第59話 雑用令嬢、エルフの国に招かれる②
それから数日後。屋敷の玄関前には、エルフの使節団と二頭の白いペガサスが牽く馬車が停まっていた。
――エルフの国に国賓として招待したい。
突然のことで多少の戸惑いはあったものの、だからと言って断る理由も特にない。結局、私たちは二つ返事でラッセル様の申し出を了承した。
とはいえ、一領地の長である旦那様がその日のうちに「じゃあ早速出発しますか」というわけにもいかず、彼らはこうして日を改めて迎えに来てくれたのである。
「ではごしゅじんさま、いってらっしゃいませキュル! おるすばんはぼくにお任せくださいキュル!」
旅支度を終えて屋敷を出ると、キュルちゃんも私たちを見送るために玄関先までぽんぽんと跳ねてきた。
「ありがとう。何かあったらムルウジさんに相談してね。話は通してあるから」
そう言いながら白い身体を軽く撫でると、キュルちゃんは中央の青い光を明るく輝かせた。
「了解しましたキュル! ごしゅじんさまたちこそ、お気をつけてキュル!」
「ええ。それじゃあ、行ってくるわね」
もう一度頭を撫でてから立ち上がり、私は改めて馬車の前に並ぶ二頭のペガサスを見上げた。
純白の身体に、大きく立派な翼。
前回も帰り際にチラッと姿を拝見していたのでわかってはいたけど、改めて間近で見るとさすがに壮観だ……。
「アイカ殿は、ペガサスへ乗るのは初めてですか?」
物珍しそうに眺めていたことに気づいたのか、ラッセル様が尋ねてくる。
「はい。一応、空を飛んだ経験がないわけではないんですけど……」
いったいどんな感じなのだろう。きっと前世で乗った飛行機とは、全然感覚が異なるに違いない。
もちろんすごく楽しみではあるけれど、地面から離れる瞬間を想像すると少しだけドキドキもする。
そんな私の様子を見て、ラッセル様は安心させるように微笑んだ。
「ご心配には及びません。この二頭は我が国と外界をこれまで何度も往復している、とても経験豊富な二頭です。馬車も飛行中に揺れが起きないよう魔法で制御されていますので、快適な空の旅をお約束いたします」
そう言って馬車の扉を開けると、ラッセル様は先に私へ手を差し出した。
「さあ、どうぞ。足元にお気をつけください」
「あ、はい。ありがとうございます、ラッセル様」
手を借りて馬車へ乗り込もうとしたところで、後ろにいた旦那様が小さく笑う。
「ふっ、ずいぶんと丸くなったものだな。最初に会った頃とはまるで別人だ」
その言葉に、ラッセル様がギクッとしたように固まる。
言われてみればたしかに。以前のラッセル様は極度の人間嫌いで、私が作ったお弁当を見た途端、王に人間の料理を食べさせるなどありえないと食って掛かってきた。
それが今では、そんな出来事があったとは思えないほどの紳士的な立ち振る舞い。
「か、過去のことはもう忘れていただきたい」
ラッセル様が気まずそうに視線を逸らす。
「あのときは我らが王の危機とあって、私自身も相当に気が立っていたのです。もっとも、だからといって決して無礼を働いてよい理由にはなりませんが……とにかく、おかげさまで王は救われ、私も自らの誤りを深く反省いたしました。そう、私は生まれ変わったのです!」
そこで一度言葉を切ると、ラッセル様は私へ向き直った。
「まあもっとも、さすがにまだすべてのヒューマンに対する考えを改めたわけではありませんが。しかし、アイカ殿だけは特別です。あのとき食べたおにぎりの味……あれを忘れることなど到底できません」
かつて私がエルフ王の病を癒すために作った“銀星茸”のおにぎり。
その味を懐かしむように、ラッセル様がしみじみと目を細める。それに対し、私も素直に微笑み返す。
「ありがとうございます。そこまで気に入っていただけたのなら、料理人としては本懐です」
と、そこでなぜかラッセル様はふいと顔を逸らした。
「っ! ……い、いえ、感謝すべきは我々の方ですから!」
「?」
あら、どうしたのかしら? なんだか少しラッセル様のお顔が赤いような……。
私が首を傾げていると、すかさず旦那様がラッセル様の肩へ手を置いた。
「……おい。一応言っておくが、くれぐれも変な気は起こすなよ」
「な、なななにを言うか。そ、そんなわけないだろう!」
ラッセル様がものすごい勢いで否定する。
「変な気……?」
それってもしや、また人間嫌いへ逆戻りしないように――とかそういう意味だろうか。さすがにそれはなさそうに思いますけど。
結局よく分からないまま、私は馬車の座席へ腰を下ろす。全員が乗り込むと、馬車はゆっくりと動き始めた。
はじめは普通の馬車と同じように街道を進んでいたけれど、やがて二頭のペガサスが左右の翼を大きく広げる。
ばさり、ばさり。
数度羽ばたくたびに蹄が地面から離れ、それに引かれる馬車も少しずつ宙へ浮かび上がった。
「わ……っ」
身体がふわりと持ち上がる感覚に、私は思わず座席の端を掴んだ。
けれどラッセル様が話していた通り、馬車は想像していたほど揺れない。むしろ多少の浮遊感はあるけど、地上にいるときとほとんど変わらないくらいだった。
