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第5話 買い付け人の正体

トマスと約束した半月のうち、四日が過ぎた朝のことでした。


「ご領主様。先日の買い付けの方が、また門の前にお見えです」


ゴードンにそう告げられて、私はペンを置きました。

門の外では、あの日と同じ外套と帽子のルシアンさんが、また柵に腕をかけて牛を眺めていました。


「また伺いました、セレスティア様。今日こそは、牛を売っていただけませんか」

「……どうぞ、中へ」


ルシアンさんは少し意外そうに眉を上げました。前回は門の前で断られて、お茶をねだってようやく館に入ったのですから、当然かもしれません。


   *


応接間で向かい合うと、私は前置きをせずに話し始めました。


王都の商会が、示し合わせて値を下げてきたこと。役所に訴えても、国は口を出さないと言われたこと。取引を断ってから、品物が倉に積み上がっていること。このままでは、領民が冬を越せないこと。


ルシアンさんは口を挟まずに聞いていました。


「ですから、あなたの取引先には、牛だけではなく、すべての品物を取引していただきたいと思います」

「北の国境の町にでも、ですか」

「町から先のことまでは存じません。前にあなたがそうおっしゃいましたね」


ルシアンさんが、小さく笑いました。


「ただし、条件があります。目立たないようにしていただきたいのです。この取引が人に知られれば、私は禁令破りで捕まります。領主が隣国に品物を流していたとなれば、反逆の罪に問われてもおかしくありません」

「それを分かっていて、僕に頼むんですね」

「ほかに手がありません」


私はゴードンに目で合図をして、帳簿を持ってきてもらいました。領地じゅうの村の倉から集めた品物と、この秋に出せる量を書き出したものです。


「チーズが樽で三千二百。バターが千四百樽。塩漬けの肉が……」


読み上げていくうちに、ルシアンさんの顔から笑みが消えていきました。

牛と豚と羊の頭数、かぶとキャベツと玉ねぎの荷車の数、りんごと梨の籠の数。最後まで読み終えたとき、ルシアンさんは帳簿をのぞきこんだまま、しばらく黙っていました。


「……本当にこれほどの量を売っていただけると?」

「はい。これで秋の分はすべてです。お好きなだけおっしゃってください」


ルシアンさんは帳簿から顔を上げて、私を見ました。何か言いかけて、やめたようでした。

それから、ゆっくりと息を吐きました。


「北では、今は作物がとれなくて困っている人は多い。だから、あるだけ全て買わせてもらいます」

「全部、ですか」

「ええ、全部。値は……そうですね」


ルシアンさんが口にした値を聞いて、私は思わず聞き返しました。


「……もう一度、おっしゃっていただけますか」


ルシアンさんは同じ値を繰り返しました。

聞き間違いではありませんでした。王都の商会が示してきた買い上げの値の、十倍でした。


「高すぎます。そんな値をつけて、あなたの取引先は」

「高くありません。今の北国では、それでも安いくらいです」


冗談を言っている顔ではありませんでした。


   *


「この件は、僕に任せてください」


ルシアンさんは、帳簿を閉じて言いました。


「任せてくださいと言われましても……。これだけの取引を、買い付け人のあなたがおひとりで決めて大丈夫なのですか。取引先に相談もせずに」

「大丈夫です」

「なぜ、そう言い切れるのですか」


ルシアンさんは、すぐには答えませんでした。

少しのあいだ私の顔を見てから、膝の上に置いていた帽子を脇に置きました。


「僕が、ノルデン帝国の皇子だからです」


応接間が、しんとしました。

部屋の隅に控えていたゴードンが、わずかに顔を上げたのが見えました。


「……ただの買い付け人ではないとは、思っていました。あの馬は、買い付け人が乗る馬ではありませんから」

「あ、やっぱり馬で気づかれてましたか」

「ですが、皇子殿下だとは……」


さすがに、そこまでは考えていませんでした。

国境の向こうの皇子が、埃だらけの外套を着て、ひとりで他国の田舎に牛を見に来るとは、誰も思わないでしょう。


「どうして、皇子殿下がこんな所に」

「北に、食べ物が要るからです。それと……」


殿下は少しばつの悪そうな顔をしました。


「実は、ここに来る前に、あなたのことは調べさせてもらいました。クロフォード伯爵家の帳簿を三年間ひとりで回していた方が、この領地の新しい領主になったと聞いたので」


殿下はそう言って笑うと、ソファの背にもたれて、急にくだけた調子になりました。


「さて。正体もばれたことだし、堅苦しいのはここまでにしていいかな? これからはセレスって呼ばせてもらうね」

「お断りします」

「セレスティアって長いんだよ。セレスのほうが呼びやすい」

「呼びやすさの問題ではありません、殿下」

「じゃあ決まりだね、セレス。次は品物を取りに人を寄越すからよろしくね」


何も決まっていません。

帰っていく殿下を門で見送りながら、私は、先日の丁寧なルシアンさんのほうがまだましだったと思いました。


   *


その夜、私は書斎で、取引のやり方を考えました。


殿下のつけた値のまま、農家に代金を払うわけにはいきません。これまでの十倍のお金を受け取れば、誰だってうれしくなって、誰かに話したくなります。酒場でひとこと漏らしただけで、この取引はすぐに知られてしまうでしょう。

それでは困ります。この取引には、文字通り命がかかっているのです。


ですから、品物はすべて、領主の私が買い取ることにしました。

農家には、これまでの値よりはっきり多い額を払います。冬を越して、来年の種と牛の餌を買っても、手元に残るくらいの額です。ただし、多すぎない程度に抑えます。

残ったお金は、この領地のために使います。焼けた倉を建て直し、倒れた柵を直し、兵に荒らされた畑を元に戻すのです。


帳簿の新しい頁に、その使い道を一つずつ書きこみました。

書き終えたとき、この土地に来てから初めて、先のことを考えている自分に気づきました。


   *


数日後、私は館の前に領民を集めました。

トマスも、ハンスさんも、マーサさんもいます。半月の期限まで、まだ五日ありました。


「売り先が見つかりました。品物は、私がすべて買い取ります」


ざわめきが起きました。トマスが前に出てきました。


「どこに売るんだよ」

「それは、言えません」

「値は? どうせまた、あの商会と同じような」

「今までよりも、高く売れました」


私はそれだけ言って、ゴードンに合図をしました。

ゴードンが、代金の入った袋を一軒ずつ手渡していきます。


袋を開けた人から、声が上がりました。

「え……」「嘘だろ」「こんなに?」

マーサさんは袋を抱えたまま、ハンスさんの腕をたたいていました。


トマスは袋の中身を見て、それから私の顔を見ました。

何か言いたそうでしたが、結局何も言わずに、袋を懐にしまいました。


こうして、私と殿下の取引が始まりました。

そしてその日から、殿下は本当に鬱陶しくなったのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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