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第36話 雑用令嬢、妖精に友だちを紹介してもらう①

 アルグレイン邸の応接室には、紅茶の香りだけが静かに漂っていた。


 卓を挟んで向かい合っているのは、旦那様とフレット様だ。私は少し離れた場所に控え、空になりかけたカップへいつでも茶を注ぎ足せるよう、ポットの取っ手に指を添えていた。


 ――ガルド・バルディオスが釈放された。


 その知らせ自体は、すでに先日届いたフレット様からの手紙で知っていた。


 けれど、紙に書けることには限りがある。特に今回のような話は、文字だけでは伝わらないものが多すぎたのだと思う。


 だからフレット様は、あれから数日経った今日、自らアルグレイン邸を訪れていた。



「……それで」


 旦那様がカップを置く。


「なぜこのタイミングで急に釈放なんだ? たしかその前の手紙では『まだまだ決着には時間がかかりそう』と言っていたはず。何があった?」


 事が事だけに前置きはなし。単刀直入に尋ねる。


「……すまない。わざわざ来ておいてなんだけど、正直なところ僕にも詳しい事情も経緯も分かってないんだ」


 フレット様はカップの縁を見つめながら答えた。


「そもそもの話、今回の件で一番の驚きは事後報告だったところだ。ある日いきなり、『ガルド・バルディオスおよび《金の盾》を釈放した』って通達が、僕を含めた文官たちに一斉に回ってきてね」

「事後……?」

「最初は何かの間違いかと思ったよ。誤報かなにかだろう、って。さすがにそんな馬鹿なことあるはずがない。でもすぐに事実だと判明して二度ビックリさ」

「他の連中は? 誰も知らなかったのか?」

「うん。だから宮殿中が混乱した。蜂の巣をつついたようにね。そもそも僕らはずっと、彼らを餌に王国側と交渉するための準備をしていたんだ。それがいきなりふいになって、みんなしばらく呆然としちゃったよ」


 フレット様が呆れたように肩をすくめる。


 言葉や口調こそ軽めではあるものの、そこには隠しきれない不満がにじんでいた。あるいは、ちょっとした怒りも。


「だろうな。しかし、議会も通さずとは……」

「うん、問題はそこさ。本来ならそんなこと絶対にありえない。そもそも、できるはずがないからね」


 ノクターン帝国に限らず、普通は他国の捕虜――それも一応は重要人物――の扱いを一部署だけで決めることはない。

 外交的観点などから、軍と議会のそれぞれの立場から様々な検討がなされるためだ。


 ゆえに釈放するにしても、本来ならいくつもの手続きを挟まなければならない。


「なのに今回はそれがまかり通った。まさに超法規的さ。そして、そんな無茶を通せる人間は帝国内でもほんの一握りに限られる」


 そこでフレット様は、やや言いづらそうに声を低くした。


「なあ、リスティン。ここからはあくまで僕の推測なんだけど。今回の件、もしや“あの人”が動いたんじゃ……」


 あの人?


 いったい誰のことだろう。

 思い当たる人物が浮かばず、私はひっそりと首を傾げる。


 その一方で。


「……かもしれん」


 そう思いたくないような、でもそうとしか考えられないような。


 何とも言えない表情で旦那様が紅茶に口をつける。

 ……そして私の気のせいでなければ、その表情はわずかに悲しげだった。どうしたんだろう。


 ただ、そう見えたのも束の間、旦那様はすぐさま切り替えるように言った。


「とはいえ、確証がない以上は何とも言えない。それに誰が命じたかはいずれ調べるとしても、まず現状で先に考えるべきはまんまと自由になったガルドたち(あいつら)の動きだ」