少しして高度が安定したところで、私は窓の外へ視線を向けてみる。
「わぁ……」
眼下には町の建物が小さく並び、その向こうには森や川がどこまでも続いている。
普段なら何時間もかけて越える丘や谷が、空から見ると一つの景色の中にすっぽりと収まっていた。
しかも飛行機より高度がさほど高くないぶん、逆に景色がよく見えて新鮮に感じる。
「旦那様、見てください。もうお屋敷があんなに小さくなっていますよ!」
「ああ。見えているぞ」
私は窓へ顔を寄せ、流れていく景色を次々と指さす。
最初に抱いていた不安など、いつの間にかどこかへ消えていた。今度は反対側の景色も見たくなり、身を乗り出して窓を覗き込む。
旦那様も外へ目を向けていたが、なぜか景色よりも私の方を面白そうに見ている気がした。
それから約三十分。私たちは貴重なペガサスによるフライトを楽しんだ。
そうしてとある深い森の上空までやってきたところで、運転席から振り返ったラッセル様が言った。
「間もなく到着します。結界を抜けるときに景色が途切れますが、一瞬ですのでご心配なく」
「結界……?」
ああ、そういえば前にそういうのが張ってあるって言ってたっけ。たしかうっかり人間や他の種族にエルフの国が見つからないための。
考えている間にも、ペガサスが少しずつ高度を下げていく。そして木々の間に漂う淡い霧へ飛び込むと同時、窓の外が真っ白に覆われた。けれど、それも本当に一瞬のこと。
次に視界が開いたときには、先ほどまで森しかなかった場所に広大な町並みが現れた。
「きれい……」
それはまさしく、前世で物語の中に描かれていたエルフの国そのもの。
巨大な樹木の幹には窓や扉が作られ、太い枝の上には白や緑を基調とした家々が立ち並んでいる。
木と木の間には蔓を編んだ橋が架かり、道の脇や建物の軒先には淡く光る花が咲いていた。その柔らかな光は、森の奥まで途切れることなく連なっている。
なんというか……ちょっと感動してしまった。
「ふむ。これはたしかに壮観だな。それに見たところ、想像していたよりずっとにぎやかだ」
旦那様も窓から眼下の景色を見渡しながら呟く。たしかにそれは私も思った。
町には大勢のエルフが行き交い、地上の広場では様々な品物を並べた店が開かれている。
子どもたちは木の根元を元気に走り回り、頭上の橋では荷物を抱えた人たちが忙しそうに行き来していた。
神秘的な外見ではあるけれど、そこにあるのはアルグレイン領の町と変わらない、活気のある暮らしぶりだった。
やがて馬車は大きな広場へゆっくりと降りていく。地面へ着くと、私と旦那様はラッセル様に続いて馬車を降りた。
「ようこそお越しくださいました、フランベル殿、アルグレイン卿。お二人を我が国へお迎えできたことを、心より嬉しく思います」
広場で私たちを待っていたのは、エルフの王子――レオルーシェ様だった。
「お久しぶりです、レオルーシェ様。本日はお招きいただき、ありがとうございます。すでにラッセル様からも少し伺いましたが、その後の王様のご容体はいかがですか?」
「はい。もうすっかり元気ですよ。今日もお二人が到着するのを、朝から今か今かと待っていました。それもこれも、すべてはフランベル殿のおかげです」
そう告げるレオルーシェ様の表情もまた、初めて会ったときよりずっと明るい。私も改めてほっとした。
「アルグレイン卿も、突然の申し出にも関わらず、遠路はるばるお越しいただき感謝いたします」
「それはこちらこそだ。この度は御父上が無事にご回復されたとのこと、心よりお祝い申し上げる。これはささやかだが、アルグレイン領からの土産だ」
旦那様はそう言うと、荷物の中から果物を詰めた籠を取り出し、レオルーシェ様へ差し出した。
「最近、領内で採れるようになったものをいくつか詰め合わせてきた。ありったけの量を魔法袋に詰めてきたので、よければ皆で食べてくれ」
「これはご丁寧に……。こちらがお招きしたというのに、かえってお気遣いいただき恐縮です。ありがたく頂戴いたします」
レオルーシェ様が姿勢を正しながらも、嬉しそうに籠を受け取る。
「ちなみに、それらはそのまま食べても美味しいが、スムージーにするのもおすすめだ」
「スムージー、ですか?」
「ああ。野菜や果物を細かく混ぜ合わせて作る飲み物だ。これが激烈に美味い」
「なんと、それは実に興味深いですね」
「うむ、そうだろう。そう言うと思って、今日はそのための道具も持参してきた。せっかくだから、滞在中に試してみよう」
「おお! ぜひお願いいたします!」
思わず前のめりになりながら瞳を輝かせたレオルーシェ様に、旦那様もどこかワクワクした様子で頷く。
ふふ、仲が良さそうでなによりですね。
あの突然の訪問以来、二人はすっかり“食”でつながった同志だ。傍から見ていると、なんだか秘密基地でナイショ話をする子どものようで微笑ましい。
――とまあ、そんな風に互いに久方ぶりの再会を喜んでいたところだった。
「あの、アイカ様……ですよね?」
ん?




