第3話 牛の買い付け人
門の外に出ると、若い男が柵に腕をかけて、放牧地の牛を眺めていました。
旅の埃がついた外套に、つばの広い帽子。背が高く、帽子の下からのぞく髪は明るい金色です。男は私に気づくと、帽子を取って人なつこく笑いました。
「ああ、おはようございます。勝手に見させていただいていました。いい牛ですね、どれも毛づやがいい」
「おはようございます。牛を買いたいとおっしゃるのは、あなたですか」
「ええ、ルシアンと申します。牛の買い付けをしておりまして。あなたが新しいご領主様ですね?」
「セレスティア・ハートレイです」
「セレスティア様。うん、いいお名前だ」
初めて会った相手に、ずいぶん気安い話し方をする人でした。言葉づかいは丁寧なのに、まるで昔からの知り合いと話しているような調子です。
のちに、鬱陶しいほどこの館に通ってくることになるこの人と、私はこうして出会いました。
「それで、どのくらいの数をお考えですか」
「そうですね、まずは二十頭ほど。乳の出る雌牛と、若い雄を半々で。北の国境の町まで運ぶつもりです」
ルシアンさんは、一頭あたりの値段を口にしました。
私は、すぐには返事をしませんでした。
王都の相場の、倍近い値でした。
伯爵家の帳簿で、この十年分の牛の売り値は見てきました。王都の商人がこの土地の牛につけてきた値は、ずっと低いままです。国境の町の商人が、わざわざ倍の値を払って牛を買う理由はありません。
そんな値を出せる相手は、ひとつしか思いつきませんでした。国境の向こう、北のノルデン帝国です。
「ルシアンさん。その牛は、国境の町で止まるのですか」
「どうでしょう。町から先のことまでは、僕にはなんとも」
ルシアンさんは笑ったまま否定はしませんでした。
「でしたら、お断りします。この土地の作物や家畜を帝国に売ることは、王国の禁令で禁じられています。禁令に触れる取引はいたしません」
「おや。僕は帝国に売るとは一言も言っていませんよ」
「値段がそう言っています」
ルシアンさんは目を丸くして、それから声を出して笑いました。
「なるほど。いや、参りました。さすがは帳簿にく……」
そこまで言って、ルシアンさんは口をつぐみました。
「帳簿に、何ですか」
「いえ、何でもありません。遠くから来て喉がからからなんです。断られたついでに、お茶を一杯いただけませんか」
断られたついでにお茶をねだる人を、私は初めて見ました。
追い返してもよかったのですが、ゴードンがいつの間にか門のところに来ていて、黙って館の扉を開けて待っていました。
*
応接間で紅茶を出すと、ゴードンは小皿を一枚、ルシアンさんの前に置きました。昨日マーサさんが持ってきてくれたチーズの残りを、薄く切ったものです。
「これは?」
「この土地のチーズです。領民の方にいただきました」
ルシアンさんはひと切れつまんで、口に入れました。
しばらく、何も言いませんでした。
さっきまでの笑顔が消えて、ルシアンさんは皿の上の残りのチーズをじっと見ていました。
「……これを、あるだけ譲っていただけませんか」
さっきまでの軽い調子ではありませんでした。低く、まじめな声でした。
「牛と同じで、北へ運ぶのでしょう。お断りします」
「では、チーズだけでも。値はそちらで決めていただいてかまいません」
「値の問題ではありません。それに、これはいただき物です。売り物ではありません」
ルシアンさんは、少しのあいだ私の顔を見ていました。
それから、ふっと息を吐いて、元の笑顔に戻りました。
「そうですね。失礼しました。あまりにおいしかったもので、つい」
チーズがおいしいのは分かります。私も昨日、同じことを思いました。
けれど、今のルシアンさんの顔は、おいしいものを食べた人の顔には見えませんでした。何がこの人の顔つきを変えたのか、私にはまだ分かりませんでした。
*
紅茶を飲み終えると、ルシアンさんはあっさり席を立ちました。
門まで見送りに出ると、ルシアンさんはつないでいた馬の手綱を解きながら、もう一度放牧地のほうを見ました。
「セレスティア様。この土地は今後、我々にとって重要な土地となります」
「我々、とは?」
「また伺います。今日はごちそうさまでした」
ルシアンさんは答えずに帽子をかぶり直し、ひらりと馬にまたがりました。
去っていく後ろ姿を見送りながら、私はその馬に目を留めました。
脚が長く、毛並みは手入れが行き届いていて、走り出したときの足運びにむだがありません。伯爵家の厩舎にも、あれほどの馬は一頭もいませんでした。
牛の買い付け人が乗る馬には、とても見えませんでした。
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