「このまま黙っているわけがない、と?」

「恐らくな。いや、間違いないだろう。あの男は簡単に自分の負けを受け入れるような性格じゃない。きっとまたアイカを連れ戻しに来る」


 ……たしかに。


 何年も彼の下で働いたからこそわかる。あの人は絶対に反省などしない。

 むしろそれどころか、森での一件で旦那様に恥をかかされたと思い、今頃余計に復讐心をたぎらせているかもしれない。


 思わずポットの取っ手を握る指に力が入る。

 すると、旦那様が少し心配そうにこちらを見ていた。


「アイカ」

「……大丈夫です。続けてください」

「そうか。無理するなよ」


 旦那様は頷くと、再びフレット様へ視線を戻した。



 そこから二人はいくつか確認すべき点を整理し、この日の会合は終了。

 帰路に着くフレット様を玄関まで見送りに出るころには、外の空気が少し冷たくなっていた。


「わざわざ来てもらって悪かったな」

「いいよいいよ。親友なんだし、このくらい気にしないでよ」


 旦那様が言うと、馬車の中のフレット様は軽く笑った。


「それに美味しそうなお土産ももらっちゃったしね」


 フレット様が手にしていた包みを少し掲げる。


 包みの中には、先日の食事会でも焼いた“グラウンドオクトパスのたこ焼き”が入っている。話をしたら是非食べてみたいと仰ったので、急きょ焼いたのだ。


「まだ中身が熱いかもしれないので、気をつけてくださいね」

「うん。ありがとう、フランベルさん。帰りながら食べさせてもらうよ」


 フレット様は早く味を確かめたくてうずうずした様子で頷く。


「馬車の中を汚すなよ」

「はは、子どもじゃないんだから。こぼしたりなんかしないよ」

「違う。美味すぎて泣くなよという意味だ」

「あ、そっち。それは自信ないなぁ」


 旦那様が真顔で忠告すると、フレット様は自嘲気味に笑った。


「それじゃあ、また連絡するよ。そっちも僕に手伝えることがあったら言ってくれ。すぐ動くから」

「ああ。その時は遠慮なく頼らせてもらおう」

「ありがとうございます。フレット様もお気をつけて」


 互いに言葉を交わしたのちに馬車が出発する。


 やがてその姿が見えなくなってから、私はポツリと呟いた。


「……大変なことになってしまいましたね」

「そうだな。だが、奴らがまた攻めてくるならくるで構わない。返り討ちにするだけだ。アイカには指一本触れさせない」


 旦那様が力強く言い切る。その言葉はとても頼もしい。


 でも、旦那様はすぐに続けた。


「ただ問題があるとすれば、連中のやる気がこちらの想像を上回ってきた場合だな」

「やる気……と言いますと?」

「俺やアイカだけじゃなく、他の者まで巻き込もうとした場合だ。連中は容赦がない。領民を襲って人質化する危険は考えておかないといけない」

「たしかに……」

「それにそうでなくとも、前回みたく俺や騎士団を分散させるために同時に複数の場所を狙ってくることだって考えられる」


 そうなれば、旦那様一人で全てを抑えることはできない。


 アルグレイン領の騎士団のみんながいかに優秀だとしても、守るべき場所が増えれば、それだけ隙も生まれる。


「ああ。だから今後はより一層の備えと警戒が必要だ。騎士団にも共有して、すぐに領内の防衛戦略の見直しをしなければ。その上で、戦力そのものも底上げしたい」

「底上げ……」

「フレットはああ言ってくれたが、中央からの支援は望めないだろうしな……もしガルドを釈放した人間が本当に俺やフレットの想定している人物なら、なおのこと」


 旦那様がボソリと呟いた。

 さっき言っていた、“あの人”のことだろう。


 そこで、旦那様は私の方を見て笑った。


「というわけで、アイカにはこれまで通り料理を頼みたい」

「料理、ですか?」

「とびきり美味いやつをな。それがある意味で一番の備えになる」


 なるほど。たしかに私のモンスター料理なら、食べれば食べるほど強化につながりますものね。


「わかりました。そういうことならぜひお任せください」


 ……と、私が意気込んだところで。


「なるほど。話は聞かせてもらったぞ」

「え」


 背後から聞こえた声に思わず振り返る。


 そこに浮かんでいたのは、『食のためならなんでもする大妖精』ことフロストーレ様だった。


「フロストーレ様……!?」

「うむ。ちょうどここいらを散歩してたら、風に乗って美味そうなソースの匂いがしてな。もしやと思って来てみれば、なかなか面白い話をしておるではないか」

「ソース……」


 ああ、たこ焼きの匂いですか。さすがの食いしん坊……この間あんなに食べたばっかりなのに。


 けれどそんな私の呆れとも感心ともつかない感情をよそに、フロストーレ様は得意げにほほ笑む。


「おぬしたち、戦力が必要なんじゃろう? なら、ワシの“知り合い”を紹介しよう」


 ……知り合い?



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