第6話 あの日の応接間
殿下が言っていた「人」は、三日後の夜にやってきました。
月の出ていない夜で、門の前に幌をかけた荷馬車が数十台並びました。御者台から降りてきた男たちは、どこにでもいる商人のような身なりをしていましたが、荷の積み方も、馬の扱い方も、声を出さずに合図を送り合うところも、商人のものではありませんでした。
「ミルフィールドのご領主様ですね。殿下から、品物を受け取るようにと言いつかっております」
先頭の男が、低い声でそう言いました。
私はゴードンと二人で倉の鍵を開け、帳簿を手に、男たちが準備しておいた大量の樽と籠を運び出していくのを見届けました。牛と豚は、翌晩に別の男たちが引き取りに来ることになるそうです。
男たちは夜明け前に、国境の方角へ消えていきました。
代金がその次の晩に届いて、ようやく安心して眠れると、うれしくなりました。
*
それから、同じような夜が何度か続きました。
入ってきたお金で、私はまずトマスの家の倉を建て直すことにしました。
焼けた壁を崩して、新しい石を積み、屋根を張り直します。職人は、隣の村から呼びました。
建て直しが終わった日の夕方、トマスが館にやってきました。
玄関に出た私の前で、トマスは帽子を握ったまま、しばらく足元を見ていました。
「……倉のことは、礼を言っとく」
「どういたしまして。次は、北の畑の柵を直します」
「……ふん」
トマスはそれだけ言って、帰っていきました。
玄関の脇でそれを見ていたゴードンが、珍しく口元をゆるめていました。
倉の次は柵を、柵の次は兵に踏み荒らされた畑を直しました。
マーサさんは、三日に一度は焼きたてのパンとチーズを届けてくれるようになりました。村を歩くと、にらまれる代わりに、頭を下げられることが少しずつ増えていきました。
この領地が変わる兆しが見えてきました。
*
困ったことが、ひとつだけありました。
「やあ、セレス。今日もいい天気だね」
殿下が、用もないのに館へ来るのです。
それも三日と空けずに。
「殿下。品物の受け渡しは、夜に殿下の使いの方々とすると決めたはずです。殿下ご自身がいらっしゃる用はありません」
「用ならあるよ。マーサさんのチーズ、今日は届いてる?」
「差し上げません」
「ひと切れでいいから」
「差し上げません」
ゴードンが黙って小皿にチーズを載せて出すので、結局毎回、殿下はチーズを食べて帰っていきます。
いつも、なぜかひと切れ目を食べたときだけ黙りこみます。それがなぜなのかは、聞いても笑ってはぐらかされるだけでした。
ある日、村から戻ったゴードンが言いました。
「ご領主様。村で、あの金髪の買い付け人はまた来ているのかと、噂になっております」
「……そうでしょうね」
その日の午後に殿下が来たとき、私ははっきり申し上げました。
「殿下。目立たないように、と最初に申し上げたはずです。殿下がこうして昼間に通ってこられたら、目立たないどころではありません」
「大丈夫だよ。ただの買い付け人だって、みんな思ってる」
「ただの買い付け人は、三日に一度も同じ領主の館に来ません」
「じゃあ、ただの買い付け人じゃなくて、セレスに会いに来てる男だってことにしようか」
私はため息をつきました。何を言っても、この方には通じないのです。
*
秋の終わりの、よく晴れた午後でした。
開け放した窓から、牛の鳴き声が聞こえていました。
応接間でいつものように紅茶を出すと、殿下はカップに手をつけずに立ち上がり、私の前に来ました。
「セレス。その領地ごと君がほしい」
館の応接間で、隣国の皇子殿下が私の手を取っていました。整った顔に甘い笑みを浮かべていて、断られるとは少しも思っていない様子です。
私はその手をそっと外しました。
「鬱陶しいです」
「ひどいなあ。求婚の返事がそれ?」
「求婚なさるのでしたら、まず私の名前を正しく呼んでください。セレスではなく、セレスティアです」
「じゃあ、セレスティア。君が――」
「お断りします」
殿下は笑ったまま肩をすくめました。少しもこたえていないところが、また鬱陶しいのです。
「理由をお聞きしてもよろしいですか。領地ごと、というのは」
「理由? 欲しいものを欲しいと言っただけだよ」
「この領地の品物なら、もう殿下の国に流れています。わざわざ私と結婚なさる必要はありません」
「品物の話はしてないよ。僕は、君がほしいって言ったんだけどな」
殿下はそう言って、ようやく紅茶に口をつけました。
それ以上は何を聞いても、笑ってはぐらかされるだけでした。
*
殿下が帰ったあと、茶器を下げに来たゴードンが、盆を持ったまま立ち止まりました。
「ご領主様。ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「隣国の皇子殿下と縁組みなどなさったら、この土地は両国の火種になります。領主が他国の王族と結ばれれば、この領地をどちらの国が治めるのかという話になりましょう」
いつも口数の少ないゴードンが、自分からここまで話すのは初めてでした。
「そんな予定はありません。殿下の冗談に、いちいち付き合うつもりもありません」
「……それなら、よいのですが」
ゴードンは頭を下げて、応接間を出ていきました。
私は窓ぎわに立って、放牧地を眺めました。
殿下の馬は、もう丘の向こうに見えなくなっていました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もし「面白かった」と思っていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。ブックマークや感想もお待ちしています。




