに続ける。
「私はもう、王都へ戻るつもりはありません」
「ですが、ティアナ様のお力は国に必要なのです」
「そうでしょうね」
以前なら、その言葉を聞けたことを喜んだかもしれない。
今は違う。
「だからこそ、必要だと言ってくださる場所で使います」
ティアナはそれ以上話さなかった。
使者は説得を続けたが、最後には諦めて王都へ戻っていった。
干ばつは永遠には続かない。雨が戻り、畑にも少しずつ緑が戻ってきた。
備蓄に頼っていた生活も終わりに近づき、辺境伯領にも以前の暮らしが戻り始める。
そんなある日、オスカーがティアナへ言った。
「これからも、ここにいてくれないか」
「もちろんです」
ティアナはすぐに答えた。
「まだ改善できるところもありますし、今後また別の災害が見えたときにも――」
「いや、そうじゃない」
オスカーに止められ、ティアナは口を閉じる。
「領地のためだけじゃない」
オスカーは少し困ったように頭をかいた。
災害対策を決めるときには一度も迷わなかった男が、珍しく言葉を選んでいる。
「できれば、俺の妻として隣にいてほしい」
ティアナは目を瞬いた。
「……私を?」
「他に誰がいる」
「ですが、私は王都を追放された身です」
「知ってる」
「不吉な未来しか見えませんよ」
「それも知ってる」
あまりにあっさり返されて、ティアナは言葉に詰まった。
オスカーは続ける。
「その不吉な未来を見て、何もしない人間じゃないことも知ってる」
ティアナはしばらく彼を見つめた。
やがて、その口元に小さな笑みが浮かぶ。
「……では、よろしくお願いいたします」
差し出された手を取る。
王太子妃になる未来は、もうない。
けれどティアナは、それを惜しいとは思わなかった。
未来は一つではない。
少なくとも今度の未来は、自分で選んだものだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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