第4話 足元を見る人たち
ルシアンさんが帰ってから五日後、王都から手紙が届き始めました。
一通目は、チーズとバターを扱う商会からでした。二通目は、肉を扱う商会。三通目は、野菜と果物を扱う問屋。その日のうちに、同じような手紙が全部で七通、書斎の机に並びました。
書いてあることは、どれも同じでした。
――今後、ミルフィールド領との取引は、下記の値に改めさせていただきます。
その下に並んだ値を見て、私はしばらく手紙を置くことができませんでした。
「ゴードン。去年の秋の帳簿を持ってきてください」
「……かしこまりました」
ゴードンが持ってきた帳簿を、手紙の横に広げました。
チーズもバターも、牛も豚も、キャベツもかぶも、りんごも梨も、どれも去年の秋の値から、さらに三割から四割ほど下げられていました。去年の秋の値でさえ、王都の市場で売られている値の半分にも届いていなかったのにです。
「この値では、牛の餌代にもなりませんね」
私の独り言に、ゴードンは何も答えませんでした。
七通の手紙を並べてみると、もうひとつ分かることがありました。どの商会も、下げ幅がほとんど同じなのです。別々の商会が、たまたま同じ日に、同じだけ値を下げることはありません。
誰かが示し合わせて、値を決めています。そして、王都の商会にそんなことをさせられるのは、その商会に出入りしている貴族たちです。
実家に見放され、婚約者の家とは縁が切れ、頼れる人がひとりもいない若い女の領主。多少足元を見ても、文句を言ってくる後ろ盾はいません。
あの人たちがそう考えたのは、よく分かりました。
*
私はその日のうちに、王都の役所へ手紙を書きました。
商会が示し合わせて値を下げていること。この値では、領民が冬を越せないこと。国に間に入ってもらいたいこと。七通の手紙の写しも、一緒に送りました。
返事が来たのは、十日後でした。
――商いの値は、売り手と買い手の間で決めるものであり、国が口を出すことではない。
たったそれだけの返事でした。王国の食料を安い値で根こそぎ買い上げていく国が、商会の値には口を出さないと言うのです。
私は返事の手紙をたたんで、帳簿の間に挟みました。
それから、七つの商会に同じ文面の手紙を書きました。
――示された値では、お取引いたしかねます。
*
取引を断ってから、ひと月がたちました。
売れなかったチーズの樽が、倉の中に積み上がっていきました。肉は塩漬けにしても、しまっておける量には限りがあります。畑のかぶは、抜かずに放っておくしかありませんでした。りんごは、木の下に落ちたまま傷んでいきます。
お金が入ってこないので、牛の冬の餌を買うこともできません。
最初に館へ来たのは、ハンスさんでした。
「ご領主様、お願いしますよ。安くてもいいから、売ってください」
ハンスさんは帽子を両手で握って、玄関で頭を下げました。
「わしらは、今までもずっとそうしてきたんです。値は王都の方々が決めるもんで、わしらはその値で売る。安くても売れれば、冬は越せるんです」
「ハンスさん。あの値で売っても、冬は越せません。餌代を払ったら、手元にはほとんど何も残りません」
「それでも、何も売れないよりはましでしょう」
ハンスさんは怒ってはいませんでした。ただ、本当に困っている顔でした。
私は答えることができませんでした。
*
その三日後、館の前にまた人が集まりました。
最初にこの土地に来た日と同じくらいの数でした。いちばん前に立っているのも、あの日と同じトマスでした。
「どういうつもりだ、領主様」
トマスは熊手ではなく、紙切れを握っていました。商会の買い付け人から渡された、あの値の書きつけです。
「売れる相手がいるのに、なんで売らないんだよ。クロフォードの頃は、安くても売れたんだ。あんたが来てから、何ひとつ売れやしない」
「その値で売れば、冬を越すどころか、牛を手放すことになります」
「牛を手放す前に、俺たちが飢え死にするんだよ!」
トマスの声に、後ろの人たちが「そうだ」「意地を張るな」と続きました。
「俺の家は倉を焼かれたんだ。冬に食う分も、牛の餌も、全部だ。あんたは館で帳簿をめくってりゃいいかもしれないけどな、こっちは今日明日の話をしてるんだ」
分かっていました。トマスの家に何が残っているのかは、帳簿を見なくても知っています。
それでも、あの値で売ると言うわけにはいきませんでした。一度あの値で売れば、来年も、その次の年も、あの値が当たり前になります。
「皆さん、聞いてください」
私は玄関の石段を一段降りて、トマスの前に立ちました。
「今の値で売ることは、やはりできません。ですが、このままにするつもりもありません。私が、何とかもう少し条件のよい売り先を見つけます。ですから、もう少しだけ待ってください」
「もう少しってのは、いつまでだ」
「……ひと月。いえ、半月ください」
トマスは私をにらみつけたまま、しばらく黙っていました。
やがて、握っていた紙切れを私の足元に投げつけました。
「半月だ。それで何も変わらなかったら、俺たちは自分で売りに行く。どんな値でもな」
トマスが背を向けると、人々はあの日と同じように、ばらばらと帰っていきました。
石段の上では、ゴードンが黙って私の後ろに立っていました。
*
その夜、私は書斎で、領民が冬を越すのに何が要るのかを一軒ずつ書き出しました。
牛の餌、塩、薪、冬の間の食べ物。倉に残っているものと、このまま売れなかった場合に足りなくなるもの。
何度計算しても、答えは同じでした。
このままでは、冬が来る前に、この土地はもちません。
王国の中に、今より条件のよい売り先はありません。王都の商会はすべて同じ値で並んでいますし、国は口を出さないと言っています。
私はペンを置いて、窓の外を見ました。
暗い空の向こう、国境の先には、ノルデン帝国があります。
倍近い値を口にした、金色の髪の買い付け人の顔が浮かびました。
――また伺います。
もう、あの方を頼るしかないのでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もし「面白かった」と思っていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。ブックマークや感想もお待ちしています。




